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今は亡き人の面影

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「誠、まっこと申し訳なかった……!」

「ち、父上おやめください! この女に頭を垂れるなどありえません!」

地に伏して許しを請う王を、王太子イーサンは制止した。その上で、なおもメリザンドを非難する。
これにはイズリク王が激高した。

「っの……! まだ理解出来ぬのか! デラクロワの家があったからこそ、このエンデルバルド王国は今日まで存在できたのだ! あれほど言い聞かせたと言うに……! 貴様など最早息子ではない! ただ今をもって廃嫡とする!」

「そんな!?」

なおも事の重大さに気付かぬ息子に呆れ果てたイズリクは今すぐイーサンの顔面を殴り飛ばしてやりたかったが、それよりも今はメリザンド、ひいてはデラクロワ家への謝罪が先だと頭を伏したまま彼を叱責した。

そして、愛する息子が最早全て手遅れであることを悟り心痛に顔を歪めた。
もしも王妃が生きていたならば、もっと違った男に育っていたのだろうかと。

「愚か者めが……だが真に愚かなりは儂自身! お前の浅はかさを知り得なかったのだからな……! 亡き妻にも申し訳が立たぬ……!」

沈痛な表情で王は語る。

王太子イーサンの母である王妃は、彼が幼い頃に流産がきっかけで早逝している。
そのせいで一人息子であり唯一の王位継承権を持つイーサンは周囲に溺愛されて育ってしまったのだ。

イズリク王は続けた。

「デラクロワは竜人の一族。彼らの歴史は人間など遥か及ばぬほど古い。千年前、争う竜と人間の戦を止めたのが彼らだ。そして、竜を傷つけぬ代わりにこの国の守護を初代エンデルバルド王と契約したのだ。最早この国に竜と戦えるほどの人間は存在せぬが、それでも契約の名のもとに、彼ら……いや彼女らは我が王家へ嫁いでくれていた。この国を守るために。ひいては竜を守るために。それも、全て台無しになってしまった」

だからこそ王は、口酸っぱく息子にデラクロワ家を決して蔑ろにするなと伝えていた。しかし、聞く耳を持たぬ息子にほとほと頭を抱えていたのだ。

定期的な茶会の予定も、舞踏会や夜会の手引やドレスの用意も、すべて王家が行っていた意味を、まさか微塵も理解していなかったとは流石に思っていなかった。意に沿わぬ相手であろうがこれは契約に基づいた政略婚であると、王家の人間として最低限の自覚はあると信じていたのである。

「父上……!」

イズリク王の説明を聞いたイーサンはその場に呆然と立ち尽くした。そして大衆は、事の重大さに戦慄していた。

「ではデラクロワが筆頭であったのは……」

「領地の広大さゆえではなかったのか」

「かの家は【影の王家】であったということか!」

真実に気付いた者たちが口々に噂を始めた。

デラクロワ家の広大過ぎる領地は、メリザンドに従う竜を隠すため。
そして第一頭筆頭貴族であったのは、エンデルバルド王家の根幹そのものを握っていたからだ。

「お、俺が廃嫡……嫌だ、どうしてっ!」

立ち尽くしていたイーサンが駄々をこねるように首を振りながら頭を掻きむしる。彼の顔は強すぎる後悔で青褪めていた。

「嘘よそんな話! だってそんなの知らないわ! 知らなかったのよ!」

そんなイーサンに追い打ちをかけるように、フローナがばっと彼から離れた。
ここに来てようやく旗色の悪さに気付いた彼女は、無知を理由に言い逃れを始めていた。

「ぜ、全部イーサン様がやったのよ! わたしはメリザンドを貶めるつもりなんて無かったわ! わたしは悪くないのよ! 悪いのはイーサン様だわ!」

「なっ、フローナ! 君がメリザンドに殺されかけたと言ったんじゃないか!?」

「知らない! 寄らないでよ!」

フローナの言い分にイーサンはぎょっとした。恋人の変貌ぶりに狼狽え、縋るように彼女に近づくも、フローナは無情にもイーサンを両腕で突き飛ばした。よろめいたイーサンは信じられない、という顔で呆然としている。

「そ、そんな、フローナ……」

「全部あんたが悪いのよ! この無能王子!」

フローナの豹変ぶりにイーサンは絶望した。やっと気付いたのだ。自分が彼女に騙されていたことに。けれど、もう全ては遅すぎた。

「馬鹿者どもが! 兵士達! そ奴らを取り押さえておけ!」

「ははっ!」

これ以上の醜態を晒さぬよう、イズリク王は兵士達に命令を飛ばした。

「嫌っ! 離しなさいよ! わたしは悪くないの!」

「……俺、俺は……」

王の命を受けた兵士達が、王太子イーサンとフローナの二人を取り押さえる。イーサンの方は茫然自失状態であったが、フローナはまだじたばたと悪あがきをして、厚顔にも無罪を主張していた。

メリザンドは予想通りの結果を冷めた目で一瞥してから、平伏したままのイズリク王に視線を戻した。

「エンデルバルド国王、イズリクよ。貴方の謝罪は受け取りましょう。しかし、王太子イーサンは今宵、我らとの契約を反故にし、あまつさえ私を偽証した罪で断罪せんとした。それはつまり、この国の守護を放棄したも同じこと」

「はい、承知いたしております。たとえ我が国滅ぼうとも、否やはありませぬ」

イズリク王は平身低頭のまま、メリザンドの意見を全肯定した。

建国に力を貸し、千年の長きに渡り国の守護を司ってくれた一族を、王太子イーサンが、つまりエンデルバルド王家は逆賊の汚名を着せ排除までしようとしたのだ。
到底、許されることではない。

百年に一度王家が迎えていたデラクロワの娘は、メリザンディアの血を引くと同時に『依代』でもある。

つまり、この国はこれまで正真正銘の女神を王妃に迎えていたのだ。

イズリクの妻であった前王妃はデラクロワの出身ではなかったが、先々代の王妃、つまりイズリクの母はそうだった。

女神の血を入れ、薄め、また入れる。その繰り返しがあったからこそ、今日までこの国は存続したのだ。

メリザンドはイズリクの覚悟にひとつ、頷きを返した。
そうして、天を見上げてにっこりと極上の笑みを浮かべる。

「よい心掛けです……おいで、ヴァロモア」

メリザンドの一声で、空高くに控えていた竜が急速落下で降りてくる。すると凄まじい旋風が吹き荒れ、周囲に散らばった瓦礫をぶわりと巻き上げた。

「きゃああっ」

「うわぁっ」

来賓のドレスや髪が翻り、悲鳴が上がった。

そして降りてきた竜は瓦解した舞踏会場の外壁に降り立つと、メリザンドに向け大きく口を開けた。

竜の喉奥から真っ赤な炎が湧き上がってくるのが見える。
誰もが彼女が竜の炎で焼き殺されるのだと思った。
しかし、違った。

「ふふっ。ありがとう」

竜が吐いた真っ赤な炎は確かにメリザンドの全身を覆っていた。
けれど彼女は数秒も経たずに無傷で姿を表した。

先程とは、まったく違う様相ではあったけれど。

「―――そ、その姿は」

彼女を見た王太子イーサンは、兵に取り押さえられたまま狼狽えた。

それもそのはず、王宮の冠にいただく、ただ一柱の女神。その女神と全く同じ姿をしたメリザンドが現れたからである。

真紅の甲冑を着込んだメリザンドが片手を空へと向けると、虚空から伝説通り、否―――女神像が持つものと瓜二つの長剣が現れた。それこそが、竜神にして守護神メリザンディアの剣。

イーサンは、父であるイズリクが語った真実の姿を、今まさにまざまざと見せつけられていた。

メリザンド、否メリザンディアは語る。

「我、この時をもって守護の契約を破棄とする。すべては、そこな王太子、いや元王太子か。彼の者の愚かな思惑によるもの也」

「おお……」

イズリクが嘆きの声と共にがくりと肩を落とした。そして、場にいるすべての者が悲鳴を上げる。
メリザンディアは言葉を続けた。

「しかして、王国の民に罪はない。よって、守護の契約をここに新たに結ばん」

「なんと……っ御慈悲に心よりの感謝を……!」

このまま契約破棄の代償として国は滅亡するのだと思っていたイズリク王は、メリザンディアの宣言に咽び泣くような歓喜の声を上げた。

民に罪はないのだ。すべては、王太子イーサンが招いたこと。
息子の罪は親である自らの罪である。
そのせいで民が死ぬことは、イズリクにとって耐え難く、たとえ息子と己の命を捧げようと民だけは守りたいと願っていた。

「して、その要となる契約者は、如何に」

王は尋ねた。

これまではエンデルバルド王家が契約を担っていた。
だがそれは破棄され、新たな契約が結ばれることになった。
つまり、次の【人物】がいるということだ。

「今は亡き―――クレイドル=ロクスウェル宰相が弟、クレス=ロクスウェルへ。我が竜印を授けよう。クレス、ここへ」

メリザンドにしてメリザンディアの呼び掛けに、来賓の中から一人の少年が歩み出た。

「はい。お義姉様。いえ、メリザンド様」

まだ十歳を越えようという幼い少年は、黒い髪、黒い瞳の凛とした顔立ちをしていた。

大衆の中から誰かが「クレイドル子爵……?」と、声を漏らす。

『メリザンド』は今は亡き人の面影を、彼に見ていた。

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