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第二章 ひとりぼっちのシュークリーム
お礼は倍返しするから、ね?【1】
しおりを挟むミニパックの柿の種ひと袋と缶ビール片手に、ベランダへ出た。
夏になると、ごくたまに、風呂あがりに涼みがてら外の空気に触れたくなったりする。
よほどの熱帯夜でもない限り、23時をすぎれば、夜風が、さっぱりとした肌に心地よかった。
私の住んでいる地域は、高原地ではないけど、田畑広がる田舎の方なので、星空はそこそこ楽しめた。
天体は特に詳しくないし、望遠鏡なんて、もちろんない。ただ、ビール片手に、小さく大きく瞬く星を、ボーッと眺めているだけだった。
「まだ寝ないの?」
濡れた髪をタオルで拭きながら、大地がベランダに顔だけのぞかせる。
「……明日は休みだしね。ゆっくり呑みたいの」
「ふーん。……じゃ、僕も、一緒していい?」
「髪、ちゃんと乾かしてきなさいよ? 風邪ひくわよ」
大地は私の忠告を無視して、清涼飲料水の入った青い缶を手に、私の隣へ腰を下ろした。
ふわりと、私と同じシャンプーの甘い香りが、夜風に流されてくる。
「星をながめていたの? 高尚な趣味だね」
感心するというよりは、からかいを含んだ物言いに、柿の種を口に放り込み、ガリガリと噛み砕いた。
「……人のコト馬鹿にしに来たなら、とっとと部屋に戻って寝なさいよ。ビールが不味くなるじゃない」
大地は、ふふっと笑った。ごめんと言いながら、手にした缶を開ける。
「……僕も、星座の位置とかに詳しいわけじゃないけど……。星座の元になったギリシャ神話なら、少し知っているよ。
うーん……今の季節だと、北斗七星で有名な大熊座の話とか。
大神ゼウスに愛された、美しいアルカディア王の娘カリストーが、その子供を宿したばかりに、嫉妬に狂った女神ヘラによって、熊に変えられてね。
そうとは知らずに成長した息子のアルカスに、槍で殺されそうになるんだけど。
悲劇を避けようとしたゼウスが、アルカスを子熊に変えてカリストーと共に天に放り投げて、星座になったんだってさ。
ふふっ……そもそも、浮気なゼウスに見初められたことからして、悲劇じゃない?
でも、ギリシャ神話って、そういう話が多かったなー。男も女も、美しいってだけで、神々の寵愛や嫉妬の対象になってたっけ」
「───……あんた、よく知ってるわね、そんな話」
あきれて見返すと、大地は肩をすくめてみせた。
「前にも話したと思うけど、僕の家にはゲームとか漫画とかがなくて、小学生の頃は学校の図書室で、よく本を読んでいたんだ。
その頃は、神話とか物語……昔話みたいなものが、好きだった。
だから、先生に譲ってもらった文学作品なんかは、高校に入る前くらいに、やっと読んだんだけどね」
遠い目をして、大地は星空を見上げる。半乾きの髪が、さらさらと風に踊らされ、瞳に翳がかかって見えた。
小学生の頃なら大地にとっては、それほど昔でもないだろうに。
どうして、こんな遠い過去を思いだすような目を、しているんだろう。
気づくと指を上げ、大地の前髪に手を伸ばしていた。直後、しまったと思う。
……何、触ってんだ、私……。
「何?」
ちょっと笑って、事もなげに見返される。向けられた穏やかな眼差しに、鼓動が速まる。
アルコールのまわった身体は、さらに熱を帯びた。
「髪、濡れてるじゃないのよ。ちゃんと乾かせって、言ったのに」
言い訳にしかならないごまかしをして、缶に残っていたビールを呷る。
「んー……。でも、ある程度はタオルドライしたんだよ? あとは僕、基本的に自然乾燥派だし」
髪を指で一房つまんでみせる。それから、私に向かって微笑んだ。
「そっか。まいさん、僕が風邪ひいたりしないか、心配してくれてたんだっけ?
でも、平気だよ。僕、こう見えても身体は丈夫な方なんだ。滅多に風邪ひいたりしないし」
そこで、ふふっと笑う。熱くなった頬に、大地の冷たい指先が触れてきた。
「優しいお姉さんで、僕、嬉しいな……」
フルーティフローラルの香りが、むせるくらい強く、鼻につく。
頬を伝った指先に髪を梳かれ、甘い香りを呼吸するように、大地の唇を受けとめた。
アルコールの入った身体は妙に官能的で、触れた唇も舌も、溶けていきそうに心地よい。
速度を増していく胸の高鳴りに水を差したのは、大地の飲みかけの缶に、手がぶつかったことによってだった。
ひやりと肌に伝わる感覚と、パジャマの上から肌をなで伝う指の感触が、アンバランスで……心を、現実へと引き戻された。
ぐいと、大地の肩を押し返す。
「……っ……は、……だめっ……やめて、離して!」
身もだえて、ようやく身体と心を支配した束縛から、抜け出す。
よろめきながら家の中に入り、リビングのソファーの横で力尽きて、座りこんだ。
───力が、入らない。
また、やってしまった……。
窓の締まる音がして、大地が入ってくる気配がした。気まずい沈黙ののち、大地が静かに言った。
「まいさんが嫌だってこと、する気はないけど。その気がないなら、もっと早く態度で示してよ。
僕だって……傷つくことくらい、あるんだよ?」
私が飲み干したビールの缶と、自分の飲みかけの缶を持って、大地が私の横を通りすぎる。
キッチンの方で、ゴミ箱に缶が投げ捨てられる音がした。
「……大人げなくて、悪かったわね!」
まったくもって、大地の言う通りだった。
嫌なら、もっと早く拒絶すれば良かったはずだ。でも───嫌じゃないから、拒めなかったんだ……。
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