58 / 73
第五章 拒絶の向こう側
今晩、おれの部屋に来てよ【2】
しおりを挟む
「同じ経験をしなくても、想像力があれば……他人の痛みだって、自分の痛みのように感じることは、できるわ。
過去の痛みには、そうやって想像を働かせるしかないから。
だけど、いま、目の前にいるあんたの痛みは、ホントに《そんなこと》で、解決できるの?
あんたは……私を傷つけて、そうして自分の抱えてる痛みを、なかったことにできるの?
……自分と同じ人間を増やして、癒やされたりなんか……できるって、いうの……?」
大地は鼻で笑った。
「そんなこと、だって? あんたは自分がそういう目にあったことがないから、そんな風に言えるんだ!」
苛立ちを露わに、大地の片手が、私のニットの胸元を握りこむ。
私はうなずいてみせた。
「そうよ。私は、あんたじゃない。
だから、例え同じ経験をしても、あんたとは違う捉え方をするかもしれない。それは、否定できない」
「……っんだよ、意味わかんねぇ……。解るって言ったり、違うって言ったり……」
怒りよりも、困惑の色が強くなった大地の表情を見てとり、私は胸元にある大地の手に、そっと自らの手を重ねた。
「わからない、じゃなくて、考えるの。
ちゃんと考えて……それでもあんたが、私を虐げたいって言うなら、私はもう、あんたを止めない。好きにしなさいよ」
ゆっくりと大地から手を放す。ひとつ息をついて、目を閉じた。
「……あんたが……大地が、本当に望むなら、私は別に、何されたっていいわよ。
あんたは今まで、いろんなことを我慢してきたんだから。もう、我慢しなくて、いいから……」
いつも人の気持ちを優先して。自分の気持ちを殺してきた、大地になら───。
いま、ここにいる大地が、我慢し続けてきたことによる『抑圧されてきた感情の表れ』だとしたら……受け止めてあげられるのは、私しかいないのだから。
ふいに、私のあごに冷たいものが落ちてきた。
降るはずのない雨の雫のようなそれは、目を開けなくても、大地の涙だと、わかる。
「……あんたを、傷つけたいわけじゃ、ない……」
絞りだすような声音を受けて、目を開けると、涙をためた瞳が映る。
綺麗な顔立ちが、痛々しいほど苦渋に満ちていた。
私と目が合うと、大地は身体を起こし、横を向いた。
「いつも、思ってた……! あんたが見ているのはおれじゃなくて、あんたに都合のいい『こいつ』なんだって。
おれが、好きなわけじゃない。
おれに、優しいわけじゃない。
おれを、気遣ってるわけじゃない。
……あんたの行動のすべては、おれでない『大地』のために、あって。
あんたの心は、おれには決して触れることがないものだって、思ってた……」
「大地……」
おもむろに身体を起こして、指を上げ大地の頬を伝った涙をぬぐってやる。
一瞬、身を引きかけて、けれども大地は、されるがままになっていた。
「……ごめんね、もっと早くあんたの『声』を聞いてあげていれば良かった。本当に、ごめん」
「───おれは『こいつ』みたいに、良い子じゃないんだ。あんたに何してあげたら良いのか全然想像つかないし。そういうこと考えるの、正直、面倒くさい」
私は思わず噴きだした。
「あぁ、うん。分かった。いいよ、それで。
だけど、父さんには優しくしてあげて。あんたに嫌われてるって、しょげてて可哀想だから」
「……努力してみる」
素直にうなずくさまに、私はちょっと不安になって大地をのぞきこんだ。
「なんか、やけに素直だけど……」
「っだよ! 言うこと聞けば聞いたでそんな風に言うなら、別にいままで通り、反抗してたっていいんだけど?」
「ごめんごめん。
……なんか、お腹すいたね。お昼ご飯に、しよっか?」
ベッドから立ち上がりながら大地を振り返る。
ベッドに腰かけたままの大地が、初めて私を真っすぐに見て言った。
……言われた内容に理解が追いつかなくて立ちすくむ私に、立ち上がった大地が素っ気なく告げる。
「昼メシ、作ってくれるんじゃないの? ……舞さん」
最後に付け加えられた呼びかけは、私の心臓を痛いくらいにつかんで……直前の大地のセリフを、現実のものとした。
……大地は、こう言った。
「あんたさっき、我慢するなって言ったよな?
───おれ、あんたとシたいんだけど。今晩、寝る前に、おれの部屋に来てよ」
*****
夕飯は、久しぶりに三人そろって食べることができた。
大地は父さんの言葉に、淡々とした口調ながらも、きちんと言葉を返していた。
ぎこちなさは否めなかったけどそうして『家族』として囲む食卓は、やっと訪れた平穏のように思えた。
でも───。
『大地』は、まだ完全に『大地』に戻ったとは言えなかった。
二つの人格の融合……それが成されてこそ、初めて《大地が帰ってきたこと》になる気がしたから……。
シャワーのコックをひねって、溜息をついた。
投げかけられた大地の言葉が頭をよぎって、もう一度、深い息を吐く。
これまでとは明らかに違う真っすぐな眼差しは、私を惑わすには充分で……だからこそ、迷ってしまう自分がいた。
「……いまさら迷って、どうするのよ。大地は大地だって言ったのは、私じゃん。自分の言葉に、責任もてっての……!」
浴室に独りごとを響かせ自身を叱りつけ、私は、大地の部屋に行くことを決めたのだった。
過去の痛みには、そうやって想像を働かせるしかないから。
だけど、いま、目の前にいるあんたの痛みは、ホントに《そんなこと》で、解決できるの?
あんたは……私を傷つけて、そうして自分の抱えてる痛みを、なかったことにできるの?
……自分と同じ人間を増やして、癒やされたりなんか……できるって、いうの……?」
大地は鼻で笑った。
「そんなこと、だって? あんたは自分がそういう目にあったことがないから、そんな風に言えるんだ!」
苛立ちを露わに、大地の片手が、私のニットの胸元を握りこむ。
私はうなずいてみせた。
「そうよ。私は、あんたじゃない。
だから、例え同じ経験をしても、あんたとは違う捉え方をするかもしれない。それは、否定できない」
「……っんだよ、意味わかんねぇ……。解るって言ったり、違うって言ったり……」
怒りよりも、困惑の色が強くなった大地の表情を見てとり、私は胸元にある大地の手に、そっと自らの手を重ねた。
「わからない、じゃなくて、考えるの。
ちゃんと考えて……それでもあんたが、私を虐げたいって言うなら、私はもう、あんたを止めない。好きにしなさいよ」
ゆっくりと大地から手を放す。ひとつ息をついて、目を閉じた。
「……あんたが……大地が、本当に望むなら、私は別に、何されたっていいわよ。
あんたは今まで、いろんなことを我慢してきたんだから。もう、我慢しなくて、いいから……」
いつも人の気持ちを優先して。自分の気持ちを殺してきた、大地になら───。
いま、ここにいる大地が、我慢し続けてきたことによる『抑圧されてきた感情の表れ』だとしたら……受け止めてあげられるのは、私しかいないのだから。
ふいに、私のあごに冷たいものが落ちてきた。
降るはずのない雨の雫のようなそれは、目を開けなくても、大地の涙だと、わかる。
「……あんたを、傷つけたいわけじゃ、ない……」
絞りだすような声音を受けて、目を開けると、涙をためた瞳が映る。
綺麗な顔立ちが、痛々しいほど苦渋に満ちていた。
私と目が合うと、大地は身体を起こし、横を向いた。
「いつも、思ってた……! あんたが見ているのはおれじゃなくて、あんたに都合のいい『こいつ』なんだって。
おれが、好きなわけじゃない。
おれに、優しいわけじゃない。
おれを、気遣ってるわけじゃない。
……あんたの行動のすべては、おれでない『大地』のために、あって。
あんたの心は、おれには決して触れることがないものだって、思ってた……」
「大地……」
おもむろに身体を起こして、指を上げ大地の頬を伝った涙をぬぐってやる。
一瞬、身を引きかけて、けれども大地は、されるがままになっていた。
「……ごめんね、もっと早くあんたの『声』を聞いてあげていれば良かった。本当に、ごめん」
「───おれは『こいつ』みたいに、良い子じゃないんだ。あんたに何してあげたら良いのか全然想像つかないし。そういうこと考えるの、正直、面倒くさい」
私は思わず噴きだした。
「あぁ、うん。分かった。いいよ、それで。
だけど、父さんには優しくしてあげて。あんたに嫌われてるって、しょげてて可哀想だから」
「……努力してみる」
素直にうなずくさまに、私はちょっと不安になって大地をのぞきこんだ。
「なんか、やけに素直だけど……」
「っだよ! 言うこと聞けば聞いたでそんな風に言うなら、別にいままで通り、反抗してたっていいんだけど?」
「ごめんごめん。
……なんか、お腹すいたね。お昼ご飯に、しよっか?」
ベッドから立ち上がりながら大地を振り返る。
ベッドに腰かけたままの大地が、初めて私を真っすぐに見て言った。
……言われた内容に理解が追いつかなくて立ちすくむ私に、立ち上がった大地が素っ気なく告げる。
「昼メシ、作ってくれるんじゃないの? ……舞さん」
最後に付け加えられた呼びかけは、私の心臓を痛いくらいにつかんで……直前の大地のセリフを、現実のものとした。
……大地は、こう言った。
「あんたさっき、我慢するなって言ったよな?
───おれ、あんたとシたいんだけど。今晩、寝る前に、おれの部屋に来てよ」
*****
夕飯は、久しぶりに三人そろって食べることができた。
大地は父さんの言葉に、淡々とした口調ながらも、きちんと言葉を返していた。
ぎこちなさは否めなかったけどそうして『家族』として囲む食卓は、やっと訪れた平穏のように思えた。
でも───。
『大地』は、まだ完全に『大地』に戻ったとは言えなかった。
二つの人格の融合……それが成されてこそ、初めて《大地が帰ってきたこと》になる気がしたから……。
シャワーのコックをひねって、溜息をついた。
投げかけられた大地の言葉が頭をよぎって、もう一度、深い息を吐く。
これまでとは明らかに違う真っすぐな眼差しは、私を惑わすには充分で……だからこそ、迷ってしまう自分がいた。
「……いまさら迷って、どうするのよ。大地は大地だって言ったのは、私じゃん。自分の言葉に、責任もてっての……!」
浴室に独りごとを響かせ自身を叱りつけ、私は、大地の部屋に行くことを決めたのだった。
11
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
鬼隊長は元お隣女子には敵わない~猪はひよこを愛でる~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「ひなちゃん。
俺と結婚、しよ?」
兄の結婚式で昔、お隣に住んでいた憧れのお兄ちゃん・猪狩に再会した雛乃。
昔話をしているうちに結婚を迫られ、冗談だと思ったものの。
それから猪狩の猛追撃が!?
相変わらず格好いい猪狩に次第に惹かれていく雛乃。
でも、彼のとある事情で結婚には踏み切れない。
そんな折り、雛乃の勤めている銀行で事件が……。
愛川雛乃 あいかわひなの 26
ごく普通の地方銀行員
某着せ替え人形のような見た目で可愛い
おかげで女性からは恨みを買いがちなのが悩み
真面目で努力家なのに、
なぜかよくない噂を立てられる苦労人
×
岡藤猪狩 おかふじいかり 36
警察官でSIT所属のエリート
泣く子も黙る突入部隊の鬼隊長
でも、雛乃には……?
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる