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思い出が現実に!? 2.
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本当に、好きじゃなきゃできないよなあ、と鬼先はのんきに笑った。
確かに、と貴奈も調子を合わせるのではなく心から思う。
決して華やかな世界ではない。
大きな発見をしたり研究成果を上げたり、マスコミに取り上げられてタレント学者になることだってあるが、極めてまれだ。
それに、マスコミに顔と名前が売れ過ぎると生粋の学者先生方から妬まれる。
貴奈の在籍していた大学でもそうだった。タレント性があって有名で、研究成果も相当なのになかなか教授になれない准教授がいた。
もちろん、学生の頃はそういう視点でものを考えたことはなかったのだが、他学部の教授が、‘彼はマスコミで食べていけますからね、けっこうなことですね’と小意地の悪い口調で言っていたのはしっかりと記憶に残っている。
研究費用は欲しい、そのためにはマスコミは必要、でもちやほやされて喜ぶのは沽券にかかわる、でもでもやっぱりちょっと目立ちたい等々、学者先生方の心境も複雑である。
いっぽう、貴奈は好きなものに関わって仕事出来るだけで幸せだ。
自分程度の研究者などざらにいると思っている。
探求心は負けないと自負しているが、しかし学者、研究者として一旗揚げようとまでは想像したことすらない。
でも鬼先さんはどうなのだろうか、と考えていると。
「……俺はね、好きな研究が思う存分できればそれで満足なんだよね。それで満足、っていうかそれが目的、というか」
まるで貴奈の内心の疑問に応えるかのように、彼はしみじみと言った。
思わず鬼先をまじまじと見つめると、柔らかく口元をほころばせて笑みを返してくれる。
「無欲に聞こえるかもしれないけどね。でもそうでもないんだよ」
「そうですか?」
貴奈はこてりと首を傾げた。
銀縁眼鏡の端に手を当てて、いつものクセだが見るものが見れば可愛らしいと言えなくはない。
鬼先は前髪の奥で目を細め、それまで熱心にファッション雑誌を眺めていた毬子様なのに目に留まってしまったらしい。「工藤さん、イタいからそういうことはやめなさい、見苦しい」と指摘を受けた。
何が‘そういうこと’で‘イタい’のかよくわからないなりに、「すみません」と呟くと「工藤さんはいちいち謝らなくてもいいんだよ」と鬼先は言う。
穏やかな言い方ではあるけれど、毬子様に叱られた貴奈の肩を持つような発言は、いつも飄々としている鬼先には珍しい。
というよりありえなかったことだ。
貴奈はうろたえ、毬子様は敏感に反応して鬼先を睨んだ。
「あらそれどういうこと?」
きりきりと眦を吊り上げて毬子様は言った。
美人の怒り顔は迫力があるなあ、と貴奈は現実逃避しかけたが、「何をぼんやり顔しているのよ」と毬子様に凄まれ、あわてて顔を背ける。
「いちいち謝る、って何、鬼先さん。私がいつも工藤さんをいじめてるみたいじゃない」
「自覚はないの?」
「失礼ね!」
毬子様はファッション雑誌を閉じて立ち上がった。
噛み合っているようないないような。
しかし、本当に今日の鬼先さんはどうしてしまったんだろう。
こわごわ鬼先の顔をそっと窺ったが、もさついた前髪で彼の表情はよくわからない。
飄々とした態度に変わりはないのだけれど、その様子に毬子様はさらに苛立ったようだ。
「私は工藤さんに色々教えてあげてるだけよ。先輩職員として」
「ふうん」
鬼先は素っ気ない。
「勉強ばっかりしてきた人は気が利かないから」
「今西さんは気が利くの?」
「当然じゃない。というより何よ、さっきから。その言い方!」
当然気が利くかどうかは疑問だが、鬼先のまさかの意地悪発言は毬子様を逆上させた。
靴より少し濃いめのピンクベージュのネイルが美しい、細い指先をつきつける。
「学者バカのくせに失礼にもほどがあるわ!」
「学者バカは否定しないけれど」
そこで納得しないで下さいよ鬼先さん、とはらはらしつつも貴奈は脳内ツッコミを入れた。
「失礼はあなたのほうが上だと思うよ」
「──ちょっと、工藤さん!」
「はい!?」
いきなり、矛先が貴奈に向けられた。
裏返った声は毬子様の神経を逆なでしたらしく、「あなたが発端なのよ、他人事みたいな顔してるんじゃないわよ!」と言い募る。
「かばってもらったからって調子に乗らないで!」
何も乗っていません。
というか、一言も発しておりませんでしたが……
完全なやつあたりである。
嵐が過ぎ去るのを待ちたいものだが、こうなると毬子様のヒートアップはなかなか収まらないことを、貴奈は経験上知っている。
前回のヒートアップはいつだったか。
マスコミの取材の際、貴奈が準備した想定問答集と異なる質問を受けたせいで赤っ恥をかかされた!と貴奈を怒鳴り倒した時以来だ。
ここで働くようになって間もない頃で、貴奈は震えあがり、 このまま務めてゆけるだろうかとおののいたが、幸いなことにその後の毬子様はいつもわめき散らすわけではないことがわかった。
意地悪、お小言は標準装備の彼女だけれど、というかだからこそと言うべきか、毬子様は無駄に怒鳴って大声を出す人ではない。
きままに出勤しているから四六時中一緒いるのではない、というのが最大の理由だと思われるが、もう一つの事情としては、事あるごとに降り注ぐお小言はガス抜きの役目を果たしていたのかもしれない。
とにかく、本日はおとなしいとナメてかかっていた鬼先さんに思いもよらない反撃を受け、毬子様は怒髪天を突くという感じである。
「てきとうに謝るあなたも失礼なのよ!わかる!?私は優しいからいちいち言わなかったけれどね!」
誰が優しいって?と鬼先が冷静に突っ込んだが、貴奈はびくりと肩を震わせた。
図星をさされたからだ。
確かに、と貴奈も調子を合わせるのではなく心から思う。
決して華やかな世界ではない。
大きな発見をしたり研究成果を上げたり、マスコミに取り上げられてタレント学者になることだってあるが、極めてまれだ。
それに、マスコミに顔と名前が売れ過ぎると生粋の学者先生方から妬まれる。
貴奈の在籍していた大学でもそうだった。タレント性があって有名で、研究成果も相当なのになかなか教授になれない准教授がいた。
もちろん、学生の頃はそういう視点でものを考えたことはなかったのだが、他学部の教授が、‘彼はマスコミで食べていけますからね、けっこうなことですね’と小意地の悪い口調で言っていたのはしっかりと記憶に残っている。
研究費用は欲しい、そのためにはマスコミは必要、でもちやほやされて喜ぶのは沽券にかかわる、でもでもやっぱりちょっと目立ちたい等々、学者先生方の心境も複雑である。
いっぽう、貴奈は好きなものに関わって仕事出来るだけで幸せだ。
自分程度の研究者などざらにいると思っている。
探求心は負けないと自負しているが、しかし学者、研究者として一旗揚げようとまでは想像したことすらない。
でも鬼先さんはどうなのだろうか、と考えていると。
「……俺はね、好きな研究が思う存分できればそれで満足なんだよね。それで満足、っていうかそれが目的、というか」
まるで貴奈の内心の疑問に応えるかのように、彼はしみじみと言った。
思わず鬼先をまじまじと見つめると、柔らかく口元をほころばせて笑みを返してくれる。
「無欲に聞こえるかもしれないけどね。でもそうでもないんだよ」
「そうですか?」
貴奈はこてりと首を傾げた。
銀縁眼鏡の端に手を当てて、いつものクセだが見るものが見れば可愛らしいと言えなくはない。
鬼先は前髪の奥で目を細め、それまで熱心にファッション雑誌を眺めていた毬子様なのに目に留まってしまったらしい。「工藤さん、イタいからそういうことはやめなさい、見苦しい」と指摘を受けた。
何が‘そういうこと’で‘イタい’のかよくわからないなりに、「すみません」と呟くと「工藤さんはいちいち謝らなくてもいいんだよ」と鬼先は言う。
穏やかな言い方ではあるけれど、毬子様に叱られた貴奈の肩を持つような発言は、いつも飄々としている鬼先には珍しい。
というよりありえなかったことだ。
貴奈はうろたえ、毬子様は敏感に反応して鬼先を睨んだ。
「あらそれどういうこと?」
きりきりと眦を吊り上げて毬子様は言った。
美人の怒り顔は迫力があるなあ、と貴奈は現実逃避しかけたが、「何をぼんやり顔しているのよ」と毬子様に凄まれ、あわてて顔を背ける。
「いちいち謝る、って何、鬼先さん。私がいつも工藤さんをいじめてるみたいじゃない」
「自覚はないの?」
「失礼ね!」
毬子様はファッション雑誌を閉じて立ち上がった。
噛み合っているようないないような。
しかし、本当に今日の鬼先さんはどうしてしまったんだろう。
こわごわ鬼先の顔をそっと窺ったが、もさついた前髪で彼の表情はよくわからない。
飄々とした態度に変わりはないのだけれど、その様子に毬子様はさらに苛立ったようだ。
「私は工藤さんに色々教えてあげてるだけよ。先輩職員として」
「ふうん」
鬼先は素っ気ない。
「勉強ばっかりしてきた人は気が利かないから」
「今西さんは気が利くの?」
「当然じゃない。というより何よ、さっきから。その言い方!」
当然気が利くかどうかは疑問だが、鬼先のまさかの意地悪発言は毬子様を逆上させた。
靴より少し濃いめのピンクベージュのネイルが美しい、細い指先をつきつける。
「学者バカのくせに失礼にもほどがあるわ!」
「学者バカは否定しないけれど」
そこで納得しないで下さいよ鬼先さん、とはらはらしつつも貴奈は脳内ツッコミを入れた。
「失礼はあなたのほうが上だと思うよ」
「──ちょっと、工藤さん!」
「はい!?」
いきなり、矛先が貴奈に向けられた。
裏返った声は毬子様の神経を逆なでしたらしく、「あなたが発端なのよ、他人事みたいな顔してるんじゃないわよ!」と言い募る。
「かばってもらったからって調子に乗らないで!」
何も乗っていません。
というか、一言も発しておりませんでしたが……
完全なやつあたりである。
嵐が過ぎ去るのを待ちたいものだが、こうなると毬子様のヒートアップはなかなか収まらないことを、貴奈は経験上知っている。
前回のヒートアップはいつだったか。
マスコミの取材の際、貴奈が準備した想定問答集と異なる質問を受けたせいで赤っ恥をかかされた!と貴奈を怒鳴り倒した時以来だ。
ここで働くようになって間もない頃で、貴奈は震えあがり、 このまま務めてゆけるだろうかとおののいたが、幸いなことにその後の毬子様はいつもわめき散らすわけではないことがわかった。
意地悪、お小言は標準装備の彼女だけれど、というかだからこそと言うべきか、毬子様は無駄に怒鳴って大声を出す人ではない。
きままに出勤しているから四六時中一緒いるのではない、というのが最大の理由だと思われるが、もう一つの事情としては、事あるごとに降り注ぐお小言はガス抜きの役目を果たしていたのかもしれない。
とにかく、本日はおとなしいとナメてかかっていた鬼先さんに思いもよらない反撃を受け、毬子様は怒髪天を突くという感じである。
「てきとうに謝るあなたも失礼なのよ!わかる!?私は優しいからいちいち言わなかったけれどね!」
誰が優しいって?と鬼先が冷静に突っ込んだが、貴奈はびくりと肩を震わせた。
図星をさされたからだ。
応援ありがとうございます!
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