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獣は誰か
獣は誰か
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「やぁ、待っていたよ」
翌日さっそく優子は丸井敬吾の屋敷へ出向いた。
結局、秀人は出て行ったきり連絡を寄越さず、そのまま仕事先へ。同行する酒井が別宅に立ち寄って当面の生活費を置いていくが、特に伝言は預かっていないそう。ただ酒井の物を言いたげな視線で優子はすべき事を承知する。
「引き受けてくれて嬉しいよ。さぁ、あがって」
敬吾は丸井家の敷地内に作業場を構え、ここは、ささしずめ彼の城と言ったところか。主自ら優子と徳増を出迎える。
優子は持参した土産品を使用人に渡したいが姿が見当たらない。
「あぁ、人払いをしてあるんだ。絵を描くときは集中したいからね。ちなみに何を持ってきてくれたの?」
「敬吾さんがお好きな焼き菓子ですよ」
品を選んだ徳増が応える。
「あっそ、ありがとう」
優子としてはもっと気の利いた物が良いのではないかと思ったが、徳増いわく敬吾は菓子でも高価な代物でも興味を示さない、贅沢に慣れた人ですからね、と。
確かに絵を描く為だけに屋敷を与えられる人物だ。生半可な贈り物で有難がるはずもないか。
「君を描きたいと言って旦那様は怒らなかったかい? あ、足元に気を付けてね」
優子達は画材が散乱する部屋へ通される。すると徳増が慣れた風に中央の椅子へ向かい、進路を確保してくれた。優子が描き殴った絵を踏みそうになる際はすかさず手を差し伸べる。
「いいえ、秀人様は怒ったりはしませんでした」
「そう? 僕が裸婦画でも描くんじゃないかと怒りそうに思えたんだけど?」
敬吾は機嫌が良く笑う。礼服から普段着になっても敬吾の印象はそこまで変わらない。無邪気ーーそれでいて鋭い。
言葉につまる優子に着席を促し、敬吾は窓辺へ寄りかかる。もとより人を招く目的がないので一脚しかない。
画材から発せられる独特の臭いが場に充満する。
「心配しないで、僕は女性に性的な興味がないんだ」
前振りのない暴露をされ、優子は固まった。
「男性が好きな訳でもないから誤解しないでね。優子ちゃんが警戒しなきゃいけないのは僕じゃなく本宅の獣、そちらの騎士の仮面をつけた獣じゃないかな?」
腕組みする敬吾はまず窓の外に見える丸井家を顎でさし、次に徳増をさす。
「ここからは2人きりにして欲しいんだ。徳増、出てってくれるよね?」
獣呼ばわりされても表情を崩さない徳増。
「わざわざ性的趣向をご披露しなくとも、敬吾さんの絵に対する姿勢を疑ったりしません。では私は部屋の外で控えておりますので、優子様、もしも何かありましたらお呼び下さい」
一礼して退出する。鈍感な優子でも徳増が盛大に疑っているのが伝わり、思わず吹き出してしまった。
「面白いな、優子ちゃんの件になると、すぐむきになるんだから」
「たぶん、わたしがいつまでも世話がかかる生徒だからだと思います」
「ううん、絶対それは違う」
敬吾は笑顔のまま優子の意見を否定する。
「僕、君の純粋というか無垢というか、そういう部分を描きたいと思ったんだ」
純粋、無垢、並べられる言葉は綺麗。しかしながら意味通りの響きを宿さない。むしろ逆の音色をしている。
じっと優子を見つめ始める敬吾。どんな構図で描こうか巡らす視線が蜘蛛の糸みたいだ。
「あ、あの、敬吾さんの絵を拝見しました」
居心地が悪いがこれも創作の一環、やりすごさなくては。沈黙に陥るのを避け、優子は共通の話題を切り出す。
「式場で?」
「? いえ、立花さんがいらっしゃったお店です。式場にも絵が?」
「あったよ、昔描いたやつがね。立花に会ったの? 聞いたかも知れないけど、僕、あの人に絵の基礎を教わった。まぁ今は方向性が真逆だし、立花から学ぶ所はないかな」
「それって師から巣立ち、ご自身の世界を確立されたという事ですよね? すごいです!」
「は? そんなんじゃないし。必要ないから追い出したんだ」
「やぁ、待っていたよ」
翌日さっそく優子は丸井敬吾の屋敷へ出向いた。
結局、秀人は出て行ったきり連絡を寄越さず、そのまま仕事先へ。同行する酒井が別宅に立ち寄って当面の生活費を置いていくが、特に伝言は預かっていないそう。ただ酒井の物を言いたげな視線で優子はすべき事を承知する。
「引き受けてくれて嬉しいよ。さぁ、あがって」
敬吾は丸井家の敷地内に作業場を構え、ここは、ささしずめ彼の城と言ったところか。主自ら優子と徳増を出迎える。
優子は持参した土産品を使用人に渡したいが姿が見当たらない。
「あぁ、人払いをしてあるんだ。絵を描くときは集中したいからね。ちなみに何を持ってきてくれたの?」
「敬吾さんがお好きな焼き菓子ですよ」
品を選んだ徳増が応える。
「あっそ、ありがとう」
優子としてはもっと気の利いた物が良いのではないかと思ったが、徳増いわく敬吾は菓子でも高価な代物でも興味を示さない、贅沢に慣れた人ですからね、と。
確かに絵を描く為だけに屋敷を与えられる人物だ。生半可な贈り物で有難がるはずもないか。
「君を描きたいと言って旦那様は怒らなかったかい? あ、足元に気を付けてね」
優子達は画材が散乱する部屋へ通される。すると徳増が慣れた風に中央の椅子へ向かい、進路を確保してくれた。優子が描き殴った絵を踏みそうになる際はすかさず手を差し伸べる。
「いいえ、秀人様は怒ったりはしませんでした」
「そう? 僕が裸婦画でも描くんじゃないかと怒りそうに思えたんだけど?」
敬吾は機嫌が良く笑う。礼服から普段着になっても敬吾の印象はそこまで変わらない。無邪気ーーそれでいて鋭い。
言葉につまる優子に着席を促し、敬吾は窓辺へ寄りかかる。もとより人を招く目的がないので一脚しかない。
画材から発せられる独特の臭いが場に充満する。
「心配しないで、僕は女性に性的な興味がないんだ」
前振りのない暴露をされ、優子は固まった。
「男性が好きな訳でもないから誤解しないでね。優子ちゃんが警戒しなきゃいけないのは僕じゃなく本宅の獣、そちらの騎士の仮面をつけた獣じゃないかな?」
腕組みする敬吾はまず窓の外に見える丸井家を顎でさし、次に徳増をさす。
「ここからは2人きりにして欲しいんだ。徳増、出てってくれるよね?」
獣呼ばわりされても表情を崩さない徳増。
「わざわざ性的趣向をご披露しなくとも、敬吾さんの絵に対する姿勢を疑ったりしません。では私は部屋の外で控えておりますので、優子様、もしも何かありましたらお呼び下さい」
一礼して退出する。鈍感な優子でも徳増が盛大に疑っているのが伝わり、思わず吹き出してしまった。
「面白いな、優子ちゃんの件になると、すぐむきになるんだから」
「たぶん、わたしがいつまでも世話がかかる生徒だからだと思います」
「ううん、絶対それは違う」
敬吾は笑顔のまま優子の意見を否定する。
「僕、君の純粋というか無垢というか、そういう部分を描きたいと思ったんだ」
純粋、無垢、並べられる言葉は綺麗。しかしながら意味通りの響きを宿さない。むしろ逆の音色をしている。
じっと優子を見つめ始める敬吾。どんな構図で描こうか巡らす視線が蜘蛛の糸みたいだ。
「あ、あの、敬吾さんの絵を拝見しました」
居心地が悪いがこれも創作の一環、やりすごさなくては。沈黙に陥るのを避け、優子は共通の話題を切り出す。
「式場で?」
「? いえ、立花さんがいらっしゃったお店です。式場にも絵が?」
「あったよ、昔描いたやつがね。立花に会ったの? 聞いたかも知れないけど、僕、あの人に絵の基礎を教わった。まぁ今は方向性が真逆だし、立花から学ぶ所はないかな」
「それって師から巣立ち、ご自身の世界を確立されたという事ですよね? すごいです!」
「は? そんなんじゃないし。必要ないから追い出したんだ」
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