いつかの空を見る日まで

たつみ

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最終章 彼女の会話はとめどない

先陣の眼前 4

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 ザイードは、フィッツの後ろを歩いている。
 道幅が狭いので、隣に並ぶことができないのだ。
 人型になっていても、ザイードの体は、フィッツより、がっちりしている。
 背も、少しだけ高い。
 
 ほかの部隊に先んじてガリダを出ていた。
 今回、ダイスは自らの部隊を指揮しなければならないので、別のルーポが、壁の近くまで送ってくれている。
 ザイードが「龍」型になれば速く着けたのだが、目立ち過ぎるとのことで却下。
 
(機械だけであれば、壁は越えられる。無人機とやらで監視されておるかもしれぬと、こやつは言うておったな)
 
 フィッツの背を見ながら、ザイードは、やはり不思議に感じる。
 人であるのに、フィッツからは、人のことわりが見えない。
 本人が認めていた「意思のなさ」によるものだろうか。
 
 頭がいいのは確かだ。
 様々な知識も持っている。
 口先だけではない実行力も伴っていた。
 
 フィッツは人と魔物の線引きをしないし、実力もあり、最も危険な役割を担っている。
 
 だから、魔物たちは従っているのだ。
 アヴィオでさえ、イホラとの「合同訓練」に文句をつけなかった。
 これが「やれ」とだけ言われていたのなら、言うことを聞かなったに違いない。
 フィッツは、淡々としているが、けして上から命令したりはしないのだ。
 
 『訓練をしなかった場合の成功率は、47%程度です。当日の天候によっては、もっと下がりますね。そういう賭けをしたいとは、誰も思わないはずです』
 
 などと、さらりと言う。
 言葉だけなら脅しとも取れるが、淡々とした口調が、そうとは感じさせない。
 
 魔物とて馬鹿ではないので、相手が、自分たちを利用しようとしているのかは、わかる。
 だが、フィッツは、常に「事実」だけを語っているといったふうなのだ。
 実際、そうなのだろう。
 
(本人らを前にも、平気で、囮だと言うような奴だしの)
 
 今回の目的は、帝都にある「開発施設」を叩くこと。
 
 そのほかの部隊は、そのための囮なのだと、フィッツは言った。
 臆面もなく話す様子に、おさたちは、全員、呆れを通り越し、信頼のようなものをいだかずにはいられなかったのだ。
 
 フィッツには、嘘だの正直だのという概念さえない。
 
 漠然と、肌身に感じた。
 
 そこにあるのは、必要があるかないかという判断。
 相手が不快に思い、席を立ってしまった場合のことまで、おそらく、フィッツは想定している。
 そうなったらなったで、こうする、という先まで見据えているのだ。
 
(余がおらぬでもやれるなぞと、真正面から言われておるのと同じではないか)
 
 自分が席を立っても、フィッツは涼しい顔をしていて慌てたりはしない。
 引きめもしない姿が、容易に想像がつく。
 ならば1人でやれ、とも言えない立場だ。
 
 そもそも、狙われているのは魔物の国なので。
 
 フィッツは、キャスを守るために加勢をしているに過ぎない。
 前回の戦いの最中さいちゅう、キャスが、戦の決定的な原因ではないこともわかっている。
 どの道、人は来ていたし、魔物は否応なく戦いを強いられていたはずだ。
 前回の戦も、キャスがいたので、まだしも戦えた。
 
(しかし、その立場を振りかざしておるわけでもない。こやつには、本当に多くの道が見えておるのであろうな)
 
 ザイードも、枝分かれした道が見える時はある。
 どちらかを自分で選び、進んで来た。
 
 けれど、進んだ先に見えた分岐点であり、目先の選択だ。
 進んでもいない、見えてもいない枝分かれした道まで見えたことはなかったし、見ようとしたこともない。
 
「余は、お前のように、先々のことまで見据えることはできぬな」
「それの、なにが問題なのです?」
「備えあればうれいなし。見えておらねば備えられぬではないか」
「備えというものは、結局、自己満足に過ぎません」
「自己満足?」
「ここまでやっておけば大丈夫だろう、という安心感がほしいだけなのです。その安心感があるので、落ち着いていられる。落ち着いていられるから、正しい判断ができる、と、結果は後づけだと、私は思っています」
 
 フィッツの口調は、淡々としている。
 いつも通りで、ザイードを慰めるような意図は、微塵も感じられない。
 なのに、どこか自嘲気味に聞こえた。
 
「お前は、己のしておることも自己満足だと思うておるのか?」
「仰る通りです」
「なぜだ? キャスを守るためであろうに」
「それは違いますね」
「違う? お前はキャスを守り、世話をする者と言うておったぞ?」
「それは仰る通りです」
 
 ザイードは、フィッツの考えが理解できずにいる。
 キャスを守るために、フィッツは魔物の国にいるのだ。
 そして、しなくてもいい戦いをしようとしている。
 
 そもそも、フィッツは、キャスとともに人の国に帰ろうとしていた。
 フィッツがそう誘っていたのを、ザイードは知っている。
 
 つまり、戦も戦の準備も、フィッツのしたい行動とは異なっているのだ。
 
 それでもキャスのために手を貸している。
 その、どこが「自己満足」なのか。
 ザイードにはわからない。
 
「私は姫様に置き去りにされたくないのですよ」
「キャスが、お前を……? いや、それは有り得ぬ」
「どうでしょう。私が姫様の力になれることなど限られていますからね。それを失うまいと必死になっているだけです」
「お前は……わかっておらぬのだ……」
 
 もどかしさで、ザイードの声が低くなる。
 
 キャスを魔獣から助けた時のことが、記憶に深く刻まれていた。
 声も出さずに泣くキャスの姿だ。
 大事な相手を喪ったと、キャスは生きる意志さえ捨てていた。
 
(相手は、こやつで間違いなかろう……だが、なにゆえ、こやつは生きておる……キャスは取引を拒んだはず……もとより死んでおらぬことを、キャスが知らずにおっただけか……)
 
 そのあたりが、判然としない。
 だから、もどかしくなる。
 
「仮に、キャスがお前を置き去りにしたとしても、それはお前のためぞ」
「なぜそれが私のためになるのかわかりません」
「お前を死なせぬのが、キャスにとっては大事なことなのだ」
「代わりに姫様が死ぬようなことになれば、私の存在意義はなくなります」
「なぜだ? お前は、お前であろう。キャスがおらずとも生きてゆかねばならぬ」
「いえ、姫様がおられないのであれば、私が生きている必要などありません」
「そのようなことを言うでない!」
 
 ザイードは、少し声を荒げた。
 今のフィッツの言葉を聞けば、キャスが、どれほど悲しむか。
 わかるだけに、腹が立ったのだ。
 
「……お前は、わかっておらぬ……わかっておらぬのだ……」
 
 キャスのフィッツに対する想いを、フィッツは、まるで理解していない。
 
 なにを犠牲にしてでも取り戻したかったはずの相手、それがフィッツだ。
 にもかかわらず、聖者との取引を拒絶するほど、再び喪うことを恐れずにいられなかった相手、それがフィッツなのだ。
 
「姫様のことなら私も知っています。姫様は強いかたです。私がいなくても1人で生きていける強さを持っておられます。あなたも気づいているのではないですか? 姫様は、ご自分を大事になさらないと」
「……知っておる」
「自分の命はどうでもいいように扱うのに、ほかの命は気にかける。私は、そこに姫様の強さを感じるのです。同時に、非常に危ういと思っています」
「そうさな……キャスは、己でなにもかもを背負うて逝こうとすることがある」
 
 何度も引き留めるような真似をした。
 なんとか生き延びることを選ばせようとしてきた。
 そのために厳しい言葉を放った自覚はある。
 
 だが、キャスが「死にたがっている」ことも、知っていた。
 
「1人で生きられる強さをお持ちだからこそ、自分を顧みずにいられるのですよ」
「誰かに頼らずとも生きてゆけるからか」
「少なくとも、私は頼りにはならなかったようです」
「……お前だけではない」
 
 ジュポナの時も、ミサイルの時も、キャスを助けられなかったのだ。
 助けられたのは自分のほうだと、ザイードは思っている。
 とはいえ、フィッツの言う「1人で生きられる強さ」には違和感をいだいてもいた。
 
(待て……あの時、キャスは、なにか叫んでおった……そのあとだ。こやつが姿を現わしたのは……キャスの父は、聖者……)
 
 ひとつの仮説には辿り着いたが、釈然としない部分もあった。
 
 キャスに、死を覆せる力があるのなら、なぜもっと早く使わなかったのか。
 聖者との取引に苦しんでいたのか。
 
 キャスのかかえていた嘆きや苦痛が偽りではなかったと、確信している。
 そのため、なにか欠けている気がした。
 
 言葉の力を、キャスは思うように扱える。
 だが、もうひとつの力は、キャス自身、思いのままではないのかもしれない。
 自覚すらしていなかった可能性もある。
 だとすると、その力を使う「引き金」があったはずだ。
 
「着きました」
 
 ハッとなって、考えを打ち切る。
 狭い地下通路の途中で、フィッツが足を止めていた。
 壁には鉄製の赤く錆びた扉がある。
 長い間、使われていなかったようだ。
 
 フィッツは見知った家に帰るかのごとく、簡単に扉を開く。
 と、同時に、微かな擦過音がした。
 次に、なにかが倒れる音がする。
 扉を抜けて、フィッツのしたことを知った。
 
 明るい廊下に、複数の「人間」が倒れている。
 床に、血が流れていた。
 服装からすると、騎士と呼ばれる者たちだろう。
 フィッツは、まったく躊躇ためらわず、一瞬で騎士たちを葬ったのだ。
 
「姫様が生きておられる限り、私は死ぬわけにはいかないのです。死ねば、姫様を守れなくなりますので」
「そうだの」
 
 ザイードが人を殺すのを躊躇うのではないかと心配しているのではなさそうだ。
 もちろんザイードも躊躇う気はない。
 魔獣であれ人間であれ、相手からの敵意を感じると、本来、魔物は攻撃的になる。
 生存本能が強く働くからだ。

 広い廊下に、フィッツと隣に並び立つ。
 そのザイードに、フィッツが顔を向けた。
 
「魔人の相手は、お願いします」
「来るか?」
「来ます」
 
 フィッツは「可能性」の話をせずにいる。
 ならば、魔人は必ず「来る」ということだ。
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