伯爵様のひつじ。

たつみ

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後編

素朴さに忍耐に 4

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「初めまして、ファウスト様」
 
 右斜め向かいに座るファウストに、ぺこりと頭を下げる。
 さっきは驚き過ぎていて、ろくに挨拶もできなかったのだ。
 こうして見ると、確かにナタリーに似ている。
 ナタリーにも感じたことだが、なんとなく伯爵に似た雰囲気もある気がした。
 
「様などと、おつけにならないでください。どうか、ファウストと」
「あ、いえ、でも……あの……ゼビロス帝国の宰相様に対して、呼び捨てというのは……身分も違いますし……」
「ですが、ナタリーのことは呼び捨てにされておられるのですよね?」
「それは、まぁ……」
 
 ナタリーと同じ琥珀色の瞳が、きらきらしている。
 肌や髪の色はともかく、その輝く様は、実にナタリーと似ていた。
 親族というのにも納得するほどだ。
 
「ファニー様を困らせないでちょうだい」
「きみだけ特別扱いとはズルいのではないかね、ナタリー」
「私はメイドよ? 呼び捨てが当然でしょう? あなたとは立場が違うの」
「それにしては、きみは私を呼び捨てているようだが」
「それも当然ね。あなたは私の親族だから」
 
 なぜ2人が言い合っているのか、わけがわからない。
 張り合うようなことではないと思えるのだが、親族間での問題ならば、自分が口を挟んでいいのか悩む。
 
(私がどう呼ぶかってこと自体じゃなくて、それをきっかけに上下をはっきりさせたいとか? ナタリーの親族は多いって言ってたし)
 
 伯爵家のメイドから、一国の宰相までと身分にも幅があるようだ。
 とはいえ、親族間での上下は別と考えられているのだろう。
 でなければ、メイドの立場で宰相に噛みつくなんてできるはずがない。
 
「2人とも、そこまで」
 
 ぱんっと、手が打ち鳴らされる。
 視線を向けると、夏場でもきっちりと執事服を身に着けたカーリーが立っていた。
 打ち鳴らした手には白手袋まではめている。
 なのに、汗1滴もかいていない。
 
「お見苦しいところを、お見せしまして申し訳ございません、ファニー様」
「私はいいんですけど……親族同士で喧嘩は……2人とも伯爵様の臣下のかたでもあるので、仲良くしてもらいたいです」
「仰る通りにございます」
 
 見れば、2人が、しゅんとなっている。
 どういう経緯かはわからないが、ファウストはゼビロス帝国の宰相でありながらも、伯爵の臣下なのだ。
 その伯爵に最も近しい臣下が、カーリー。
 
(そっか。この3人の中だと、たぶんカーリーさんが1番上なんだ)
 
 なので、叱られた2人は、しゅんとしているに違いない。
 伯爵自身は黙って様子を見ている。
 カーリーを信頼して任せているようだ。
 
「ファニー様、大変、恐縮ではございますが、ご提案させていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、あ、はい。大丈夫です」
「ファニー様は、私のことを“さん”付けでお呼びくださいます。ファウストのことも、そのようにお呼びいただけると、この者も納得できましょう」
「あ~ぇえっと……本当にいいんですか? 宰相様ですよ?」
「かまいません。そのほうが、この者も気持ちが楽になるかと」
 
 よくわからないが、それで本人が納得し、ナタリーと喧嘩にならないのであればと、ファニーは素直にうなずいた。
 リセリアとついを成すほどの国の宰相を「さん」付けで呼ぶのは気が重い。
 だとしても、伯爵の臣下でナタリーの身内と思えば、呼べなくもない。
 
「それじゃあ、今後は、ファウストさんって呼ばせてもらいます」
「ありがたき幸せ」
 
 きらきらした目でファウストに見つめられ、曖昧に笑ってみせる。
 本当にいいのだろうか、と思った時だ。
 
 バーンッ!
 
 またしても、心臓が跳ね上がるくらいに驚く。
 なにが起きたのか把握する前に、体になにかがぶつかってきた。
 
「ファニー様あ! オレ、遅刻する気はなかったんだよっ? ファウストに貴族会議を押しつけられて来られなかったんだよおっ!」
 
 誰かは知らないが、誰かがファニーに抱きついている。
 真っ赤な髪と見上げてくる紫の瞳が見えた。
 色はともかく、形は猫の目に似ている。
 
「……えっと……あの……?」
 
 どうすればいいのか迷って、伯爵を見上げた。
 伯爵の金色の瞳が、キラッと光る。
 
 ひょいっ、ぽいっ。
 
 そんな感じで相手の襟首を掴み、伯爵がファニーから引き離して床に放り投げた。
 真っ赤な髪の猫っぽい男性は床にへたりこみ、きょとんとしている。
 
「お前が、エティカか」
「はい、伯爵様! オレが、エティカ・ティバルト!」
「そうか。ならば、もう少しゼビロス帝国の皇帝らしく振る舞え」
 
 え?と、ファニーの体がまた固まった。
 ここに着いてから驚くことばかりだ。
 しかも、時間が止まるかのような心臓に悪い「びっくり」だった。
 
「ファニー、怪我はありませんか? どこか痛むところは?」
 
 伯爵が心配そうに、ファニーの顔を覗き込んでくる。
 金色の瞳を見つめ、無言で首を横に振った。
 怪我をするより前に、心臓が止まる可能性はあるかもしれない、と思いながら。
 
(こ、皇帝……宰相だけでも驚いたのに……皇帝って……)
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