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第17話 勇者の証

30 死闘の決着

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 彼等は……戦うのをそこで止めた。
 仮初めに与えられた時間、召喚の刻限が迫ったのだ。

「……我らが去らねばならぬ時が来た」

 彼は静かに言うと、レシーバーを外し指揮官席から立ち上がった。砲弾は装填されたまま、兵士達もそれぞれの席から離れてしまった。彼等の身体は、透き通るように消えはじめている。
 男は、後ろに蹲って自分達の戦いぶりを見守っていた少年に近寄るとその眼をじっと見つめ、ドイツ人特有の強い言い回しで告げた。

「後はお前の果たすべきことを為せ」



 果たすべきこととはなんだろう、と少年は思った。
 僅かに体力が回復していたが、どうしたことか、立つことも喋ることも、何故か出来ない。

「我らは多くの敵を倒し、この手を血に染めた」
「……」
「だが、この王虎とお前の手はまだ汚れていない」

 男の言葉に、少年はハッと我に返った。
 そうだ、殺したいほど憎み、怒りに燃えた時もあったが……自分はまだ一つの生命も奪っていない。

「それは間違っていない。お前は正しいのだ。生命を奪った者は、もう修羅の世界から引き返すことは出来ないのだから」

 男の鋭い目は、自分を見上げる少年の瞳が潤むのを見て、ふっと和んだ。

「そうだ。どんなに辛くともその生き方を貫くがいい」

 男は、首許から勇者の証である騎士鉄十字章を外すと少年の首に掛けた。
 そして、頬を優しく叩いて微笑んだ。……お前はこれにふさわしい勇者だ、というように。

「さあ行け……弱き者を守る為に」

 少年が下から見上げるキューポラのハッチから青空が見えた。鋼鉄から丸く切り出されたような、魂を吸い込みそうなほどの青い青い空。
 彼等は一人、また一人とハッチから出てゆく。そして外に広がるその蒼穹へ溶けるように消えていった。

(待って、僕の英雄……)
(僕は……僕は……)

 少年は彼等の後を追い、ティーガーの外へよろばうように這い出た。

「ヴィットマン……」

 鋼鉄の王虎を駆った彼の姿はもうどこにもない。少年はその場にへたり込んだ。

(せめて一言……あの人と言葉を交わしたかった)

 何も言わなくても伝わっていたかもしれない。
 それでも言葉にして言いたかったのだ。貴方にずっと憧れていた、と。
 だが、彼はもう去ってしまった。
 少年はふいに子供のように顔を歪め、泣きだした。

「テツオー!」

 呼び掛ける声に顔を向けると離れた場所で檻に囚われていたアリスティアが懸命に手を振っていた。あの少女の魔力が尽きかけたおかげなのか、鉄の檻も透き通るように消えかかっている。

(そうだ、あいつはどうなった?)

 少年が思ったとき、アリスティアが悲鳴をあげた。

「テツオ、あぶない!」

 それまでティーガーの前でのたうち回っていた邪神騎が残った力を振り絞って身体を高く持ち上げ、少年とティーガーへ伸し掛かるように迫っていたのだ!

「お前も……一緒に、滅び……!」
撃てフォイエル!」

 そのとき少年は、ずっと憧れていた伝説の英雄ヴィットマンに一瞬、自分もなれたような気がした。
 彼の叫びと共に一閃、八八ミリ砲が火を噴く。
 至近距離からの砲撃では避けられようはずがなく、砲弾は邪神騎の前頭部を直撃し、粉砕した。

「グワゴガァァァァァァァァァァッ!」

 お腹の底から絞り出すような断末魔の叫びをあげた悪魔の化身は、その巨体をぐらりと傾かせると、ビルが倒壊するように地響きを立てて崩れ落ちる。
 その巨体は二度と起き上がらなかった。
 鋼鉄の王虎は異世界を滅ぼそうとしていた邪神騎をついに倒したのだ。
 遠くから魔物達の大歓声があがった。彼等を捕えている檻も、もうほとんど消えかかっている。

「……」

 少年は勝利の高揚感も感じないまま、敗れ去った邪神騎をぼんやりと見下ろした。力が抜け、身体から魂が抜けそうなほどの疲労が押し寄せてくる。
 敗れたはずの邪神騎がもう一度立ち上がるのではないかと警戒心を緩めることが出来なかったが、それは杞憂だった。
 邪神騎はあちこちから瘴気を吹き出し、その姿をボロボロと崩していった。ぼろ雑巾のようになった身体は、腐肉とも巨大な粘菌ともつかない姿に変貌しながら大地へ染みのように拡がってゆく。顔をしかめずにいられないほどの悪臭が漂った。
 そして。
 溶け落ちた肉塊の中から、臓物のような塊が、ぬめり粘着きながらずるずると這い出てきた。しかし、それは邪神騎の臓物ではなく……

「リ、リュ……ド」

 被膜を破り、気を失った男を引き摺るようにして少女が現われた。
 二人ともヘドロのような体液と緑色の血に塗れ、泥人形のようだった。

「ごめんなさい。あなたと一緒にこの異世界を滅ぼしたかったのに……」

 邪神騎から顕現した少女、本物河ほんものかわ沙遊璃さゆりは震える手で、気を失ったリュードの頬に触った。

「私、とうとう何も出来なかった。この世界を滅ぼすことも、爪痕ひとつ残すことも。でも……」

 震える手で魔法円を描く。残った僅かな魔力で作った帰還魔法だった。

「あなたは元の世界へ還してあげる。死ぬのは私だけでいい……」

 魔法円に弱々しい光が宿った。

「元の世界へ戻っても私のこと、忘れないでね」

 ティーガーの上の少年に冷たく背中を向けて……彼のことなどどうでもよかったのだ、少女は自分が苗床にしたチート勇者へ優しく頬ずりした。

「さよなら……」

 名残を惜しむように唇を押し付けると、魔法円へリュードの身体を押し出そうとする。
 その手を、ガッと掴んだ腕があった。

「駄目だ……」
「リ、リュード!」

 かろうじて意識が戻ったリュードが、少女へ笑いかけていた。
 ほとんど開けられないくらい眼が腫れている。少女同様、身も心もボロボロで半死半生だったが、少女の手を押しとどめると、逆に彼女を魔法円の中へと押し出した。

「あっ……!」

 円の中に入ってしまった少女に反応して、光が中のサークル内部に刻まれた呪文を読み解き出した。

「お前が還るんだ……」
「そんな……私は元の世界へ還れないのよ! どうせ死んでるんだもの!」
「いいや……」

 リュードはニヤリと笑った。

「還れるさ。もしかしたら邪神騎にはもっと凄い力があってあの戦車に勝てたかも知れねえ。でも、それを邪魔しやがった奴がいたんだ」
「え……?」
「死にかけたお前を助けようと命を賭けた奴が」

 思わぬ告白に唖然となった少女は「そんな、誰が……」と、つぶやく。
 そのとき、魔法円から浮かんだ四つの大きな手が彼女の手を抱き留めた。

(沙遊璃ちゃん、死んじゃ駄目!)

 ふいに、次第に弱くなる心電図の電子音と泣き叫ぶ声が聞こえてきた。

(沙遊璃……こんなに苦しんでいたのに甘えていたパパを許してくれ)
(沙遊璃ちゃん、ごめんなさい! ママが馬鹿だったわ!)
(パパとママ、やり直すから! お前が生きてさえくれたら……だから死なないでくれ!)

 病室で、今しも生命の灯火の消えかけた娘の手を握り、必死に呼びかける両親の声。一度は諦めたはずの親子の絆……

「パパ……ママ……」

 温かい、大きな手が少女の身体を包み込む。
 異世界で悪へ染まりかけた我が子を、そうと知らずに懸命に現世へ引き戻そうとする両親の必死の想いが、本当なら異世界を滅ぼせるほどの力を阻んだのだ。

「でも、私……」

 これまでのことを思い出して罪の呵責に声が震える。俯いた少女へ、リュードは「いいんだ。お前には帰る場所がある。行くんだ」と微笑んだ。

「あとは、オレに任せろ」
「でもあなたは……あなたの帰る場所は……?」

 あるはずがない。トラックの前に自ら飛び込んだ自分なんかには……そう思ったリュードは、聞こえない振りをして「大丈夫だ、後は任せろ……」と嘯いた。

「この異世界との決着は、オレがつける」
「リュード……」
「還るんだ。お前が命懸けで掴み取った両親の許へ……」
「リュード、リュード! あなたも一緒に……!」

 何度も呼びかけ、涙ながらに手を伸ばした少女の姿は透き通るように魔法円の中で消えてしまった。

(そうだ、これでいい)
(これで良かったんだ。オレは……)

 この異世界に来て、今ほど自分は無様な姿はしていないだろうとリュードは思った。血泥と腐肉に塗れた惨めな敗者。
 だが、不思議と自称チート勇者として振る舞った頃の、燻るような自分への嫌悪感を感じなかった。
 誰かの罪を背負って、これからもっと惨めな思いをするはずのエセ勇者。魔力も枯れ、剣を握る力さえ覚束ないのに、気持ちだけが何か清々しかった。
 情けない敗者を演じ、このまま醜い最期を迎えれば、ゴミクズのようなこの命が捨て石となり、皆が幸せになれる。

「さあ、最後の勝負だ。鋼鉄の王虎……」

 少女の遺した大鎌を拾うと、リュードは足を引き摺るようにしてティーガーへ近寄った。斬りかかる……と、いうより疲れ切った鉱夫がつるはしを振うように打ち下ろす。ティーガーの厚い装甲は、蟷螂の斧のような一撃を冷たく弾き返した。

(さあ、撃て……)
(オレのような三下じゃラスボスには役不足だろうが……撃て。それで全てが丸く収まる)

 だが、ティーガーの銃口は沈黙したままだった。

「何だよ、撃てよ。撃たなきゃオレの最終奥義ファイナルアセンションが炸裂するぞ……」

 そんな技などあるはずがない。魔力は枯れ果て残ってなどいない。少年はティーガーの上から何か痛ましそうに、道化を演じるチート勇者を見つめていた。
 自分の身体が透きとおり始めたのを見て、リュードは涙混じりの罵声を浴びせた。

「撃てよ! オレを惨めなまま最後まで晒すつもりか?」
「……」
「撃てよ! 頼む、撃ってくれ……元の世界に還ったってオレは……オレは……」

(お前の果たすべきことを為せ。お前の手はまだ汚れていない)
(どんなに辛くとも、その生き方を貫くがいい……)

 去っていった偉大な戦車兵の言い残した言葉が、ふいに少年の脳裏をよぎる。
 彼は黙ってティーガーから降り立った。
 傷つき疲れ果て、今にも倒れそうになりながら少年は、しきりに自分を撃てとせがむリュードへよろよろと近づき……その肩を掴むや、力一杯抱擁した。

「あ……!」
「そんな見え透いた芝居で自分を貶めたら駄目だ、勇者リュード」

 耳元で少年はささやき、リュードはハッとなった。
 今まで数え切れないくらい勇者を自称し、仲間やこの世界の人々からも勇者と呼ばれた。
 だが、このとき少年から言われた「勇者」という言葉には、今までとは違うずっしりとした重みがあった。身体がカッと熱く反応した。

「勇者って……困った人や悲しい人を助けるんだろ?」
「でも、オレは……」
「勇者ごっこで人を助ける振りじゃなくて、還った世界で今度こそ誰かを救ってみせろ。本当の勇者になるんだ」
「出来るもんかよ! こんな底辺の引き篭もりニートがよ!」

 泣きながら首を横に振るリュードに少年は「出来るさ」と笑いかけた。

「今、あの娘を救ってあげたじゃないか」
「え……?」

 己の行為が誰かの罪を庇い救ったのだと言われ、ぼう然となったリュードは「オレが、助けた?」……俄かには信じられないという顔になった。

「そうだよ。それが出来る人こそ、きっと勇者なんだ」

 恥ずかしさと困惑と、そして生まれて初めて感じる何か誇らしい気持ちが綯い交ぜになり、リュードは顔を奇妙に引き攣らせた。

 「オレに……そんなことが……」とつぶやくリュードの姿は、もう消えかかっている。
 そんな彼の背中を力強く叩いて、少年は励ました。

「さあ行け……弱き者を守る為に」

 「彼」が最後に言った言葉を少年は真似た。困惑が消えないリュードは頷くことが出来ず、「オ、オレは……」と俯いたままスッと消えていった。

「……」

 リュードが消えると、半ば彼にもたれかかっていた少年は、そのままふらりと前のめりになった。

(疲れた……もしかしたら、僕もこのまま消えて……)
(消えたら、死ぬんだろうか……)

 だが、倒れかかった少年をそのとき、アリスティアが背中から抱きしめた。
 そして次の瞬間、たくさんの魔物達の腕が周囲から伸びて、崩れ落ちそうになった彼の身体を支えたのだった……
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