8 / 60
7
次に目を覚ました時、開いていた窓はもう閉じられていたが、閉じられていなかったカーテンから夜の空が見えた。雨は止んだらしい。
「お、ミレー。起きたか」
その視界を塞ぐように、眼前にグランの端整な顔が現れた。
寝起きの人間の視界に、突然美形が写り込むのは心臓に悪い。
「ごめ、なさい。私、どのくらい寝ていたの?」
「たった30分程度だ、謝るな。ちょうど飯が出来たところだが、まだ眠いなら寝ていてもいいし。どうする?」
香ばしいにおいが鼻先まで漂ってくる。
飯とは食事のことだろう。食事とはこんなに良いにおいがするのかと、少し羨ましく思えた。
自分もいつまでも眠っているわけにはいかないと身体を起こすが、めまいがして、掛け布団にもたれかかってしまう。
なんとか起き上がろうとするミレーの身体を、グランが支えて起こしてくれた。
「あ、ありがとう……」
「無理すんなよ」
ふと下を見れば、先ほどまで裸だった身体はいま、大きめのチュニックを着ていた。
「???」
「あ、オレが着せといたぜ。真っ裸だと風邪ひくだろう?」
「……あ、ありがとう」
グランが身体を気遣ってくれると、心が躍り出しそうになる。
(でも、っていうことは、私の裸を、グランに見られたってことかしら……)
それはとても恥ずかしい。
それにこのチュニックがグランの衣服だと思うと、さらに恥ずかしいやら嬉しいやら、自身でも分からない感情に曝されていた。
「腹減っていないか?」
だがさして気にした様子もないグランは、ベッドから少し離れたテーブルに温かそうな湯気を放つスープと焼いたパンを並べながら、ミレーに食欲の有無を訊ねる。
「あ、お腹は……減ってな」
減っていない、と答えようとしたところで、ミレーのお腹がぎゅるるると大きな音を鳴らした。
「?」
お腹を壊したのかと思っていると、グランが「ぷっ」と噴き出した。
「腹減っているみたいだな。さ、食え食え」
「え? こ、この料理を? 私も食べて良いの?」
「当たり前だろ」
グランの向かい側のテーブルに座るよう促され、わけが分からないままその指示に従い椅子に座った。
目の前にはグランの分であろうスープとパンと水の入ったグラス、そして自分の前にも同じものが並べられていた。
「多めに作ったから、足りなかったらおかわりもして良いぞ。無理そうなら、食べられる分だけ食べな」
「え、これ、グランが作ったの?」
「あぁ。材料があまりなかったから、簡単なものしか作れなかったけどな。明日、店が開いたら食材買ってくるから」
そう説明して、グランは「いただきます」と自身の前で手を合わせて食事をし始めた。
だがミレーは、いつまでも目の前にある食事に手がつけられなかった。
(食べるの? これを? ど、どうしよう……。パンもスープも、長いこと食べていなかったから、食べ方忘れちゃった。えっと、どれから食べるんだっけ。パン? スープ? 早くしないと冷めちゃう、でも……)
どうしたらいいかわからずに困っていると、グランの手がすっとミレーの前に伸びて、彼の持つ匙がミレーの前に置かれたスープをひと掬いして、ミレーの口元に近づけた。
「ほら」
これを食せば良いのだろうかと、ミレーは差し出された匙に口を寄せて、それを呑んだ。
「……ん」
スープは匙に乗っている間に少し冷めたらしく、飲んでもまったく熱くなかった。飲みやすい。
それでもぬくもりのような温かさが残っており、ミレーの身体がほんわり安堵したのを感じた。
このように美味しい食事は初めてだ、というのに、どこか懐かしさを感じる味だ。
ミレーは夢中でスープを掬って食べた。昔に学んだ食事マナーを思い出すコトも諦め、無我夢中で食べた。
自分の身体はまるで飢餓状態であるかのように、あっという間に目の前のスープを平らげてしまった。
「うまかったか?」
ミレーは空になったスープ皿を名残惜しく見つめていたが、グランに声をかけられると満面の笑みで返した。
「はい! どこか懐かしい味がして……こんなに美味しい食事、初めてです!」
「あんがとな、最高の誉め言葉だ。で、まだ食えそうならおかわりをよそうけど……?」
そう問われるが、さすがにおかわりまでいただくわけには……と断ろうとしたところで、ミレーのお腹がまたぎゅるるるるると鳴った。
「あ……」
どうやらお腹を壊してしまったようだ。これ以上食べるのはやはり止めておいた方がいいと断ると、グランはまた笑い出した。
「まだ足りないみたいだな」
「え?」
グランがミレーの前にある空の皿を手に取り、またそれにスープを注ぎ入れていた。
「今の音は、腹の虫だよ。腹が減っているときに鳴るんだ。今まで鳴ったことないのか?」
ミレーは黙ってうなずく。気持ちがすでに、香り立つスープの入った皿に向けられている。
それがグランの苦笑で我に返る。
(わ、私……グランと話をしているのに、食べ物に夢中になるなんて……!)
また熱くなってきた顔を両手で隠すように抑える。
「良いんだよ。作った甲斐があるってものだ。作った人間にとっては、それを喜んで食べてもらえれば冥利に尽きるんだ。だから、ミレーが美味しそうに食べてくれているだけで良いんだぜ」
(神なのかしら?)
こんな寛大な受け止め方をしてくれる人間なんて、ミレーの実家にはいなかった。
食べているスープも温かいが、それ以上にじんわりとしたぬくもりがミレーの胸いっぱいに広がる。
「もっと食べて、もう少し胸以外にも肉をつけろよ。今のままだと軽く突いただけで骨が折れそうだ」
よく今まで無事でいてくれたよ、とぼやくグランを見ながら、不思議な気持ちになる。気にしたことはないが、そんなに自分の骨は脆く見えるのだろうかと気になった。
「お、ミレー。起きたか」
その視界を塞ぐように、眼前にグランの端整な顔が現れた。
寝起きの人間の視界に、突然美形が写り込むのは心臓に悪い。
「ごめ、なさい。私、どのくらい寝ていたの?」
「たった30分程度だ、謝るな。ちょうど飯が出来たところだが、まだ眠いなら寝ていてもいいし。どうする?」
香ばしいにおいが鼻先まで漂ってくる。
飯とは食事のことだろう。食事とはこんなに良いにおいがするのかと、少し羨ましく思えた。
自分もいつまでも眠っているわけにはいかないと身体を起こすが、めまいがして、掛け布団にもたれかかってしまう。
なんとか起き上がろうとするミレーの身体を、グランが支えて起こしてくれた。
「あ、ありがとう……」
「無理すんなよ」
ふと下を見れば、先ほどまで裸だった身体はいま、大きめのチュニックを着ていた。
「???」
「あ、オレが着せといたぜ。真っ裸だと風邪ひくだろう?」
「……あ、ありがとう」
グランが身体を気遣ってくれると、心が躍り出しそうになる。
(でも、っていうことは、私の裸を、グランに見られたってことかしら……)
それはとても恥ずかしい。
それにこのチュニックがグランの衣服だと思うと、さらに恥ずかしいやら嬉しいやら、自身でも分からない感情に曝されていた。
「腹減っていないか?」
だがさして気にした様子もないグランは、ベッドから少し離れたテーブルに温かそうな湯気を放つスープと焼いたパンを並べながら、ミレーに食欲の有無を訊ねる。
「あ、お腹は……減ってな」
減っていない、と答えようとしたところで、ミレーのお腹がぎゅるるると大きな音を鳴らした。
「?」
お腹を壊したのかと思っていると、グランが「ぷっ」と噴き出した。
「腹減っているみたいだな。さ、食え食え」
「え? こ、この料理を? 私も食べて良いの?」
「当たり前だろ」
グランの向かい側のテーブルに座るよう促され、わけが分からないままその指示に従い椅子に座った。
目の前にはグランの分であろうスープとパンと水の入ったグラス、そして自分の前にも同じものが並べられていた。
「多めに作ったから、足りなかったらおかわりもして良いぞ。無理そうなら、食べられる分だけ食べな」
「え、これ、グランが作ったの?」
「あぁ。材料があまりなかったから、簡単なものしか作れなかったけどな。明日、店が開いたら食材買ってくるから」
そう説明して、グランは「いただきます」と自身の前で手を合わせて食事をし始めた。
だがミレーは、いつまでも目の前にある食事に手がつけられなかった。
(食べるの? これを? ど、どうしよう……。パンもスープも、長いこと食べていなかったから、食べ方忘れちゃった。えっと、どれから食べるんだっけ。パン? スープ? 早くしないと冷めちゃう、でも……)
どうしたらいいかわからずに困っていると、グランの手がすっとミレーの前に伸びて、彼の持つ匙がミレーの前に置かれたスープをひと掬いして、ミレーの口元に近づけた。
「ほら」
これを食せば良いのだろうかと、ミレーは差し出された匙に口を寄せて、それを呑んだ。
「……ん」
スープは匙に乗っている間に少し冷めたらしく、飲んでもまったく熱くなかった。飲みやすい。
それでもぬくもりのような温かさが残っており、ミレーの身体がほんわり安堵したのを感じた。
このように美味しい食事は初めてだ、というのに、どこか懐かしさを感じる味だ。
ミレーは夢中でスープを掬って食べた。昔に学んだ食事マナーを思い出すコトも諦め、無我夢中で食べた。
自分の身体はまるで飢餓状態であるかのように、あっという間に目の前のスープを平らげてしまった。
「うまかったか?」
ミレーは空になったスープ皿を名残惜しく見つめていたが、グランに声をかけられると満面の笑みで返した。
「はい! どこか懐かしい味がして……こんなに美味しい食事、初めてです!」
「あんがとな、最高の誉め言葉だ。で、まだ食えそうならおかわりをよそうけど……?」
そう問われるが、さすがにおかわりまでいただくわけには……と断ろうとしたところで、ミレーのお腹がまたぎゅるるるるると鳴った。
「あ……」
どうやらお腹を壊してしまったようだ。これ以上食べるのはやはり止めておいた方がいいと断ると、グランはまた笑い出した。
「まだ足りないみたいだな」
「え?」
グランがミレーの前にある空の皿を手に取り、またそれにスープを注ぎ入れていた。
「今の音は、腹の虫だよ。腹が減っているときに鳴るんだ。今まで鳴ったことないのか?」
ミレーは黙ってうなずく。気持ちがすでに、香り立つスープの入った皿に向けられている。
それがグランの苦笑で我に返る。
(わ、私……グランと話をしているのに、食べ物に夢中になるなんて……!)
また熱くなってきた顔を両手で隠すように抑える。
「良いんだよ。作った甲斐があるってものだ。作った人間にとっては、それを喜んで食べてもらえれば冥利に尽きるんだ。だから、ミレーが美味しそうに食べてくれているだけで良いんだぜ」
(神なのかしら?)
こんな寛大な受け止め方をしてくれる人間なんて、ミレーの実家にはいなかった。
食べているスープも温かいが、それ以上にじんわりとしたぬくもりがミレーの胸いっぱいに広がる。
「もっと食べて、もう少し胸以外にも肉をつけろよ。今のままだと軽く突いただけで骨が折れそうだ」
よく今まで無事でいてくれたよ、とぼやくグランを見ながら、不思議な気持ちになる。気にしたことはないが、そんなに自分の骨は脆く見えるのだろうかと気になった。
あなたにおすすめの小説
愛を知らないアレと呼ばれる私ですが……
ミィタソ
恋愛
伯爵家の次女——エミリア・ミーティアは、優秀な姉のマリーザと比較され、アレと呼ばれて馬鹿にされていた。
ある日のパーティで、両親に連れられて行った先で出会ったのは、アグナバル侯爵家の一人息子レオン。
そこで両親に告げられたのは、婚約という衝撃の二文字だった。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
亡き姉の身代わりとして嫁いだ私ですが、離縁状を置いた翌朝、夫が私の「真実」に気づいたようです』
まさき
恋愛
「サインはもう、いただきました。あとは私がこの屋敷を出るだけです」
五年間の結婚生活。侯爵令嬢エルゼが演じ続けたのは、亡き姉・ロザリーの「身代わり」という配役だった。
夫であるカイル公爵が愛していたのは、かつて雪の中で自分を救ってくれた初恋の少女・ロザリー。
生き写しの妹であるエルゼを娶りながらも、彼は一度も彼女を「エルゼ」と呼ぶことはなかった。
冷淡な視線、姉と比較される日々。
「君はどこまでいっても、ロザリーの代わりにはなれない」
その言葉を最後に、エルゼは静かに離縁状を置き、屋敷を去る決意をする。
しかし、彼女が消えた翌朝。
カイルは、エルゼが大切に遺していった古い小箱を見つける。
そこにあったのは、十五年前のあの日、彼が「命の恩人」に預けたはずの片方のカフスボタン。
そして、幼いエルゼが綴った、あまりにも切ない真実の日記だった。
――「あの日、雪の中で貴方を抱きしめていたのは、お姉様ではなく、私だったのです」
真実を知り、絶望の中でエルゼを追うカイル。
だが、すべてを捨てて「自分」を取り戻したエルゼは、もう二度と、彼の隣で微笑む仮面の妻には戻らない。
これは、名前を奪われた女が自由を掴み、愚かな夫が真実の愛を失うまでの、静かで鮮やかな再生の物語。
私と義弟の安全は確保出来たので、ゆっくり恋人を探そうと思います
織り子
恋愛
18歳で処刑された大公家の令嬢、セレノア・グレイス。
目を覚ますと――あの日の6年前に戻っていた。
まだ無邪気な弟ルシアン、笑う両親。
再び訪れる“反逆の運命”を知るのは、彼女だけ。
――大公家に産まれた時点で、自由な恋愛は諦めていた。だが、本当は他の令嬢達の話を聞くたびにうらやましかった。人生1度きり。もう少し花のある人生を送りたかった。一度でいいから、恋愛をしてみたい。
限られた6年の中で、セレノアは動き出す。
愛する家族を守るため、未来を変えるために。
そして本当の願い(恋愛)を叶えるために。
巻き戻った妻、愛する夫と子どもを今度こそ守ります
ミカン♬
恋愛
公爵令嬢フィリスの愛する婚約者、第一王子ジルナードが事故で体が不自由となった。
それで王太子候補は側妃の子、第二王子のサイラスに決まった。
父親の計略でフィリスはサイラスとの婚姻を余儀なくされる。悲しむフィリスとジルナード。
「必ずジルナード様を王にします。貴方の元に戻ってきます」
ジルナードに誓い、王妃から渡された毒薬を胸に、フィリスはサイラスに嫁いだ。
挙式前に魔女に魅了を掛けられて。愛する人はサイラスだと思い込んだまま、幸福な時間を過ごす。
やがて魅了は解けて……
サクッとハッピーエンドまで進みます。
実家も国も私を捨てたが、私を愛さないと国が滅びる。絶望する人々を特等席で眺め、冷徹な王子の腕の中で思考停止する。
唯崎りいち
恋愛
持参金がないという理由で家族と祖国から追放された私は、実はこの国を支える“加護”そのものだった。
私が去った瞬間、王都の結界は崩れ、国は崩壊へ向かい始める。
そんな私を拾ったのは、冷徹と噂される隣国の王子。
「やっと見つけた。お前は俺のものだ」
捨てられたはずの私は、気づけば滅びゆく祖国を背に、彼の腕の中で溺愛されていた。