夕凪の空 京の香り

志生帆 海

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第二章

第2章 捕らわれる 1

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「夕凪、夕凪……」

 ここはどこだ。鳥のさえずりが遠くから聞こえ、辺りは明かるい光で包まれている。もう朝なのか。肩をゆっくりと揺らされ重たい瞼を開けると、心配そうな覗き込む信二郎と目が合った。

「……っ」
「良かった。死んだように眠り続けているから心配した。水を飲むか」
「……」

 声を出そうと思ったが喉が枯れたのだろうか、掠れて出なかった。そっと喉に手を当て状態を確かめ、唾をのみ込むとズキンと喉の奥が痛んだ。その瞬間、昨夜の風呂場で出来事を思い出し躰中が熱くなった。

 昨夜の情事。

 あんなに信二郎に激しく抱かれるなんて……あんな場所で俺は一体どんな姿をしていたんだ。ひっきりなしに淫らな声をあげてしまったことが思い出され恥ずかくなる。

「ほら飲めよ」

 信二郎がガラスのコップに水を汲んで手渡してくれたので、俺は一気飲みし喉を閏わせるとやっと声が出たのでほっとした。

「ふぅ……」

 見下ろせば浴衣をきちんと着ていた。ドロドロになったであろう躰も綺麗に整えられていた。そして真新しいふかふかの布団に寝かされていたようだ。

「これ、信二郎が着せてくれたのか」
「あぁあのままお前は風呂場で気絶してしまったんだ。覚えているか」
「……なんとなく」
「躰は辛くないか」
「んっ……」
「悪かったよ。あんなに激しく抱くつもりじゃなかった」
「いいんだ。……俺もそうしたかった」

 信二郎が起き上がった俺の横に座りそっと手を伸ばしてきて、昨日男たちに殴られた俺の頬にそっと触れた。

「痛っ」
「ここ……腫れてしまったな」
「そうか……」

 鏡を見ると、右頬が内出血し黒ずんでいた。

「夕凪……もうあんな目にお前を遭わせない」
「信二郎、俺、これでも一応男だよ。昨日はまさか男に襲われるなんて思っていなかったから動揺してしまったが、次からはちゃんと自分でも対処するよ」

 信二郎の手に俺の手を重ねた。

「こんな細い手でか」
「おいっ、これでも剣道なら強いんだ」
「あーそうかそうか。今度は私を守ってくれよなっ」
「冗談じゃなくて本当だ! 」
「分かったよ、信じてる。なぁ夕凪、朝飯食べるか」
「あぁ腹が空いたよ。結局昨夜は何も食べなかったし」
「そうか。私は夕凪を食べて腹一杯だったがな」
「お前って奴は! 」
「さぁ着替えたら下に来い。飯炊いたから食って行けよ」
「あぁ……食べたら帰るよ。結局……両親に連絡せずに外泊してしまったからな」
「そうか……帰るのか」
「……うん。そうせねばならない」

 着て来た着物は綺麗に整えられていたので、俺は手早く身支度を整えた。躰についた傷は隠せたが、頬の痣は隠し通せない。こんな顔をして家に帰ったらどう思われだろうか。母に心配を掛けてしまったな。

 それにしてもよく手入れされた町家は大人二人で暮らすのにちょうどいい広さだ。この二階は信二郎の作業場も兼ねているのだろう。部屋の片隅に、図案や染料・筆が無造作に置かれている。ここで信二郎はあの素晴らしい京友禅を仕立てているのか。なんて心地良い空間だろう。

 着物や帯は季節に先駆けて制作しなければならない為、常に季節の花や鳥を写生しなければならないのだ。写実的、絵画的、図案的な着物、全て作品の根底には写生がある。花や鳥の特徴を知らなければ図案として自然に描くことが出来ないから、信二郎は普段はいつも一人静かに自然と向かいあって過ごしていることが伺える。

 信二郎の描く花や鳥は、まるで生きているように躍動感のある素晴らしい描写だった。生きている喜びを感じさせてくれる信二郎の描く京友禅の世界が俺は好きだ。

 俺も本当は若旦那として接客するよりも、一人静かに自然と向き合って暮らしたい。

 許嫁も家も若旦那としての地位も何も捨てて……

 だが、それは跡取り息子として、絶対に叶わぬ夢だ。

 それでも束の間でも信二郎に抱かれると、その京友禅の世界に入り込めるような夢心地な気分を味わえた。あぁ……そうか。だから俺は信二郎に躰を預け抱かれるのかもしれない。

「夕凪冷めてしまうぞ!早く下に降りて来い」
「ああ、分かった!」

 信二郎が作ってくれていた朝食はとても美味しく、白い炊き立ての米が艶やかで食欲をそそるものだった。自然と笑みが零れてしまう。

「美味しいな」
「そうか、私はなかなか役に立つ男だろう」
「ふっ……あぁまったくそうだな」

 とても静かで和やかで幸せなひと時だ。俺の好きな世界を持つ人に激しく求められ抱かれた余韻に浸っていた。このままここに居たいと願わいたくなるほど。

 だが、そんな時間は長くは続かなかった。

 次の瞬間、信二郎の家の玄関を激しく叩く音と罵声によって、すべて一瞬で消えてしまったから。















あとがきです。(不必要な方はスルーでご対応お願いします)






****

いつもありがとうございます。
こちらでは読者様がまだまだ少ないのですが、見つけて読んでいただけて嬉しいです。
物語はようやく二章に突入できました。
物語はここまでまったりと展開してきましたが、ここから急降下します。
地雷がある方はお避けください。波乱万丈な夕凪が幸せを掴むまでを、じっくり追いかけていただけたら嬉しいです。
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