八年間の恋を捨てて結婚します

abang

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良心と本心

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とある一室、小さく鼻を啜った音がやけに目立つほどの静けさの中、申し訳なさそうにけれどどこか冷たい声色がマーシャに向けられた。



「申し訳ないね。シューデン家には感謝している」

「いいえ公子様。謝罪をするのはこちらの方です……」



命とは間違いなく何にも代え難いものだ。

時に戦地に立つ彼らだからこそ余計にその重さを背負い込んでしまうのだろう。

けれど、いつまでもシューデン家への恩に囚われてはいけないのだとマーシャは幼子の頃から乳母として我が子同然に愛してきたテンタシオンに伝える為に、シューデンではなく実家のサフレンを名乗るようにした。



イリアの恋心には気付いていた。


けれどあれほどに分別のつかない子ではなかったのに、テンタシオンの婚約を前にタガがはずれてしまったように奇行を始めた。

思わず叱りつけたもののやはり娘可愛さというものだろうか、どこかで恋心という曖昧で一度患うと手に負えないものを終える区切りをつけてやりたいとも同情してしまい強く出られなかった。


だからこれで良かったのだと内心でほっとしてしまった。


「子爵は素晴らしい人ですよ。まだ若いですが有望な青年です」

「よかったです。けれどどうして……」


テンタシオンは義理堅い人だが決して優しいだけではない。

どうして?などと分かりきった質問をマーシャがしたことにはちゃんと理由があった。


「祖父と父、その両方の命を救われた。そして私はまだ当主ではないからね。この話もきちんと父と話し合った上だ」


「ご立派になられましたね」


「皆に感謝しているよ」


イリアの祖父と父が恩人でなかったなら、サフレン家が大公家に忠実な家臣でなかったなら……
テンタシオンが大公であったなら……
きっと今頃イリアは不敬に問われていたことだろう。


政略結婚、これならば表面上は「追い出された」ことにはならない。そんな配慮さえする彼にはもう一つそうする理由があるのだろう

マーシャは幼い頃から知るからこそ、テンタシオンが恐れていることが手に取るように分かった。


「ルージュ様は、恐れられませんよ」

「!」

「冷酷だ。なんて無責任に放たれた言葉を信じるようなお方には見えませんでしたよ」


軽く目を見開いたテンタシオンは決まりが悪そうに「はは」と小さく笑って誤魔化した。


「けれど早く手を打っておいた方がいいと判断したのは確かだよ。ルージュを傷つけたくないんだ」


ここ数日のイリアの奇行が他の者にどう映り始めているのかは分かる。勿論ここでイリアの肩を持つ者はいないし言う事を聞かない娘がいつか問題を起こす前に追い出される程度で済むのは寛大すぎる処置だ。

例えもう二度とこの領地を踏めないとしても、テンタシオンを知る者なら政略結婚という建前までついたこの追放は甘い処置だと考えるだろう。

そういった冷酷な部分を愛する人に見せたくないと思っているテンタシオンも勿論居るだろうが、彼がこうして静かにルージュを守ろうとしていることをきっと聡明な彼女は気付いてしまうのだろう。


「ええ。そのお気持ちを見失う事のないように、時には我儘に振る舞ってください公子様」



それは、この先が例え恩人の娘であっても、もしくはマーシャであったとしてもという意味だった。


「ああ」


そう言って一瞬だけ目を閉じたテンタシオンは、そういえば幼い頃から家門を重じて我儘の言わない子供だったなと思い出した。



「僕にも大切な人が出来たんだ」

「ええ、マーシャは嬉しく思っておりますよ」


イリアが嫁ぐ場所はここからかなり遠い所に領地を持つヒリング子爵という彼女と同世代の若い子爵だ。


勿論、相手側は知っているだろう。

これは結婚という建前の事実上の追放だと。

もう二度とこのウィクトル領の地を踏むことは許されないこと、シューデンとサフレンの名との繋がりを得て、ヒリング家はイリアの鎖となる。

そうして役目を担うことでウィクトルに少しでも擦り寄りたい、ヒリング子爵家は小さく後ろ楯もない為、良い縁談だった。



「彼女にはギリギリまで通達しません」


恋をしただけだ、残酷だと言ってしまったとしてもイリアは大きなミスを冒したのだ。今思えば


娘がテンタシオンへの想いを秘めている事に気付いた奥様は遠ざける為に、イリアを侍女でも世話役のメイドでもないただの雑用のメイドにしたのではないだろうか?それが初めのミスで温情であったはずだ。



捨てることもできず、隠すこともままならない。

ましてやテンタシオンの愛した人に嫉妬するなど……

領地でシューデンの子として地元の者達に可愛がられて育ったイリアが勘違いすることのないように、この広い大公城で滅多に主人達の姿を見ることもできない雑用を命じていたのだろう。


(けれどそれもずっと私にボヤいていたわね……)


娘と自分の不甲斐なさにマーシャは思わず溜息が出そうだった。









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