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第三章

3-19 蒼天の誓い

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 ユスティティアが口にしていた素材『べーロス』は、キスケにも聞き覚えの無いものであった。
 豊穣の女神ヌパァク・パトゥの神官であるウーニオや、ノルドール王国の大商人の跡取り候補であったソータ。亡国の騎士モルトも知らないとなれば、よほど特殊な素材なのだろう。
 この中で一番長く生きてきたキスケが知らないのだから、それだけで見つけるのも厄介な代物だと判断できる。
 しかし、それでは困るのだ。

(うーん……これは困ったね)

 腕の中でぐすぐす泣いているユスティティアの背中をポンポンと慰めるように叩きながら、キスケは頭を悩ませる。
 卒業してからというもの、どんな状況でも彼女が笑っていられたのは、【ゲームの加護】があったからだ。
 何かに没頭し、目標に向かってひた走る。
 その間は、全てを忘れられたのだろう。
 婚約者や親――いや、国に捨てられた事で相当ショックを受けていたはずなのだ。
 前世の彼女は、のめり込んだらリアルの生活がおろそかになるほどの廃プレイヤーである。
 その記憶や性質が強く出た結果、これまでの問題全てを『取るに足らないこと』にしてきた。
 しかし、その歩みを急に止められてしまったことにより、彼女にとって『取るに足らないこと』だった物が、一気に押し寄せたのだ。

 彼女は無意識だったかもしれない。
 だが、長年彼女を苦しめてきた両親や婚約者の価値観は彼女の精神を確実に蝕んでいた。
 その結果、『役立たず=捨てられる』という考えが植え付けられてしまったのだ。
 今回はそこへ『物が作れない=役立たず』という、自らを縛り付けて貶めるような考えを無意識に抱いてしまい、軽くパニックになってしまったのである。

 キスケや村の人たちが大事であればあるほど、コレはユスティティアの精神を蝕む。
 彼女の考えを理解出来た物がいたとしたら、『まるで呪いのようだ』と評したに違いない。
 
(しかし、物が作れないというだけで……こんな反応になるかなぁ)

 いち早くユスティティアの異常な反応に疑問を抱いたのは、他でもないキスケであった。
 よく見ている――その一言に尽きる。
 ふむ……と、彼は少しだけ思案した素振りを見せたあと、キスケはおもむろにユスティティアを抱き上げて建物の外へ歩き始めた。

「え……せ、先生っ!?」
「あー、うん。ちょっとユティと話をしてくるよ。気になることがあるからね」

 いきなりの行動に引き留めようとしたソータを、黙ったままのダレンが止める。
 レインも静かに頷いているので、ソータは黙り込んで暫く考えたあと、二人を見送ることにしたようだ。
 
「其方はお任せしました。此方の方は何かしら情報が無いか調べて見ます」
「頼んだよ。豆太郎君、ロワ、みんなのお手伝いをよろしくね」
「先生さんも、無理はしないようにしてくださいねー!」
「おー! あるじはマスターのことを頼んだぞ!」

 ウーニオ、豆太郎、ロワに声をかけた彼は、背中にある水晶の翼を広げて一気に飛び立つ。
 どんどん上昇していき、村が豆粒のように小さくなった頃、ようやくキスケが口を開く。

「ユティ……何を怯えているんだい?」
「……え?」
「何を恐れているのかな。今のキミは、何かを恐れ、何かに怯えている。他の人がいると話しづらいかなって思って、ここまで連れてきたんだけど……話せそう?」

 お姫様抱っこ状態だったユスティティアは、穏やかで優しい表情のキスケを見上げ、自分の視界が涙で揺らぐのを感じて唇を噛みしめる。
 ボロボロと涙がこぼれ落ちるのに、次から次へと涙が溢れて一向に視界は晴れない。
 
「もしかして、俺だと話せないかな」

 今は言葉も詰まって出てこないのだろう。
 彼女は必死に首を左右に振る。
 側に居て欲しいという気持ちを表現するために、彼女はキスケの首筋へ腕を回してしがみつく。
 静かな時間がどれほど流れただろうか。
 彼女が必死に絞り出した声は、とても掠れていて、聞き取るのも難しかった。
 だが、キスケは聞き逃さなかった。
 縋るように、まるで助けを求めるように発した彼女の「捨てないで」という言葉を――。

 その一言に、全てが詰まっていた。
 それと同時に、腹立たしくなる。

(あんなのと一緒にされるのは心外だな……)

 しかし、それを直接伝えるのは悪手だと理解しているため、キスケは押し黙る。
 ランドールのせいで、再びユスティティアが苦しむ。
 この苛立ち紛れに、あの国を滅ぼしてやろうか――、そんな物騒な考えすら、彼の中に浮かんでは消えていく。

(いや……あの国はユティの手で制裁すべきだ。だから、今は――)

 ユスティティアの体を強く抱きしめ、キスケは「困ったな……」と呟いた。
 怯える彼女が逃げ出さないように上空へ連れ出して良かったと、キスケは内心で笑う。
 何を言っても、何をしても、彼女は現状逃げられないのだから……。

「この世界に存在する全ての神に言われても、そんなことしないんだけど……ユティには、そう見えるんだね」
「……え、あ……ち、ちがっ」
「どうしたら、ユティは安心して俺の事を信用してくれるだろう。言葉を重ねても、こうして抱きしめても信用できない?」
「わ、わから……ない……」

 色々な意味で混乱している彼女に、現状把握をして自分の心を見つめ直せといっても無理があるだろう。
 長年植え付けられてきた、無意識下に働く考えは洗脳に近い。
 それを一瞬で解く方法など限られている。
 洗脳を上回る洗脳も1つの手だが、それでは彼らと同じことをしているに過ぎない。

「何かを作れなくなったユティは、存在価値が無いって思っているのかい?」

 大きく跳ねた肩が、その答えだった。
 やっぱり……と、キスケは溜め息が出そうになる。
 図星をつかれたことにより、彼女も今、自分が何に怯え、何が原因でこんな状態になっているのか認識しただろう。
 心の中が荒波のように荒れ狂い、どうしていいのか判らない。
 嵐の大海に放り出された小舟が、今のユスティティアだ。
 今にも沈みそうな小舟を放置することなど、彼にはできなかった。

「ユティは俺が守るよ。元生徒とか、そういう理由じゃ無くて……大切だから守るよ」
「……半分同族……だから?」
「半分同族、元教え子。最初はそうだった。心配で駆けつけたときも、そういう保護者的な感覚だったんだけど……今は、それだけじゃないかな」
「え……?」
「本当はね、隠し通すつもりだった。でも……やっぱり、不慣れっていうか……やっぱり、ランドールを見ると腹が立ってね。コレは無理かなぁって、諦めたんだよね」

 キスケの言いたいことが判らず、ユスティティアは腕の力を抜いて、おずおずとキスケの横顔を見つめる。
 整った――いや、整いすぎた横顔は非の打ち所が無いくらい魅力的で、一瞬にして目を奪われた。
 しかし、その顔立ちだけに惹かれているわけでは無く、彼という人物がそうさせていることをユスティティアは理解していた。

「ユティはね、長年かけて……自分ではない、誰かの考えを無理矢理植え付けられた状態なんだ。いま、ユティが不安に思うことは、キミの考えじゃ無い。それは、ユティが一番よく判っているよね?」

 漠然と抱えていたモヤモヤした物を言語化された気分で、ユスティティアは唇を噛みしめる。
 心に受ける衝撃が大きすぎて、言葉にならないのだ。
 
「洗脳に近い状態といえばわかるかな? それを解くには時間がかかる。洗脳の上塗りをして一時的に解除する方法もあるけど……同じ事をするなんて最低な行為だし、俺もやりたくない」
「……はい」
「だったら、何が一番いいかなーって考えたんだよね」

 そこで初めてユスティティアの方へ視線を向けたキスケは、とても魅力的に笑う。
 今までに見たことが無いような、これこそ言葉にできない何かを秘めた笑みであった。
 優しいのに意地悪なようで、包み込むのに挑戦的で……本能的な何かが視線を逸らしたいと訴えかけるが、ユスティティアはその声をあえて無視した。
 この後に続く言葉を、彼女は知りたかったのだ。

「今回問題となった素材をすぐに探し出して与えて事なきを得れば良いという考えもある。しかし、それも一時しのぎなんだよ。根本的に解決していない」

 話している内容とキスケの表情があっていない――そんな気がして、ユスティティアは落ち着かない。
 今にも気まずさで泳ぎ出しそうな視線を彼に縫い付けているのも限界だと感じているのに、視線がかち合った瞬間、それも忘れて見つめ合う。

「ユティに必要なのは……なんだろうね」

 問いかけ、質問しているはずなのに、その瞳は挑戦的に細められる。
 蛍石を思わせる不可思議な瞳が、彼女を真っ直ぐ見つめていた。

「洗脳を上回る強い衝撃? ……違う、それも一時の効果しか得られない。じゃあ、どうすればいい? 考えて……答えが出たと同時に、覚悟も決まったんだ」
「かく……ご?」
「ユティに必要なのは、誰よりも大切な人じゃないかと思う。心から信頼して、絶対に自分を捨てないって言える相手……そんな人。俺は、そんな人になっているつもりだったけど……足りていなかったみたいだしねぇ」
「え……ち、ちがっ! 先生は命の恩人だし、私、尊敬してっ」
「うん。それでも足らないってことが判った」

 キスケの言葉にユスティティアの中で不安が膨れ上がる。
 離れていくかもしれない恐怖に怯え、嫌だと、離れて欲しくないと告げたいのに、喉の奥が貼り付いて言葉にならないのだ。
 
「だから、覚悟……というのも変かな。うーん……適切な言葉が見当たらないな……」

 少しだけ思案していた彼は、何か思いついたようにパッと表情を明るくする。

「そうだ、『本気になった』ってやつかな? 誤魔化すのをやめようって決めたんだよ」
「え……えっと……先生? 話が……見えません」
「あはは、それは悪かったね。ユティは遠回しに言っても変に解釈しかねないから、ストレートに言うよ」

 一旦そこで言葉を切った彼は、ユスティティアに片手を出すように言う。
 素直に片腕を解いて手のひらを見せる彼女に頷き、キスケは翼を動かして翼の中でも特に綺麗だと思われる水晶を手のひらへ落とした。
 根元は見事にカットされたダイヤモンドのような輝きを持ち、先端へ行くほど透明な水晶へ変わっていく。
 どんな宝石よりも美しく、目映い。

「ユティ、俺はね。キミにとって唯一無二の存在になりたいの。他の誰にも譲りたくないって気づいたから、これから本気で口説き落とすことにしたんだ」
「……はい?」
「キミを誰にも譲れないくらい好きで大切だから、覚悟してね」

 ニッコリと微笑まれたユスティティアは、彼の言った言葉の意味を理解するのに時間がかかったのだろう。
 夢では無いのかと自分の頬をつねり、ヒリヒリする頬の痛みを感じながらも、これは夢だと心の中で叫ぶ。

(え……? 本気……? うそ……だよね……え……ええぇぇっ!? あ、あの……あの先生が、わ、私を口説くって……大切って……そういう意味なのおぉぉぉっ!!?)

 一気に顔だけではなく全身を紅に染めた彼女は口をパクパクさせるだけだ。
 先程と同じく……いや、先程まで感じていた大嵐どころの騒ぎでは無い。
 嬉しいやら、恥ずかしいやら、照れるやら……とにかく、心の中で感情の大渋滞を起こしている。
 それでも、何とか絞り出した言葉は「冗談……ですよね?」という言葉だったが、彼はそんな彼女の言葉を無慈悲に……しかも、極上の笑顔で否定した。

「俺はユティを唯一無二の伴侶にしたいくらい、好きだよ」
「ま……待って……待って先生! ま、まって……本当に……こ、心が……追いつかないです!」
「そうだね。長期戦だと思っているから何時までも待つけど……待つ間も必死に口説くから、よろしくね」

 極上の笑顔と、誰も聞いたことが無いだろう甘い声でそう告げられたユスティティアは、耐えられずに顔を両手で覆いたかった。
 しかし、手には彼がくれた水晶がある。
 それを手放したくなかったユスティティアは、苦肉の策でキスケの胸に顔を埋めて「うーっ!」と唸った。
 忙しい彼女の心中を察してか、キスケからは魅惑的な笑い声が漏れる。
 そんな彼にドキドキしながら、違う意味で涙目のユスティティアは、青い空の下で途方に暮れるのであった。
 
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