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第一章
1-9 約束されていた覚醒
しおりを挟む「ところで、何故こんな回りくどいことを?」
憮然とした表情でホーエンベルク卿が王太子殿下に尋ねる。
ソファーに深く腰をかけ、悠然と足を組んで座っていた王太子殿下は、その質問を待っていましたと言わんばかりの表情で微笑んだ。
「お前が彼女に遺物を見せるというから、その付き添いだ。何かあった場合に対処出来る者がいなければ困るだろう?」
「……そうですか」
私に【勇者の遺物】を見せることが、そんなに難しいことなのだろうか。
まるで……私に見せることで何かが起こると考えているような口ぶりだ。
私が怪訝そうに三人を見ると、彼らは顔を見合わせて頷く。
「では、此方の案件を先に済ませましょうか」
「そうだな。何もないとは思うが……」
ホーエンベルク卿は懐から黒い小さな箱を取り出す。
小さな黒い箱には模様が入っており、その模様に彼が触れると箱は開かれ、中から小さな何かがコロリと転がった。
チャリッという金属音がしたのだが、すぐに彼の大きな手の中に収まってしまったのでよく見えない。
彼は慎重に中身を確認した後、それをテーブルに置いた。
小さな黒い物体はピンボールほどの大きさで、丈夫な金属製のストラップがついている。
もしかして、【勇者の遺物】とは名ばかりで、キーホルダーかスマホのストラップを後生大事に持っているという話ではないか?
そんな考えが頭に過るが、さすがにあり得ないだろうと気を取り直して隣のホーエンベルク卿に尋ねる。
「あの……触れても大丈夫ですか?」
「はい、どうぞ」
ホーエンベルク卿に許可してもらえたので、それを手に取ってみる。
どこかのキーホルダーなら、裏面にメーカーの名前が刻印されているはずだ。
ひっくり返して確認してみると、そこには天空神と時空神の印が……
「……え? 天空神様と時空神様の……刻印?」
「そうなのだ。勇者の遺物で二神の刻印は珍しい。だから、取り扱いを注意している」
王太子殿下の説明で、何故慎重になっているのか判った気がした。
神々を統べると言われている天空神と、全ての時を統べ、世界を渡り歩くと言われている時空神。
この双子神は、この世界に存在する全ての国から最上神としてあがめ奉られている。
魔王が人を隷属して世界を破滅へ導こうとした時に、人間に力を貸して勇者を異世界から召喚する技術を授けたのが、この二神だからだ。
その二神が刻印している遺物が、ただのキーホルダーであるはずがない。
「壺……にも見えますが……デザイン的には鍋でしょうか」
日本に居た頃に読んだ絵本の中に出てくる、魔女の大鍋にも似ている。
鍋の細かな装飾も美しいし、中央にはめ込まれた透明の宝石も煌びやかだ。
ただ、取っ手は少々変わった形をしているようにも見える。
小さいので細部まで見ようとしたら虫眼鏡が欲しいところではあるが……そんな物は、この世界に存在しない。
レンズ加工が出来る技術力があれば、もっと文明が進んでいるはずだ。
「まあ、どちらにしても、その大きさでは何の役にも立つまい」
「それについての記述は、一緒に封印されている書物に書き記されているようなのですが、我々には全く読めないのです」
ホーエンベルク卿が差し出した書物は、とても丈夫な革製の表紙で作られており、表紙には『取り扱い説明書』と書かれていた。
しかも……日本語で――
そりゃ読めませんよね! 異世界の言葉ですからっ!
内心ツッコミながら本を受け取り、取りあえず中を確認してみる。
「うわ……字が汚っ」
「え?」
「あ、いえ、な、なんでもありません」
全員に訝しげな顔をされてしまったが、なんとか誤魔化して本の文字を……というか、手書きのマニュアルのような物を読んでいく。
まずは、最初のページに『天空神と時空神の印と大釜の前方中央にある宝石を同時押しして起動』と書かれている。
なるほど? 同時押しなのね。
これは、このマニュアルが読めなければ使えない仕様になっていると言うことだ。
どうしてわざわざ日本語のマニュアルを残したのだろうか。
悪用されないように?
それとも、何か他の意味が……
「やはり、ククルーシュ嬢でも読めませんか」
「勇者マニアの父上が言うには、おそらく初代国王陛下が元いた世界の文字ではないかということだ」
「まあ……では、異世界の文字なのですね」
ホーエンベルク卿と王太子殿下と王太子妃殿下の会話を聞きながら、マニュアルを観察していた私は、一瞬聞き逃しそうになってしまったが……いま、とても大変なことを聞いてしまった気がする。
国王陛下が勇者マニアって……公言しても良いのですか?
思わず王太子殿下へ視線を向けるが、彼は気にした様子も無く私が手にしているマニュアルの表紙にある文字を見ているようだ。
「この感じの文字で書かれた書物はいくつか残っているが……誰も読めないのだ。初代国王陛下は、何を考えて残されたのだろうな」
それは私も考えていた。
何故、わざわざ日本語の書物やマニュアルを残しているのか――
その理由を、私は知っている気がする。
いつだったか……誰かに聞いた気がするのだ。
『キミはいつか【勇者の遺物】を手に取るときが来る。その時に、目覚めさせてやってくれ。それが、世界を救う一手となるからさ』
不意に蘇った声に突き動かされるように、私は再び小さな鍋のような【勇者の遺物】を手に取る。
「同時押しすればいいのね」
いま私の頭にあるのは、コレを何としても目覚めさせなければならないという使命感であった。
約束したから、あの人と――
無言で小さな鍋をひっくり返して人差し指と中指で天空神と時空神の印に触れ、親指で宝石を押し込む。
すると、宝石がピカピカ光り出し、鍋の取っ手がぐにょっと動いた。
「え、な、なに、なんで動くのっ!?」
それは想定外だと、慌てて手の中にあった【勇者の遺物】を放り出す。
投げ出された小さな鍋はテーブルの上に転がるどころか、ふよふよ浮いて取っ手と思われていた両手を天へ突き出した。
まるで、「やっと動けたー!」というような仕草である。
ふよふよ浮いて腕を振り回してストレッチをしはじめた小さな釜に全員が言葉を失い、私もどうしていいかわからずに黙り込む。
や、約束は果たした……でも、これは聞いていない気がする。
「ククルーシュ嬢? 何故……判ったのですか?」
一段と低いホーエンベルク卿の声に、誤魔化しは通用しないことを悟った。
彼は、私の何かを勘づいている。
それが気配で伝わってくるのだ。
「いや……実は予想していたのです。貴女は、私が落とした小袋を誰にも説明されていないのに『お守り』だと言った。アレは、勇者の……つまり、王家の血筋の者しか知らない『お守り』……アミュレットなのです」
そんなに凄い物だったのかと驚いていると、王太子殿下も眉をひそめる。
「だいたい、王家の血筋でも覚えている者は少ないというのに……何故知っている。貴族の間で噂になることもなかったはずだ。ましてや、侯爵家が知っている事などあり得ない」
言い逃れは無理だし、ここで誤魔化しても二人には王家の加護がある。
おそらく、私の言葉で否定すれば、そこから嘘がばれてしまう。
かといって黙秘権なんて通用する相手ではない。
真実を話すしかないと、意を決して私は口を開く。
「あの……できれば、ここにいる人たちだけにお話ししたいので、口外しないでいただきたいのですが……」
「おーっと! それなら、俺も仲間に入れて欲しいんですがねぇ?」
そう言って扉を開いて入ってきたのは、ホーエンベルク卿の従者であるランスだった。
王太子殿下と王太子妃殿下に深々と頭を下げてから、人好きのする笑みを浮かべる。
「お邪魔して申し訳ありませんね、王太子殿下」
「知らぬ仲ではあるまいに。ココでは遠慮はいらん」
「いつもすんません」
一癖も二癖もある人たちが仲の良い感じで会話していると、ついつい『類は友を呼ぶ』という言葉を頭に浮かべてしまう。
とりあえず、ここにいる人たちだけが周知している事実としてとどめておきたい。
全員が聞く体制になったので、覚悟を決めて口を開く。
「実は……姉に殺されそうになった日から、私はずっと意識不明で半年間は眠った状態だったのですが……その間に、不思議な夢を見ておりました。誰かと会話をして、約束をして、一人の女性に出会ったのです」
「……ほう? 神託か何かか?」
「それはわかりません。しかし、その女性は前世の私でした。前世の私は勇者である初代国王陛下がいた世界で生きていた……だから、ここに書かれている文字が読めるのです」
私の言葉に耳を傾けていた人たちは、驚き過ぎて声が出ないといった様子であった。
しかし、真偽を聞き分けられるだろう王太子殿下とホーエンベルク卿は、嘘ではないと判っている。
判ってはいるが、瞬時には理解出来ないといった様子だ。
あまりにも現実離れしたことを口にしているので、それは致し方がない。
「へぇ……そういう事もあるんだな。初代国王陛下と不思議な縁があるのかもしれませんねぇ」
最初に私が話したことを理解し、柔軟な対応を見せたのはランスであった。
続いて、こういう場所ではいつも控えめなロレーナが私のそばで跪き、優しく手を取って微笑んでくれる。
「お嬢様、お話しくださってありがとうございます。このことは口外せず、心の内に秘めておきますので、どうぞご安心ください」
「ありがとう、ロレーナ」
あと心配なのは王太子ご夫妻と……隣の彼だ。
彼は無言のまま動く鍋を見つめて小首を傾げる。
「ククルーシュ嬢は誰と約束を交わしたのだろうか……関わりがありそうなのは、神族であれば、天空神か時空神。もしくは……初代国王陛下……か」
「どちらにしても、我々の想像を超えた話だな。これは、父上が聞いたら仰天しそうだが……大事にもなりそうなので時期を見よう」
どうやら、この二人は私の言葉を理解出来なかったのではなく、既に先の……いや、私に起こった現象について考えていたようだ。
脳筋だと言われるにしては頭の回転が速い。
「しかし、先ほどはこの場にいる者たちだけで……という話であったが、これは国王陛下に報告しないわけにもいかないな」
「そ、そうなりますよね……」
「陛下にだけ個人的にソッとお教えするだけで良いのではありませんか? 確かに広めたくない事でしょうし……しかし、ククルーシュ嬢は大丈夫でしたか? 前世を思い出すなんて……お辛い記憶もあったでしょうに……」
「若くして死んだので……前の両親には親不孝なことをしてしまいました。余命幾ばくも無い私を大切にしてくださったので、今でも感謝しております」
「そうでしたか……とても素晴らしいご両親に育てられたのですね」
「今の両親と似ていて……私は、どちらの両親も尊敬しております」
「胸を張って、そう言える貴女は……本当に素晴らしい方です」
王太子妃殿下は優しく微笑み、私とロレーナが握り合っていた手を、更に優しく包み込んでくれる。
ぼんやりと視界が滲むのは、今際の際で「私の娘に産まれてきてくれてありがとう」「ずっと、私たちは家族だからな」と言ってくれた両親の言葉を思い出したからだろうか。
そんな私たちの手の上に、何故か小さな鍋が乗り、良い子良い子をするように優しく撫でてくれる。
動きがとてもコミカルなのだが、優しい気遣いに溢れていると感じて、私はお礼の言葉を口にするのだった。
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