ククルの大鍋 ー Cauldron of kukuru ー

月代 雪花菜

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第一章

1-20 ウリアス侯爵夫妻

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 父とゼオルド様の出会いから、不思議と全てが繋がった縁は、私が考えていたよりも広がりを見せ、本来なら簡単にはお目にかかることも出来ないような王家や公爵家の方々と気軽に話せる間柄となった。
 その中でも、本来は出会うことがなかっただろうと思える相手がいる。
 彼女の名は、ネレニア・ウリアス侯爵夫人。
 夫のヒューレイ・ウリアス卿との仲睦まじい様子は社交界でも有名だが、それよりも注目すべきは彼女の実業家としてのセンスであった。
 元々は貧しい伯爵の家に生まれた彼女は、ゼオルド様と同じく使用人を雇う余裕がなく、苦しい生活をしていたという。
 そのため、家族総出で家のことをしていたため、平民社会に触れる事も多かった。
 彼女はその知識や経験を蓄えていき、自らの力へ変えていったのである。
 学園を卒業して知り合った男性――ヒューレイ・ウリアス卿と縁があって結婚し、傾きかけていたウリアス侯爵家をたちまちに建て直した才女であった。

「商会を立ち上げるのは良いが……彼女に教えて貰うのはオススメ出来ないぞ」
「そうなのですか? とても優秀な方だとお伺いしておりますが……」
「それはそうなのだが……うーむ」

 どうも、王太子殿下の反応が芳しくない。
 アニュス様は何も言わないが、何か問題を抱えているのだろうかと心配になる。

「まあ……何かあれば、すぐに報告することを約束してくれるなら許可しよう」

 前もってゼオルド様から年頃の男性はNGだと言われていたので、それ以外で商会のことを教えてくれる人を探して欲しいと言ったら、すぐさま立候補してくれたのがネレニア・ウリアス侯爵夫人だったのだ。
 最初は王太子殿下が渋っていたようだから心配していたが、特に何事もなくネレニア様は商会の立ち上げに必要な書類の書き方から、いずれは従業員を雇う時の手順や書類の届け出など、事細かく丁寧に教えてくれた。
 失礼が無いように注意しながら、早く覚えようと必死に勉強していたある日のこと、休憩をしていた私の隣に、普段はハキハキとよく喋る彼女が無言で座る。
 どうしたのかと気になって隣を見るが、彼女は苦笑を浮かべるばかりだ。

「ネレニア様?」
「貴女は足が不自由なこと以外に欠点らしいものがないのね」
「え? 欠点だらけだと思いますがっ!?」

 何を言い出すのだろうかと隣の彼女をまじまじと見つめた。
 スタイルが抜群で、緩やかに揺れるウェーブがかかった真紅の髪が艶やかで美しく、大きなブルーグレーの瞳は綺麗なアーモンド型をしているし、ぽってりと厚みのある唇は魅惑的だ。
 彼女の方が、欠点など無いように見える。
 頭脳においても、外見においても、私が彼女に勝っているとは思えない。

「ここ数日、貴女を見ていたの。あの、ゼオルド様に選ばれた女性をね……」

 なんだか不穏な物言いだ……
 此方を真っ直ぐ見つめるブルーグレーの瞳に敵意はない。
 だが、嫌な予感がするのは気のせいだろうか。

「私はね……学生時代にゼオルド様にプロポーズをしていたの」
「……はい?」

 思いがけない言葉に思考が停止する。
 いや、彼の容姿を見れば判ることだが、学生時代はとてもモテていただろう。
 お金がないのと、本人が魔物討伐にしか興味が無かったので女性と付き合う考えにシフトしなかっただけだ。
 そんな彼を周囲の女性達が放っておくはずなどない。
 客観的に考えてわかることなのに、胸の奥がチリチリする。
 私の動揺に反応してか、私が勉強中は懐に潜り込み、バレないようにジッとしていたコルのストラップがチャリッと鳴った。
 い、いけない。
 しっかりしなくては!

「彼の領地が貧しいのはわかっていたわ。でも、私の力があれば、再建できるという自信があった。何よりも、彼の貧しい環境を理解出来るのは私だけだと思っていたの」

 スッと視線を逸らして語り出したネレニア様の言葉に、無言で耳を傾けてはいたが、心はざわめく。
 聞きたくないような……学生時代の彼を知る良い機会のような……複雑な思いが入り交じる。

「何度もアタックして、何度も断られたわ。それでも……好きだったから諦められなかった。最初は素敵な容姿に惹かれたのだけれども、学友として共に過ごしている内に、どんどん好きになってね……でも、結局振り向いて貰えなかった」

 当時を思い出すように目を伏せたネレニア様は、何故このようなことを語って聞かせるのだろうかと疑問を抱いた。
 この話の先に、何があるのだろう。
 心は痛いが、彼女の真意を知りたい。

「だから、彼が選んだ人をこの目で見てみたかったの。最初は足が不自由だから同情したのかと思ったけど……違ったみたい。貴女は……私とは比べものにならないほど強い人だわ」
「強くなど……ありません」
「確かに弱い部分もある。でも……何が大切か理解している人だわ。独りよがりにならない、相手を思いやることの出来る人……私の夫みたいにね」

 そういってネレニア様は私を見て優しく微笑んだ。
 姉のような暗い私怨も妄執もない、スッキリとした様子に私のほうが疑問を覚える。

「どうして……このお話を?」
「過去との決別……かしら」

 苦い思い出でも話すように、彼女の言葉は歯切れが悪い。
 いや、事実……思い出すのも苦い過去である。
 私だったら、相手を目の前にして話が出来るだろうか……いや、おそらく遠くへ行こうと距離を取るはずだ。
 姉や元婚約者と距離を置いたように――

「こんな私の話を聞いてくれた貴女に、一つ助言を……疑問に思っていることは、直接本人に聞いた方が良いわ。彼は、変なところで口下手だから、絶対に自分から話そうとしないはず。結婚する前に確かめて、わだかまりを取っておいた方が良いと思う。それが、どんな話でもね」
「わだかまり……」
「ああ、あと誤解が無いように言っておくけど、今の私は夫一筋よ? 優しくて包容力があって、勝ち気な私も理解してくれる。子供も二人居て、義両親ともうまくやっているわ。実家も裕福になったし、好きな事業も文句一つ言う事無く、自由にさせてくれるの」

 先ほどの真剣な声とは違い、明るく楽しげで……愛情に満ちあふれた声だ。
 本心から語る彼女の言葉は、ざわついていた私の心をいとも簡単に静めたのである。

「初恋はゼオルド・ホーエンベルク伯爵だけど、彼と私は……ちょっと似すぎているわね」

 いまだから、判るようになったことだけれど……と、彼女は苦笑を浮かべた。
 自己愛に似ていたのかもしれないと、小さく呟かれた言葉に私は首を振る。

「初恋は初恋だと思います。甘くて苦い思い出であっても、キラキラ輝いていて……とても大切な……生涯忘れられない思い出です」
「……そうね……あー、やっぱり貴女には敵わないわ。深くて大きくて広くて……ごめんなさいね。私の身勝手な思いに付き合わせてしまって……」
「いいえ、お話ができて良かったです」
「ありがとう……」

 暫く沈黙が続いたのだが気分を切り替えるように、ネレニア様は軽くパンッと手を叩いた。

「突然だけど、私と友達になってくれる? 商品開発の話とか、色々話していて楽しかったし……貴女の事を人として好きだわ」
「此方こそ、よろしくお願いいたします。正直に気持ちを話してくれて……ありがとうございました」
「此方こそ、昔の私の抱えていた物を吐き出させてくれて……それを聞いてくれてありがとう。これからは、同じ実業家として商売を成功させて、この国を発展させていきましょうね!」

 ガッシリと私の手を掴むネレニア様に笑みを浮かべて頷いていると、その手の上に大人しくしていたはずのコルが飛び乗った。

『マスターのお友達ということはボクの友達でもありますので、仲良くしてくださいね!』
「コルっ!?」

 慌てて止めようとしたが後の祭りだ。
 コルは小首を傾げるように体をねじって見せる。
 そのコミカルな動きは可愛いのだが、ネレニア様には見えているのかいないのか……
 そう思っていたら、彼女はぷるぷる震えだして目をカッと見開いた。

「……は? え? ……な、なに、この小さな鍋はっ! すごく可愛いいぃぃぃっ!」

 彼女の叫び声は大きすぎて、ネレニア様の夫であるヒューレイ・ウリアス卿と話をしていたゼオルド様とランスが飛び込んできたと同時に、ちょうど休憩を取ろうとやって来ていたらしい王太子夫妻に国王陛下と宰相閣下と騎士団長も違う扉から飛び込んでくる。
 そんな彼らに目もくれず、コルの愛らしさに黄色い声を上げるネレニア様は、ある意味強者だと思った。
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