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悪夢の始まり
10.共鳴症
しおりを挟むテーブルに並んだ料理に目を輝かせる主神オーディナルは、迷うことなくパンを手に取った。
肉はラハトが、スープはマテオさんが作ってくれたので、二人ともどことなくソワソワした様子だ。
その気持ちが良く判る。
私も最近感じたばかりの緊張感だ。
「ふむ……良い焼き加減だな」
ルナティエラ嬢が作った生地で出来たパンは、いつもより扱いやすく、とても良い感じに焼けてくれた。
見た目から美味しそうなキツネ色に焼けていて、食欲をそそる色合いだ。
一口大にちぎったパンを食べた主神オーディナルは、これでもかというほど頬を綻ばせてみせる。
「んむ……さすがは、僕の愛し子とベオルフが手がけただけある」
パンを半分くらい食べたところで何かを思い出したのか、不自然に動きを止める。
それから、懐から硝子瓶を取り出した。
中身は赤――ジャム……か?
蓋を開けて中に入っている赤いジャムを、パンにたっぷりと塗ると、躊躇うことなく頬張った。
本当に幸せだと言うような表情に、見ている此方が嬉しくなってしまう。
「オーディナル様、それはー?」
「我が孫娘の大好きな苺ジャムだ。私が疲れていると聞いて、時空神に託してくれたらしい」
「あー! だから、チェリシュの神力が感じられるんだねー!」
「これは春の庭で収穫された苺だから、味も回復力も優れている。沢山あるから、みんなも遠慮無くいただきなさい」
主神オーディナルがズイッと、テーブルの中央へ苺ジャムが入っている大きな瓶を差し出した。
さすがに躊躇い、どうしようかと視線で会話している。
遠慮がちな皆とは違い、すぐさま反応したのは当然ノエルだ。
瓶のところまでやってきたはいいが、小さなスプーンを持ってパンに乗せるのが難しそうである。
「うぅ……ボクは……さすがにやりづらいかも……ベオーっ!」
「判った。待っていろ」
硝子瓶は大きいとは言え、ノエルが顔や前脚を突っ込むわけにもいかない。
木製のスプーンを取り出して、ノエルが前脚で器用に持っているパンに塗りたくってやる。
すると、待ってましたと言わんばかりにかぶりついた。
「うわぁ……あまーいっ! 美味しいっ! チェリシュ、ありがとうーっ!」
あの幼い女神がこの言葉を聞けば、はにかみながらもルナティエラ嬢を見上げて、とても良い笑顔を見せてくれるだろう。
今度会った時にでもお礼を伝えておこうと考えながら、私もジャムをつけたパンを食べてみる。
外側はパリッとして香ばしいのに、中はふっくら……というよりは、もっとなんというか……弾力があるのだ。
噛み応えの良い、噛めば噛むほど甘みが感じられるパンである。
「良い味だな……」
「ベオルフのパンはサッパリしているけど、こっちは何て言うか……奥深い? 複雑な味がバランス良くて……口の中が忙しいってのか? 俺って、こんなに味がわかるんだなって不思議な感じがする」
「本当にそうですね……何よりも食感が……この弾力が心地良いです」
ラハトとマテオさんもジャムをつけて食べてみるのだが、パンを食べて驚いていた。
私のパンとは明らかに違う。
さすが……というか、このレベルになるのに、どれくらい時間がかかるのだろうか……
「ルナが作った生地で作ったパンは、凄く良い匂いがする。なんだか甘い香りだ」
「苺を発酵させた天然酵母で作られた生地からできているからな。甘みと酸味に加え、塩や砂糖、バターに牛乳を加えて発酵させた生地だから、当然と言えば当然かもしれん」
「材料が多いですね……」
「リュートが食材を大量に保持しているからな。おそらく、小さな街を一週間は面倒を見られるくらいの食料は常に持ち歩いているだろう」
「腐らないのー?」
「アイツは時空間魔法のスペシャリストだから腐らせるはずがない。時空神と同じくらいのレベルで管理できるはずだ」
「凄いよねー」
「中身を確認したくなるな……」
ノエルと紫黒は驚いているようだが、私は「そんなものだろう」と感じた。
あのリュートのことだ。
大量に所持していても、使うのはルナティエラ嬢か周囲にいる誰かの為だ。
空腹というものは、人から活力を奪う。
そして、空腹が続けば心がナーバスになり、良くないことばかり考えてしまうのだ。
彼はそれを知っている。
だからこそ、有事の際に放出できるよう、そんな不安要素を払拭できるように所持しているのだろう。
リュートらしいな……
「ほぅ……肉の焼き方が上手だな」
「お褒めに与り光栄です」
「ラハトは手先が器用だからな」
主神オーディナルはラハトが焼いた鶏肉の塩加減や、噛めばじゅわっと溢れる肉汁に驚いたようだ。
外側はパリッと焼けているし、ルナティエラ嬢のハーブソルトの使い方が上手で助かっている。
それはマテオさんも同じなのだが……どうしてか、スープに手を付けるのを躊躇っているようだ。
「……まさか……好き嫌いがあるというのでは……」
「え? い、いや、大丈夫だ。そういうことではない」
私の呟きに過敏な反応を示した主神オーディナルに、全員の視線が集まる。
楽しげに料理をつつき、他愛ない会話で盛り上がっていたのだが、一気に緊張感が走った。
気に障ることがあったのだろうかと不安そうな一同とは違い、私とノエルと紫黒は、「好き嫌いは良くない」と目で訴える。
違う違うと必死に首を横に振っていた主神オーディナルは、気まずそうに呟く。
「制約が邪魔をしないかどうか……少し警戒していただけだ」
少しだけ寂しげに微笑んだ主神オーディナルに、かける言葉が見つからない。
私とラハトの作った物は食べられても、マテオさんは無理だということなのだろうか。
何をするにしても制約が付きまとう主神オーディナルは、生きづらくないのだろうか……
私に出来る事は無いと判っていても、心配になってしまう。
「良かった……どうやら大丈夫そうだ」
安堵したように微笑んだ主神オーディナルは、それならばと気を取り直して手にした木製のスプーンで、マテオさん特製スープを掬った。
口へ運んで柔らかく煮込まれた野菜を咀嚼する。
「うむ、優しい味がする……料理は人柄が出るというが、本当だな」
柔らかな笑みをマテオさんへ向ける主神オーディナルに、私とラハトは顔を見合わせて目を細めた。
改めて言われなくとも判っている。
マテオさんが皆の間に入ってくれていたから、クセのあるメンバーだったが問題無くここまで来ることが出来たのだ。
「オーディナル様……ありがとうございます。この日を……生涯忘れません」
「何を言う。お前はまだまだ死なぬし、長生きしてくれなければ困るのだ。ここに居る者たち全員だぞ? 後世に残すためにも、健やかにな」
「はい」
目を潤ませて頷くマテオさんに頷いて見せる。
アーヤリシュカ第一王女殿下とナルジェス卿、護衛の二人も感動したように体を震わせていた。
長生きをして、後世に残して欲しい――
そうだ……ラハトはどうか判らないが、私は長く生きることが出来ない。
おそらく、この中では一番先に逝くことになるだろう。
それは変えようのない運命だが、一日でも長く生きるよう、私やルナティエラ嬢はこれからも足掻き続ける。
しかし、それとは別に『自分たちが残していくだろうモノ』を、引き継いでいって欲しい。伝えていって欲しいと、強く願う。
まあ……そうは言っても、何が起こるか判らないのが人生だ。
案外長生きできるかもしれないし、悲観的になる必要も無い。
「さて、そろそろ……眠ったままのフェリクスについて話をしようか」
食事も一段落ついた頃、口元をナプキンで拭った主神オーディナルは、静かにそう言い放つ。
みんなも気になっていたのだろう。
主神オーディナルの背後で羽毛のような者に包まれ、静かに眠る少年へ視線を向けたあと、主神オーディナルの言葉を待った。
「ラハト……弟のフェリクスは黒狼の主ハティに狙われている。その理由はわかるか?」
「……【深紅の茶葉】の栽培方法を知っているから……ですね」
「その通りだ。お前は姿が変わってしまったから、奴等に悟られることはあるまい。しかし、弟はそうもいかん。お前のように別人にしてやることもできないのだ」
「出来ないのですか……」
「ラハトは異例中の異例だ。前もって契約し、試練を乗り越えた結果であり、生半可な覚悟で出来る事では無い。それに、再創造は魂が壊れる可能性もあるのだ……迂闊には使えん」
後出しでとんでもないことを言っているが……と、ラハトを見れば、どうやら知っていたようだ。
それでも受け入れたというのか?
暫くラハトと見つめ合っていたが、根負けしたようにラハトは口を開いた。
「俺には必要な賭けだったんだよ」
「……今度からは、ちゃんと相談しろ」
「相談できるほど余裕が無かっただろう?」
減らず口を……と睨み付けるのだが、全く恐れる気配も無い。
むしろ、アーヤリシュカ第一王女殿下の護衛達のほうが体をビクリと震わせていた。
いや、お前達では無い。
「それでは、フェリクスに先ほどのような奇跡は起こせない……ということですね?」
「その通りだ。弱っている病人に無理はさせられない」
「病気も……治るのですか?」
「うむ。それもあったから、許可を貰ってきたのだ」
主神オーディナルは、私を見つめたまま懐にしまっていたらしい手紙を差し出す。
封筒に書かれている文字を見て驚いてしまった。
「ルナティエラ嬢からの……手紙?」
「フェリクスは、クロイツェル侯爵夫妻に頼むことにした」
意外な言葉に驚き、絶句してしまう。
これは完全に予想外だった。
適切な場所と言われたら判らないが、それでも候補には入っていなかった場所である。
主神オーディナルに従順なラハトも、これには声を上げた。
「い、いや、さすがに……貴族の家は……」
「理由があるから話を聞け。先ずはフェリクスの病だが、神官によくあるモノなのだ」
「もしかして、【共鳴症】ですかっ!?」
主神オーディナルの言葉に思い当たる節があったのか、アーヤリシュカ第一王女殿下が驚いたように尋ねる。
聞き慣れない病名に困惑する私たちを置いて、主神オーディナルはアーヤリシュカ第一王女殿下を真っ直ぐ見つめて頷いた。
「そうだ。この村で守っていた神器の力に共鳴し、本来ならあり得ないことだが、神器の神力の一部を取り込んでしまい、それが体内で暴れた結果、原因不明の高熱を発する――それが【共鳴症】というものだ」
本来ならあり得ない……つまり、異例中の異例な事態が、フェリクスを苦しめているということだ。
主神オーディナルが病名を知っているのなら、必ず完治させる方法も知っているはずだと、次の言葉を待つ。
「その症状を緩和させ、治癒させるため、我々が神官の家系に授けた守護石があるはずだが……何者かが売り払ってしまったようだな」
「宝石と勘違いしたのかもしれませんね……」
ナルジェス卿の言葉に、主神オーディナルは頷く。
伝承があったとしても、信じるか信じないかは本人次第だ。
信心深い者たちが多い村でも、一人や二人はそういう輩が必ずいる。
「あまり知られていないが、【共鳴症】が長期間続く者は、魂と器の強さがアンバランスなことが多い。フェリクスは強い魂を持つが、器が脆弱すぎるのだ。神器が放つ聖なる力も無くなった現在では、持って半年というところか……」
「そんな……」
「オーディナル様、どうにかならないのーっ!?」
「だからこそ、クロイツェル侯爵夫妻の家に預けるのだ。あの場所が一番安全で、聖なる力に満ちあふれているからな」
焦って飛び込んできたノエルを抱きかかえ、私の方を茶目っ気たっぷりのウィンク付きで見てくる主神オーディナルが何を言いたいのか理解して、私の体から力が抜けた。
「なるほど……ルナティエラ嬢が置いていった、私のプレゼントが役に立つわけですか」
「その通りだ」
「アレも、主神オーディナルの差し金ですよね」
「そんなこともあったかな」
そうか……あの屋敷を……彼女の両親を守るだけではなく、今度はラハトの弟も守ってくれるというのか――
彼女はここに居ないというのに、どれほどの人を救っていくのだろう。
「それで……弟は……治るのですか?」
「時間はかかるだろうが、ベオルフが贈った守り石が持つ聖なる力は、どの神殿にある神器よりも強い。あの黒狼の主ハティが入り込めないほどだからな。その聖なる力で、魂と器の調整を行う。近年まれに見る大神官になり得る人間だから慎重にな」
主神オーディナルが、そこまで太鼓判を押す人物であれば、凄まじい潜在能力を秘めているのだろう。
ラハトといい、フェリクスといい……何とも恐ろしい兄弟だ。
「身体能力が凄まじくて打たれ強いラハトと、体が脆弱だけど精神力が強靱な弟って……なんだか、ベオとルナに似ているよねー」
「確かに……あ、いや、別に……ルナの運動神経がどうというわけではないのだが……」
「いや、そこはハッキリ言ってやった方が良い。壊滅的だと断言して良いくらいだ」
「ベオ……だから、ルナに拗ねられちゃうんだよー」
「拗ねられてもな……事実を言っているだけだし……可愛らしいから別に良い」
頬を膨らませて怒る姿を思い出して思わず笑ってしまった私を、全員が「え?」という表情で見ている。
何か変なことを言ったか?
「僕の愛し子は、何をしていても可愛らしいからな」
「全くその通りです」
「……ねえ、ノエル。ベオルフとオーディナル様は……いつも、あんな感じなの?」
「うん!」
「そ……そう……」
「仲いいでしょー?」
「え、ええ、とても……仲良しよね!」
何故かアーヤリシュカ第一王女殿下の頬が引きつっているが、ノエルと楽しげに話をしているので良いだろう。
とにかく、フェリクスは治るのだ。
病気は治らないと諦めかけていたラハトには朗報である。
長年先の見えない病と闘い続けてきた兄弟に初めて光が射した。
涙ぐむラハトの背中を軽く叩く。
「良かった……本当に……良かった……」
マテオさんがハンカチを差し出し、みんなが「良かったな」とあたたかく声をかける。
主神オーディナルは、そんな様子を優しく見守り、慈悲深き神と言われる由縁である誰もが見惚れるような柔らかな笑みを浮かべていた。
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