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act.1 The past

彼女の事情8

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自室で殆ど食事も摂ることはなく、朝も昼も晩も涙が枯れるのではないかと思う程に泣き続けて三日。思う存分思い切り泣くというのは、感情の整理には良いらしい。ヴィオレッタの決心は完全に固まっていた。

(私はあんな未来引き起こさせない。だから、もうここでアーシュ……アシュレイ殿下を解放しよう)

ヴィオレッタは決心が揺らぐ前にアシュレイに話に行くことにする。決意が固い今でないと駄目な気がした。

話す内容を頭の中で固めていく。
今の今までヴィオレッタを心配していながらも敢えて彼女を独りにしてくれていた両親にも、夜会から帰って来てすぐに泣きながらも未来で起きるであろうことを話した。未来を視た直後のヴィオレッタは、せめて両親にだけでも打ち明けなければという位の理性は持ち合わせていた。
彼らはヴィオレッタの話を聞いた後、頭を優しく撫でる。そして、全てヴィオレッタの自由にしていいと言ってくれたのだ。
自分は将来、こんなに優しい両親にまで迷惑を掛けてしまうのかと思うと、更に悲しくなって泣いてしまった。

***

アシュレイには出来れば婚約解消の方向に話を進めてもらわなければならない。それが将来の彼への幸せの道だと確信していた。
だから、ヴィオレッタはアシュレイとの婚約を解消をしようと思う。
でもその話にどうやって持っていくかが問題だ。こちらから理由もなしにいきなり婚約解消は立場的にかなり難しいことだろう。泣きすぎてぱんぱんに腫れた瞳に氷嚢をあてながら考えていると、視界の端でリーシャが大きな花束を運んできていることに気づいた。

「ねえ、リーシャ……その花束はなあに?」
「これは先程アシュレイ様から届いたものですよ。マリーゴールドにカスミソウ、メランポジウムまでありますね。……部屋に飾っておきますか?」
「……えぇ、お願い」

リーシャには未来の事は話せていない。誰しも未来の自分が殺されると知って気分のいいものではないだろう……ずっと共に居た且つそれに加え勘の良いリーシャの事なので隠していても何かあることは多分バレている。けれどリーシャは隠し事をされていても元の態度で接してくれている。その気遣いがなによりも有難く、嬉しかった。だからヴィオレッタも同じように普段の態度を心がけて話す。

「あ!でもどうして花束なんて送られて来ているの?」
「あぁ、お嬢様には言ってませんでしたね。あの日、お嬢様が会場で取り乱していた様子は複数の貴族が見ていたので、一応一時的な体調不良ということにしてあるのですよ。……ここ数日、家どころか部屋からすら出れていなかったのもそれで説明をつけれるように」
「そうだったのね……」

実際あの場所でヴィオレッタが倒れて貴族たちが何も勘繰らない訳がない。あの時の一時的な体調不良と言うことにしておけば、あの失敗や今全く外に出ていない事を咎める声も少しは軽減されるだろう。両親やリーシャたちの気遣いの片鱗が見えた。けれど重要なのはそこではない。その花束と体調不良という言葉はヴィオレッタの思考を大きく揺さぶった。

(私がこのまま体調不良ということにすれば、婚約解消になるのでは……!?)

流石に将来の国王となると、わざわざ健康でもない妻を娶る事などないだろう……ヴィオレッタはそう、考える。
”婚約解消のためにあえてこのまま体調が悪い演技をして、婚約解消に持って行ったあとそのまま公爵家領地まで帰る”そちらの方向で事を進めようと決めた。婚約解消したら公爵領に帰りたい――それは、このまま王都にいたのではアシュレイとの思い出が甦ってきてしまいそうで怖かったからだ。ヴィオレッタは彼に本当に様々な場所に連れて行ってもらったのだ。楽しかった時の事を思い出すと決意を後悔してしまいそうで怖かった。

だからヴィオレッタは早速その準備をするためにもリーシャに両親を呼び寄せてもらい、早急に自分の決意を両親に話した。こんな勝手な言い分は反対されるかもしれなくて怖かったが、勇気を出して両親に話す。ヴィオレッタの両親は呼ばれて来た時から少し緊張したような面持ちだったが、話し始めると更に表情が硬くなっていく。

「……なので、アシュレイ殿下とは婚約解消をする方向にさせて頂きたいです」
「ヴィオレッタ」
「…………はい」

父親である公爵が少し怖いくらいの真顔でヴィオレッタに声を掛ける。その表情にヴィオレッタは怒られるのでは!?と咄嗟に体がこわばり、目を氷嚢で隠してしまいながらも返事をした。

「後悔は……ないのか?」

しかしヴィオレッタの予想を裏切って、公爵のその声は悲しいような苦しいような複雑な声音だった。だが、そう聞かれてもヴィオレッタの心は変わらなかった。

「ありません」

ヴィオレッタは決意を伝えるため、隠してしまった瞳を再び合わせる。そこにいたのは今まで見たことがないような情けない顔をした自分の父の公爵だった。彼はきっとヴィオレッタの気持ちを知っていたが故に、こんな表情をしているのだろう。しかし瞳を見て、ヴィオレッタの決意はもう変わらないということが分かってしまったようだ。

「なら、いい。できれば今日中にアシュレイ殿下に話しに行きなさい。――それから家に帰ろう」
「……はい!」

家に帰ろう、ヴィオレッタはその言葉が――その一言が嬉しかった。両親に受け入れられてもらったという証のように思えたのだ。それに思わず涙ぐみそうになりながらも、頷いて返事をした。

***

数時間氷嚢で冷やし続けてなんとか化粧で誤魔化せるくらいに腫れが引いたので、ヴィオレッタはアシュレイの執務室に先触れを出した後、彼を訪ねる。先触れの返事は驚くくらいに早く来たので、夕刻に訪ねることができた。

数日間行かなかっただけなのにアシュレイの執務室へ行くのもなんだか久しぶりな気がしてしまう。夜会の前は嫌と言う程行っていたのに、未来を視てしまったせいか、それ以上の月日が経ったような気さえした。ヴィオレッタはそんな事実に内心呆れる。自分は今までどれだけアシュレイの負担になっていたのだろうか、と。いくら会いに来てくれと言われていたといっても、さすがに毎日はないだろうと今なら思える。

そう考えながらも、目隠ししてでも行けるのではないのかという程に体に馴染んでしまった道のりをメイドであるリーシャを伴って歩く。
そうしてアシュレイの執務室の前にたどり着いた。ここでリーシャとは一旦別れる。
この扉を開いて話をしたら、彼とはもう婚約者でもなんでもない赤の他人になるのだ。
バクバクと痛い位に波打つ心臓を抑えて、扉を叩く。自分の心音が大きすぎて扉を叩いた音すらわからない程だった。

執務室に入ると、アシュレイはヴィオレッタを待っていてくれたようで、処理していた書類など放り出してすぐにヴィオレッタに応対してくれた。
アシュレイは三日間部屋に籠っていたヴィオレッタを心底心配していたようで、部屋に入るとすぐに椅子に座るように勧めた後、彼女の体調を真っ先に尋ねた。

「待っていたよ――――君の両親には面会謝絶を言い渡されていたから、すごく心配していたんだ。……それでヴィー、体調は大丈夫なのかい?」
「実はそのことで言っておきたいことがあるの」

どうやらヴィオレッタの両親は事情を聴いた後、全ての面会を断ってくれていたらしく、彼らに再び感謝した。あんな状態でアシュレイに会っていたらどうなっていただろうか、それを考えただけでぞっとした。
本気で心配してくれている彼には悪いが、ヴィオレッタはこれから嘘を吐く。

「なにかな?」

笑顔で此方の様子を聞いてくれようとしているアシュレイに罪悪感が募った。でも、これから吐く嘘は将来の彼を救うことにもなるのだ……きっと。

「……実はあの日からずっと私は体調が悪く、正直殿下の隣に立っていることはこれ以上は…………不可能です。なので私とはもう――――」
「……そう、なんだ。なら、君の体調が治るまで待つよ―――でも、たまには会いに行ってもいいかな?」

もう―――の後がでなかった。無意識に唇が動くのを拒否する。けれど懸命に動かそうと口ではくはくと空気を掴んでいると、アシュレイがまるでヴィオレッタの言葉など聞こえていないかのように言葉を発する。

基本的に、病気持ちの人間が王族の婚約者など世間からは良い顔はされない。だからアシュレイには潔く婚約の解消をしてもらえることを期待していたのだが、予想通りというかなんというかアシュレイはすぐにそうはしなかった。
けれどそれはアシュレイらしい答えだと思った。彼はすごく優しいのだ。ヴィオレッタも彼のそんなところに惹かれた。
きっとあの未来を視て、自分が何故婚約者に選ばれたかを知らなかったヴィオレッタならそう喜んで折れていただろう。
だが、元々は私は髪の毛や瞳の色、それと公爵家令嬢という立場で選ばれた婚約だ。それを知ってしまってからはアシュレイのそんな言葉にすら裏を感じてしまう。
”そんなにも自分のこの色に価値があるのか”と。彼の考えまでも穢してしまうそんな自分に嫌気がさしながらも、今自分と婚約解消をしなかった理由はそうじゃないと最後だけでも信じたい――――信じたかった。

それにいくら選ばれた理由がヴィオレッタ自身の容姿だとしても、彼が与えてくれた優しさは変わらない。それに、自分がアシュレイに惹かれてしまったという事実も。
だから、アシュレイの評判や体裁のためにも最低限迷惑は掛けたくない。これがヴィオレッタ自身が最後にアシュレイにしてあげられることだ。
アシュレイはまだ若い。ヴィオレッタという存在がいなくなれば、このまま綺麗な評判のままで将来あの姫とも安泰だろう。

(彼のためにも……私から言わないと)

これがヴィオレッタがアシュレイにできる最初で最後の愛情表現。
こんな不出来な婚約者に今迄優しくしてくれてありがとう。例え、彼の優しさが”特別な色を持つ婚約者のヴィオレッタ”に向けられていたものだったとしても自分にとってそれは掛け替えのない大切なものだった。その時間や彼の全てが嘘だとは思えない。だから、もう彼を……アシュレイを解放してあげよう。
そう思うと、先程まで出てこなかった言葉が言えた。

「待たなくて……いいです。アシュレイ殿下、私と婚約解消を――」「それだけは絶対しないよ」

”婚約解消をしてください”その言葉を言おうとしたら、途中でアシュレイの怒気が混ざった声に言葉を折られた。だが、ヴィオレッタは食い下がる。

「でも、このままでは殿下の評判がっ」
「そんなの関係ない!!それに、殿下呼びはやめてくれ……まるで他人みたいじゃないか」
「っごめんなさい」

ヴィオレッタは普段穏やかなアシュレイの今まで聞いたことのない様な怒鳴り声に驚き、思わず謝ってしまう。

「こっちこそ怒鳴ったりして、ごめんね。ヴィー……僕は待っているから。それだけは忘れないで」

その言葉と共にヴィオレッタの手に小さな箱が手渡された。なんだろうと思ったが、貰うわけにはいかないとすぐに返そうと手を伸ばす。しかし、返そうとするとアシュレイがあまりにも悲しそうな顔をするので結局部屋を出るまで返せなかった。そのまま王都の公爵家の屋敷までの家路をたどる。馬車の中ではリーシャも気を遣ってか必要以上に声を掛けてこなかった。

そうしてその後、公爵領に帰るまでアシュレイに会うことなく、ヴィオレッタはそのまま帰ったのだった。
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