WEAK SELF.

若松だんご

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第五章 大君は 神にしませば

十九、大君は 神にしませば(二)

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 「まったく。とんでもないこと始めてくれるよなあ」

 大宮の一室。
 やや薄暗い書庫で書き物をしていた自分の机に、ドスッというか、ジャラッと載せられたいくつか木冊書。

 「川島……」

 その不満そうな置き方に、筆を止め、顔を上げる。
 
 「『お前のようなフラフラの頼りない腕でも今は必要だ。働け』だってさ。高市殿に言われたよ」

 木冊書の置き方だけじゃない。口を尖らせ「不満」を体全体で表してる。

 「それは僕も言われた。海石榴市で遊んでたら叱られたよ」

 「こら大津、お前が原因か?」

 「え?」

 「最近急に高市殿の監視が厳しくなったんだよ。抜け出そうにも抜け出せない。お目付け役、見張りがいるんだ」

 ほら、と川島が室の入り口のあたりを顎で示した。そこにいたのは、書棚に手を伸ばした下級官人。仕事をこなす傍ら、川島の動向を確認しているのだろう。目を向けると視線があった。

 「これじゃあ、せっかくの朧月を眺めながらの酒が楽しめないじゃないか」

 「朧月って……。月の出はまだまだ先だろう?」

 今は昼だ。月は見えない。

 「月が出るまでにやることがあるんだよ。ゆっくりくつろいで体を休めるとか、それまでに酒を飲んでおくとかさ」

 それはサボりと言うのではないのか。

 「酒を飲むのに月は関係なさそうだな」

 「いいんだよ。ほろ酔いかげんで月を眺めるのが一番なんだ。月もボンヤリ、頭もボンヤリってな。それなのに……。お前のせいだぞ。どうしてくれる。お前がフラフラと市で遊んだせいで高市殿の監視が厳しくなってしまった。これじゃあ風雅を味わえないじゃないか」

 「僕のせいなのか?」

 「お前のせいだ。疲れた頭で朧月を見たら、文字の読みすぎ、目が悪くなったのかと勘違いしてしまうだろ。仕事のしすぎだ、大変だって寝込んだらどうしてくれる」

 「いや、今度は、『仕事で疲れたようなので休みます』って口実をつけるだけだろう。月がぼやけて見えるのは疲れてる証拠だって」

 川島のサボるための言い訳はなんとでも変化する。

 「それに市は、お前のかわいい異母妹いもうとも楽しんだんだ。文句を言わないでくれ」

 「山辺も行ったのか?」

 「ああ。舞台で舞を披露したよ。綺麗だった」

 「うーん。山辺が楽しんだのなら……、それなら……、いや……」

 顎に手を当て思案し始めた川島。
 「仕方ない」と「それでも納得しない」を天秤にかけているようだ。

 「オレも行きたかったなあ……」

 そっちか。
 思わず笑ってしまう。

 「お前は異母兄上あにうえに首根っこ押さえられて仕事中だったから。だから誘わずに二人で行ってきたんだよ」

 「忍壁は行かなかったのか?」

 「アイツは、剣の稽古中だ。僕に勝つんだって勇んでるらしいよ」

 「なるほど。明日香にいいとこ見せなきゃって意気込んでたもんな」

 将来妻となる川島の異母妹いもうとに良いところを見せる。そのために剣で異母兄あにに勝つ。

 「それじゃあ、お前も稽古をしたほうがいいんじゃないのか? 明日香のためにも負けてほしくないし、お前も弟に負けたら情けないだろ」

 「それ、ここから逃げ出すための口実か?」

 仕事より剣の稽古のがいくらかマシ。

 「でもそれだと、僕は逃げ出せるけど川島は無理だろ」

 忍壁との試合に川島は関係ない。

 「オレはお前の剣の指南役だ。忍壁に高市殿がついたようにな」

 「お前が? 僕の?」

 驚き、目を真ん丸にして川島と自分とを交互に指差す。
 川島の剣は、忍壁にもバカにされる程度。とてもじゃないが、指南役には不向きだ。

 「じゃあ、もっと他の、もっとマシな口実を思いつけよ。オレはもうここにいたくないんだよ」

 やはり、酒も指南も逃げ出す口実か。

 「そんなうまい言い訳見つかるわけないだろ。無駄口叩く暇があるなら仕事をしろよ。頑張ってやれば、異母兄上あにうえだって、ご褒美として少しぐらい遊ぶことを許してくださるかもしれないぞ」

 「ちぇ~」

 ふてくされたまま、川島が仕事に戻る。
 今行ってるのは、過去の戸籍、庚午の年に作られたものから、どこにどれだけの民が暮らしているのかの把握。
 誰にどれだけ恩賞を与えるとなっても、それがどこにどれだけあるのかわかっていなければ、与えようもない。
 黙々と調べだしたことをまとめ、木簡に書き出す。
 この国の東から西。北の果てから南の端まで。どこにどれだけの民がいるのか。どれだけの租税が集められるのか。
 父の御手はどこまで及んでいるのか。

 「お前はこんな地味な仕事、嫌じゃないのかよ。あっちからこっちから戸籍を引っ張り出してさ」

 自分の机に向かって、大人しく腰掛けた川島。座ったところで、愚痴は続く。

 「別に。僕の性に合ってるよ」

 川島の言う通り、膨大で途方もなく面倒くさい仕事。地味で華やかさのない仕事。

 「僕はこういう仕事が一番好きなんだ。コツコツと積み上げてくのが、積み上げたものが誰かの役に立つのが嬉しいんだ」

 「ふぅん」

 そういうもんかねえ。
 川島には理解できないらしい。
 自分の考えは、大方誰にも理解されないだろう。男子たるもの、もっと日の当たるところで、堂々と仕事をしたい。表に出て、政治の意見を交わしたい。お前にはそれだけの地位がある。それが許される生まれがある。なのに――。

 「あっ、しまった」

 考え事をしていたせいで、ウッカリ書き間違える。

 「川島のせいだぞ」

 「どうしてオレのせいなんだ」

 「お前がおかしなことを言うからだ」

 木簡は書き損じたからといって、簡単に捨てたりしない。小刀で間違えたところを削り落とし、書き直す。
 木簡の表面を薄く削る。
 次こそは間違えないように、慎重に、慎重に……。

 「――――ッ!!」

 少し硬い木で作られた木簡だったらしい。力を込め、削った小さな破片が指に刺さる。
 破片を取り除くと、プクリと赤い血の珠ができた。大君に、帝につながる深紅の珠。

 「どうした?」

 「いや、指を切っただけだ。たいしたことない」
 
 その指を口にくわえ、チュッと血を吸い取る。

 「お前、たるんでるんじゃないのか? シッカリしろよ」

 「それ、川島に言われたくないなあ」

 笑い、口から指を離す。
 血は、とても鉄気臭く感じられた。
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