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第13話 魔王さま、見とれちゃいました。

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 ――ミリア、キミはヴィラードのことが好きなんだよ、きっと。

 そうアルディンさまはおっしゃった。
 わたしの最近の身体の不調。将軍を見てると、胸が痒いような、ギュッと苦しいような。心臓がグッと前とか上とかにドカドカ暴れだしてるような。頭の中で心臓がバクバクいってるような。とにかく、心臓を中心とした身体に変調をきたす。
 アルディンさまは、それをわたしが将軍を好きだからって判断したみたいだけど。

 いやあ、それはさすがにないと思うよ?

 だって、あの将軍だよ? 
 誰もが恐れる魔王将軍だよ?
 怖いとかそういう負の感情ならわかるけど、好きなんてありえなくない?
 だから、これは将軍の呪いなんじゃないかって言ったら、アルディンさまに大爆笑された。
 真剣に答えたんだけどなあ。
 
 三ヶ月前、拾われた当初よりは怖さは軽減したけど、だからって怖くなくなった、平気ってことはない。今だって、あの声で怒鳴られたら、雷が走ったようなビリビリした感覚におちいるし。「ヒィッ!!」って息を飲んじゃいそう。
 何より、あの目が怖いことに変わりはない。あの、すべてを見透かしてくるような、隠しごとを許さないような目。
 いや、わたし、将軍に隠しごとなんて一つもないんだけどね? そんな大胆不敵なことするだけの勇気も度胸もないからね?
 そんな怖すぎる将軍に……、すすす、好き、だなんて。
 十割、アルディンさまの誤診だと思う。
 鳥が海を泳ごうとも、冬に花が咲き乱れようとも。
 それだけは絶対にありえないと思う。
 けど……。
 もし万が一、アルディンさまのおっしゃることが真実だったとしたら?

 命じられた通り、柑橘水を用意して、将軍のいる衛兵さんたちの詰め所まで運ぶ。
 長い回廊。今日はアルディンさまもいないから、一人で思考にふけりながら歩いて行く。

 わたしが将軍を好きだったとしたら?
 
 あの怖さは、とりあえず置いといて。好きになる条件は揃ってると思う。
 記憶のないわたしを拾って、仕事と住むところ、名前を与えてくれた。
 気の短いところはあるけど、侍女として至らない所だらけのわたしを、嫌がらずに使ってくれている。
 崩れ落ちてきた本棚から、身を呈してわたしを護ってくれた。
 仕事中、真剣に書類を読む姿。
 そして。

 回廊を曲がったところで、ギィンッと金属がぶつかり合う音が響いてきた。

 「何をやっている!! もっと力を入れて打ち込んでこいっ!!」

 同じく、将軍の怒声も。
 くり返しぶつかる金属音。それに混じって、ギリギリッとこすれるような音もする。
 剣術稽古……という名の、衛兵さんいじめ。
 案の定、回廊の先にある練兵場で、将軍が衛兵さんたちと剣を交えていた。それも複数の衛兵さん対将軍。
 剣を跳ね返し、返す刀で次の衛兵さんの剣を払い除け、叩き落とす。
 自分の剣で攻撃を受け止めるだけじゃない。受け流し、時には身体を軽く跳躍させ、攻撃を避ける。

 (うわ……)

 踊ってるかのように、寸分の戸惑いも停滞もなく、動き続ける将軍の身体。笑ってないし、真剣すぎる表情はどっちかというと怖いの範疇なんだけど。

 (キレイ……)

 飛び散る汗。身体の動きよりわずかに遅れて流れる髪。
 普段なら、鬼神の如きその動きに恐怖を感じてしまいそうなのに、なぜか美しいと思ってしまった。
 怖いのに、見とれてしまう。目が離せない。
 
 「――ヨシッ、しばし休憩に入る!! 解散っ!!」

 練兵場にこだまする、ゼイゼイハアハアという荒い息の音。剣を杖に、その場に崩れ落ちた衛兵さんが発信源。

 「ミリア、――水」

 「うえっ、あっ、はいっ!!」

 隅っこで見ていたわたしに近づいてきた将軍。汗をかいてるし、身体に熱がこもってるみたいだけど、それ以外、衛兵さんたちのように息が乱れてるとか、へたばってるとか、そういう変化は見受けられなかった。
 さすが将軍。
 身体の鍛え方が魔王級。
 その魔王さまに柑橘水の入ったカップを渡すと、そのままゴクゴクと喉を潤し始めた。
 よっぽどのどが渇いてたのかな。
 軽く腰に手を当て、柑橘水を飲む将軍。少し反らした身体。汗の滴る喉が、嚥下するたびに大きく動く。
 
 「――なんだ?」

 視線に気づいたのか。将軍が飲むのをやめた。

 「あ、い、いえっ!! なんでもありませんっ!! 失礼しましたっ!!」

 「あ、おい」

 将軍が止めるのも聞かず、慌ててその場を立ち去る。
 だって、だって、だって。

 (わたし、完全に見とれてたよねっ!!)

 将軍に。将軍が柑橘水を飲む姿にっ!!
 カッコいいとか、そういうのじゃなくて。なんか、心臓をキュウウッて絞りながら、ずっと見てた。
 走って必死に逃げ出すけど、頭の中は、さっき見た将軍の姿でいっぱいで。
 剣を持って戦う姿。動き。近づいてきた時に嗅いだ将軍の汗の匂い。熱。
 忘れようとポカポカ頭を叩いてみるけど、逆に脳裏にこびりつく。

 (ちょっと待ってよ、こんなの、まるで……)

 これが呪いじゃなきゃ、なんだっていうのよ。アルディンさまのおっしゃったものだったらどうするのよ。
 やみくもに走って迷い込んだ庭園のなか。濃い緑に染まった木々の向こうに見える、白亜の王宮。その整然と並んだ大きな窓を眺めて足を止める。

 この王宮のどこかに王女さまがいらっしゃる――。

 将軍とアルディンさま。お二人の候補から夫を選ばれる王女スティラさま。
 将軍もあるディンさまも、スティラ王女に会ったことはないとおっしゃってたけど、いつかはお二人のうちどちらかが、王配として王女に選ばれる。王女のご夫君になる。
 将軍は、自分が選ばれることはない、選ぶとしたらアルディンだろうと言ってたけど。

 (本当に――?)

 本当に、将軍は選ばれない?
 選ばれずに、砦に帰れる?
 砦に帰れば、この国を守る将軍としての日々が戻ってくる。エイナルさんを従え、将軍としての任務に当たる日々が。
 記憶のないわたしは、砦に戻っても、今と同じように将軍にお仕えする侍女として暮らすんだろう。
 今みたいに、柑橘水を用意して差し上げたり、身の回りの世話をこなしたり。今より侍女力は上がるだろうけど、やってることは変わらない。
 
 王女さまが将軍を選ばなければ、そういう未来が待っている。将軍が選ばれなければ。

 (――――っ!!)

 一瞬浮かび上がった心が、鉛を詰め込まれたように身体の奥に沈み込んでいく。

 (わたし、今、なんて……。何を考えてるの?)

 将軍は王配候補としてここにいる。なのに、選ばれなければいい。そう思ってしまった。
 選ばれなければいい。選ばれずに砦に帰って、一緒に暮らせたら――。将軍を独り占め出来る――。

 その思考に、胸のあたりの服をギュッと握りしめる。
 何、馬鹿なことを考えてるのよ。
 将軍のこと、怖かったんじゃないの?
 これじゃあ、まるでわたし――。

 「――――――っ!!」

 突然、耳の奥にキーンッと突き刺さるような音がした。外から響いてきたんじゃない。わたしの内側から響く音。

 「お……かあ、さま」

 声が口から溢れる。地面に崩れ落ちる身体。
 目を見開いてるのに、脳内に流れ込んでくるのは、別の映像。
 
 血溜まりに横たわって動かないお父さまの身体。血の滴るたくさんの剣。その柔らかい肉体で、わたしを守ろうと抱きしめてくれたお母さま。
 お父さまの血を吸った剣が、お母さまにも突き立てられる。
 
 「……ラ、生きて」
 
 最期に悲しげな笑みを浮かべたお母さまの顔。
 肌をヒリヒリと焼き尽くすような炎の熱。バチバチと燃える木の爆ぜる音。遠くで大きな何かが崩れる音。
 
 熱いよ、母さま。怖いよ、父さま。
 おうちが火事だよ? 逃げようよ。
 動かない二人。近づいてくる赤黒い剣。
 どうして? どうしてこんなことになったの?

 「――アッ!! ミリアッ!!」

 ガクガクと大きく揺さぶられる身体。何も映してなかった目の焦点が定まり、飛び込んできたのは、少し青い顔をしてわたしを見る将軍の顔。
 わたしのこと、追いかけてきてくださったの?

 「あ、わたし……」

 さっき、何を見ていたの?
 白昼夢? それとも、わたしの記憶?
 肌に伝わった炎の熱さ、立ち込める血の匂い。母さまの声。動かない父さまと母さま。
 
 「おいっ!! しっかりしろっ!!」

 すみません、将軍。わたし、いろいろと限界のようです。
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