古い家の一年間

神崎

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 静かなオフィスに私のタイピングする音とマウスをクリックする音だけが響く。
 紙をめくり、文章をまとめていく。その作業は嫌いじゃない。というかこういう編集作業も特に嫌いじゃない。決められたことや決めたことに従って、自分で考えて色や文章の構成、写真を載せていくのは面白い作業だった。
「まだ仕事しているのか。」
 ふと顔を上げると、そこには律の姿があった。彼の方には大きなバックがある。その中にカメラの機材が入っているのだ。
「ちょっとやり残したことがあったから。」
「ちょっとっていう時間じゃないだろう。時計をみろ。」
 そう言われてパソコンの時計をみた。もう十時をすぎている。
「あら。夢中になりすぎたみたいね。」
「悪い癖だな。もう終わるのか。」
「えぇ。あと一ページだから。」
「そのパソコン、終わったらちょっと貸してくれないか。」
「え?」
「今日撮った写真のチェックだけしたいんだ。」
 律はそう言って荷物を下ろし、まずは上着を脱いだ。白いTシャツの右の上腕から見えるのは、黒い入れ墨だった。逆十時。それは私がしているピアスと一緒で恥ずかしくなる。
「終わったわ。待って保存するから。」
 パソコン画面のパソコンの保存ボタンをクリックする。すると「保存しました」とチェックがでる。
「いいわ。パソコンどうぞ。」
 席を立ち、律に席を譲った。すると彼は鞄の中からとりだしたカメラをパソコンにつなげる。
「滝?」
 出てきたその映像は滝のようだった。
「あぁ。S県にある「竜水の滝」という滝だ。」
「迫力満点ね。」
「昨日まで雨だったから、水量が多かった。うん。割といい。この分だったらクライアントもOKを出すだろう。」
 雑誌のことでいろんなことをいわれている楓と、写真について最近は仕事も増えてきている律は対照的なように見えた。
「見に来る人も多かったんじゃない?」
 パソコンからカメラをはずし、パソコンをシャットダウンさせた彼。コードをまとめながら私の問いに答えた。
「あんまりいなかったな。有名な滝でもないし。」
「そう。」
 すると彼は手に取った「月刊サンライズ」をじっとみる。
「これに載ったからか。」
「え?」
「あの元工場。」
「あぁ。いつか連れて行ってくれたところ?」
「観光客が結構来ているらしい。特に夜が多いようだ。」
「確か中も見れるのよね。ちょっと見てみたかったな。」
「流石に俺も中までは入れないから。」
 私が引き寄せられそうになったあの光景には、観光客が来るとすぐにガードレールとか、手すりとかが設置された。なくて悪いことはないけれど、ちょっと雰囲気に合わない気がした。
「今度…。」
 律が何か言おうとしたときだった。楓が外から帰ってきた。こういう暑いときでも、彼はポロシャツを窮屈に着込んでいる。
「夜になっても暑いな。」
 楓はそう言ってバックを椅子の上に置いた。
「周。あの資料まとめ終わった?」
「えぇ。」
「チェック明日するよ。とりあえずお腹が空いたな。律も食べないか。」
「あぁ。」
「今日はなに?」
「生姜焼き。」
「ご飯が進みそうだな。」

 春。私は律に「告白」をされた。私のことが好きだと。だけど私はそれに答えることができなかった。
 私は律に愛されるほどの人間じゃないから。
「こんな絵。百円でも買わないよ。」
 耳に残るその人たちの評価。それが私の価値だったから。
 百円以下の価値しかないのだ。
 風呂に入り終わり髪を乾かしながら、絵をじっと見た。空の青や海の青。そして白鳥。
 この絵はまだ完成していなかった。

 トントン。

 部屋をノックする音が聞こえた。ドライヤーのスイッチを切り、そのドアを開けた。
「誰かしら。」
「僕だよ。」
 それは楓だった。
「楓。」
「律かと思った?」
「別にそうは思わないけれど。どうしたの?」
「みんなには内緒だけど。」
「なに?」
 もったいぶって楓はポケットから包みを取り出した。かわいらしい原色の包み紙だった。
「あげるよ。」
 小さな包み。何が入っているのかわからない。
「開けていい?」
 それを開けると、中から出てきたのは小さなピアスだった。ビーズで出来たかわいらしいデザインに、私は少し微笑んだ。
「可愛いわね。どうしたの?これ。」
「母からこの間荷物が来てね。こういう細かい作業をするのが、最近はまっているみたいでね。」
「光の方が合うんじゃないのかしら。」
「君でも合うと思うよ。」
 右耳のピアスをはずさずに、私はそのピアスを耳に当てた。
「合う?」
「鏡を見なよ。」
 部屋の中にはいると、壁に掛けられている鏡に自分の姿を映す。どう見てもあまりあわない気がした。
「ごめん。私には合わないみたい。可愛らしすぎるわ。こういうのは光に…。」
 ふと見ると楓がこの部屋の中に入ってきた。初めてじゃないだろうか。女性の部屋だからといって、彼がここにはいることはなかったのに。
「似合ってるよ。そのピアスをとってつければいい。」
 そう言って彼は私に近づき、腕を伸ばす。
「取るの?」
「イヤ?そのピアスを取るの。」
 ふと鏡を見る。私に右の耳には逆十時のピアスがある。律からもらったものだった。だから取るのがイヤなわけではない。
「別にかまわないわ。」
 ピアスを取ろうとしたときだった。彼の手が私の手に触れる。そして私を引き寄せた。
「可愛いな。」
 耳元で彼の声が聞こえた。私は驚いてはねとばすことも出来ないまま、そのまま抱きしめられている。
 香水の匂いがほのかにするその体に。
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