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16.「ポルナレフ先生の昔話」
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「ポルナレフ先生……す、少し……お話よろしいでしょうか」
放課後の時間。
夕焼けが校庭を照らす中、人影の少ない校庭の奥で、私は意を決してポルナレフ先生をお呼びした。
「これはこれは、ミレーヌ先生……お話とは、なんでしょうか?」
ポルナレフ先生は、いつものようにニコリと微笑みながら、こちらへ歩み寄ってくる。
「あ、あのですね……わ、私……ポ、ポルナレフ先生に……は、話があってぇ……」
――おかしい。
セレスティンたちに何度もポルナレフ先生役をやらせ、告白の訓練をしたはずなのに。
頭の中のシミュレーションでは、もっと流暢に言葉が出てきたはずなのに。
いざポルナレフ先生を前にすると、一気に緊張が身体を支配し、言うべき台本は頭の中から綺麗さっぱり抜け落ちてしまった。
「大丈夫ですわ……ミレーヌ先生、頑張って」
「そうです。私たちは、セレスティン様とシュルさんと一緒に、今も見守っています」
「ミレーヌ先生……セリフを忘れたら、合図や、さりげない言葉で表現すればいい。ちゃんと伝わるから、安心して」
左耳につけた魔法の通信石から、セレスティン、エリナ、シュルの声が小さく届く。
(……ありがとう皆)
心の中でそう呟き、私は感謝する。
そして、用意していた台本を、あえて頭の中からゴミ箱に捨てるようにイメージした。
ここからは、自然な言葉で、伝えよう。
「……わ、私……ポ、ポルナレフ先生のことが――」
「……っ! ミレーヌ先生……どうぞ、落ち着いて、ゆっくりとお話しください。
いつまでも、あなたの言葉を待っていますから……」
その瞬間、ポルナレフ先生の表情は、怪訝そうなものから神妙なものへと変わった。
もしかすると、私がこれから何を言おうとしているのか、察したのかもしれない。
「……ポルナレフ先生。私……」
一度、深く息をすぅっと吸う。
夕焼けの空気が、胸いっぱいに流れ込んだ。
そこから先は、自分でも驚くほど、胸の奥から声が溢れ出てくる。
「わ、私、あなたと話す時間が……好きなんです」
「……」
ポルナレフ先生は黙って私の話を聞いていた。
その片眼鏡越しに見つめられる、澄んだ翡翠色の瞳は私の言葉を永遠に待つように、優しく見つめていた。
いつもの私は、恥ずかしさからその綺麗な瞳と目を合わせられなかった。
けれど、今の私は違う。もう、ポルナレフ先生の目から逸らさなかった。
「理屈っぽいお話も……魔法のことに関して熱く語るところも……生徒から煙たがられるほど、校則に厳しいところも……寡黙ながらもどこか寂しそうな雰囲気も」
「……」
言葉を探しながら、それでも止まらずに続ける。
「でも理屈っぽくても、難しい魔法式でも、誰に対してもわかりやすく説明しようとするところも……生徒一人一人を、ちゃんと見ているところも……」
「……」
「厳しい校則の裏で、誰よりも学園を守ろうとしているところも……
そして時々、ふっと見せる……とても遠くを見ているような、その横顔も……」
「……」
「あなたの落ち着いた渋い低音ボイスも……あなたの澄んだ翡翠色の瞳も……片眼鏡が似合っているところも……あなたがどんな人生を歩んだのか、まったく知らないミステリアスなところも……」
「……」
言い出したら、自分でも驚くほど、言葉が止まらなくなっていた。
それもそのはずだ。だって私は、いつも遠くからあなたを見つめて、心の中であなたの好きなところを数えていただけなのだから。
「クッキーを頬張るときの、あなたのぷっくりとした頬も……こんな根暗な私にも、分け隔てなく接してくださる、その慈愛に満ちたところも……肩に触れそうなほど近い距離ですれ違ったときに、ふっと香る、あなたの匂いも…」
「あれ? ミレーヌ先生? 好きなところを語るのは……その辺で十分だと思うので……そろそろ告白に入った方が――」
ふと、魔法の通信石から、セレスティンの声が聞こえた。
その一言で、私はハッとする。
「ですから……わ、私が言いたいのは――」
一呼吸おいて、私は、とうとうこの言葉を口にする。
「……好きですポルナレフ先生。よろしければ、私と付き合ってください」
その言葉を言った瞬間、校庭に大きな風が吹き荒れた。
それはまるで、何かが始まる合図の風なのか――それとも、終わりを告げる風なのか。
魔法の通信石から、セレスティンとエリナの、小さな歓喜の声が聞こえる。
言うべきことはすべて伝えた。
もうこれ以上言うことはない。
あとは――ポルナレフ先生の答えを、待つだけ。
ポルナレフ先生は、なおも口を閉ざしたまま、沈黙していた。
けれど、やがておそるおそる、ゆっくりと口を開き――
「……嬉しいですな。あなたのような妙齢の婦人にそう言ってもらえるなんて……」
確かに、ポルナレフ先生は嬉しそうに微笑んでいた。
だが、その笑みには、純粋な喜びだけではない。
どこか哀愁を帯びた影が、静かに滲んでいるようにも見えた。
やがてポルナレフ先生は、ゆっくりと夕焼けの空へと視線を向ける。
「本日も香水は――“ルール・ブルー”をつけているんですな……」
私が身にまとっている香りを、迷いなく言い当てながら、ポルナレフ先生は言葉を続ける。
「……あなたを見ていると彼女を思い出す。どことなく面影があるとこも……」
「……“彼女”、ですか?」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
私にとって、不穏とも言えるキーワードが、ポルナレフ先生の口から紡がれた。
「私も歳を取った……年寄りらしく、昔話をしたくなるものですな」
一度、言葉を切り、軽く息を整えてから。
「……ミレーヌ先生。すまないですが、少し昔話に付き合ってもらえるでしょうか?」
「……“ポルナレフ先生の昔話”、ですか?」
私は、彼に想いを寄せながら――彼のことを、ほとんど何も知らなかった。
もちろん、好きだからこそ知りたいという気持ちは強かった。けれど、知りたくない気持ちも同じくらい強かった。
だって、すべてを知ってしまったらもうあの頃に戻れない気がするから。
――あの頃の、片思いの気持ちを、密かに楽しんでいた日々に。
それでも。
それでも、今の私なら。
「……聞かせてください。ポルナレフ先生の昔話を」
そう答えると、ポルナレフ先生はコクンと頷いた。
そして、ゆっくりとポケットに手を入れ、金色のペンダントを取り出す。
私の前に差し出されると、それはパチリと小さな音を立てて開いた。
「……この方は……!?」
思わず、息を呑む。
それは写真入りのペンダントだった。
中には、片眼鏡をかけた一人の女性が写っている。
かなり古い写真のようだったが、丁寧に手入れされているのだろう。
時の経過を感じさせながらも、その女性の美しさは、少しも色褪せていなかった。
「……彼女は、“妻”です」
ポルナレフ先生は、静かにそう告げる。
「十五年前から、このペンダントを、私は身につけていてね……」
――そこから、語られる。
ポルナレフ先生の過去が。
***
「……ダニエル」
今から十五年前。
ポルナレフ先生には、妻――ダニエル・ポルナレフがいた。
病床に伏せ、痩せ細ったその腕を、ポルナレフ先生は強く握っていた。
「あ……あなた……」
ダニエルさんの声は、驚くほど弱々しい。
その声を聞くだけで、残された時間が多くないことを、嫌でも思い知らされる。
二人の出会いは、そこからさらに十三年前に遡る。
出会いの場は、この学園だった。
当時、ポルナレフ先生は二十二歳。
教員見習いとして配属されたばかりで、ダニエルさんは、ポルナレフ先生の五歳年上の教師。
私と同じ錬金術系を教えていたそうだ。
意外にも、アプローチしたのはポルナレフ先生のほうだったという。
教員見習いとしてダニエルさんのもとで教えを受けるうちに、彼女に惹かれていった。
彼女は、今のポルナレフ先生と同じように校則に厳しく、職場恋愛には否定的だった。
――いや、もしかしたら。
今の厳しくも優しいポルナレフ先生は、ダニエルさんから受け継いだものなのかもしれない。
何度フラれても、ポルナレフ先生はめげることなく、想いを伝え続けたそうだ。
そして、ある日。
彼は、彼女に初めての贈り物を差し出した。
それが――
「ダニエル先生。この魔法の香水“ルール・ブルー”をあなたのために調合しました」
そう。今も、私が身につけているルール・ブルーだった。
「この香水は、時間帯によって成分が変化する仕様で――
日中は集中力を高め、夜には気持ちを落ち着かせる――リラックスを目的とした効能を……」
ポルナレフ先生は、一生懸命に成分の説明をしたという。
当時は、若かったこともあり、自分に振り向いてほしい一心で、つい話しすぎてしまったのだろう。
そして、当のダニエルさんの反応は。
「ありがとう。私のために調合してくれたのね……これ、是非使わせてもらうわ!」
それから彼女は、毎日その香水を纏うようになった。
そして、少しずつ二人の距離は縮まり、出会ってから三年後。
二人は結婚したのだ。
結婚後の二人は、穏やかで慎ましい日々を送っていたそうだ。
おしゃれや高価なものには無頓着で、休日も外へ出かけるより、一緒に錬金術に没頭する日々。
一般的な理想の夫婦像とは違ったかもしれないが、二人にとってそれが理想の夫婦の愛の形だったかもしれない。
同じ学園で働き、同じ分野を語り、時に意見をぶつけ合いながらも――最後には、必ず同じ結論へと辿り着く。
研究に没頭しすぎて食事を忘れるポルナレフ先生を、ダニエルさんが呆れたように叱り。
逆に、無理をして倒れかけたダニエルさんを、ポルナレフ先生が不器用に支える。
そんな、当たり前で、かけがえのない日常を過ごしていた。
だが――
その日常は、ある日突然、終わりを告げた。
ダニエルさんの体調不良が続き、検査を受けた結果――原因不明の不治の病だと告げられた。
回復魔法をもってしても、進行を止めることはできなかったという。
それでもダニエルさんは、周囲やポルナレフ先生の反対を押し切り、最期まで教師であろうとした。
ベッドの上で論文を読み、学生の成績を気にかけ――
そして、いつものように、あの香水を纏っていた。
「……この香り、私本当に好きなの……あなたに貰ったときから」
病室に微かに漂う“ルール・ブルー”の香り。
それは、ポルナレフ先生が若き日に、恋心を込めて調合した香りだった。
「あなたが作ってくれたものだもの。私、これ……いつまでも大好きよ」
そう言って、ダニエルさんは微笑んだ。
そして、最期の時が近づいたある夕暮れ。
そう。今からあの十五年前に戻る。
あの日は、今と同じように、空が赤く染まる時間帯だったそうだ。
「……あなた」
「……ダニエル」
か細い声で名前を呼ばれ、ポルナレフ先生は、その手を強く握り返した。
「あ……あなた……」
ダニエルさんの声は、驚くほど弱々しい。
その声を聞くだけで、残された時間が多くないことを、嫌でも思い知らされる。
「あなたの……人……生は……まだ……続くわ」
息を整えながら、ダニエルさんはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「馬鹿を言うな! 一緒にだろう!? “俺たちの人生”は! 必ず治って――」
「……フフ。あ、なたらしく……ないわね……そんな現実、逃避……」
そして、彼女は、一度、息を吐いてから続けた。
「私は……十分、幸せだった。あなたから、たくさんの幸せをもらったもの」
「ダニエル!」
「だから……これからは、私以上に素敵な人に……あなたの幸せを、分けてあげて」
「……そして……なにより……あなた自身が、幸せになって」
「な、なにを言っているんだ……ダニエル?」
震える指先が、そっとペンダントに触れた。
「……でもね」
最後に、少しだけ、いたずらっぽく微笑んで。
「たまにでいいから……ほんの少しだけ、私のことを思い出してくれたら……嬉しいわ」
それが――
ダニエル・ポルナレフの、最期の言葉だった。
彼女が息を引き取ったあとも、ポルナレフ先生は、しばらくその手を離せなかったという。
そして十五年が経った今も。
彼は、その約束を胸に、あの金色のペンダントを身につけ続けている。
初めて贈り物をした、あの頃の彼女の写真を忘れないために。
そして、彼女の形見である片眼鏡を身につけ――
ポルナレフ先生は、今もこの学園で、教師として在り続けている。
――それが、ポルナレフ先生の口から語られた、過去のすべてだった。
放課後の時間。
夕焼けが校庭を照らす中、人影の少ない校庭の奥で、私は意を決してポルナレフ先生をお呼びした。
「これはこれは、ミレーヌ先生……お話とは、なんでしょうか?」
ポルナレフ先生は、いつものようにニコリと微笑みながら、こちらへ歩み寄ってくる。
「あ、あのですね……わ、私……ポ、ポルナレフ先生に……は、話があってぇ……」
――おかしい。
セレスティンたちに何度もポルナレフ先生役をやらせ、告白の訓練をしたはずなのに。
頭の中のシミュレーションでは、もっと流暢に言葉が出てきたはずなのに。
いざポルナレフ先生を前にすると、一気に緊張が身体を支配し、言うべき台本は頭の中から綺麗さっぱり抜け落ちてしまった。
「大丈夫ですわ……ミレーヌ先生、頑張って」
「そうです。私たちは、セレスティン様とシュルさんと一緒に、今も見守っています」
「ミレーヌ先生……セリフを忘れたら、合図や、さりげない言葉で表現すればいい。ちゃんと伝わるから、安心して」
左耳につけた魔法の通信石から、セレスティン、エリナ、シュルの声が小さく届く。
(……ありがとう皆)
心の中でそう呟き、私は感謝する。
そして、用意していた台本を、あえて頭の中からゴミ箱に捨てるようにイメージした。
ここからは、自然な言葉で、伝えよう。
「……わ、私……ポ、ポルナレフ先生のことが――」
「……っ! ミレーヌ先生……どうぞ、落ち着いて、ゆっくりとお話しください。
いつまでも、あなたの言葉を待っていますから……」
その瞬間、ポルナレフ先生の表情は、怪訝そうなものから神妙なものへと変わった。
もしかすると、私がこれから何を言おうとしているのか、察したのかもしれない。
「……ポルナレフ先生。私……」
一度、深く息をすぅっと吸う。
夕焼けの空気が、胸いっぱいに流れ込んだ。
そこから先は、自分でも驚くほど、胸の奥から声が溢れ出てくる。
「わ、私、あなたと話す時間が……好きなんです」
「……」
ポルナレフ先生は黙って私の話を聞いていた。
その片眼鏡越しに見つめられる、澄んだ翡翠色の瞳は私の言葉を永遠に待つように、優しく見つめていた。
いつもの私は、恥ずかしさからその綺麗な瞳と目を合わせられなかった。
けれど、今の私は違う。もう、ポルナレフ先生の目から逸らさなかった。
「理屈っぽいお話も……魔法のことに関して熱く語るところも……生徒から煙たがられるほど、校則に厳しいところも……寡黙ながらもどこか寂しそうな雰囲気も」
「……」
言葉を探しながら、それでも止まらずに続ける。
「でも理屈っぽくても、難しい魔法式でも、誰に対してもわかりやすく説明しようとするところも……生徒一人一人を、ちゃんと見ているところも……」
「……」
「厳しい校則の裏で、誰よりも学園を守ろうとしているところも……
そして時々、ふっと見せる……とても遠くを見ているような、その横顔も……」
「……」
「あなたの落ち着いた渋い低音ボイスも……あなたの澄んだ翡翠色の瞳も……片眼鏡が似合っているところも……あなたがどんな人生を歩んだのか、まったく知らないミステリアスなところも……」
「……」
言い出したら、自分でも驚くほど、言葉が止まらなくなっていた。
それもそのはずだ。だって私は、いつも遠くからあなたを見つめて、心の中であなたの好きなところを数えていただけなのだから。
「クッキーを頬張るときの、あなたのぷっくりとした頬も……こんな根暗な私にも、分け隔てなく接してくださる、その慈愛に満ちたところも……肩に触れそうなほど近い距離ですれ違ったときに、ふっと香る、あなたの匂いも…」
「あれ? ミレーヌ先生? 好きなところを語るのは……その辺で十分だと思うので……そろそろ告白に入った方が――」
ふと、魔法の通信石から、セレスティンの声が聞こえた。
その一言で、私はハッとする。
「ですから……わ、私が言いたいのは――」
一呼吸おいて、私は、とうとうこの言葉を口にする。
「……好きですポルナレフ先生。よろしければ、私と付き合ってください」
その言葉を言った瞬間、校庭に大きな風が吹き荒れた。
それはまるで、何かが始まる合図の風なのか――それとも、終わりを告げる風なのか。
魔法の通信石から、セレスティンとエリナの、小さな歓喜の声が聞こえる。
言うべきことはすべて伝えた。
もうこれ以上言うことはない。
あとは――ポルナレフ先生の答えを、待つだけ。
ポルナレフ先生は、なおも口を閉ざしたまま、沈黙していた。
けれど、やがておそるおそる、ゆっくりと口を開き――
「……嬉しいですな。あなたのような妙齢の婦人にそう言ってもらえるなんて……」
確かに、ポルナレフ先生は嬉しそうに微笑んでいた。
だが、その笑みには、純粋な喜びだけではない。
どこか哀愁を帯びた影が、静かに滲んでいるようにも見えた。
やがてポルナレフ先生は、ゆっくりと夕焼けの空へと視線を向ける。
「本日も香水は――“ルール・ブルー”をつけているんですな……」
私が身にまとっている香りを、迷いなく言い当てながら、ポルナレフ先生は言葉を続ける。
「……あなたを見ていると彼女を思い出す。どことなく面影があるとこも……」
「……“彼女”、ですか?」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
私にとって、不穏とも言えるキーワードが、ポルナレフ先生の口から紡がれた。
「私も歳を取った……年寄りらしく、昔話をしたくなるものですな」
一度、言葉を切り、軽く息を整えてから。
「……ミレーヌ先生。すまないですが、少し昔話に付き合ってもらえるでしょうか?」
「……“ポルナレフ先生の昔話”、ですか?」
私は、彼に想いを寄せながら――彼のことを、ほとんど何も知らなかった。
もちろん、好きだからこそ知りたいという気持ちは強かった。けれど、知りたくない気持ちも同じくらい強かった。
だって、すべてを知ってしまったらもうあの頃に戻れない気がするから。
――あの頃の、片思いの気持ちを、密かに楽しんでいた日々に。
それでも。
それでも、今の私なら。
「……聞かせてください。ポルナレフ先生の昔話を」
そう答えると、ポルナレフ先生はコクンと頷いた。
そして、ゆっくりとポケットに手を入れ、金色のペンダントを取り出す。
私の前に差し出されると、それはパチリと小さな音を立てて開いた。
「……この方は……!?」
思わず、息を呑む。
それは写真入りのペンダントだった。
中には、片眼鏡をかけた一人の女性が写っている。
かなり古い写真のようだったが、丁寧に手入れされているのだろう。
時の経過を感じさせながらも、その女性の美しさは、少しも色褪せていなかった。
「……彼女は、“妻”です」
ポルナレフ先生は、静かにそう告げる。
「十五年前から、このペンダントを、私は身につけていてね……」
――そこから、語られる。
ポルナレフ先生の過去が。
***
「……ダニエル」
今から十五年前。
ポルナレフ先生には、妻――ダニエル・ポルナレフがいた。
病床に伏せ、痩せ細ったその腕を、ポルナレフ先生は強く握っていた。
「あ……あなた……」
ダニエルさんの声は、驚くほど弱々しい。
その声を聞くだけで、残された時間が多くないことを、嫌でも思い知らされる。
二人の出会いは、そこからさらに十三年前に遡る。
出会いの場は、この学園だった。
当時、ポルナレフ先生は二十二歳。
教員見習いとして配属されたばかりで、ダニエルさんは、ポルナレフ先生の五歳年上の教師。
私と同じ錬金術系を教えていたそうだ。
意外にも、アプローチしたのはポルナレフ先生のほうだったという。
教員見習いとしてダニエルさんのもとで教えを受けるうちに、彼女に惹かれていった。
彼女は、今のポルナレフ先生と同じように校則に厳しく、職場恋愛には否定的だった。
――いや、もしかしたら。
今の厳しくも優しいポルナレフ先生は、ダニエルさんから受け継いだものなのかもしれない。
何度フラれても、ポルナレフ先生はめげることなく、想いを伝え続けたそうだ。
そして、ある日。
彼は、彼女に初めての贈り物を差し出した。
それが――
「ダニエル先生。この魔法の香水“ルール・ブルー”をあなたのために調合しました」
そう。今も、私が身につけているルール・ブルーだった。
「この香水は、時間帯によって成分が変化する仕様で――
日中は集中力を高め、夜には気持ちを落ち着かせる――リラックスを目的とした効能を……」
ポルナレフ先生は、一生懸命に成分の説明をしたという。
当時は、若かったこともあり、自分に振り向いてほしい一心で、つい話しすぎてしまったのだろう。
そして、当のダニエルさんの反応は。
「ありがとう。私のために調合してくれたのね……これ、是非使わせてもらうわ!」
それから彼女は、毎日その香水を纏うようになった。
そして、少しずつ二人の距離は縮まり、出会ってから三年後。
二人は結婚したのだ。
結婚後の二人は、穏やかで慎ましい日々を送っていたそうだ。
おしゃれや高価なものには無頓着で、休日も外へ出かけるより、一緒に錬金術に没頭する日々。
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同じ学園で働き、同じ分野を語り、時に意見をぶつけ合いながらも――最後には、必ず同じ結論へと辿り着く。
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逆に、無理をして倒れかけたダニエルさんを、ポルナレフ先生が不器用に支える。
そんな、当たり前で、かけがえのない日常を過ごしていた。
だが――
その日常は、ある日突然、終わりを告げた。
ダニエルさんの体調不良が続き、検査を受けた結果――原因不明の不治の病だと告げられた。
回復魔法をもってしても、進行を止めることはできなかったという。
それでもダニエルさんは、周囲やポルナレフ先生の反対を押し切り、最期まで教師であろうとした。
ベッドの上で論文を読み、学生の成績を気にかけ――
そして、いつものように、あの香水を纏っていた。
「……この香り、私本当に好きなの……あなたに貰ったときから」
病室に微かに漂う“ルール・ブルー”の香り。
それは、ポルナレフ先生が若き日に、恋心を込めて調合した香りだった。
「あなたが作ってくれたものだもの。私、これ……いつまでも大好きよ」
そう言って、ダニエルさんは微笑んだ。
そして、最期の時が近づいたある夕暮れ。
そう。今からあの十五年前に戻る。
あの日は、今と同じように、空が赤く染まる時間帯だったそうだ。
「……あなた」
「……ダニエル」
か細い声で名前を呼ばれ、ポルナレフ先生は、その手を強く握り返した。
「あ……あなた……」
ダニエルさんの声は、驚くほど弱々しい。
その声を聞くだけで、残された時間が多くないことを、嫌でも思い知らされる。
「あなたの……人……生は……まだ……続くわ」
息を整えながら、ダニエルさんはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「馬鹿を言うな! 一緒にだろう!? “俺たちの人生”は! 必ず治って――」
「……フフ。あ、なたらしく……ないわね……そんな現実、逃避……」
そして、彼女は、一度、息を吐いてから続けた。
「私は……十分、幸せだった。あなたから、たくさんの幸せをもらったもの」
「ダニエル!」
「だから……これからは、私以上に素敵な人に……あなたの幸せを、分けてあげて」
「……そして……なにより……あなた自身が、幸せになって」
「な、なにを言っているんだ……ダニエル?」
震える指先が、そっとペンダントに触れた。
「……でもね」
最後に、少しだけ、いたずらっぽく微笑んで。
「たまにでいいから……ほんの少しだけ、私のことを思い出してくれたら……嬉しいわ」
それが――
ダニエル・ポルナレフの、最期の言葉だった。
彼女が息を引き取ったあとも、ポルナレフ先生は、しばらくその手を離せなかったという。
そして十五年が経った今も。
彼は、その約束を胸に、あの金色のペンダントを身につけ続けている。
初めて贈り物をした、あの頃の彼女の写真を忘れないために。
そして、彼女の形見である片眼鏡を身につけ――
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