会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)

久留茶

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【10】決して惚れてなどいない

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 菜乃は目が覚めた途端ぴしりとその場で固まった。
 何故自分はベッドで五十嵐に抱き締められて寝ているのか。

 確か昨夜はいつかの時のようにベッドで眠る五十嵐を恨めしそうに眺めなら、ソファで眠っていたはずだ。

 テレビ側のソファに菜乃、壁側に五十嵐――そう並んで寝ていたはずなのに、気付けば背後から抱きしめられていた。
 菜乃は五十嵐を起こさないように菜乃のお腹をしっかりとホールドして眠る五十嵐の腕を、そっと外そうと手を掛けた。

 むに――

「△$∝*!!」

 途端自分のお腹に回されていた五十嵐の手が、あろうことか菜乃のお腹の肉をつまみ、菜乃は言葉にならない悲鳴を上げた。

「……柔けー……」

 五十嵐は寝惚け気味ながらも、菜乃の弾力のある肉の感触に味を占めると、むにむにと触る手を止めずに、お腹周り以外の太股にも手を滑らせた。

「や、やめんかーー!!」

 朝からアパートに菜乃の悲鳴のような声が鳴り響いた。


 * * *


 仏頂面で菜乃はテーブルに朝ごはんを並べた。
 チーズ入りスクランブルエッグにソーセージ。カッテージチーズを散らしたレタスサラダ。小松菜と油揚げの味噌汁に雑穀米。

 今日は既に二人分を用意した。
 菜乃と五十嵐は向かい合って食事を食べた。

「――それで、何故私はベッドで寝ていたんでしょうか? 昨夜はソファで寝たつもりなんですが……」
「夜中に目が覚めて、ソファで寝ていたお前を俺がベッドに運んで寝たから」

 しれっと五十嵐がソーセージを頬張りながら答えた。五十嵐の答えに、菜乃は箸に挟んでいた雑穀米を口に入れる直前でポロリと溢した。

「よく寝ていたから結構重かった。お前、今体重何キロあんの? 」
「昨日からちょいちょい思っていましたが、五十嵐さんにとっての私って何なんですか? 人権無視が過ぎません? 」
「手出してないんだから、いいだろ別に」
「手、出されてますけど!? 全然良くないです、アウトです! もう、今度ここに泊まる時用にルールブック作りますからね!? 」

 今後も五十嵐が泊まりに来ることを認めたような菜乃の発言に、五十嵐は味噌汁を啜りながらニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。

「泊まりに来ることは許してくれんだ」
「何を今更っ……! 出来れば来て欲しくはないです。だけど五十嵐さんの性格からして、嫌だと言ったって絶対来るじゃないですか」
「……ふぅん。ま、でも約束は約束だからな」
「こうなったのも全部五十嵐さんのせいなのに……」

 口を尖らせながら文句を言いつつご飯を食べる菜乃の姿が、夢に出てきた子ブタと重なった。

 (俺を見てブゥブゥ文句を言っていたのはコイツだったのか……)

 突然夢に子ブタが登場した瞬間、五十嵐の中で『何故子ブタ? 』と思ったが、五十嵐は目の前の菜乃をぼんやりと眺めながら、子ブタの正体が自分がイメージする菜乃だったのだということに、今更ながら気が付いた。


 消すことの出来ない手痛い過去の失恋。
 一人で寝る夜はいつもどこか空虚さを感じていた。
 晶以外の女と朝までベッドで過ごしても、目が覚めてそれが晶ではないことを知った時の絶望感。
 お酒を飲んだ夜は特にそれが如実に現れ、とても一人でいられる気がしなかった。


 だが、あの日。
 たまたまこっそりと一人で帰ろうとした菜乃に便乗し、帰ってきた日。

 飲み過ぎて吐くという失態を犯したが、菜乃に介抱され、寝落ちした翌日。
 本当に数年振りにスッキリとした気持ちで目を覚ました。

 酒を飲んで隣に女が居ない朝は久し振りだった。
 目覚めた時の絶望感は健康的な朝御飯の匂いに掻き消されていた。

 (見つけた――)

 五十嵐の心の奥底でそんな声が聞こえたような気がした。

 五十嵐にとって菜乃は恋愛対象ではなく、家族みたいに勝手に世話を焼いてくれる。お人好しで、つけ込みやすい。しかも性欲を刺激されない――だからこそ居心地がいい。

 五十嵐は自分の見た目も利用して、菜乃の人の好さに突け込んだ。

 そして最も重要視すること――性欲を掻き立てられず、抱かなくてもいい相手。

 五十嵐は菜乃の居る、この狭い6畳1Kのアパートに確かな安らぎの場を見出したのだった。



 * * *


「いや~、五十嵐から『マーケティング部の女達と飲みに行くから参加しろ』って言われて驚いたよ。小森さんどんなマジックあいつに使ったの? 」

 例によって人気ひとけの居ない遅めの昼食を社食で食べていると、この間知り合ったばかりのマーケティング部の田丸が両手に日替わり定食を携え、菜乃のいるテーブルへとやって来た。

「マジックでも何でもないですよ……」

 げんなりするように菜乃はチャーシュー麺を啜りながら相席してくる向かいの田丸にこうなった経緯を説明した。

「……ほーん。五十嵐、また君のアパートに泊まったんだ。それで何もなく朝を迎えて帰ってった、と。更には、これからも酒を飲む度に君の家に泊まることを条件に今回の飲み会を了承した、と」
「はい……」

 既に菜乃と五十嵐の事情を知っている田丸に、菜乃はこの間の件を隠すことなく全て話して聞かせた。

「小森さん、もしかして既に五十嵐に惚れてる? 」
「ほぁっ!?  そ、そそんなことあるわけないじゃないですか!! 」
「動揺、凄いけど」
「いやいやいや。これは、田丸さんがあまりにも的外れなことを言ってくるので驚いただけで。大体今の話でどこに私が五十嵐さんに惚れる要素があると? 」

 五十嵐にとっての自分は、散々小デブネタでからかわれ、女として見ていないから安心して楽に泊まれると言われる程度の存在でしかない。
 最初から五十嵐に恋愛対象外と線引きされているようなものだ。

 何より、今までの絡みから五十嵐の行動、言動で彼の人間性は充分理解したつもりだ。
 彼は無神経の固まりで女を軽視する謂わば女の敵。
 自分の見た目の良さを理解した上で女を惑わせ、それに乗っかる。
 つまりはクズ男。

 そんな相手に惚れていると勘違いされてしまっては堪ったもんじゃない。

 菜乃がそれを熱弁すると、田丸はあまりにも酷い五十嵐の言われ方に苦笑を浮かべた。

「だってさ? 本当に迷惑なら『警察呼ぶぞ』って脅してもいいところでしょ、それ。小森さん結局は渋々でも五十嵐の我が儘聞いてあげてるじゃん。しかもご飯まで作ってあげちゃってるし」
「けーさつ……」

 そこまで考えていなかった。
 今更ながら、自分の頭の悪さに呆れてしまう。

「まぁ、今は自覚なくても時間の問題かな。五十嵐を泊まらせて行くうちに何だかんだで絆されて、我が儘も可愛く思えるようになって、いつしか惚れてしまうってパターン。なんてったってあいつは顔がいいから」

 日替わり定食のアジフライをさくっとかじりながら田丸が淡々と冷静な分析を始めていく。
 流石マーケティング部所属。
 分析力は侮れない。
 だが、根本的に間違っている。

「絶っ対、五十嵐さんに惚れることはないです。そもそも私、この先誰とも恋愛する気なんてないですし。私みたいな陰キャデブスが恋愛すること自体、おこがましいというか……」

 過去の苦い記憶が一瞬菜乃の脳裏を過る。



 小学校時代。好きな男の子にバレンタインデーのチョコレートを勇気を振り絞って渡したことがあった。

 その男の子はどんな女子に対しても分け隔てなく、接してくれる優しい子だった。

 幼い頃からポッチャリめだった菜乃は意地悪な男子生徒からからかわれることが多かったが、その子だけはいつもその輪には入らず、寧ろ行き過ぎた男子の言動を嗜めてくれるような子だった。

 そんな子だったら、と引っ込み思案で内気な菜乃だったが、友達の猛烈なプッシュもあり、勢いに任せてその子にチョコレートを渡した。

 誰もいない帰り道。
 少し離れた後ろには仲の良い女友達が、菜乃の恋を応援するようにこっそりと姿を隠して見守っていた。

 小さくて太めの菜乃が、一層小さく身体を縮こまらせながら、その子へとチョコレートの入った紙袋を差し出した。

 しかしその子は菜乃の手からチョコレートを受け取らず、悔しそうな顔で離れた場所から二人を見守る友達に視線を向けていた。

「お前なんかじゃなくて……」

 ぼそりと男の子が呟いたのが聞こえた。
 その瞬間菜乃は分かってしまった。

 菜乃の好きだった目の前の男の子は菜乃と仲の良い女友達のことが好きだったのだと。
 菜乃に優しく接してくれたのは、菜乃がその女の子と仲が良かったからなのだと。

 確かに男の子が好意を抱く菜乃の女友達は可愛かった。菜乃とは全てが正反対のスラリとした細身の大きな瞳が印象的な女の子だった。

『お前なんかじゃなくて……』
 (私なんかが、好きになってごめんなさい)

 菜乃は恥ずかしさに死にたくなった。

 菜乃は『自分が誰かのお姫様になる日など決して来ない』と幼いながらに、この時悟った。

 頑張ればきっと今よりは痩せることが出来るかもしれない。
 だけど、顔は。生まれつきの顔はどんなに頑張ったって変えることが出来ない。
 身長だって両親共に低いから伸びるのは難しいだろう。

 その日を境に、その男の子が菜乃に話し掛けてくれることはなくなった。

 菜乃はそれから一層、自分の存在を隠すように生きるようになった。
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