会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)

久留茶

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【21】イタリアンシェフからのお誘い

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 あの日を境に、ぱったりと五十嵐は、菜乃のアパートに来ることはなくなった。

「――失恋したんだよね、多分……」

 平日の夜20時。
 菜乃は『脂肪燃焼効果抜群! 20分で痩せるヨガ』の動画を見ながら、ダイエットに励んでいた。

 五十嵐に告白し、一週間が経過していた。

『――悪い。頭冷やすわ』

 そう言ってアパートを去った彼を思い出す。
 あれが五十嵐との最後の会話になるのだろうか。

 じわり、と菜乃の目に涙が滲む。

「いや、いやいやいや! 良かったんだよ、あれで。だって、遊びで抱かれてたら、絶対もっと傷付いてたし……」

 本当に遊びなら、その場で適当なことを言って、無理矢理抱くことだって出来たろうに。
    五十嵐はそれをしなかった。

「やっぱり重たい女って嫌われるんだなぁ……。うん、勉強になった!」

 無理矢理ポジティブ思考に切り替える。
 今は落ち込みそうになると、ポジティブ思考に切り替えて、ひたすらダイエットに励んでいた。
 何かの目標に向かって取り組まないと、とてもじゃないが気持ちを保てない。

 ヨガのあと、菜乃は汗を流すために浴室へと向かい、そこに置かれた体重計に足を乗せた。

「え、55キロ……。ほんとに? 」

 目標のマイナス5キロを遂に達成した菜乃は、喜びの声を上げた。
 そして、洗面台の鏡に映る自分の姿をじっと見つめた。

 今迄たるんたるんだったお腹は、大分くびれが見える程に引き締まり、ふくふくしていた顔の頬もほっそりとし、肉で埋もれていた顔のパーツが、一つ一つはっきりと表面に浮き出たような……気がした。

「ちょっと、頑張ったよね……」

 目標体重は達成した。ならば、次に目指すのは標準体重だ。

「確か標準体重は、52.1キロ。ここからマイナス3キロかぁ」

 マイナス3キロ。簡単そうで簡単じゃない数値に、「もういいんじゃないかな」と少しだけ心が折れかける。

 だって痩せたってもう見返してやりたい人はいない。
 もう『可愛い』と言って欲しい人はいない。

 素っ裸のまま、菜乃がネガティブゾーンに突入しようとした時、絶妙なタイミングでピロン♪とLINEの着信音が菜乃の耳に聞こえてきた。

 菜乃は脱衣所のワゴンに置いていたスマホに手を伸ばした。

「あ、早乙女さんからだ……」

 あの日の飲み会以降、初めての早乙女からのLINEに、菜乃はドキンと胸が高鳴るのを感じた。

『新作メニューを考えたんだけど、菜乃ちゃんに食べて貰って、感想を教えて欲しいなぁ~』

 少し甘えるようなお願いの文章に、菜乃は早乙女の姿を思い出し、微笑んだ。

「了解しました、と」

 躊躇することなく、菜乃が言葉の入ったスタンプを送る。

 ピロン♪

 送信と共に、直ぐに既読と次のメッセージが送られる。

『ありがとう。それなら、今週の火曜日はどうかな? 閉店日なんだけど、仕事終わりに来てくれると嬉しいな』

「わ、返信早いな。え、と……」

『はい、大丈夫です。その日は定時に上がるので18時には行けると思います』
『OK。待ってるね』

 会話の締めに、早乙女から劇画タッチのゴリラが万歳して喜んでいるスタンプが送られてきた。

「ぶっ、あはは!」

 相変わらずシュールなセンスを見せる早乙女に、菜乃はその場で一人、声を上げて笑った。
 五十嵐からの失恋後、菜乃は初めて笑うことが出来たのだった。



 * * *


「何か今日、気合い入ってない? 」
「え、そうですか? 」

 仕事が終わる直前。
 パソコンの電源を切っていた菜乃に、小早川が興味深そうに声を掛けてきた。

「さてはデートと見た」
「そんなんじゃないですよ」
「嘘おっしゃい!」

 小早川は朝から何時もよりも念入りな化粧と、カジュアルよりかは少しよそ行きな菜乃のファッションを見て、ピンときていた。

「相手は五十嵐さん? 」
「ぜ、全然違います! 」
「あら、そう? この間の飲み会の時、ちょっといい感じに見えたけど」

 他人から発せられた五十嵐の名前に、菜乃の心臓がズキリと痛みを伴う。

「イタリアンレストランの早乙女さんから、新作メニューの試食を頼まれたんです」
「早乙女さん? ああ。確か私と席チェンジした時、隣に座っていたわね」
「はい。それで、私の食べっぷりが気に入ったらしく、今度レストランに食べに来て欲しいって、前から誘われてて……」

 五十嵐の傷を誤魔化すように、菜乃は早口で早乙女とのいきさつを小早川に説明した。

「ふーん。食べっぷりをねぇ……。小森さん、早乙女さんから狙われてるんじゃないの? 」
「そんなことあるわけないじゃないですか! 私ですよ? 」
「何言ってるの。今のあなた、結構いい感じにイケてるわよ。相変わらず私には及ばないけれど」
「そ、そうなら良かったです。一応、あれから頑張って自分磨きは続けているので……」

 自分を褒めてくれる小早川に対して、あんまり自分を卑下するのも申し訳ないと思い、菜乃は恥ずかしさに頭を掻きながら、素直に小早川の賛辞を受け止めた。

「ま、頑張りなさい」
「は、はい」

 色々な意味を込めて、ポンと小早川が激励するように菜乃の肩を叩いた。


 * * *


「ここかぁ……」

 スマホのお店情報を便りに、菜乃は早乙女の働くイタリアンレストランへとやって来た。

 お店の扉には『本日休業日』と札がかけられていた。

 菜乃は取りあえず、お店の扉に手をかけた。
 キィ、とまるで菜乃を待っていたかのように、扉は開いていた。

 その特別感に、少しだけドキドキ感を覚える。

 お店に入るとまず、天井から吊るされたオレンジ色の照明に、オレンジ色のソファが菜乃の視界に飛び込んできた。
 壁とテーブルはウッド調で統一されており、所々に配置された緑の観葉植物が、お店を一段とお洒落に見せていた。

「わぁ……」

 いかにもお洒落なイタリアンレストランの内装に、菜乃の瞳が輝いた。

「いらっしゃい。待ってたよ」

 そんな菜乃の横から声が掛けられる。
 店内のオレンジ色に合わせた茶色のコックコートに、膝丈の腰巻きエプロンを身に着けたシェフ姿の早乙女が、にこやかに菜乃を出迎えた。

「うわぁ……。格好いい……」

 思わず菜乃の口から本音が溢れる。

「ふふ。ありがとう。菜乃ちゃんにそう言って貰えると嬉しいな。さ、こっちにどうぞ。菜乃ちゃんの為だけのスペシャル席用意したから」
「は、はい」

 実にスマートなお出迎え。
 どこを取っても文句なしの落ち着いた大人の男。
 完璧な早乙女のエスコートに、菜乃はドキドキしながらも、どこか安心するような気持ちで席に着いた。

 スペシャル席だというテーブルには、他のテーブルには無い、オレンジのマリーゴールドが一輪飾られていた。
 そのさりげない演出に、思わず菜乃は照れ臭そうに微笑んだ。

「先にウェルカムドリンクをどうぞ」

 コトリとテーブルに置かれたのは、鮮やかな赤色のスパークリングワイン。

「ノンアルだから安心して」
「はい。じゃあ、頂きます」

 そう言って、菜乃はドリンクを一口こくりと口に含んだ。いちご味の滑らかでジューシーな甘さとほどよい酸味が絶妙で、飲んだ瞬間に幸せな気持ちが溢れた。

「んー♡美味しいです。飲んだあとに、いちごの香りがフワッと口の中に広がるのが堪らない」

 その美味しさに、菜乃はうっとりとしながらグルメレポートを開始する。

「ふふ。やっぱり菜乃ちゃんに頼んで正解だったな。リアクションとコメント百点満点」
「そんな……。なんか恥ずかしいです」

 ついついテンションが上がり、はしゃいでしまった自分の姿に、菜乃は恥ずかしさに、ほんのりと頬を赤く染めた。

「では、本日のメイン。新メニュー予定の『夏野菜のスパイシーパスタ』をどうぞ」

 菜乃の目の前に、真っ赤なトマトスープにふんだんに夏野菜を合わせた、彩り豊かなパスタがお披露目される。

「わぁ、見ただけで既に美味しいって分かります」
「じゃあ、それが本当か食べてみて? 」
「はい、頂きます! 」

 菜乃が一口パスタを口に入れる。
 予想通りの美味しさに、パァッと菜乃の顔に笑顔が浮かぶ。
 唐辛子の辛みに、少しだけ目を細め、辛みを消す為の焼きとうもろこしを口に入れる。
 その甘さに再び菜乃の顔に輝きが戻る。

 くるくる変わる菜乃の表情に、早乙女は無意識のうちに見入っていた自分に気が付いた。

「……菜乃ちゃんって、やっぱり凄くいい」
「はい? 何か言いました? 」
「ううん、何でもないよ。さ、冷めないうちに食べて食べて」
「あ、はい」

 再び菜乃パスタへと意識を向ける。
 美味しいと、全身で表現する菜乃の飾らない姿に、早乙女は内心感動を覚えていた。

 (これは、いつまでも見ていられるな――)

 居酒屋で彼女に感じた『素朴な魅力』を再び目の当たりにし、早乙女は一層菜乃への関心を強めたのだった。

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