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【26】幸せな恋
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「もう、二人してびしょびしょになってたら世話ないじゃないですか! 」
雨の中、執拗な五十嵐のキスを、無理矢理菜乃が制止すると、そのまま有無を言わさず、引っ張るように五十嵐をアパートへと連れてきた。
「折角持っていったバスタオルもぐっしょり濡れちゃうし……」
ぶつぶつ文句を言いながら、菜乃はバスタオルを手に、洗面所へと姿を消した。
数分後、部屋に戻ってきた菜乃は、その手に五十嵐の着替えを持っていた。
「今、お風呂沸かしたのでお湯溜まったら入っちゃって下さい。濡れた服も脱いで下さいね。私の大きめのTシャツとハーフパンツ貸しますんで」
テキパキと五十嵐の世話を焼く菜乃を、先程から五十嵐は静かな様子で眺めていた。
「あ、お腹とか空いてます? 簡単な物しか作れませんけど」
そう言って、再び立ち上がろうとした菜乃の腕を、咄嗟に五十嵐が掴む。
「いい。何もいらないから、……側に居てくれ」
「は、はい……」
懇願するように、ローソファに腰掛けていた五十嵐は菜乃を自分の隣へと座らせた。
暫しの沈黙が二人に訪れる。
五十嵐は大人しくなった菜乃に、ちらりと視線を向けた。
「――っ!? 」
菜乃を見た瞬間、五十嵐は思わず息を呑んだ。
菜乃は静かに泣いていた。
彼女の大きな瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
「お前……」
五十嵐が声を掛けると、菜乃は慌てたように手で涙を拭った。
「す、すいません。泣くつもりはなかったんですけど、なんか勝手に涙が出てきて、止まらなくて……」
菜乃の感情はぐちゃぐちゃだった。
数日前に告白したきり、とんと姿を現さなくなった五十嵐に、菜乃はとっくに振られたものだと思っていた。
気晴らしに早乙女の誘いを受けて、菜乃は新たな恋の予感にときめいた。
だけど――
五十嵐が、自分ではない他の女性とデートする姿を見て、再び心がざわついた。
ああ、もう本当にダメなんだ、と諦めた矢先。
彼は再び菜乃の前に姿を現した。
雨の中、駆け付けた菜乃を抱き締め、キスをしてきた。
さっきまで会っていた女の人とはどうなったのか。
どういうつもりで自分にキスをしたのか。
身勝手な五十嵐の行動に腹が立つのに、自分の存在を覚えていてくれたことを、嬉しいと思う自分もいて。
(なんだか既に愛人のような気持ちだ……)
菜乃は自分の情けさに呆れ果てた。
前に進みたいのに、進めない。
いっそ、きっぱりと振ってもらおうかと菜乃は考えていた。
考えて、それを口にしようと決めたのに、不意に涙が溢れてきて止まらなくなった。
五十嵐の一時のはけ口でいいなんて思わない。
彼が他の女性に向ける愛情が全部欲しい。
だけど、それを口にしてしまったら、この関係は終わるだろう。
菜乃はどうしたらいいのか分からず、ただひたすら涙を流していた。
「分からない……」
「え……? 」
ポツリと、困ったように、五十嵐が菜乃へと躊躇いがちに声を掛けた。
「俺にはお前がどうして泣いているのか、理由が分からない」
分からない自分を責めるように、苦しい思いを五十嵐は口にした。
そんな五十嵐を、菜乃は涙を流しながら静かに見つめていた。
「俺は、我ながら性格が終わってる。拗れに拗れ捲っているから、誰かの気持ちを汲み取るなんてことが、……多分出来ない」
ぽたり、と菜乃の目から涙が落ちる。
五十嵐が菜乃の頬に伝う涙を、自分の手で一粒ずつ丁寧に優しく拭っていく。
「だから……」
だから――、ごめん。と謝られるのだろうか。
こんな俺を受け入れて欲しい、と乞うのだろうか。
もしそうなら、自分はどう答えればいいのだろう。
それを受け入れれば、五十嵐は自分のもとに戻るだろう。
だけど、きっとこの先、自分は何度も傷付く。
それが分かって、菜乃のなかで僅かな絶望感が生まれる。
しかし、五十嵐の口から紡がれたのは、菜乃にとって思いも寄らぬ言葉だった。
「だから、俺に何でも言って欲しい。お前の気持ちを全て。全部ちゃんと受け止めるから」
五十嵐の真っ直ぐで真摯な眼差しが、菜乃を真正面から捉える。
彼の言葉に菜乃は驚きつつも、しっかりと彼の意思を汲み取った。
「全部……聞いてもいいですか? 」
「勿論だ」
「じゃあ――」
菜乃は腹を決めた。
この際、全部聞きたいことを聞こうと。
「今日の夜、駅近くのダイニングバーで五十嵐さんと女の人が二人で居るところを偶然見かけたんです。あの女の人は誰ですか……? 」
語尾が僅かに緊張で震えた。
菜乃の質問に、五十嵐は目を見開いた。
あの光景を見られていたのか、と。先に気付いたのは五十嵐の方ではなく、菜乃が先だったのかと。
自分もあの時の菜乃の状況を問いたかったが、先に自分が答えると言った手前、五十嵐は正直に晶との関係を話した。
「昔、付き合っていた女だ。俺と別れて他の男と結婚した。けど、俺が忘れられなくて、その男と別れたからやり直したいって話を持ち掛けてきた。そいつと再会したのは十日程前の話で。お前のアパートに最後に来た日だ」
あの日。
五十嵐の様子がおかしかったのは、そのせいだったのかと、菜乃はようやく理解した。
それほどまでに、五十嵐の気持ちを掻き乱す相手。
「綺麗な人だった……」
ポツリと菜乃が呟く。
「そうだな」
「凄く、お似合いでした」
元カノの美しさを否定しない五十嵐の態度に、菜乃の胸がツキリと痛む。
「だけど今日はっきりと、そのつもりはないと断ってきた」
「え? 」
どうして? と聞く前に五十嵐が続ける。
「ずっと、あいつと別れてから、あいつへの未練を引き摺っていた。あいつ以外の女なんて、皆一緒だと思っていた。だから、あいつがいない夜が、朝が酷く辛かった。とても一人じゃいられないほどに……」
ストン、と菜乃のなかで今迄の五十嵐の行動が腑に落ちた。
五十嵐は彼女と別れてからずっと、癒えない傷を抱えて苦しんでいたのだと。
一人で耐えられない夜を、他の女で穴埋めしていたのだ、と。
決してその行為は褒められたものではないが。
「だけど、俺にはもう、あいつは必要じゃないと気付いたんだ。俺はあいつを愛していた反面、それ以上に憎んでいた。あいつの口から復縁を迫られた時、正直いい気味だと思った。俺を裏切って他の男を選んだくせに、結局別れて、ざまぁねぇなって。誰がお前なんかと、もう一度付き合ってやるかよって……」
「……本当にそれで良かったんですか? 」
「え? 」
五十嵐の思いを受け止めながら、菜乃が彼の本心に問いかける。
「だって、凄く強がりに聞こえます。本当はずっと五十嵐さんのことが好きだったって言う元カノさんの気持ちを聞いて、嬉しいくせに。裏切られたことが悔しくて許せなくて、だから自分と同じ思いを彼女にさせてやりたかっただけで。……きっとまた彼女が恋しくなると思います」
菜乃がダイニングバーで五十嵐を見かけた時に、感じたこと。
菜乃はゆっくりと五十嵐に向かって口を開いた。
「五十嵐さん、凄く彼女を見る目が切なそうだった。見ているこっちが苦しくなるほどに」
彼は彼女のことが好きなんだと、本能的に感じてしまった。
だから、菜乃はショックだった。
しかし、そんな菜乃の言葉に五十嵐がすかさず反論する。
「違う! 俺はお前がっ!! お前が早乙女とダイニングバーの前で抱き合っている所を見て、居てもたっても居られなくなった。あの瞬間、晶のことなんて頭からすっぽり抜けていた。駆け付けて、引き離そうと思ったけど、あいつとキスして、その後で幸せそうに笑うお前を見てたら、身体が固まって動けなかった」
「あ、あれを見てたんですか……」
複雑な思いが菜乃を襲う。
好きな人の見ている前で、他の男性とキスをした。
菜乃はどんな表情をしたら良いのか分からず、咄嗟に五十嵐から目を反らした。
「ああ、見たよ。あの瞬間、頭が真っ白になった。お前が、また晶のように俺ではなく、他の男の所に行っちまうと思った瞬間、まるで世界が真っ黒に染まってしまったようだった。そこからはあまり記憶がない。とにかくお前を失いたくないって思って、なんとなくアパートまで来ちまった」
五十嵐の告白に、菜乃の心臓が小さくトクンと音を立てる。
「――なぁ、今お前を見ている俺はどんな顔してる? 晶を見ていたような顔をしているか? 」
そう言うと、五十嵐は菜乃の頬を両手で優しく包み込んだ。
ずるい、と菜乃は思った。
今の五十嵐の表情を口に出して言えというのか。
じっと、菜乃の瞳を捉えて離さない五十嵐の瞳が、熱い熱を持って菜乃の狼狽える姿を映している。
「――それよりも、もっと熱くて、私を……まるで好きだと言っているみたいです……」
自分で言って恥ずかしくなるが、それ以上に先程から忙しなく打ちつける心臓の音が煩くて、苦しくて、再びボロリと菜乃の瞳から大きな涙が溢れ落ちた。
「好きだ……。お前が好きだ。誰にも渡したくない。俺だけのものにしたい」
それは、一番聞きたかった五十嵐からの言葉。
「菜乃、俺のものになって。俺は菜乃しかいらない」
初めて五十嵐が菜乃の名を呼ぶ。
そのぶっきらぼうで不器用な五十嵐の、だけども真っ直ぐな愛の告白に、菜乃は胸がいっぱいになる。
「――もう一つだけ聞いてもいいですか? 」
菜乃が目に涙を溜めながら、五十嵐を仰ぎ見る。
「何?」
菜乃の質問を全部受け止めると言った五十嵐は、真剣な表情で菜乃に向き合った。
「私、この先もずっと五十嵐さんを好きでいてもいいですか? 」
菜乃の最後の質問に、五十嵐は思わず息を呑んだ。
『私、恋愛に疎くて、一度走り出したら、たぶん凄く沼ってしまう。滅茶苦茶面倒で重い女になります』
あの日の菜乃の言葉が五十嵐の脳裏を過る。
あの日答えてやれなかった答えを、五十嵐は菜乃に向かってはっきりと口に出して答えた。
「――いいに決まってる。面倒で重いくらいが俺には丁度いい」
「……ふふ、物好きですね」
五十嵐の答えに、菜乃は目にいっぱいの涙を溜めて、満面の笑みを浮かべた。
その破壊力抜群の笑顔に、五十嵐はなんだか泣きたい気持ちになった。
「好きだ。絶対離さない」
そんな重たい言葉を口にしながら、五十嵐は菜乃に引き寄せられるように口付けた。
(――困ったなぁ。きっともう私、この人から一生逃げられそうもないや……)
五十嵐からの愛情たっぷりのキスを受け、菜乃はそう心のなかで呟くと、観念したように、彼の首にそっと腕を回したのだった。
雨の中、執拗な五十嵐のキスを、無理矢理菜乃が制止すると、そのまま有無を言わさず、引っ張るように五十嵐をアパートへと連れてきた。
「折角持っていったバスタオルもぐっしょり濡れちゃうし……」
ぶつぶつ文句を言いながら、菜乃はバスタオルを手に、洗面所へと姿を消した。
数分後、部屋に戻ってきた菜乃は、その手に五十嵐の着替えを持っていた。
「今、お風呂沸かしたのでお湯溜まったら入っちゃって下さい。濡れた服も脱いで下さいね。私の大きめのTシャツとハーフパンツ貸しますんで」
テキパキと五十嵐の世話を焼く菜乃を、先程から五十嵐は静かな様子で眺めていた。
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そう言って、再び立ち上がろうとした菜乃の腕を、咄嗟に五十嵐が掴む。
「いい。何もいらないから、……側に居てくれ」
「は、はい……」
懇願するように、ローソファに腰掛けていた五十嵐は菜乃を自分の隣へと座らせた。
暫しの沈黙が二人に訪れる。
五十嵐は大人しくなった菜乃に、ちらりと視線を向けた。
「――っ!? 」
菜乃を見た瞬間、五十嵐は思わず息を呑んだ。
菜乃は静かに泣いていた。
彼女の大きな瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
「お前……」
五十嵐が声を掛けると、菜乃は慌てたように手で涙を拭った。
「す、すいません。泣くつもりはなかったんですけど、なんか勝手に涙が出てきて、止まらなくて……」
菜乃の感情はぐちゃぐちゃだった。
数日前に告白したきり、とんと姿を現さなくなった五十嵐に、菜乃はとっくに振られたものだと思っていた。
気晴らしに早乙女の誘いを受けて、菜乃は新たな恋の予感にときめいた。
だけど――
五十嵐が、自分ではない他の女性とデートする姿を見て、再び心がざわついた。
ああ、もう本当にダメなんだ、と諦めた矢先。
彼は再び菜乃の前に姿を現した。
雨の中、駆け付けた菜乃を抱き締め、キスをしてきた。
さっきまで会っていた女の人とはどうなったのか。
どういうつもりで自分にキスをしたのか。
身勝手な五十嵐の行動に腹が立つのに、自分の存在を覚えていてくれたことを、嬉しいと思う自分もいて。
(なんだか既に愛人のような気持ちだ……)
菜乃は自分の情けさに呆れ果てた。
前に進みたいのに、進めない。
いっそ、きっぱりと振ってもらおうかと菜乃は考えていた。
考えて、それを口にしようと決めたのに、不意に涙が溢れてきて止まらなくなった。
五十嵐の一時のはけ口でいいなんて思わない。
彼が他の女性に向ける愛情が全部欲しい。
だけど、それを口にしてしまったら、この関係は終わるだろう。
菜乃はどうしたらいいのか分からず、ただひたすら涙を流していた。
「分からない……」
「え……? 」
ポツリと、困ったように、五十嵐が菜乃へと躊躇いがちに声を掛けた。
「俺にはお前がどうして泣いているのか、理由が分からない」
分からない自分を責めるように、苦しい思いを五十嵐は口にした。
そんな五十嵐を、菜乃は涙を流しながら静かに見つめていた。
「俺は、我ながら性格が終わってる。拗れに拗れ捲っているから、誰かの気持ちを汲み取るなんてことが、……多分出来ない」
ぽたり、と菜乃の目から涙が落ちる。
五十嵐が菜乃の頬に伝う涙を、自分の手で一粒ずつ丁寧に優しく拭っていく。
「だから……」
だから――、ごめん。と謝られるのだろうか。
こんな俺を受け入れて欲しい、と乞うのだろうか。
もしそうなら、自分はどう答えればいいのだろう。
それを受け入れれば、五十嵐は自分のもとに戻るだろう。
だけど、きっとこの先、自分は何度も傷付く。
それが分かって、菜乃のなかで僅かな絶望感が生まれる。
しかし、五十嵐の口から紡がれたのは、菜乃にとって思いも寄らぬ言葉だった。
「だから、俺に何でも言って欲しい。お前の気持ちを全て。全部ちゃんと受け止めるから」
五十嵐の真っ直ぐで真摯な眼差しが、菜乃を真正面から捉える。
彼の言葉に菜乃は驚きつつも、しっかりと彼の意思を汲み取った。
「全部……聞いてもいいですか? 」
「勿論だ」
「じゃあ――」
菜乃は腹を決めた。
この際、全部聞きたいことを聞こうと。
「今日の夜、駅近くのダイニングバーで五十嵐さんと女の人が二人で居るところを偶然見かけたんです。あの女の人は誰ですか……? 」
語尾が僅かに緊張で震えた。
菜乃の質問に、五十嵐は目を見開いた。
あの光景を見られていたのか、と。先に気付いたのは五十嵐の方ではなく、菜乃が先だったのかと。
自分もあの時の菜乃の状況を問いたかったが、先に自分が答えると言った手前、五十嵐は正直に晶との関係を話した。
「昔、付き合っていた女だ。俺と別れて他の男と結婚した。けど、俺が忘れられなくて、その男と別れたからやり直したいって話を持ち掛けてきた。そいつと再会したのは十日程前の話で。お前のアパートに最後に来た日だ」
あの日。
五十嵐の様子がおかしかったのは、そのせいだったのかと、菜乃はようやく理解した。
それほどまでに、五十嵐の気持ちを掻き乱す相手。
「綺麗な人だった……」
ポツリと菜乃が呟く。
「そうだな」
「凄く、お似合いでした」
元カノの美しさを否定しない五十嵐の態度に、菜乃の胸がツキリと痛む。
「だけど今日はっきりと、そのつもりはないと断ってきた」
「え? 」
どうして? と聞く前に五十嵐が続ける。
「ずっと、あいつと別れてから、あいつへの未練を引き摺っていた。あいつ以外の女なんて、皆一緒だと思っていた。だから、あいつがいない夜が、朝が酷く辛かった。とても一人じゃいられないほどに……」
ストン、と菜乃のなかで今迄の五十嵐の行動が腑に落ちた。
五十嵐は彼女と別れてからずっと、癒えない傷を抱えて苦しんでいたのだと。
一人で耐えられない夜を、他の女で穴埋めしていたのだ、と。
決してその行為は褒められたものではないが。
「だけど、俺にはもう、あいつは必要じゃないと気付いたんだ。俺はあいつを愛していた反面、それ以上に憎んでいた。あいつの口から復縁を迫られた時、正直いい気味だと思った。俺を裏切って他の男を選んだくせに、結局別れて、ざまぁねぇなって。誰がお前なんかと、もう一度付き合ってやるかよって……」
「……本当にそれで良かったんですか? 」
「え? 」
五十嵐の思いを受け止めながら、菜乃が彼の本心に問いかける。
「だって、凄く強がりに聞こえます。本当はずっと五十嵐さんのことが好きだったって言う元カノさんの気持ちを聞いて、嬉しいくせに。裏切られたことが悔しくて許せなくて、だから自分と同じ思いを彼女にさせてやりたかっただけで。……きっとまた彼女が恋しくなると思います」
菜乃がダイニングバーで五十嵐を見かけた時に、感じたこと。
菜乃はゆっくりと五十嵐に向かって口を開いた。
「五十嵐さん、凄く彼女を見る目が切なそうだった。見ているこっちが苦しくなるほどに」
彼は彼女のことが好きなんだと、本能的に感じてしまった。
だから、菜乃はショックだった。
しかし、そんな菜乃の言葉に五十嵐がすかさず反論する。
「違う! 俺はお前がっ!! お前が早乙女とダイニングバーの前で抱き合っている所を見て、居てもたっても居られなくなった。あの瞬間、晶のことなんて頭からすっぽり抜けていた。駆け付けて、引き離そうと思ったけど、あいつとキスして、その後で幸せそうに笑うお前を見てたら、身体が固まって動けなかった」
「あ、あれを見てたんですか……」
複雑な思いが菜乃を襲う。
好きな人の見ている前で、他の男性とキスをした。
菜乃はどんな表情をしたら良いのか分からず、咄嗟に五十嵐から目を反らした。
「ああ、見たよ。あの瞬間、頭が真っ白になった。お前が、また晶のように俺ではなく、他の男の所に行っちまうと思った瞬間、まるで世界が真っ黒に染まってしまったようだった。そこからはあまり記憶がない。とにかくお前を失いたくないって思って、なんとなくアパートまで来ちまった」
五十嵐の告白に、菜乃の心臓が小さくトクンと音を立てる。
「――なぁ、今お前を見ている俺はどんな顔してる? 晶を見ていたような顔をしているか? 」
そう言うと、五十嵐は菜乃の頬を両手で優しく包み込んだ。
ずるい、と菜乃は思った。
今の五十嵐の表情を口に出して言えというのか。
じっと、菜乃の瞳を捉えて離さない五十嵐の瞳が、熱い熱を持って菜乃の狼狽える姿を映している。
「――それよりも、もっと熱くて、私を……まるで好きだと言っているみたいです……」
自分で言って恥ずかしくなるが、それ以上に先程から忙しなく打ちつける心臓の音が煩くて、苦しくて、再びボロリと菜乃の瞳から大きな涙が溢れ落ちた。
「好きだ……。お前が好きだ。誰にも渡したくない。俺だけのものにしたい」
それは、一番聞きたかった五十嵐からの言葉。
「菜乃、俺のものになって。俺は菜乃しかいらない」
初めて五十嵐が菜乃の名を呼ぶ。
そのぶっきらぼうで不器用な五十嵐の、だけども真っ直ぐな愛の告白に、菜乃は胸がいっぱいになる。
「――もう一つだけ聞いてもいいですか? 」
菜乃が目に涙を溜めながら、五十嵐を仰ぎ見る。
「何?」
菜乃の質問を全部受け止めると言った五十嵐は、真剣な表情で菜乃に向き合った。
「私、この先もずっと五十嵐さんを好きでいてもいいですか? 」
菜乃の最後の質問に、五十嵐は思わず息を呑んだ。
『私、恋愛に疎くて、一度走り出したら、たぶん凄く沼ってしまう。滅茶苦茶面倒で重い女になります』
あの日の菜乃の言葉が五十嵐の脳裏を過る。
あの日答えてやれなかった答えを、五十嵐は菜乃に向かってはっきりと口に出して答えた。
「――いいに決まってる。面倒で重いくらいが俺には丁度いい」
「……ふふ、物好きですね」
五十嵐の答えに、菜乃は目にいっぱいの涙を溜めて、満面の笑みを浮かべた。
その破壊力抜群の笑顔に、五十嵐はなんだか泣きたい気持ちになった。
「好きだ。絶対離さない」
そんな重たい言葉を口にしながら、五十嵐は菜乃に引き寄せられるように口付けた。
(――困ったなぁ。きっともう私、この人から一生逃げられそうもないや……)
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