カルチェドーニオの心臓

楢川えりか

文字の大きさ
9 / 10
PART 4

2

しおりを挟む
「君はやっぱり俺を、おいていくんだ」
 荒い息のミケーレはそう、空っぽになった部屋で呟いた。体調が悪いと言っていたはずのテオの荷物はすっかり片づけられて、まるで今朝まで彼がそこにいたのは夢だったかのように、彼の痕跡はなくなっていた。
「ねえ、テオ。テオは俺の隣じゃだめだったんだね」
 ぼんやりとそう呟いて、朝方まで抱きあっていたベッドに腰かける。
 ミケーレはもぬけの殻になった宿を見て、船着場まで走った。そうして今日の本土への便はもう出港したのだと知ったあとだった。
 テオは、ミケーレには秘密にしてこっそり旅立ったのだ。たぶん最初からずっとそのつもりで。
 でも、本島で再会する前とは違って、その理由もなんとなくわかるような気がして、それが悲しかった。テオは、自分の家族にもよく懐いていた。彼は、ミケーレの家族を悲しませるようなことはしたがらないはずだ。
 それくらい、もっと前にわかっているべきだったのに。
「俺はまた、君のことをちゃんと見ることができていなかったんだ」
 ミケーレは夕日に照らされた部屋の中に、失われてしまった恋人の面影を探す。
『おまえじゃだめだってことじゃないんだ。僕じゃだめだってことなんだ』
 テオは、そんなことを言っていた。
『僕のことを忘れて、奥様を大切にして、たくさん素晴らしいガラスを作って、ちょっとは贅沢もして、おじさんもおばさんも大切にして、みんなの望みどおり国家に貢献するのが一番いいんだ』
 数日前に投げかけられたその言葉が思い起こされて、ミケーレの胸を刺した。確かに、それは間違いなく自分の望みだ。自分はテオと違って、外国に行きたいと思ったことは一度もない。さっき死刑を見て怖くなったのも、家族のことが不安になったのも本当だ。
 ミケーレの頰を、ぽろぽろと涙が滑り落ちていく。テオが見透かしたとおり、自分にとってはこの方がいいのかもしれなかった。けれど、テオがいなかったら生きていけないのに、彼は、そのことだけは信じてくれなかった。
「なんで、信じてくれなかったの。俺は君がいなくちゃだめなのに!」
 そう叫んだ、ミケーレの言葉に答える声はもうない。
『……ああ、おまえの愛は乱暴だなあ』
 そう囁かれたことを思い出す。だけど、それは嫌ではないとも言ったのに。
 おいていかれて、自分はこれからどうなるのだろうとミケーレは思った。
 もうここにいる必要もなくて、きっと、今日か明日の便で故郷に帰るしかない。家族の元へ。テオがいない以外は、死ぬまで変わりばえのしない小さな、閉ざされた牢獄へ。
 今朝まで、永遠に失うと信じていたその故郷は美しく見えていたけれど、今後一生暮らしていく世界なのだと思うとミケーレは絶望した。
 あのふるさとが美しかったのは、君がそこにいたからなのに。
「愛してるよ、テオドシウス」
 ミケーレは首元から紐を引きずり出して、その先のガラスに口づけた。彼の手に唯一残った、愛しい人の作ったフィリグラーナのペンダント。
「……ねえテオ、俺は誰とも結婚しないよ。君が言うように、お見合いはきちんと断る。父さんの立場もあるから、ちゃんと気をつける。
 それでいつか、父さんも母さんも死んで、工房は誰かに任せられるようになって、心配ごとは何もなくなった未来に、俺は絶対君を探しにいく。だから、君は、国中の誰もが知っている仕事をして。俺は、あれを作った会社の人はどこですかって聞いて歩くから」
 ミケーレは泣きながらなおも続けた。
「本当に、本当に、探しにいくよ。だから、ね、俺を待ってて……」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

その日君は笑った

mahiro
BL
大学で知り合った友人たちが恋人のことで泣く姿を嫌でも見ていた。 それを見ながらそんな風に感情を露に出来る程人を好きなるなんて良いなと思っていたが、まさか平凡な俺が彼らと同じようになるなんて。 最初に書いた作品「泣くなといい聞かせて」の登場人物が出てきます。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。 拙い文章でもお付き合いいただけたこと、誠に感謝申し上げます。 今後ともよろしくお願い致します。

鬼は精霊の子を愛でる

林 業
BL
鬼人のモリオンは一族から迫害されて村を出た。 そんなときに出会った、山で暮らしていたセレスタイトと暮らすこととなった。 何時からか恋人として暮らすように。 そんな二人は穏やかに生きていく。

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

僕たち、結婚することになりました

リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった! 後輩はモテモテな25歳。 俺は37歳。 笑えるBL。ラブコメディ💛 fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。

幸せな復讐

志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。 明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。 だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。 でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。 君に捨てられた僕の恋の行方は…… それぞれの新生活を意識して書きました。 よろしくお願いします。 fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。

この恋は決して叶わない

一ノ清たつみ_引退騎士
BL
元勇者のおっさんが、ただの何でも屋だと偽って現役の勇者達と旅に出るお話。 ???×おっさん 異世界から連れて来られたいたいけな勇者や生意気な騎士達の面倒を見させられてうっかり好かれてしまうし、昔の仲間やペット、宿敵にまでにちょっかいをかけられたりしておっさんも大変です。 ダメ親父を気取ってはいますが、本当はかっこよかったのです。 ※8万字程度 ※ぐいぐい来る若者(?)にたじろぐおっさん ※タイトル回収は最後、メリバ気味ですので本当にご注意ください ※ライト気味なBLでストーリー重視 ※pixivやムーンライトノベルズ様にも掲載中 ※執筆が前すぎて一人称

繋がれた絆はどこまでも

mahiro
BL
生存率の低いベイリー家。 そんな家に生まれたライトは、次期当主はお前であるのだと父親である国王は言った。 ただし、それは公表せず表では双子の弟であるメイソンが次期当主であるのだと公表するのだという。 当主交代となるそのとき、正式にライトが当主であるのだと公表するのだとか。 それまでは国を離れ、当主となるべく教育を受けてくるようにと指示をされ、国を出ることになったライト。 次期当主が発表される数週間前、ライトはお忍びで国を訪れ、屋敷を訪れた。 そこは昔と大きく異なり、明るく温かな空気が流れていた。 その事に疑問を抱きつつも中へ中へと突き進めば、メイソンと従者であるイザヤが突然抱き合ったのだ。 それを見たライトは、ある決意をし……?

処理中です...