あの頃の思い出は、いつまでも呪いのように。

gresil

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思い出の崩壊

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 その翌日、色んな迷いや葛藤を抱いたまま出勤した。とはいえ、以前暗い気持ちのまま仕事をしていても周りに迷惑を掛けるだけだと学んでいるので、出来るだけ平常心を心掛ける。

「出禁・解・禁でーす!!」

 最近は聞きなれた元気のいい声が薬剤部に響いた。

「あら? 白石さん、珍しいわね」

 氷川さんが冷静に声を掛ける。

「ふっふっふ。やっと早坂主任から許可が下りたんですよー」

 それに対し、白石さんはドヤ顔で応えた。

「……なるほど。毒を視界から追いやったのね」

 白石さんはそんな氷川さんの呟きを無視して俺の元へやってくる。

「鷹司さん! 今度は私の方から会いに来れるようになりましたよ! これでたくさん逢瀬を重ねられますね!」
「人目に付いたら逢瀬とは言わないんじゃないか? それにあんまりそういうこと言わないでもらえるかな? ただでさえ俺たち噂になってるみたいだし……」
「えー? じゃあ、噂じゃなくて本当に付き合っちゃいます?」
「ただでさえ他部署のやつらからチクチク言われてるんだから、これ以上は勘弁してくれよ」
「はあ……まあ、そうなりますよね……」

 当たり前だ。仮にも本当に付き合ってしまったら、白石さん狙いの連中から本気で攻撃されかねない事態になり得る。だったら小言を言われて躱し続けている方がまだマシだ。

 それに今は、あまり白石さんのことを構っている余裕がない。

 昨日の結婚式の後に思い出してしまった感情は、とても白石さんには相談できそうにはなかった。もしかしたら今までの協力してもらったことが全て無駄になる可能性だってある。
 とりあえずこの感情の整理がつくまでは、白石さんに二人のことを相談する気にはなれなかったし、少しだけ距離を置いていたかった。

「んー? なんか鷹司さん、なんか元気ないです?」
「いや、別にそんなことはないと思うけど」

 出来るだけ平静を保っていたつもりだったが、何か察するところがあったのだろうか。

「お悩みなら私が相談に乗りますよっ!」

 白石さんは両手をグッと握って身を乗り出す。

「本当に何もないから気にしないで」

 俺は愛想笑いを浮かべて誤魔化した。

「……そう、ですか……分かりました」

 以前もそうだったが、白石さんはとても察しいい。俺が何かに悩んでいることには気付いているが、それでもここは身を引いてくれたんだろう。

「鷹司くん」

 そしてもう一人、察しがいいを通り越したエスパーのような人から声が掛った。俺はそちらに視線を向けると、氷川さんは左手の人差し指をピンっと上に立てていた。
 あれは「今夜飲みに行くわよ」の合図だ。そういえばここ最近はめっきり誘われなくなっていたな。碧生は今夜行われる勉強会のスポンサー企業として参加しなくてはいけないと言っていたからちょうど俺の予定は空いている。
 俺は右手で作ったグッドのサインを氷川さんに送った。これは承諾を示す合図だったが、拒否の合図は存在しない。

「なんですか!? そのサインみたいのは!?」

 白石さんは驚いた様子で俺と氷川さんを交互に見る。

「ただ飲みに誘われただけだけど……?」

「あー……なるほど。私はもうお払い箱なんですね……捨てられてしまうんですね……」

 確かに今回の件に関しては遠からず適切な表現だとは思う。

「いや、上司命令だし」
「大丈夫です。分かってますよ」

 白石さんはそう言うと、氷川さんに一瞬だけ冷たい視線を送り、そのまま薬剤部を後にした。



 そして仕事終わりに俺と氷川さんはいきつけのバーへ行った。

 新人の頃から仕事で失敗して落ち込んでいる時や、相談したいことがある時とかによく連れてきてもらっているところだった。いつものカウンターに腰を掛ける。

 氷川さんはマスターの矢部さんにマティーニを注文していた。マティーニとはジンとベルモットを合わせ、そこにオリーブを添えたカクテルでアルコルール度数も高め。氷川さんが俺の相談に対して本気モードの時にいつも頼んでいるものだった。それを見た俺は同じものを注文する。

「それで? 今回は私に話があるんじゃないのかしら?」

 氷川さんはマティーニを一口飲み、電子タバコをふかす。

 本当になんでも見透かしているような人だ。確かに俺は氷川さんに相談をしようと思っていたが、なんかうまく言葉にならない。とりあえずパッと思いついた言葉を吐き出す。

「そうですね……何から話したらいいいか分からないんですけど、とりあえず……どうやったら大人になれますか……?」

 そう言いながら俺もマティーニを一口飲んだ。くっ……喉が焼けそうになるな……。初めて飲んだが、慣れないのに無茶をするものではないと後悔をする。俺にはまだ早かった。

「思っていたよりも漠然とした悩みがきたわね。何故そのようなことを思ったのかしら?」
「昨日……友人の結婚式だったんですよ。そこで数年ぶりに同窓生たちと再会して、みんな大人になってるなあって実感したんです」
「例えばどんな?」
「結婚を考えて彼女と同棲していたり、すでに子供を育てて二人目を予定していたり。昨日の新郎なんかは元々結婚なんて興味がないやつだったんですよ。それが話してみたら考え方まで全然変わっていた……」
「その話だと鷹司くんにとって、結婚をしたり子育てをすることが大人になるということなのかしら? だとしたら未婚の私も子供、ということになるのだけど?」
「いや……そういうことじゃない、と思います……」
「じゃあ、どういうこと?」

 こうやって自分自身で問題に向き合わせるのが氷川さんのやり方だった。

 だから俺は――――自分の本当の感情に、向き合わなくてはいけない。

「俺はそんな彼らを見て、羨ましいとか俺もそうなりたいとかは全く思っていないんですよ。何もない。自分の将来なんて何も考えていない。何も考えられない。そんな自分が、怖い、んだと思います」
「そう。じゃあ鷹司くんは仕事に対しても何の目標も持っていないというのね?」
「そんなことはないです! 治験業務にも携わってみたいと思っていますし、ゆくゆくは救命認定薬剤師の資格も取りたいと思っています!」
「あら? まだ数百人程度しか持っていない高度な資格も視野に入れているなんて立派じゃない。ということは、自分の将来についてちゃんと考えているんじゃないかしら?」
「でも、それとこれとは別の話じゃ――」
「同じよ。何も変わらない。かくいう私も結婚については特に何も考えていないわね。私に釣り合う男がいなさ過ぎて何も考えられないわ。そんな私と鷹司くんの間にそれほどの違いがあるとでも?」

 やはりすべて見透かされている。こんな上辺だけの感情を述べたところで、俺の欲しい答えをもらえるわけがないのだ。それでもまだ、どこか逃げ道を探している。

「気持ちは分かるわよ。そのくらいの歳になると、どうしても周りと自分を比較してしまう。学生のころと比べて、その違いが顕著に出てしまうものね。でも比較してもいいことはないわ。自分に合ったペースでやればいい。そこで焦る必要なんてどこにもないわ」
「焦ってる……わけではないと思います……」
「そうでしょうね。年齢的に大人になっていても精神的には子供のまま。俗にいうピーターパン症候群なんて言葉があるけど鷹司くんはそうじゃない。一般的な常識は持ち合わせているし、仕事の覚えも早くて良くできる。周りへの気遣いもあり、責任感や向上心もある。私から見たら、鷹司くんは立派な大人だと言えるわね」
「なんか……氷川さんにそんなに褒められるのは初めてですね……」
「ええ、私は貴方をとても高く評価しているわ。だから周りの評価も問題じゃない。鷹司くん自身が――――何故、自分を大人になりきれない子供だと思っているかよ」

 ああ――――やっぱり逃げられないな、と思った。

 これはいい加減、腹を括らなくてはいけない。
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