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一章
奴隷商
しおりを挟む深夜。
ぱちり、と少女は瞼を開いた。
そこには眠気は一切ない。しばらく前から、覚醒していた。
「八番……いや、エルナ。あんたなら、ああ言ってくれると思った」
エルナのおかげで、部屋の外で寝る大義名分が出来たのだ。逃げるなら今日しかない、と少女は決意していた。
夜陰にまぎれて屋敷の敷地内の外に出た。娼館街の路地を小柄な陰が走り抜ける。
(あと少し、あと少しで……外だ)
街は大きな壁で囲われているので、出入り口は八方にある門しかない。そのうちの一つに、少女は前々から狙いを定めていた。門番の男が片方、夜になるといないことが多いのだ。だからといって、残ったもう一人をどうにかできる保証もないのだが、少女にはどうでも良いことだった。
喧騒を抜ける。
門はすぐ見えている。
(行くんだ、私は。この世界の外へ………)
思った通り、門番は一人しかいない。
少女は高揚していた。
何が起きても、
どうなったとしても、
この世界から逃げ出してやる。
少女の心は、自由、だった。
――しかし、
「そんなに急いで、どこに行こうというのだい?」
あと少し、というところで掛けられた声に、少女は足を止めてしまった。
(なんで、どうして・・・ここに・・・)
どっと溢れ出したのは冷たい汗だった。
体が、心が、とてつもない速さで冷めていく。
「悪い子だね。僕から逃げようとするなんて」
コツコツ、と石畳を響かせて背後から近寄ってくる男を、少女は振り返ることすらできない。
「そんなに」
優しげな声が真横から聞こえてきて、少女はびくり、と体を震わせた。
「死に急いでどうする?」
ぐい、と無理矢理後頭部を掴まれ、至近距離で瞳を覗き込まれる。
奴隷商人ダリル・バイロウは、長身の痩せ型の男だった。丸眼鏡の奥の瞳は、柔和な印象を人に与えるが、男の本質は真逆であることを、少女は身をもって知っていた。
「ここから出てどうする?」
男が笑う。
「何をしたいんだ?言ってみろ」
柔らかな微笑み。まるで妹に語りかけるように。
「ないだろ?お前にはなあんにもないんだ。なあにも」
癇癪を起こした子供の機嫌を取るように、男は少女の頭を撫でた。
「美しくもない。賢くもない。力もない。人望もない。そんなお前に、生きる価値などあると思うか?」
完全に俯いてしまった少女に、男は満足げな表情をした。
「分かったら、馬鹿なことは考えないで戻りなさ「価値は、」
それは、小さな声だった。しかし、男は神経質そうに、眉を上げた。少女が、男の話を遮るは、初めてだった。
「価値はないのかも知れない、だけど・・・私の命だ」
少女は、ぎらぎらと輝く瞳で男を睨みつけた。
「生き方くらいは、選んでやる。私は、逃げない」
「おかしなことを言うね。私の命?・・・はは、奴隷の命は、主人のものだよ・・・お仕置きが必要なようだ」
大きく振りかぶられた右手。
握られた拳が近づくのを、少女は歯を食いしばりながら睨んだ。
(絶対に、何があっても、目を逸らさない)
鈍い音が暗闇に響き渡る。
しかし、備えていた衝撃が起きずに少女は混乱する。
「……だ、誰……?」
いつの間にか、少女とダリルの間に、長身の男性が割り込んでいたのだ。辛うじて引っかかっていたフードが滑り落ち、日に焼けた精悍な顔があらわになる。少女は目を見開いた。
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