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一章
男
しおりを挟む「はあ……これだから馬鹿とガキは嫌いだ」
浮かべていた空々しい笑みを消して、ダリルは言った。
「一時の熱情に浮かされるな。現実を見ろ。ここから逃げる?そうなれば二人まとめてお尋ね者だ。いいか、ここは歓楽都市。国の認可を得ている。つまり、私を敵に回すというのは、この国を敵に回すと同義だ」
ダリルは、苛々とした様子で唾を少年に吐き捨てた。
「損得で考えろぉ、大人になれ……正しいことが全て正しいとは限らないだろォ?……親は?兄弟は?友達は?恋人は?人生を棒に振るな」
「ふーん、商人らしい価値観だな。俺とは違う」
少年はこれ見よがしに、両拳をボキボキと鳴らした。
「つーことで、ま、ちょっと寝ててくれよ」
少女は見えていなかったが、なんとも凶悪な笑みを浮かべて少年は言った。しかし、結果的に、ダリルは気絶させられることも、少年たちがお尋ね者になることもなかった。
「待て。お前は顧みな過ぎる。悪癖だぞ」
落ち着いた男の声だった。
暗闇の中から現れた男は被っていたフードを落とす。現れたのは、妙齢の偉丈夫だった。
「バイロウ殿、愚息の非礼をお詫びする」
「おい、オヤ・・・ち、父上、こんな奴に頭下げる必要・・・」
ない、と少年は続けたかったのだろうが、それは叶わなかった。
その「父上」に、羽交い締めにされたのだ。完全に締まっている。バシバシとその逞しい腕を叩く少年はとても苦しそうだったが、男は全く力を緩めないどころか、笑顔でダリルに話しかけた。
「はは、このように私も手を焼いておりましてね。子とは、親の思う通りには育たないものですな」
「・・・・・英雄殿の御子息です。理想が高いのでしょう」
ダリルは人好きのする笑みを浮かべた。その声音は、今まで聴いたことがないものだった。
(・・・・あのダリルが、警戒している?・・・この人、一体何者・・・?)
「ほう」
男は、少しばかり驚いた表情を作った。
「私の顔を知っているのか」
「・・・ご謙遜を。貴方様のことを知らない人間はこの国にはいないでしょう。救国の英雄、ヴィクトル・リンドハーゲン公爵」
(・・・リンド、ハーゲン・・・)
何故かその名に、心が騒つく。
(・・・どこかで、聞いたような・・・いや、そんなはず、ない)
少女はこの街しか知らない。
この街の外には国があって、国の外にもいくつかの国がある。それぐらいしか、知らないのだ。それはもちろん、少女が無関心だと言うことではない。奴隷には必要のない情報だ、ということ。ただ、それだけの話だ。
「それで君、いくらほしいのかね」
「は・・・?」
脈絡のない問いかけに、ダリルは当惑する。
「いや、ここで会ったのも何かの縁、と言う話だよ」
男がこちらに視線を送ろうとしたので、少女は咄嗟に少年の影に隠れた。その行動の理由を彼女は説明できないが、何故か、男に見られるのが・・・怖かった。
「おや、怯えさせてしまったか」
鷹揚な様子で肩をすくめる男に、ダリルは薄く笑みを浮かべる。
「さすがは国の英雄。哀れな奴隷の少女を金で救うとは。さぞ美談になることでしょう」
その発言に、少年は首が絞まっていることを忘れ、掴み掛かろうとした。勿論、さらに首が締まるだけだったが。
「ははは。言っただろう、縁だ、と。そしてこの縁は、彼女が掴み取ったものだ」
その言葉に、少女はびくり、と体を震わせる。
「だから、君に聞いているのだ。いくら欲しいのかね?」
払う金は、少女の命の価値ではない。
手切金として、ダリルに渡すのだと言う男に、奴隷商人ダリルは、内心、侮蔑した。この手の綺麗事を言う人間のことを、彼は軽蔑していた。しかし、彼は商売人。すぐに割り切って、この場で出せる最大の利益を考える。勿論、今後の関係に響かない中で最大の、である。それでも、多少割増になったのは、彼も人間だということだろう。
ダリルは、公爵がこのボロ雑巾のような少女に出す金を惜しむことを期待したのだ。しかし、
「ふむ、ではその三倍だそう」
その一言に叫び声をあげたのは、当の少女だった。
「な・・・ば、馬鹿なの!?」
「馬鹿とはひどいな」
言葉とは裏腹に、満足げな様子で男は小切手を書き、ダリルに渡した。やっと解放された少年は、不貞腐れた顔で首をさすっている。
「さて、それではもうここには用はないな。門の外に馬車を待たせている。ルド、手を引いてやれ」
「おう」
目まぐるしく動いていく状況に、ついていくことが出来ずに固まる少女の腕を、少年がしっかりと握りしめた。半ば引きずられるように歩く少女が我に返ったのは、街の門が目の前に迫ってからだ。
(・・・この門を、本当に、くぐる日が来るなんて・・・)
全く実感は湧かないが、生きてこの街を出られるらしい。
その事実に、泣きたいような、笑いたいような、叫び出したいような、忙しい感情の嵐に襲われて、上手く息ができない。
「・・・きゃ、あ!」
突如、世界がぐにゃりと回り、慌てて何かを掴むと、それは少年の外套だった。少女は少年に抱き上げられていたのだ。
「な、何するのよ・・・!」
「ん?疲れてんのかと思って、迷惑だったか?」
邪気のない返答に、少女は押し黙る。
背後で会話を聞いていた男は、思わず吹き出してしまった。
「・・・な、なんなのよ、あんたたち、おかしいわ、ぜったい、おかしい・・・」
ぶつぶつ、とそう口の中で繰り返す少女に、少年は苦笑した。
「あー・・・まあ、オヤ・・・父上は、変わり者だからなあ。何で、とか、どうして、とか思うのはよく分かるが、考えても多分分かんねえと思うからやめた方がいいぞ。あ、これ実体験な」
「・・・・」
「お前、なんか失礼なこと考えてんだろ・・・そういうの雰囲気で分かるからな」
見た目に反して、少年は意外と繊細な性質らしい。
そうこう言っているうちに、一行はついに街の外までたどり着いた。街灯の下に、一台の馬車が停まっている。御者が恭しく扉を開けた。
少年は少女を先に馬車に乗せると、奥につめろ、という仕草をした。渋々それに従う。向かい合わせに、公爵が座っていた。その静かな眼差しから逃げるように俯いた、その時。
「……っ!」
公爵がいきなり少女の両肩を掴み、食い入るように少女の顔を覗き込んだ。この時、公爵は初めて少女の顔を見たのだ。怯えた少女は知る由もないが、公爵は信じられないものを見たのだ。
「おい、親父。そいつ怯えてんぞ。何してんだよ」
呆れたように声をかける息子に応えを返すこともできず、震えた声で公爵は少女に問いかけた。
「君……名前は、あるのか……」
その声が、あまりにも真剣で、痛いほどの真摯さを持っていたので、ついに少女は顔を上げて、男の顔を見た。車内の室内灯に、少女の顔が照らさせる。
白い髪、翡翠色の瞳。
通った鼻筋、それは既視感がある。
痩せ細った身体。
そして意志の強そうな眦……それはどこか、男に似ていた。
「名前なんて、ない」
「………………そうか。すまない、少し、首筋を見せてくれないか」
その一言に、少年は戸惑いの視線を父親に向ける。しかし、少女は、驚愕の表情を浮かべた。どうして、知っているのだろうか。ここにおかしな模様のあざがあることを。
「……」
どうあっても逃してくれなさそうな視線に、少女は渋々首元の服を引き下げた。
あらわにあった折れそうなほど細い首元。
そこには、薄紫色のあざのようなものがあった。何か、意味のある紋章のようにも見て取れる。少女はこのあざを見ていると、昔からぞわぞわとした得体の知れない不快感に襲われた。
ぽた、
何か、雫のようなものが落ちた音がして、そして、それが目の前の男からだと気づくと、少女は瞠目した。
男が、静かに涙を流していた。
「……お、親父……?」
公爵は、片手で自らの顔を覆った。
「神よ……」
そう呟いて、それきり黙り込んでしまった男に、少年と少女はただ、戸惑うことしか出来ない。
静かに時間が流れる。
長いようで、実のところそこまで長くもなかったのだが、二人にとっては居心地の悪い時間だった。少年は心配と困惑。少女にとっては、ただただ、困惑だった。
「……すまない、君はただでさえ、状況に着いていけずに困惑しているだろうに」
「……」
「君は、私の……」
公爵が何事かを言いかけたその時、にわかに馬車の外が騒がしくなった。
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