僕が冒険者を辞めなかったのは

香澄京耶

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ep2 冒険者

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 ウルネの森は王都から比較的近い場所にある。
 
 徒歩で二時間程度。
 足の速い借り馬なら、三十分程度だ。
 でも、もし死なせてしまった時の補償金を考えると、なかなか借りられない。

 でも今日は、瞬きの間に森へついてしまった。
 
「レグルスさん、スクロールは使わないでくださいって、いつも言ってるじゃないですか。」
 いつもより少し強めに言って見上げても、レグルスの態度は変わらない。

「そうだったか?」
 素知らぬように言う横顔は感情が読めなかった。
 撫で上げた黒檀色の髪に、赤錆色の瞳。傍目には冷たく見える。けれど、見た目の印象と違うのはよく知っていた。

「お礼をしたくてもできないんです。」
 我ながら理由が情けない。
 でも意地を張っても仕方がない事だ。名を馳せている彼に渡せるものなんて、僕は持っていない。
 
「……移動時間が浮いただろ。晩飯、仄月亭がいい。」
 お手頃で美味しい食事処だ。僕の宿屋でもある。
 
「はい!今晩行きましょう!良いお肉が手に入ったって、今朝、仄月亭のご主人が言ってました。」
「そうか。――楽しみだ。」
 ふと柔らかくなった目元に嬉しくなる。
 この瞳が優しく揺らぐのを見ると、それだけで心が暖かくなる。

 レグルスが寝不足を押してついて来てくれたのだから、早めに依頼を終わらせて夕食にしたい。
 
 いつもより気合いを入れる。
 彼には、何度礼を言っても足りない恩がある。
 恐らく彼の中で僕はまだひよっこのままだから、きっと心配して着いてくるなんて言ってくれたんだろう。
 
「今日の依頼は、レオルの葉と、キアヌの実、ヒースの根。それと、ポネの実と、雀々草、ポーション素材一式と――」
 
「随分、依頼が増えたな。」

 頭に手を乗せられて、誇らしくなる。

「はい。最近、ガネルさんも世間話をしてくれるようになりました。」
「あの頑固親父が。」
 驚いたように少し目を見開かれて、ふふと笑う。
 ガネルは、薬品を取り扱う店の店主で、とても無愛想だ。
 納品を重ねるうち、最近は会話をしてくれるようになって嬉しい。

「凄いでしょ。」
 胸を張ると、頭の上に乗った手のひらがぽん、と二度上下に動いた。
 頑張ったな、と言われた気がして顔が綻んで――感じた気配に気を引き締める。

「レグルスさん、魔物が5キロ圏内にいます。……中型、たぶんグリズリーかも。」
「了解。」

 一瞬でピリッとした空気を纏う彼は、本当に冒険者らしい。
 
「お前の索敵能力には感心する。」
「持ち上げないでください。こちらに向かって来ています。……4キロほど先ですね。」

「近いな。こちらから仕掛けるか。」

 簡単に言う彼に怖いものなんてあるんだろうかとふと思う。
 グリズリーは俊敏な動きと凶暴さで嫌煙されていて、Cランクパーティーでも苦戦すると聞く。
 
 普段なら避けて採取のみに徹するのだけど。
 定期的な獲物がないとレグルスが退屈してしまう。

「南の方角にはランドウルフの群れがあります。どちらの方が興味ありますか?」
 問い掛ければ、にやりとした顔を返された。強者の表情だ。

「どっちも狩るか。いずれ依頼が来そうだしな。」

 準備運動のように軽く首を回す彼の仕草は自然で、ひとかけらも気負ったような様子がない。

 ふと、視線を向けられた。

「――ランドウルフ、大丈夫か。」

 この人はどこまでも優しい。

「大丈夫です、乗り越えました。」

 あなたのおかげで、という言葉はあえて口にしなかった。
 あの時の記憶は、決して忘れていない。

「……前を向けているな。」
「はい。」
 
 力強くそう返せるようになったのも、彼のおかげだ。

「行くぞ。」
「はい! ――直線で2キロ程度までグリズリーが迫っています。
 多分、風下なのでこちらに気づいたかと。速い。……飢えているかもしれません。」

「待っていれば勝手に来そうだな。」
 静かに剣に魔力が纏われるのを見て、呼吸を合わせる。
 魔力の濃度を上げて彼に纏わせた。

「防御と速度、威力増強です。……すみません、これ位しかできなくて。」

「上等だ。お前はもう少し自分の認識を改めろ。」

 まっすぐ前を見つめながら、レグルスがそんな事を言う。
 そうやって彼が励ましてくれるから、少しでも叶う自分でありたくて努力してきた。

「もうひとつ。――持続回復。」

 ふわりと薄緑の膜がレグルスの身体を覆う。
 驚いたようにこちらを見た彼の目に悪戯心を覚えて笑った。

「最近ようやく形になりまして。」

「上等どころじゃないな。」

 可笑しそうに笑う顔が珍しくて、覚えた甲斐があったと思う。
 ありがたい事に、僕には回復系統の才能があったらしく、これ位はできるようになって少し誇らしい。
 
「――来ます。あと1キロ。」

「行く。」

「はい!目眩しを使います。」

 瞬時に走り抜けていく背中を見ながら、見えた獣の姿に手元で構成していた魔法を放つ。
 単なる光の魔法だ。
 それでも、一瞬の隙を作れる。コントロールは得意な方だった。

 グリズリーの鼻先で大きな光が弾けて、怯んだ一瞬を逃さずにレグルスの一刀が容赦なく振り下ろされた。
 獰猛なグリズリーの巨体が、咆哮とともに地に横たわったのをみて興奮する。

 ――まさか。一太刀で!
 
 手のひらを叩いて喜びたくなるのを堪えた。
 心の中では拍手喝采だったけども、それを現実にするとヒーローを目にした男児のようであまりに幼い。

「……流石です!」
 それでも声に気色が乗るのは堪えられない。

「サポートが良かったからな。」
 何でもないように言う彼は、間違いなくトップランカーの顔をしていた。
 なんでもない顔で魔物を屠る、その姿に目が離せなくなった。
 絵姿が売られているのも頷ける。

 言葉を重ねようとして、違う気配が動いて止める。

「レグルスさん。グリズリーの咆哮でランドウルフ達がこちらに気づきました。」
 
「距離は。」
「8キロほど。」
「少し遠いな。血でも撒くか。」
「いえ、すでに嗅ぎつけているようです。少し興奮して隊列が乱れて――」
 つきり、とこめかみが痛んで頭を振る。

「“視すぎた”か。」
 気遣わしげな声がありがたい。
 全ての事情を知っている彼は、いつもこうして気遣ってくれる。
 
「……はい、多分。すみません。」
「十分だ。」

 頭に手を置かれてにやりと笑われる。

「見てろよ。」
 前を向く横顔に、自然と視線が揃う。
 いつか、“蒼牙の刃”のように、隣に立てるくらい強くなってみたいと思った。
 
 それはとても無謀な夢なのだけど。
 
 それよりも、今はランドウルフだ。
 開けた土地に移動したから、こちらに向かってくる群れもよく見える。

 腰が引けそうになる身体を踏ん張って立て直す。

 今でも、ランドウルフは苦手だ。
 一人で出くわすと、それだけで手が震える。
 
 けれど、隣に立つ背中を知っている。
 それだけで、足は前に出る。

「――足止めします。」

 50メートルほどに迫った群れに麻痺の魔法を展開する。
 ――2匹、逃した。
 追加で練り上げた魔力を手で制される。

「お前が頑張りすぎると、俺の出番がなくなる。」

 走り抜けたレグルスは簡単に2匹を切り捨てて、動き始めた残りの5匹も仕留めていく。
 本当は、連携の取れるランドウルフの群れなんて面倒な対象なのに。
 レグルスの手にかかれば楽な作業のように見えてしまうのが不思議だ。

 剣についた血を払う仕草が格好いい。
 
「お疲れ様です!凄いです、レグルスさん!」
 きらきらとした目線を向けすぎたのかもしれない。レグルスの視線が逸れた。
 
「……そろそろ、採取するか。」
「はい。10キロ圏内に魔物の気配はないようです。」
 
「分かった。素材を回収しておくから、何かあれば声をかけてくれ。」
「ありがとうございます。」

 普段は魔物を刺激しないように採取をするのに、今日は気にせず採取できる。
 とてつもなく凄い環境だ。

「お昼ご飯、これを食べてください。」
 
 作っておいたランチボックスとスープの入った魔法瓶を渡すと、目が細められた。

「お前の飯は久しぶりだな。」
「……そうですね。レグルさんが食べると分かっていたら、もっとちゃんと作ったんですけど。」
「今度、作ってくれ。」
「はい。ぜひ。」

 以前の恩も計り知れないのに、そんなことを望んでくるレグルスは本当に優しい人だ。
 
 小さな魔物は都度レグルスが応戦してくれた。
 大型の魔物は夜行性が多い。今朝の対処で十分だ。
 魔物を気にせず採取ができたお陰で、掘り起こしに時間のかかる希少なものも豊富に手に入れられて、感謝しかない。

 ぐう、と鳴ったお腹をさする。
 そろそろ暗くなりそうになってきた空に、背を伸ばす。――少し、集中しすぎたかもしれない。

「……レグルスさん、そろそろ。」

 振り返った先、不機嫌そうな表情が見えて肩がはねた。

「お前、自分の飯を俺にやったんだな?予備もないのに。」
「それは……」

 何に怒っているか分からずに肩をすくめた。
 粗食すぎたんだろうかと思ったけども、そもそもそんな狭量な人でもない。

「あの、美味しくなかったですか?ごめんなさい。」
「違う。美味かった。……お前が今まで何も食べてないなんて、思い当たらなかった。悪かった。」
「いえ、そんなこと。」
 
 昼食一つなんてどうでもいいと言える雰囲気ではない。
 手首を掴まれて、どうしていいか分からず目を瞬いた。

「早く飯を食いに行くぞ。お前はもう少し太らないと、魔物が一つ攻撃してくるだけで死にそうだ。」
 難しい顔をしているのに、内容はひどく優しくて笑った。
 
「そうですね。レグルスさんにそんな心配はかけたくないので――っえ?またスクロール?!」

「俺は無駄なことが苦手だ――諦めろ。」

 ふわっと広がる光に、どうお礼をしていいのか分からずに悩む。
 
 手助けされるばかりで、隣にはまだ立てない。
 それでも、同じ方向を見られるだけで、少し救われる。
 
 憧れの背中は、出会った頃と変わらず遠い。

 遠くて、憧れる背中だ。
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