心の檻を開ける鍵

宝月 蓮

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ヴァランティノワ公爵家の双子

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『ええ! サシャ様とセシル様、どちらがヴァランティノワ公爵家を継ぐかまだ決まっていないのですか!? じゃあ私、サシャ様と結婚しても公爵夫人になれないかもしれないということなのですね!? 公爵夫人になれないのなら、サシャ様と一緒にいる意味はありませんわ。せっかく容姿と身分が良いから近付いたのに』
 十歳の頃、サシャは親しいと思っていた男爵令嬢からそう言われた。
 好ましいと思っていた相手から言われたので、サシャのショックは大きかった。
(何だよ、それ。容姿と身分以外、俺には価値がないということなのか?)
 それ以降、サシャは自身に近付く女性をあまり信用出来なくなってしまった。
 近付いて来る女性とは適当に弄ぶような付き合い方をするようになり、サシャは評判を落とす。
 しかしサシャはそれで良いと思っていた。
(どうせ女性は容姿と身分しか見ていないんだ。俺が適当に扱ったって、ばちは当たらない)
 サシャは軽薄な笑みを浮かべた。そのサファイアのような青い目は、どこか冷たかった。





♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔





 ナルフェック王国の冬は寒くて暗い。社交シーズンでない冬の王都アーピスは、少し静かだった。
 しかし、十三歳から十八歳までの貴族の子女が紳士淑女教育や科学技術などの専門教育の為に通うラ・レーヌ学園はそこそこ賑やかである。
 長かった聖誕祭クリスマス休暇を終え、生徒達が学園に戻って来たのだ。

「ねえサシャ様、次のお休みの日、わたくしと新しく王都に出来たカフェに行ってみませんこと?」
「お、アラベル嬢、休日に王都のカフェとかお洒落じゃん」
 ラ・レーヌ学園の廊下にて、サシャと呼ばれた令息はアラベルという令嬢から呼び止められて軽薄な笑みを浮かべている。
 時間は昼休み。丁度昼食を終えた頃である。
「俺、領地から学園に戻って来て俺王都はご無沙汰だから、嬉しいお誘いだな。休日、暇だから楽しみ」
 軽薄そうな笑みのまま、サシャはアラベルの肩を抱いた。

「ちょっとサシャ様、次の休日は私とオペラに行くって約束したではありませんか!」
「ええ? エーヴ嬢とは聖誕祭休暇前にオペラに行った気がするんだけど」
 サシャはエーヴという令嬢に対して軽薄な表情のまま眉を八の字にする。

「ちょっとサシャ様、聖誕祭前に一緒にオペラに行ったのはわたくしですわ」
「え、ジネット嬢だった? ごめん、すっかり忘れてた」
 今度はジネットという令嬢に対して軽く謝るサシャである。
「まあとにかく、エーヴ嬢はまた今度ね。ジネット嬢も、また予定が合えば遊ぼうよ」
 サシャはエーヴとジネットにヘラヘラと軽薄な笑みを向けた。

「ちょっとサシャ、貴方いい加減にしなさい!」
 そこへ、凛とした鋭い声が響き渡った。
 サシャの目の前に現れたのは、ラ・レーヌ学園では珍しい軍服姿の令嬢である。令嬢は両腕を組み、サファイアのような青い目でキッとサシャを睨んでいる。
 軍服姿の令嬢を見た瞬間、サシャは面倒臭そうな表情になった。
「セシル、一体何の用?」
「何の用? じゃないわよ! 聖誕祭前に貴方が弄んだブリサック男爵家のリュシー様からの苦情が何度も私に来ていて迷惑しているの!」
 セシルという令嬢は、物凄い剣幕でサシャを責め立てた。
 サシャは面倒臭そうにため息をつく。
「そんなの適当にあしらっとけば良いだろう。それに、弄んだなんて人聞き悪い。向こうから誘われて俺はそれに答えただけ。本気になられても困るのに」
「そういうわけにはいかないわよ! サシャ、貴方の身勝手な振る舞いのせいでヴァランティノワ公爵家の評判が落ちてお父様やお母様、それから領民達に迷惑がかかったらどうするの!? 
それに、貴方は次期当主としての教育も真面目に受けずにいるし!」
 眉間に皺を寄せ、サシャを睨んでいるセシル。
「ああ、もう、セシルは煩いなぁ。真面目過ぎると人生損するぞ」
 サシャはセシルを小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「お、ヴァランティノワ公爵家の双子兄妹きょうだい、また喧嘩しているぞ」
「サシャ様とセシル様、同じヴァランティノワ公爵家に生まれたのに正反対ですのね」
「ヴァランティノワ公爵家の次期当主はまだ決まっていないと聞いているが」
「普通に考えてセシル様になると思いますわ」
「セシル様、相変わらず軍服姿がお似合いですわ。凛としていて格好良い……!」
「そう言えば、どうしてセシル様は軍服姿なのでしたっけ?」
「僕、剣術の訓練場でセシル嬢と一緒になった時に聞いたことがあります。何でも、動きやすいからだそうです」
「サシャ様もセシル様を見習えば良いのに。異性にだらしないなんて、貴族令嬢の敵だわ」
「でもサシャ様のあのお顔で迫られたら、思わず頷いてしまうのも納得だわ」
「サシャ殿、無駄に容姿が良いからな」
 サシャとセシルの様子を見て、ラ・レーヌ学園の生徒達はそう口にする。
 セシルに対してうっとりとした表情を浮かべている令嬢達、サシャに対して呆れつつもその整った容姿に思わず見惚れてしまう令嬢達もいた。

 サシャ・フロリアン・ド・ヴァランティノワ。今年十七歳になるヴァランティノワ公爵家長男だ。
 サラサラとしたアッシュブロンドの髪にサファイアのような青い目で、長身かつ非常に整った顔立ちである。

 セシル・ロマーヌ・ド・ヴァランティノワ。サシャと同じく、今年十七歳になるヴァランティノワ公爵家長女。サシャの双子の妹である。
 真っ直ぐ伸びたアッシュブロンドの髪をシニョンにしてまとめ、サファイアのような青い目。女性の中では長身の方で、凛とした顔立ちだ。目元が少しサシャと似ている。

「セシル、そんなに怒ってたら幸せが逃げるぞ」
 相変わらず小馬鹿にしたような笑みで、サシャはセシルの眉間の皺をグッと親指で押す。
「サシャ……貴方……」
 セシルの声は一段と低く冷たくなった。まるで氷のナイフのようである。
(あ、これは危険かも……)
 サシャにとってセシルはずっと家族として一緒に過ごしている双子の妹。
 現在明らかにセシルの逆鱗に触れたことを察知し、サシャは口元をピクリと引きつらせた。
「本当にいい加減にしなさい!」
 拳を振り上げたセシル。
 サシャに殴りかかろうとしていた。
「セシル様、おやめください!」
 しかし、そんなセシルを止めた者がいた。
 か細いながらも必死に張り上げられた令嬢の声が響く。

 ふわふわとしたストロベリーブロンドの長い髪。くりっとして大きな、アメジストのような紫の目。そのアメジストの目は潤んでいる。陶磁器のような白い肌はきめ細かく、触れたら柔らかそうである。
 華奢で小柄なその体で必死にプルプルと震えながら、女性の中では割と長身であるセシルを止めていた。
 その姿は、どことなくヴァランティノワ公爵領で見るうさぎを彷彿とさせる。
 レースがふんだんにあしらわれたピンクのAラインドレスがよく似合う令嬢だ。

「マリエル……」
「今セシル様が暴力を振るえば、セシル様が悪者になってしまいますわ。わたくし、そんなの嫌です」
 マリエルと呼ばれた令嬢は、アメジストの目を潤ませながら上目遣いでセシルを懇願するように見つめていた。
(……この子、いつからいた? ……いや、最初からセシルの後ろにいたな)
 サシャはセシルに怒鳴られた時のことを最初から思い出していた。

 確かにこのマリエルと呼ばれた小柄でうさぎのような令嬢は、セシルの後ろに不安そうな表情でいたのだ。

「そうだったわね、マリエル。止めてくれてありがとう。この学園には『いかなる場合でも暴力を禁止する』という校則があったわね」
 振り上げた拳を下ろし、セシルはため息をついた。
「危なかったわ。こんなに人が見ているのだし。サシャに手を上げないようマリエルを連れて来て正解だったわね」

 ラ・レーヌ学園内で暴力行為に及んだ場合、軽くて停学、重くて退学という処分が下される。

「初めまして。君はどちら様かな? 俺はサシャ。サシャ・フロリアン・ド・ヴァランティノワ。セシルの双子の兄で第五学年だ」
 サシャはマリエルに対してニコリと笑う。
 大抵の令嬢はサシャのこの笑みに見惚れてしまう。
 しかし、目の前にいるマリエルはサシャに見惚れた様子はなく、ただ少し戸惑ったように肩をピクリと震わせていた。
 やはり、うさぎのようである。

「えっと、フォワ伯爵家長女、マリエル・クレマンス・ド・フォワと申します。学年は、第五学年です」
 小柄なので上目遣いになっている。
 潤んだアメジストの目が、サシャに向けられていた。
「ああ、同じ学年だね。よろしく、マリエル嬢」
 サシャはスマートに手を差し出す。
「えっと……よろしくお願いします」
 マリエルは恐る恐るサシャの手を握る。

 白く柔らかいマリエルの小さな手は、冬の気温のせいなのか冷たかった。

「マリエル嬢、手が冷たいね。大丈夫?」
 サシャはそっと屈み、はあっと息をかけてマリエルの小さな手を包み込む。
 そして、そっとマリエルの白く小さく柔らかな手にキスを落とした。

「ひっ……!」
 マリエルは驚き、ビクビクしながら後ずさる。
「ちょっとサシャ! マリエルに何をしているの!?」
 セシルは勢い良くサシャからマリエルを引き離した。
「何って、軽い挨拶のつもりだけど? ね、マリエル嬢」
 サシャは軽薄に笑い、マリエルに目を向ける。
 セシルに抱きしめられるようにして守られているマリエルは、少しだけプルプルと震えていた。
「マリエル、大丈夫? ろくでなしの兄が本当にごめんなさい!」
「いえ、セシル様。その、少し驚いただけですから」
 マリエルはアメジストの目を潤ませながら肩をすくめた。
 チラリとほんの少し、怯えたような目でサシャを見る。
(おっと、これは怖がらせた感じだな)
 サシャは苦笑する。
 きっとマリエルとはもう関わることはないだろう。
 サシャはそう思うのであった。
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