心の檻を開ける鍵

宝月 蓮

文字の大きさ
2 / 5

放課後の図書室にて

しおりを挟む
 この日の全ての授業が終わり、放課後になった。
 ラ・レーヌ学園は他国からの留学生以外の生徒は各家の王都の屋敷タウンハウスから馬車で通学している。
 放課後になると、各家からの迎えの馬車が来るまで生徒達は思い思いの過ごし方をしているのだ。
 サシャはヴァランティノワ公爵家からの迎えの馬車を待つ間、何となく一人で図書室へ行ってみようと思った。

(程良く暇つぶしが出来る面白い本でもないかな?)
 サシャは本棚から本を手に取っては戻してを繰り返している。
 普段あまり本を読まないサシャ。
 どの本が有名で面白いなどはほとんど分からないのだ。
(良い感じの本、ないな……)
 サシャは持っていた本を本棚に戻し、図書室を出ようとした。
 その時、図書室の奥にある本を読んだり勉強をしたりするスペースに、とある令嬢を見つけた。

 ふわふわとしたストロベリーブロンドの髪に、大きくてくりっとしたアメジストの目。白磁のきめ細やかで柔らかそうな肌で、小動物や人形を彷彿とさせる可愛らしい顔立ち。
 マリエルである。

 マリエルは分厚い本を読みながら、ノートに何かをメモしていた。
 アメジストの目は、真剣である。絶対に何かを成し遂げようとする強い意志が感じられた。

(マリエル嬢だ。何やってるんだろう?)
 サシャは少し気になった。
 しかしこの日の昼休み、自分がマリエルに何をしたかを思い出す。
 マリエルに自己紹介をし握手をした際、サシャはマリエルの手にキスをした。
 冷たく柔らかな感触をよく覚えており、サシャは思わず自身の唇を指で触れた。
 マリエルはサシャから手にキスをされたことに少し怯えていた。
 双子の妹セシルに守られながら、プルプルと震えるマリエルの姿。潤んだアメジストの目。
 やはり、ヴァランティノワ公爵領で見たうさぎを彷彿とさせた。
(マリエル嬢は、きっと周囲から大切に守られて育てられたんだろうな。……俺なんかが関わるべき存在じゃない)
 フッと自嘲し、サシャはそのまま図書室を出ようとした。
 しかしその時、マリエルと目が合った。
 マリエルの潤んだアメジストの目は、しっかりとサシャを捉えており、まん丸に見開かれていた。
(あ……目が合った……)
 ここで目をそらして図書室を出るのも何だか変なので、サシャはニコリと笑いマリエルの元へ向かう。

「やあ、マリエル嬢。何をしているんだい?」
 なるべく軽く明るめの声を出すサシャ。
「えっと、少し調べ物を……」
 そんなサシャに座ったまま少し後ずさりをしつつ、マリエルは答える。
「あの、セシル様なら剣術の練習をしに、訓練場にいらっしゃると思いますが」
 どうやらマリエルはサシャがセシルを探していると思ったらしい。
(俺、怖がられていみたいだな。そんなに俺にいなくなって欲しいって意味なのか?)
 サシャは内心自嘲する。
「知ってるよ。別に俺はセシルを探しているわけじゃないけど」
「左様でございましたか。それは失礼しました」
 マリエルは肩をすくめた。
 サシャはマリエルの向かい側に座る。
 マリエルはそんなサシャに少し戸惑っていた。
 そのアメジストの目は、サシャと分厚い本を行ったり来たりしており反応に困っているようだ。
(うわ、マリエル嬢、困ってるな)
 サシャは苦笑する。
「マリエル嬢、その、今日は悪かったね。昼休みの件」
「あ……」
 マリエルの白磁の頬に紅がさす。昼休み、サシャから手にキスをされたことを思い出したようだ。
 アメジストの目は潤んでいる。
「その、少し驚いただけですから」
 マリエルは眉を八の字にして肩をすくめた。
「そっか。……マリエル嬢、何読んでるの? その本、物凄く分厚いけど」
 会話を終わらせるのも気が引けたので、サシャは何となく質問してみた。
「化学の専門書です。特に、鉄の酸化反応について詳しく書かれています」
 マリエルはそっと専門書を閉じて、自身の顔の前に持って来た。
 マリエルが読んでいた専門書は、マリエルの顔よりも大きくて分厚い。
「うわ……難しそう」
 あまり勉学に真剣に身を入れていないサシャは苦笑した。
「というか、マリエル嬢、そんな小さな手でよくその分厚くて大きな本を持てるね。俺が持とうか?」
 軽薄にニヤリと笑うサシャ。
 するとマリエルはサシャに軽く抗議する。
「サシャ様、本くらい私も持てますから」
 専門書をギュッと抱きしめて、上目遣いのマリエル。アメジストの目をうるうるとさせていた。
 まるで後ろ足を強く打ち付けて不満を伝えるうさぎのようだ。
「そっか。悪いね」
 フッと笑い謝るサシャ。
(……何か、可愛いな)
 少しだけ、サシャは口元をニヤつかせている。
「で、鉄の酸化反応だっけ? 何でそれについて勉強してるの?」
 サシャはテーブルに右肘を付き、マリエルの方に身を乗り出した。
「フォワ伯爵領には鉄鉱山がありまして」
 控えめで、鈴が鳴るような声でマリエルは話し始める。
「あ、そういえばそうだったね。金属資源が少し乏しいこの国だと、鉄鉱山を持つフォワ伯爵領はかなり重宝される」

 ナルフェック王国は製糸産業と農業が盛んで食糧が豊富だが、金属類の資源が乏しいのだ。

「はい、ありがたいことです。わたくしは鉄鉱山のある領地で育ちましたので、鉄に触れる機会も多かったのです。それで、鉄が空気……酸素に触れて酸化する際に熱が生じることに気付きましたの」
 ふふっと表情を綻ばせるマリエル。控えめでが、その表情は楽しそうだった。アメジストの目も、キラキラと輝いている。
(へえ、そんな表情もするんだ)
 そんなマリエルを見て、サシャはサファイアの目を丸くした。
「それでですね、少しこれに触れてみてください」
 マリエルは懐から金属製の小さな瓶を取り出した。細かな花柄の模様が彫られており、意匠が凝らされた可愛らしい小瓶である。
 サシャは手を伸ばし、マリエルの小瓶を手に取る。
 すると、じんわりと熱が手に伝わった。
「温かい……!」
 サシャはサファイアの目を丸くした。
「そうでしょう。小瓶の中に、鉄粉と水と塩を入れておりますの。先程、鉄が空気に触れて酸化することで熱を生じると申しましたが、その速度は遅いので、通常は熱に気付くことはありません」
「え? でもこの小瓶は温かいけれど。鉄が入っているんだよね?」
 サシャはマリエルの言葉に首を傾げた。
「はい。鉄と空気だけでは酸化反応が遅いので熱に気付きません。ですので、水と塩を入れて鉄が酸化する速度を上げているのです。鉄が酸化する速度が速いと、熱を感じやすくなるのですよ。もし小瓶の中に酸素がなくなったら、蓋を開けてまた空気を入れたら良いのです」
 少しだけ得意げな表情のマリエルである。その声は軽やかに弾んでいた。アメジストの目は、生き生きとしてキラキラと輝いている。
「へえ、そうなんだ。面白いね」
 サシャは思わずマリエルの話を聞き入っていた。いつの間にか、より前のめりの姿勢になっていたのだ。
「そうでしょう」
 マリエルは鈴の音を鳴らすような声でクスクスと笑っている。
「サシャ様はもう今日のお昼休みでお気付きでしょうけれど、わたくしは冷え性なのです」
「そうだったね」
 サシャは改めて昼休みにマリエルの手にキスをしたことを思い出し、自身の唇に触れた。
「冷え性のせいで冬はきついので、せめて少しでも手先などを温められるようにと思いまして、この小瓶を作りましたの。それで、現在は改良中です」
「改良? どうして? もう十分じゅうぶん温かいから問題ないと思うんだけど」
 サシャはきょとんとしていた。
 マリエルはふふっと微笑む。
「今後、フォワ伯爵家が経営するフォワ商会でも新商品として売り出したいと思っておりますので」
 貴族令嬢らしい上品さのある、溌剌とした笑みのマリエル。
 そのアメジストの目には希望が満ち溢れているようで、煌めきが止まらない。
(マリエル嬢……少しおどおどした子なのかと思ったけれど、こんな風に笑うのか……)
 サシャは思わずマリエルの煌めいている笑みに見惚れていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

虐げられた私、ずっと一緒にいた精霊たちの王に愛される〜私が愛し子だなんて知りませんでした〜

ボタニカルseven
恋愛
「今までお世話になりました」 あぁ、これでやっとこの人たちから解放されるんだ。 「セレス様、行きましょう」 「ありがとう、リリ」 私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。 ある日精霊たちはいった。 「あの方が迎えに来る」 カクヨム/なろう様でも連載させていただいております

平手打ちされたので、婚約破棄宣言に拳でお答えしました

Megumi
恋愛
婚約破棄を告げられ、婚約者に平手打ちされた——その瞬間。 伯爵令嬢イヴの拳が炸裂した。 理不尽に耐える淑女の時代は、もう終わり。 これは“我慢しない令嬢”が、これまでの常識を覆す話。

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

冷遇された没落姫は、風に乗せて真実を詠う ─残り香の檻─

あとりえむ
恋愛
「お前の練る香など、埃と同じだ」 没落した名家の姫・瑠璃は、冷酷な夫・道隆に蔑まれ、極寒の離れに追いやられていた。夫の隣には、贅を尽くした香料を纏う愛人の明子。 しかし道隆は知らなかった。瑠璃が魂を削って練り上げた香は、焚く者の心根を映し出す「真実の鏡」であることを。 瑠璃が最後に残した香の種を、明子が盗み出し、手柄を偽って帝の前で焚き上げた瞬間。美しき夢は、獣の死臭が漂う地獄へと変貌する。 「この香りの主を探せ。これほど澄み切った魂が、この都に在るはずだ」 絶望の淵で放たれた一筋の香りに導かれ、孤独な東宮が泥の中に咲く白蓮を見つけ出す。 嘘と虚飾にまみれた貴族社会を、ひとりの調香師が浄化する、雅やかな逆転劇。

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

処理中です...