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11ー1 出戻り令嬢

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 アルベルトとカトリーヌの離婚が正式に受理されたのは、アルベルトが帰国してから四ヶ月後の事だった。
 すぐに離婚成立になると思っていたカトリーヌは、母親とルドルフから受理が遅れていると言われただけだった。理由を知りたくともアルベルトは王都にいるが国王の護衛としての任務についているらしく、会う事は不可能だったし、父親もルイスを連れてモンフォール領に戻り、なにやら戦後の後処理をしていると聞かされていた為、自分の離婚がどうなっているかなどとても聞ける状態ではなかった。騎士としての仕事に打ち込んでいたルイスも、今は一時休職をして父親に付いて領地と王都を行ったり来たりししている。そんな様子を見ていると、もちろんカトリーヌが家を継いだらいいという話は、興奮した母親が口走っただけに過ぎなかったのだと思えた。もちろん、ルイスがいるのにカトリーヌが当主になる事はないのだが……。

「はぁ~、もしかして私って物凄くルイスのお荷物になるわよね」

 気晴らしにとジェニーと来ていた菓子店で、ケーキセットを食べていたカトリーヌは不意に言葉を零すと、ジェニーのお目当てであるチョコレートケーキの上に可愛らしいクマ型のマカロンが飾られたケーキを前にごくりと喉を鳴らしながら首を捻った。

「ルイス様は喜んでいると思いますよ。どうしてそう思うんです?」

 ジェニーは我慢できなくなり、クマ型に焼かれたマカロンを皿の端に寄せると、まずはケーキを一口頬張り、くりりとした目でカトリーヌを見た。

「喜んでいるのは今のうちだけよ。ルイスが結婚するとなったらきっと小姑なんて邪魔になるだけ」
「そうでしょうか。ルイス様はそれでもカトリーヌ様を大事にされそうですが」
「出戻りの姉がいる人なんかと結婚したくないと言われて、ルイスが婚期を逃したらどうするの?」
「大丈夫ですって。ルイス様はとっても人気があるようですから。モンフォール領の事を差し引いても引く手数多のはずです」
「……いっその事、ジェニーがルイスと結婚したら?」

 その瞬間ジェニーは咳き込んでしまった。

「ほら飲んで、大丈夫?」

 勢いよく紅茶を口につけたジェニーは、今度熱さに飛び上がった。

「あつッ!」
「そんなに慌てなくてもいいじゃない。そんなにルイスと結婚するのが嫌なの?」
「私とルイス様が結婚だなんて……」

 突如、豪快な金属音が店内に響き渡った。

「申し訳ございません!」

 カトリーヌ達のすぐ隣で店員の女性がトレイを落としたようだった。幸いにも運んだ後らしくトレイには何も乗っていない。ガランガランと豪快な音を立てて床を転がり、ジェニーの足元で止まった。

「大変申し訳ございませんでした!」

 涙目でそう言う女性の後ろからすぐに店主らしき中年の男性が走ってきた。

「お客様大変申し訳ございませんでした。お召し物はご無事でしょうか?」
「当たっていないから大丈夫よ。それよりもその子……」

 店主の男の後ろで縮こまっている女性をちらりと見ると、口元を震わせ、目は涙が浮かんでいた。

「エレナはもう下がっていなさい」

 そう声を掛けられた女性は、一瞬ジェニーを見てから足早に奥へと入っていった。

「お詫びに新しいお茶をお持ち致します。申し訳ございませんでした」
「本当に何もかかったりしていませんから、お気になさらないでください」

 しかしジェニーの言葉にも頑なに首を振ると、店主はカウンターの中に入って行ってしまった。

「ジェニー、あの子と知り合い?」

 店主が去った後で、カトリーヌは奥に入っていったきりの女性を思い出していた。

「どうでしょうか……何度か来た事があるので店員さんという記憶はありますが」
「私は初めてだけれど、どこかで見た事があるのよねぇ」
「カトリーヌ様がですか? ここは評判の菓子店ですが、貴族の方々が来られる場所ではないんですよ。でもこのこじんまりとした温かい空間がなんとも好きなんですよね」
「ありがとうございます、そう言って頂けてとても嬉しいです」

 丁度紅茶を入れ終わった店主が机の横に立ち、にこりと笑みを浮かべていた。

「あの、今のは、とても可愛らしいお店でという意味で!」

 しどろもどろしたジェニーに店主は快く微笑むと、皿に可愛らしい形のマカロンが幾つも載った皿を出してくれた。

「いえいえ、誤解などしておりませんのでお気になさらないでください。それよりも宜しければ新作の形にご意見を頂けませんか?」

 ケーキに載っていたのはクマの形だったが、皿の上にはウサギや犬、チョコレートで髭を描いた猫もある。そしてクマの進化版とも言える胴体付きもあった。

「「か、可愛い!」」

 二人同時に声を上げると、店主は嬉しそうに続けた。

「宜しければ包みますのでお土産になさってください。もし次回お越しいただけたら、感想の程宜しくお願い致します」
「どうもありがとう。大切に頂くわ」

 ジェニーは目を輝かせながらマカロンを見つめている。そしてふと奥の方を見た。

「ここまでしてもらってなんだか悪いです。あの方は大丈夫ですか?」
「お気遣いありがとうございます。実は私の姪なのですが、事情があって引き取っているのです。少々大きな音が苦手でして、少し後ろで休ませております」
「そうなのですか。お気になさらないよう伝えてくださいね」

 店主が去ると、ジェニーはクマのマカロンをパクリと食べた。

「おいしいぃ~!」

 頬に手を当てながらそう言うと、包んでもらったマカロンをちらりと見た。

「きっとフェリックス様も喜ばれるでしょうね」
「私も同じ事を考えていたわ」
「持っていかれますか? フェリックス様も喜ばれますよ」

 しかしカトリーヌは黙ったまま、俯いた。
 アルベルトはフェリックスとの面会を月に一回許してくれた。破格の対応と言っても過言ではない対応に、カトリーヌは感謝しかなかった。面会の日は、エルザが朝からモンフォール家に連れて来てくれ、夕食まで共に過ごす。しかし楽しく愛しい時間はすぐに終わりを告げてしまう。離れる時はいつも大泣きされてしまい、胸が引き裂かれるように痛むのだった。自分でもこんなに辛いのだから、幼いフェリックスはどれだけ辛いのかとまた苦しくなってしまう。それでも、ベルトラン家に置いてきたエルザをそのまま使用人として置いてくれたのにも、カトリーヌは深く感謝していた。おそらくルドルフの助言があっての事だろうが、エルザがいるだけでもフェリックスは救われているだろう。もちろん、カトリーヌもそうだった。

「月に一度というお約束を破って、もしフェリックスと二度と会わせてもらえなくなったらと思うと怖いの。だから止めておくわ」
「カトリーヌ様……それじゃあ、アルベルト様にというのはどうでしょうか?」
「アルベルト様に?」
「そうです! 名目はアルベルト様にお持ちしたという事にして、実際はフェリックス様が食べられると思うんです。会えなくてもお母様から可愛らしいお菓子を貰ったと知ったらきっとフェリックス様喜びますよ」

 カトリーヌはしばらく考えた後、小さく息を吐いて頷いた。

「そうね、そうしましょう。それなら少し量が少ないから購入していこうかしら」
「そうですね! 私も購入して行きます」
「ジェニーは誰に渡すの?」
「え? そ、そりゃもちろん我が家へのお土産ですよ。決まっているじゃないですかッ」

 慌てて答えるジェニーを不思議に見ながら、追加でマカロンのお土産を頼むと馬車でベルトラン家の屋敷へと向かった。



 屋敷の前でエルザを呼んで貰うと、しばらくしてエルザではなくルドルフが出てきた。ルドルフの表情は強張っている。それはモンフォール家に来ている時の姿でなく、ベルトラン家の執事としての顔のように見えた。

「エルザは今フェリックス様から離れられませんので、私が参りました。こんな所までいかがなさいました?」
「離れられないとはどうして? フェリックスに何かあったの?」
「いえいえご安心下さい。ただチェスの勝負の真っ最中なのです」
「チェス?」
「ただ遊んでいるだけでございますよ。しかしカトリーヌ様、何のご連絡もなくのご訪問はあまり感心いたしません」
「ごめんなさい。これを渡そうと思っただけなの」
「お菓子、ですか? フェリックス様に?」
「アルベルト様によ。もちろん沢山あるからみなさんで召し上がってね。とても可愛い形のマカロンなの」
「アルベルト様は甘いお菓子は食べられませんよ」
「確か苦味のあるチョコレートを使っている物もあるみたいだからお伺いしてみて。でも間違ってフェリックスが食べないように気を付けてちょうだい」
「……承知致しました。御用はそれだけしょうか?」

 ちらりと屋敷の方に視線を向けたが、カトリーヌは頷いた。

「これだけよ。たまたま美味しい菓子店を知ったからお土産を持ってきただけなの。他意はないから許してちょうだい」
「もちろんでございます。食後にでもアルベルト様にお出し致します」



 ルドルフはアルベルトの部屋をノックすると、窓辺に立つ背中に声を掛けた。

「お気づきでいらっしゃいましたか?」
「馬車の音がしたからな。何の用だったんだ? まさかこっそりフェリックスに会いに?」
「アルベルト様にプレゼントを頂きましたよ」
「俺に? 馬鹿言うな」

 ルドルフが差し出したのは、可愛らしい箱に入ったこれまた可愛らしいマカロンだった。アルベルトは鼻を鳴らすと顎で扉を指した。

「フェリックスに食べさせてやれ」
「宜しいのですか? アルベルト様が食べられそうな物もあるようなので、お茶をご用意致しましょうか?」
「俺はいい。お前達で食べろ」
「承知致しました」

 アルベルトは椅子に座ると、深い溜息を吐いた。
 この屋敷には思ったよりもカトリーヌの過ごしていた証しが残っていた。例えば使っていた入浴用品に肌触りの良いリネン。フェリックスの部屋に残っている女性物のガウンは、フェリックスが眠る時に抱きしめて眠るのだと聞いた時には、捨てるに捨てられなくなってしまったのだった。本当は母離れさせる為にもカトリーヌを思い出すような物は捨てた方がいいに決まっている。ベルトラン家の教育ならばきっとそうしただろう。でもアルベルトにはそれがどうしても出来なかった。
 理由は分かりきっていた。父親とほとんど関わらず、使用人だけに囲まれて育ってきた自分。そして今では父親に良い感情を何ひとつ持っていない。そもそも家庭を持つ気はなかったし、カトリーヌとの結婚を持ち出された時に拒んだのもそれが原因だった。だからこそ、単純に息子からこんな感情で自分を見られたくないというのが本音だった。
 初めてフェリックスを見た時、正直なんの感情も湧かなかった。それでも息子は息子。日に日に似ていく姿を見ていれば多少なりとも愛着は湧いてくる。それでもフェリックスはアルベルトを見ると強張った表情をするので、この四ヶ月の間ほとんど話す事はなかった。
 扉が叩かれると、ルドルフが戻ってくる。そしてずるそうな笑みを浮かべて笑った。

「フェリックス様が“おとうさま”とお菓子を食べられるそうですよ」
「ッ! 俺は甘い物は食べないからお前達で食べろと言っただろ」
「クマのマカロンをあげたいそうです。クマはフェリックス様の一番のお気に入りだそうですよ。一番のお気に入りのぬいぐるみを下さった“おとうさま”にお返しをしたいのでしょう」

 アルベルトは口元を押さえて息を吐くと、勢いよく立ち上がった。

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