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5個目 蜂蜜状態。
5個目 蜂蜜状態。
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5個目 蜂蜜状態。
さやにも言ってない。いや、言えない。
親には何故か目も上手く合わせられなくなってきた。だから、誰にも相談できない。けど、けど、悩んでるんだ。
「どうしました? 憂斗くん」
ブラウニーをジャリジャリ頬張りながら、先生は心配してくれている。
蜂蜜を使わず、砂糖ばかりのカロリーが恐ろしいこのブラウニー。先生のリクエストだ。
さやは全力で拒否して食べなかった。
「何か悩んでますか?」
3つ目のブラウニーに手を伸ばした檜山先生を見て、何故か俺まで胸焼けしてしまう。
「な、何でそう思うんですか?」
進路指導室にて。
指定校推薦についての話があるという理由で来たのに、実は只のお菓子試食会だったりする。
「いえ。君みたいな真っ直ぐな人は、罪悪感を持つと人に相談できませんからね。家族も仲が良い、友達も多い、指定校推薦も決まった。そんな君が何に悩んで溜め息ばかり吐いてるんですか?」
カロリーの固まりを全て平らげた先生は、指を丁寧に舐めとりながら首を傾げた。
さすが、『先生』だ。
俺が悩んでるなんて、よく分かったよな。溜め息なんて自分でも気づかなかったよ。
「成程。受験や就職時期に罪悪感を感じる悩みか。加賀くんは恋に悩んでるんですね」
「ちがっ」
つい大きな声が出てしまった。そんなの肯定とほぼ同じようなものだ。
「でも、誰にも言えないから悩んでるんですよね?」
ぐっ
「前嶋さんにさえ言えない相手なんですね」
「……帰ります」
扉に向きを変えたら、檜山先生は引き下がらなかった。
「本題を忘れていました。これです!」
パンフレットを此方に向けると、静かに微笑んだ。
***
「ふぅん。専門学校のオープンキャンパス、ねぇ」
「学祭も兼ねてるんだって。一年はクッキーやら焼き菓子系で二年がオリジナルケーキ、OBが出店」
去年のオープンキャンパスをまとめたパンフレットでは、クリスマス間際だったから切り株の形のビュッシュ・ド・ノエルのオリジナルケーキの写真がいっぱいあったり、四段のケーキやお菓子の家やらいっぱいある。見てるだけでわくわくしてきた。
「一人で行くの?」
口の中が甘くなるようなパンフレットから一変、清人の香水の香りで現実に引き戻された。清人がいつも乗る駅の前の公園で、俺だけはしゃいで恥ずかしい。
「あ、まあ」
さやを誘おうと思ったが俺は自由に見て回りたいしさやも一人行動が好き。一緒に行っても現地解散にありそうだったし、それなら一人で行こうかと思っている。
「俺は誘ってくんないの?」
「え!? でも、あの、甘いものばかりだよ」
「お前を一人で行かせるわけねーだろ」
「え? でも俺けっこう一人で色々見て回りたいタイプだし」
子ども扱いされてしまいちょっと剥きになってしまったけど、でも清人は過保護というか、俺も同じ男だから心配することはなにもない。
「あっそ。迷惑なら行かない」
ちょっと不貞腐れたように言うので、可愛いと思ってしまった。
「迷惑は絶対ないよ」
大声を出すと、清人はニヤッと笑った。
「じゃあ、決まり」
頭をポンポン叩かれて、清人を見上kげた。
「意地悪」
「じゃあ意地悪ついでにもう1つ」
頭に置かれた手を、ゆっくり耳を撫で、うなじに触れる。
「キスしてもいいならするけど、人がいっぱいいるよ?」
そう言われ見回すと、カップルがベンチを全て占領していた。
噴水がある為、この時期にはライトアップしてデートスポットらしい。
「む、無理」
話に夢中で回りに気づかなかった自分が悔しい。
「じゃ、次は違う場所で待ち合わせしなきゃな」
そう笑うと、駅に向かう清人を見送った。
男女のカップルだったらキスをねだっても、あの場所でできたかもしれない。
それでも俺も清人を選んだんだから、我慢。
両思いになった方が苦しいなんて、本当に笑ってしまう。
だから我儘は言わない。気持ちが通じあっただけで幸せだ。
幸せなんだとは思いつつも、ちょっと足取りは重い。
トボトボ歩いていたら、俺の店から出てくるカップルがいた。
手には白い箱を持っていて幸せそうだ。ケーキを買った後の幸せそうな顔って本当に俺は大好き。
「ここのシュークリーム美味しいんだよぅ」
「いや、俺、甘いもの苦手だから」
「えー! 食べてみてよーぅ。本当に美味しいよぉ?」
こんな参道でイチャイチャできるカップルが羨ましすぎた。
いや希望すれば清人はやってくれそう。
「この前作ってくれたあのクッキーなら、甘さ控えめで美味しかったけど」
「本当ぉ?」
「うん。本当! また作ってよ♪」
男の方が女の人の手を握りながら、微笑んでいた。
甘さ控えめのクッキーか。それなら清人も食べやすいかな。
でも甘いからこそ美味しいんだよ。考えても、お菓子のレシピを見ても首を傾げてしまう。甘くないクッキーなんて、俺は魅力を感じないらしい。
清人は先ほどのカップルには目もくれずさっさと店に入ってお菓子を吟味している。でもやっぱ甘さ控えめなマカロンやプリンを見ているようだ。
帰宅して早々だが、父も母も忙しそうなので俺がカウンターへ回る。
「清人、何が好き?」
「何って抽象的だな。じゃ憂斗」
「ばか」
マカロンをお買い上げの清人に、お釣りを渡す時に然り気無く聞こうとしたけど、分からなかった。
ドライフルーツ好きって言ってたけど、逆に俺がお菓子作りで使ったことがないんだよな。スコーンとかチョコに使ったぐらいかな。
「あ、サンドイッチは好きかも」
突然突拍子もなくて驚いたけど、清人ぽいといえば清人っぽい。スイーツじゃなくて「オープンキャンパス。憂斗のお弁当とか食いたい」
「学校にお弁当持っていくの恥ずかしいじゃん」
「なんだよ。期待させて」
ちょっと拗ねたのち、マカロンの箱を受け取ると嬉しそうに微笑んだ。
俺が作ったお菓子も食べてそんな顔してほしい。たとえスイーツじゃなくてもこの際、いい。
「具は何が好きなの」
「卵」
嬉しそうに言われればもう作る以外の選択は考えられなかった。
***
甘くないクッキーに、オープンキャンパス用のお弁当に、英語の小テスト。
俺の苦手な三銃士はどれも属性がばらばらで攻め方も違うから苦労する。
それから来週からは指定校の自己推薦文と面接の練習も始まるんだっけ。
頭の中を清人だけにしたいのに、受験生にはする事がいっぱいだ。
「早く大人になりたい」
「ぶっ」
「大丈夫?」
清人が飲み干そうとしていた珈琲を吹き出した。
ハンカチを渡しながらため息が出そうだった。
最近の定番デートは、俺の店から駅まで清人を送っていくコース。
短いんだよー。でも早く帰らなきゃご飯の時間もあるし一緒に食べなきゃ、うちの双子が拗ねるから時間は長くならない。
「いや、悩みか?」
優しい瞳で俺を見つめてきたけど、甘い瞳に照れてしまう。
「うーん、ただ思っただけ」
顔を近づけられただけでこの心臓の音。
俺、恋人になったはずなのに、こんなに近づかれても未だに慣れないなんて。
はやく慣れないだろうか。
そうしたらもっといっぱい抱き締められるのに。
背中とか触ってみたいのに。
あの綺麗な指だって、もっと触れるのに。
駅前で別れてからは寂しさに悩みもプラスされ最大のため息が零れた。
「母さん、格好いいお弁当箱無い!?」
「あらー? しのとりのしかお弁当作らないからねぇ」
台所を漁っても、ウサギやひよこのお弁当箱しかなかった。
俺の弁当はいつも使い捨てのランチボックスなんだけど、親にお弁当を作ってもらう習慣がないさやのための大きいのだし、可愛いのばっかなんだよな。
一番無難なのさえ清人には似合わないピンクのチェック柄。ぎゅうぎゅうにサンドイッチ詰めたら隠れてくれるかな。
「じゃあ、母さん、明日のオープンキャンパス用にお弁当作るから手伝ってよ」
「あらあら。お母さんが作ってあげるわよ?」
「あ、いや、その、俺が作るから、味とか見てくれるだけで良いんだ」
そう言うと母さんは首を傾げた。
「ふぅん? 誰かに食べさせるのねー。博人さん 憂斗に彼女みたいよー」
「違う違う」
言い訳すればするほど誤魔化せなくなるので、結局母を追い出して自分だけで作ることにした。
***
夜遅くまで頑張って作った甘くないお菓子とサンドイッチ。
眠いし全然可愛く作れなかったし、ボロボロだ。疲れて今すぐベッドにダイブしたい。
「憂斗」
いや。
疲れたと思ったけど、疲れなんてぶっ飛んだ。清人が、俺を見つけて微笑んでくれている。こっちに向かってきてくれるだけで癒される。
手を振る腕に、ゴツい腕時計があってなぜか胸が締め付けられた。腕時計とあの指が似合いすぎてて、すっげぇ格好いい。
いつもお見送りしかしなかった駅で待ち合わせってなんかいいな。俺も駆け寄って二人で電車に乗り込んだ。
「専門学校って、家から駅4つって事は家から通う予定?」
「そのつもりだよ」
朝一時間早く起きなければいけなくなるのと、妹二人の朝の支度を手伝えなくなるのだけが心配だけど、最近は我儘も言わず自分たちで支度できるから大丈夫かな。
「俺が一人暮らしする予定の駅の方が近いから、一緒に住もうか?」
「へ!?」
「って思っただけ。妹が一緒に住もうってうるさいから断る理由にもなるんだけどな」
電車に揺られながら、清人の言葉にも、心が揺れてしまう。
一緒に住めたら、それは嬉しいかもしれないけど、けど毎日意地悪されそうだしなぁ。
「真剣に悩む憂斗、可愛いな」
からかわれてムッとなる。
いつか、もっと大人になったら俺だって清人が困るような言葉でからかってやりたい。
「お、パンもあるじゃん」
「え?」
学校に着くと、すぐに入り口でパンフレットを渡された。
専門学校は体育館ぐらいのこじんまりした建物で、学校とは違って広い運動場や入り口はない。教員用の駐車場にテントを張ってオープンキャンパス参加者の受付をしているぐらいだ。
受付に置いてあったパンフレットを見た清人が甘くないパンを発見していた。
体育館ぐらいしかない小さな製菓専門学校だったから知らなかったけど、別館に調理科もあったらしい。
知らなかった。俺、どうしよ。
三階立ての、鉄筋コンクリートの殺風景な建物の一階。
一階は製菓科一年生のクッキーやら焼き菓子系と調理科一年生のパン屋が並んでいた。
「ふーん。たこ焼きパンだって、すげー」
清人が、普段見せない無邪気な姿を見せてくる。
けど、けど、俺、パン焼いて来たんだよ。サンドイッチ作ったんだよ。
もしこっちを食べられたら、俺の出せない。発酵が上手く行かなくてなんかちっちゃくなったしベーコンは焦がしたし。
こんなふっくら美味しそうなパン見た後には出せないじゃん。
忘れたって言おうかな。
「憂斗、どした?」
「あ、ううん」
「真っ青だけど? 向こうに休憩所あるから座る?」
「ああ! こっちのクッキー美味しそう」
心配されないよう、清人の腕を掴んでぐんぐん進んだ。
「このサンタのクッキーとか双子にどう?」
「本当だ。喜びそう」
本格的なアニメキャラから、絞ったクッキーや、売ってるクッキーを自分たちの手で味を再現させてたり、見てたら確かに面白いし美味しそう。
結局いっぱい買ってしまった。
「確か体験学習でクッキー焼けるらしいです」
「付き合うよ?」
「でもクッキーならいつも作ってるからなー」
一応、体験学習は授業で使ってる調理室でしているみたいだから、どんな調理室か興味があるけどなんか今日の俺、間が悪すぎる。
「じゃあ、お弁当食べようか」
「あ」
「あ?」
心なしか清人の目がきらきら輝いている気がする。
これは期待されてる?
「実は、俺……」
斜めにかけたバックを握り締めて、固まった時だった。
「早く食べたい」
「で、もちょっと膨れ方失敗した」
「良い良い」
「玉子だって殻が入ったかもしれないけど」
清人は足を組み変えると肘をついて笑う。
「憂斗が頑張って作ったって所が大事なんだよ。食いたい。てか食わせて欲しいんだけど?」
おねだりするように首をかしげられたら、昨日の寝不足が吹っ飛んだ。
今なら重箱でおせちが作れそうだ。
「どうぞ」
結局、うちの店のケーキの箱に入れられたのはサンドイッチ。
食パンとバターロール。
中にアボカドと海老、卵にハム。シンプルというか簡単な奴にした。
手作りハンバーグとか卵焼きとか、手が込んでて重いとか思われそうだったし。
清人は箱の中身をのぞき込むと、急いで自分のカバンから携帯を取り出した。
「清人?」
スマホで夢中になって写真を撮ってる。
「食べるの勿体ないな。やべー」
大事そうにサンドイッチを取り出して、甘く甘く微笑んだ。
「ありがとう。頂きます」
俺こそ今の笑顔、写メに撮りたい。撮りたいよー。
清人が笑顔で食べる中、俺はフワフワ緊張するだけで、サンドイッチの味なんて全くしなかった。あとサンドイッチにしたのには、ちょっとだけ考えがあったりする。
「ん?」
指についたアボカドをペロっと舐めとる清人。
それなんだ。その長い指先が動いたり、舐めたり、よく見えるのはやっぱサンドイッチだよね。
うん。鼻血出しそう。
「めちゃくちゃ美味しい」
またペロっと指を舐める清人に言われて慌てて現実に戻る。俺ってば何を考えてるんだよ。
でも美味しいって言われたら嬉しすぎて、なんて答えて良いか分からずにキスしたくなる。
慌てて邪念を払い除ける為に首をブンブン振ると、清人はケタケタと腹を抱えて笑っていた。
どうしたらこの人のこの余裕を壊せるんだろう。
俺も清人も、ケーキをそれぞれ選んでから専門学校を後にした。
始終甘い香りが漂うオープンキャンパスは、俺にとっては幸せだったけど、いつもより長く一緒にいるのに短く感じる。
後は、昨日徹夜で作ったこれを渡すだけなんだけど……。
「来週の金曜日、俺の家、来ないかな?」
暗くなった帰り道をゆったり歩きながら、清人は言った。
「聞いてみないと。でも多分大丈夫と思う」
「ちょうど塾が清掃入るのと妹が友達の家に泊まるらしくて一人なんだよな」
双子の妹か。あれ以来会っていないので気まずいからいない方が助かるけど、二人?
両親もいないってことかな。
「いや?」
「ううん。邪魔しようかな」
「じゃあ、来いよ」
トントン拍子でなんか凄い事が決まった気がするけど、違う違う。
俺は、今日1日、清人に会話もデートも全てリードして貰っただけ。
全然、甘えられてないんだから。もう1回信号を渡ったら駅前の道に出る。
そうしたら人や車が増えてしまう。
「清人! ままだ帰りたくない!」
俺は勇気を出して清人の服の裾を掴んだ。
清人は彫刻のように固まった。
「俺、俺、」
「あー……。くそっ」
苦しそうな泣きだしそうな声が色気あるなって思っていたら、清人の裾を握りしめた俺の手を、握り返した。
「帰したく、ねぇ」
そう言って、俺を引っ張って行く。
「わっ」
駅に続く線路沿いにある細い道。
清人は俺を抱き締めると、フェンスに俺を押し付けてきた。
清人の体とフェンスに挟まれて、痛い。
「清人?」
「ちょっと今、理性と戦ってる」
「りっ!?」
「このまま、部屋に連れ帰りたくなったのを耐えてんだよ」
うー……、と唸る清人。
必死な彼が可愛くて俺はおずおずと抱き締められた腕を、抱き返してみた。
「デートも好きでだけど、俺、もっとこう、い、イチャイチャしてみたい」
「イチャイチャって、お前なぁ」
「気持ち悪いよな。でも俺、なんかドキドキして幸せで」
――俺も、このまま連れて帰って欲しい。
そんな大胆な事は恥ずかしくて言えず、代わりにグリグリと頭を埋めてみた。
「なんか、まじ、愛しいな」
頭を撫でて貰うのが気持ち良い。
夢中になって抱きしめている手に力を入れていると、斜めがけのカバンが肩からするりと落ちて、音を立てて地面に叩きつけられた。
あっ
足元に視線を落とした。
カバンの中には渡していなかったクッキーが入っていたが、お亡くなりになった音がした気がする。
「どした?」
「何でもない!」
「……後ろに何を隠した?」
「隠してないよ。あ、もう帰らなきゃ」
「――憂斗?」
けど、これは見せられない。
落ちた時に踏んだ気もするし、割れてる。
「何でもない」
上手に笑えたつもりだったんだけど清人は誤魔化されてくれない。
「言うまで此処でキスされてぇの?」
「さ、……されたいかも」
清人は、少し照れたのか目が優しくなった。
それは本音だけど、うまくクッキーを隠せたならいいや。
清人が俺の背中をなでたと思うと、気づけば背中に回して隠していたカバンに手を入れられていた。
「お、なにこれ」
「あああっ」
清人が取り出したのは粉々のクッキー。やっぱ落としてきたときにカバンごと踏んでしまったか。
「……か、返して」
「これ、クッキーじゃん。俺に作ってくれたの?」
「でも間違えて踏んだから」
ぎゅっと目を閉じて首を振った。
「頂戴。なんかこれ、良い薫りがするし」
「駄目。作り直す」
清人は小さな声で『やっぱ俺のじゃん』と笑うと、クッキーを開けて食べ出した。
「うっま。ドライフルーツ入ってんの?」
「前に好きって言ってたから」
「あ、全部食べちゃった」
粉々になった部分まで袋から取り出して食べてくれた。
「ご馳走様 ありがとう。また食べたい」
本当にうれしそうに笑ってくれたから、照れてしまった。
清人の笑顔はどれほど砂糖を使ったスイーツであっても負けてしまいそう。
それほど俺を蕩けさせる甘さがある。
その後、何度も通りすぎる電車を見ながら、俺と清人は、終電までイチャイチャしてしまった。
クールに見えていた清人は同年代のただの意地悪で格好いい良いやつで、優しくてそしてただ単に俺に甘い。
甘いケーキより、俺はそんな清人が好きみたいだ。
家に帰ると、オープンキャンパスのお土産を楽しみにしていたりのとしのは眠っていたから少しだけ申し訳なくなった。
でもたまには自分優先で楽しい時間を過ごすことを許してほしい。
***
「加賀くん、放課後は進路指導室に」
オープンキャンパスも終わり、いよいよ面接練習が始まった。
面接練習は担任や暇な先生に時間を作ってもらって放課後にする。国立コースの担任や教科はなるべく下げ、一年や二年の学年主任とか5教科以外の先生に頼むことが多いんだけど、さやは檜山先生に頼んでいて自分ひとりじゃ恥ずかしいからと俺まで頼んでいた。
なので俺も今週から面接練習を始めることになった。
ただ俺、頭浮かれてて、何も返答とか考えてなかった。
「前島さんは問題ないけど、加賀くんは次の木曜も面接しましょうか」
「木曜?」
「なにかテストや面接より大事なことがありますか?」
ジロリと睨まれて、縮こまってしまった。
今日も木曜も、清人が来る大切な日なのにまあ指定校のテストの対策を全くしていなかった俺が悪い。
清人に曜日をずらして貰おうかな。塾は毎日来ているから会えるのは会えそうだし。
「良いですか? 試験日は二週間後ですよ? これから毎日放課後は試験対策してください」
「二週間もこれから?」
「学生が勉学に勤しめないなら、バイトも恋人に会うのも慎みなさい」
こっ。
俺ってやっぱ浮かれているというか顔に出やすいのかな。浮かれてふわふわしている自覚はちょっとだけあった。隠すのが下手なのも要因だろう。
「それが嫌なら、勉強も日頃の行いもしっかり文句を言われないように頑張りなさい」
「はい」
俺が全面的に悪いんだしな。
俺は清人みたいに普段からこつこつ周りを安心させるように動いていない。面接練習や自己紹介文なんて書いてないし練習もしていない。付け焼き刃でやるにしても練習期間が長くあれはあるほど自信につながる。
放課後は今後面接練習、自己紹介文の作成。自己紹介文をもとに面接をする場合もあるらしく、自己紹介文は檜山先生以外からもチェックが入る。なので担任、学年主任、檜山先生に休み時間や放課後に確認してもらわないといけない。
確かにバイトなんて行く暇ない。面接と自己紹介文の書き方を指導してもらうだけ気づけば部活終了時間まで学校に居残りしていた。
空はすっかり暗くなっていて、いつも清人が店に来るぐらいの空の色に染まりつつあった。
***
「清人!」
真っ暗な空を眺めて、スマホを取り出した時だった。塾の下のコンビニに清人を見つけた。
「今、メッセージしようとしてた。大変だな、受験生は」
同じ受験生のはずの清人が余裕ぶった笑顔でまぶしい。
これは現代のウサギと亀だ。俺は何もやっていない亀の方で清人は勤勉なウサギだけどさ。
二週間帰りが遅くなると連絡していたけど、塾が終わって今メッセージを確認したらしい。
「俺が悪いんだよ。何も対策考えていなかったし。でも、会える時間が減っちゃうし」
「んな顔するなよ。試験終わればちょっとは解放されるし」
「で、土曜はどうする? 家で大人しく勉強しとくか?」
「やだ! 遊びに行く」
土曜日まで試験対策してたらストレスで甘いもの爆食いしてしまいそうだ。
「じゃあ、土曜までは頑張って勉強するんだぞ」
「子ども扱いするなよ。当たり前だろ」
そう言い返したら、ククッと声を抑えて笑われた。
ビルの隙間から見える綺麗な月を見ながら、ため息が零れた。
そろそろ駅に向かわなければ、清人が帰るの遅くなってしまう。
今日、清人と会えたのはほんの数分だ。
「憂斗」
「ん?」
本当に刹那。一瞬清人が屈むとキスしてきた。
バッと口を隠して辺りを見回す。
誰にも見られてないよな?
「清人っ」
「誰も見やしないって。人は、案外他人を見てないよ」
そう清人は笑うけど、心臓がバクバクする。
俺のケーキ屋からも頑張って窓を覗き込めば見れる位置だし、塾帰りの生徒はコンビニの裏にある駐車場で待つ人らが大半らしいし、周囲に人がいなかったのは俺も確認してたけどさ。でも、そんな簡単な事じゃないと思うんだ。
もし、もしバレたら……。
「悪かった。気を付ける。お前が帰りたくなさそうな可愛い顔するからさ」
ポンポンと頭を叩かれたけど、不安は消えない。
誰に反対されても今さら清人の気持ちは止まらない。
けど、誰にも邪魔されたくないんだ。
誰にも知られず、悪いことでもないのに、俺はそんなにイケナイ恋をしてるのだろうか?
俺もキスは嬉しかったのにちょっとだけ気まずい雰囲気を作ったまま別れてしまった。
帰宅すると父さんは奥で道具を洗っている音がする。
「あら。遅かったのはデートじゃなくて追試だったの?」
母が双子の妹にオムライスを食べさせながら、首を傾げた。
「デッ!?」
「でーと?」
「でーと?」
「母さん! 二人の前で言うなよ。違うよ。試験日まで面接の練習とかすんの」
唐揚げがいっぱい入った皿から1個口に放り込むと、洗い物を終わらせ自分のオムライスを持ったままリビングへ入ってきた父さんも口を出した。
「さやちゃんも言ってたぞ。お前が最近彼女できたって」
「か!?」
「かのじょー?」
「かのじょー?」
「か、のじょは居ないよ」
母さんから渡されたオムライスにはケチャップで『祝』と書かれていて疲れが一気に襲ってくる。
ポテトサラダの中のウサギ型の人参を見ながら冷や汗が止まらない。
「話せない事なら無理に聞かないけど、受験前にハメをはずしちゃ駄目よ」
「そうだぞ。さやちゃんにも誤解を解いとけよ?」
「う、うん」
ヤバい。
家族に秘密なんてもった事なかったけど、どんどん秘密が増えていく。胸が苦しい。
うちの両親ならとくに反対も説教もないだろうけど、どうしても言えない。
土曜日。
なんと清人の誕生日らしい。
こっそり清人の生徒手帳を写真撮っていたのを眺めていたら発見した。
そういえばもうすぐとは言っていたけど、日にちは聞いていなかった。
本当ならば誕生日ケーキを作って持って行きたいけど、清人は甘いものが苦手。
金曜も自己紹介文の添削してもらった後に面接練習してから家に帰ってケーキはギリギリだ。土日はいつもよりケーキやシュークリーム多くつくるから調理室借りられないし作るなら家のキッチンだけど、妹二人が欲しがりそうだし。
甘くないケーキなんてケーキじゃない派の俺は何を作ればいいのかわからない。
チーズを何種類か混ぜてドライフルーツも混ぜてとなると調べて練習もしたいし時間が足りない。そもそもドライフルーツはクッキーで使ったしワンパターンかな。
いっそケーキみたいなちらし寿司みたいなご馳走の方がいいんじゃないかな。
でもお菓子作りは好きだけど料理はほぼ経験がない。双子の妹のお弁当を作ろうとしたら、あまりに小さなお弁当箱でおにぎりしか詰められなかった経験がある。
試験が終わってからあとで誕生日会をやってもらった方がまだ時間をかけられる。
一学期に指定校が決まり、二学期は免許取りに行ったりバイトしたりと時間取れるらしいし、今だけなんだ。今だけの辛抱だ。
十月からはクリスマスケーキの恐ろしい準備期間が始まる。
保存が効くクッキー系から大量に作っていき、十二月はスポンジスポンジスポンジのスポンジ地獄と生クリームホイップ地獄が待っている。だから今は俺の時間。
試験さえ終われば、しばらくはゆっくりできるはずなんだ。
今日は自己紹介文のチェックを学年主任に頼んでいたのに、主任が忙しかったからと教頭先生がチェックしていた。
職員室に取りに行ったら、教頭が不機嫌に待っていてこんな稚拙な文は駄目だと書き直しさせられそうになったが、古典のような古い言い回しの添削に真っ青になった。
俺は自分のことを『某は』とか『云ふ』とか書かない。教頭が根性を叩き直してやると地毛の茶色っぽい髪の毛まで文句言いだしてきたので、急いで逃げてさやと檜山先生の援護の元学校から脱出した。
流石に試験二週間前に古典まで習いたくない。
「ただいまー」
店から入ると、調理場の方で父さんがチョコに文字を書いていた。
ほっとする。やっと現代に戻ってこれたファンタジーの主人公の気分だ。
「おかえり、ハニーが帰ってくるまでちょっとだけ店みててくれ」
「ほーい」
レジ横に座り、パソコンが置かれた机の上のパンフレットを手に取る。
父さん達近くのパティシェ同士で、お互いのケーキを見せ合って高め合う、毎年恒例の勉強会の時のケーキ。
それをパンフレットにして毎年まとめるんだけど、清人にあげるケーキの参考になれば、と思いわくわくしながらページを開く。
俺、生クリームを絞って、白くまみたいにデコレーションケーキ作ったり、かまくらみたいに好きなだけ生クリーム塗るのが好きなんだけど、清人ならチーズケーキかビターなチョコケーキとかの方が良い気がする。
生チョコケーキのチョコをカカオ多めにしたらどうだろう。
「……る?」
甘いものが苦手なだけでプリンとか美味しいと言っていたもんね。
甘いものが食べれないわけではない。
「……聞いてる?」
少しずつ甘さを増やしていって舌を慣らしていくってのはできないんだろうか。
「あの、さっきからずっと呼んでるのに聞いてます!?」
ハッと夢の世界から現実に戻ると、セーラー服を着た美人な女の子がーー。
「あっ」
違う。清人の妹さんが仁王立ちしていた。
「あ、雨宮さん! すみません。いらっしゃいませ」
にへっと笑って誤魔化すが、妹さんはツンッと横を向くとチラシを差し出してきた。
よく考えればいきなり告白されてお断りしてからずっと会っていなかった。
少しだけ空気が重い気がする。必死で気にしていない雰囲気で接するけど、居たたまれない。
「ケーキの予約、よろしいかしら? これ」
「はい! ありがとうございます!」
父が去年パティシエ仲間と作ったチョコケーキだ。期間限定で販売するんだけど、ブログかSNSで見てきてくれたのかな。
チラシの予約の記入覧を、ウキウキと切り取り線になぞって切る。
「――貴方、最近私の兄と仲がいいみたいですね」
「あっごめんね、その」
振られた相手と兄が仲良くしてたら嫌だよね。
彼女の気持ちなんて全く考えていない行動は確かに申し訳ない。
綺麗で、女の子の中の女の子のように、小さくて細くて、白くて綺麗な女の子。
清人と似てはないけど、なんか存在感かある所はさすが兄妹だ。」
「ふん。急いで色々辻褄合わせたり嘘、言わなくてもわかるわよ」
予約が完了した領収書を渡すと、妹さんは領収書を引ったくった。
呆然と見ていると、彼女が俺のつま先からゆっくりと顔まで見てきて、そして冷たい瞳で睨んできた。
「人が見ているコンビニの前で、気持ち悪い。何を考えてるの?」
コンビニの前――。
それって昨日の不意打ちのキスの事?
眩暈でよろけそうになったが踏ん張ると、彼女は予約したチラシを見せびらかしながら俺をあざ笑った。
「誕生日は家族でこのケーキを食べるから。邪魔しないで」
そう言って、さっさと店から出て行った。
壁に背中を押し付けながら、ズルズルと床へと座り込む。
一番見られたらいけない人にみられてしまった。
こんな事態は予測してたしバレる事もあるだろうと思ってた。
でもそんなのは今はきっと問題ではない。
一番問題なのは、振られた彼女をさらに傷つたことだろうな。
『――気持ち悪い』けど、実際に言われたらそこまでダメージはない。
本当に俺が清人を好きになる事って、その思いが叶って恋人になることって、身内から見たら気持ちが悪いって事だろう。
仕方ないけど、現実は甘くない。
じゃあどうするか?妹
さんに迷惑をかけないようにするには彼女と接触しないようにしか考えられない。
でも雨宮さんを諦められるほど、まだ大人にはなれないし、そんなふうに物分かり良い人になりたくない。
「よし!」
勢いをつけて立ち上がると急いで店を出た。
「雨宮さん、待って!」
早足で歩く妹さんを呼び止めたが、止まる気配はない。
それどころか振り返りもせずに、早足で歩き出した。
「雨宮さん……。本当にごめんな。君を沢山傷つけるつもりはなかったんだ」
早足で歩く妹さんに追い付くと、横について歩き出す。
けど、俺の方を見てもくれない。謝り過ぎるのも無神経なのかな。
「俺、妹さんが俺みたいな平凡な奴を好きになるなんて釣り合わないって怖くて振ったけど、その、その、ガキだった。妹さんの気持ちとか恋心とか理解してなかったんだ」
清人の事も恋愛として好きと自覚もなかったし、一度でも誰かを好きになったり振られれたら、妹さんの気持ちも理解できたかもしれないのに、ガキすぎて申し訳ない。
「でも、気持ち悪いかもしれないけど簡単な気持ちで好きになったワケじゃない。
迷ったし悩んだし、けど止められなくて」
妹さんの足が止まり、下を向くと肩が震えていた。
「最低」
「え?」
「最低って言ったの。無神経。最低よ、貴方」
左頬に、痛みが走った。彼女の爪が頬に刺さる感触が残る。
「な、んで、なんで私にその話をするの……?」
「あ、……まみやさん」
白く綺麗な頬を、涙が伝っていた。彼女は俺の頬を見て視線を逸らしたが、肩はまだ怒りで震えていた。
「薫。私の名前は薫よ。なんで、なんで私は名前も覚えてないのに」
ぐずっと鼻をすする薫さんにポケットからハンカチを差し出すと、手で叩き落とされた。
「なんで、なんでお兄ちゃんなの?」
「――ごめん」
「女にとられたんならまだ納得できた。私、フラれてからも、貴方の笑う姿や、ケーキを幸せそうに見る姿が忘れられなくて。は、初めて、初めて好きになったのに、こんなの酷い。不毛すぎるわ」
ケーキの引換券を両手で、クシャクシャにしながら、薫さんは泣いた。
「目で追いかけてたから、貴方がお兄ちゃんを好きなのはすぐに分かった。でも、女のプライドはズタズタだし、お兄ちゃんは嫌いになれないし」
クシャクシャにした引換券を俺に投げつけながら、その瞳は酷く沈み、酷く悲しんでいた。
「――貴方を嫌いになるしかないの」
そう走り去る薫さんを今度は追いかける事はできなかった。
まだわかり合うには時間がかかるだろう。
でも叩かれた左頬は、ズキズキと痛み、腫れは引かなかった。
甘い恋の代償の、この痛みは。
さやにも言ってない。いや、言えない。
親には何故か目も上手く合わせられなくなってきた。だから、誰にも相談できない。けど、けど、悩んでるんだ。
「どうしました? 憂斗くん」
ブラウニーをジャリジャリ頬張りながら、先生は心配してくれている。
蜂蜜を使わず、砂糖ばかりのカロリーが恐ろしいこのブラウニー。先生のリクエストだ。
さやは全力で拒否して食べなかった。
「何か悩んでますか?」
3つ目のブラウニーに手を伸ばした檜山先生を見て、何故か俺まで胸焼けしてしまう。
「な、何でそう思うんですか?」
進路指導室にて。
指定校推薦についての話があるという理由で来たのに、実は只のお菓子試食会だったりする。
「いえ。君みたいな真っ直ぐな人は、罪悪感を持つと人に相談できませんからね。家族も仲が良い、友達も多い、指定校推薦も決まった。そんな君が何に悩んで溜め息ばかり吐いてるんですか?」
カロリーの固まりを全て平らげた先生は、指を丁寧に舐めとりながら首を傾げた。
さすが、『先生』だ。
俺が悩んでるなんて、よく分かったよな。溜め息なんて自分でも気づかなかったよ。
「成程。受験や就職時期に罪悪感を感じる悩みか。加賀くんは恋に悩んでるんですね」
「ちがっ」
つい大きな声が出てしまった。そんなの肯定とほぼ同じようなものだ。
「でも、誰にも言えないから悩んでるんですよね?」
ぐっ
「前嶋さんにさえ言えない相手なんですね」
「……帰ります」
扉に向きを変えたら、檜山先生は引き下がらなかった。
「本題を忘れていました。これです!」
パンフレットを此方に向けると、静かに微笑んだ。
***
「ふぅん。専門学校のオープンキャンパス、ねぇ」
「学祭も兼ねてるんだって。一年はクッキーやら焼き菓子系で二年がオリジナルケーキ、OBが出店」
去年のオープンキャンパスをまとめたパンフレットでは、クリスマス間際だったから切り株の形のビュッシュ・ド・ノエルのオリジナルケーキの写真がいっぱいあったり、四段のケーキやお菓子の家やらいっぱいある。見てるだけでわくわくしてきた。
「一人で行くの?」
口の中が甘くなるようなパンフレットから一変、清人の香水の香りで現実に引き戻された。清人がいつも乗る駅の前の公園で、俺だけはしゃいで恥ずかしい。
「あ、まあ」
さやを誘おうと思ったが俺は自由に見て回りたいしさやも一人行動が好き。一緒に行っても現地解散にありそうだったし、それなら一人で行こうかと思っている。
「俺は誘ってくんないの?」
「え!? でも、あの、甘いものばかりだよ」
「お前を一人で行かせるわけねーだろ」
「え? でも俺けっこう一人で色々見て回りたいタイプだし」
子ども扱いされてしまいちょっと剥きになってしまったけど、でも清人は過保護というか、俺も同じ男だから心配することはなにもない。
「あっそ。迷惑なら行かない」
ちょっと不貞腐れたように言うので、可愛いと思ってしまった。
「迷惑は絶対ないよ」
大声を出すと、清人はニヤッと笑った。
「じゃあ、決まり」
頭をポンポン叩かれて、清人を見上kげた。
「意地悪」
「じゃあ意地悪ついでにもう1つ」
頭に置かれた手を、ゆっくり耳を撫で、うなじに触れる。
「キスしてもいいならするけど、人がいっぱいいるよ?」
そう言われ見回すと、カップルがベンチを全て占領していた。
噴水がある為、この時期にはライトアップしてデートスポットらしい。
「む、無理」
話に夢中で回りに気づかなかった自分が悔しい。
「じゃ、次は違う場所で待ち合わせしなきゃな」
そう笑うと、駅に向かう清人を見送った。
男女のカップルだったらキスをねだっても、あの場所でできたかもしれない。
それでも俺も清人を選んだんだから、我慢。
両思いになった方が苦しいなんて、本当に笑ってしまう。
だから我儘は言わない。気持ちが通じあっただけで幸せだ。
幸せなんだとは思いつつも、ちょっと足取りは重い。
トボトボ歩いていたら、俺の店から出てくるカップルがいた。
手には白い箱を持っていて幸せそうだ。ケーキを買った後の幸せそうな顔って本当に俺は大好き。
「ここのシュークリーム美味しいんだよぅ」
「いや、俺、甘いもの苦手だから」
「えー! 食べてみてよーぅ。本当に美味しいよぉ?」
こんな参道でイチャイチャできるカップルが羨ましすぎた。
いや希望すれば清人はやってくれそう。
「この前作ってくれたあのクッキーなら、甘さ控えめで美味しかったけど」
「本当ぉ?」
「うん。本当! また作ってよ♪」
男の方が女の人の手を握りながら、微笑んでいた。
甘さ控えめのクッキーか。それなら清人も食べやすいかな。
でも甘いからこそ美味しいんだよ。考えても、お菓子のレシピを見ても首を傾げてしまう。甘くないクッキーなんて、俺は魅力を感じないらしい。
清人は先ほどのカップルには目もくれずさっさと店に入ってお菓子を吟味している。でもやっぱ甘さ控えめなマカロンやプリンを見ているようだ。
帰宅して早々だが、父も母も忙しそうなので俺がカウンターへ回る。
「清人、何が好き?」
「何って抽象的だな。じゃ憂斗」
「ばか」
マカロンをお買い上げの清人に、お釣りを渡す時に然り気無く聞こうとしたけど、分からなかった。
ドライフルーツ好きって言ってたけど、逆に俺がお菓子作りで使ったことがないんだよな。スコーンとかチョコに使ったぐらいかな。
「あ、サンドイッチは好きかも」
突然突拍子もなくて驚いたけど、清人ぽいといえば清人っぽい。スイーツじゃなくて「オープンキャンパス。憂斗のお弁当とか食いたい」
「学校にお弁当持っていくの恥ずかしいじゃん」
「なんだよ。期待させて」
ちょっと拗ねたのち、マカロンの箱を受け取ると嬉しそうに微笑んだ。
俺が作ったお菓子も食べてそんな顔してほしい。たとえスイーツじゃなくてもこの際、いい。
「具は何が好きなの」
「卵」
嬉しそうに言われればもう作る以外の選択は考えられなかった。
***
甘くないクッキーに、オープンキャンパス用のお弁当に、英語の小テスト。
俺の苦手な三銃士はどれも属性がばらばらで攻め方も違うから苦労する。
それから来週からは指定校の自己推薦文と面接の練習も始まるんだっけ。
頭の中を清人だけにしたいのに、受験生にはする事がいっぱいだ。
「早く大人になりたい」
「ぶっ」
「大丈夫?」
清人が飲み干そうとしていた珈琲を吹き出した。
ハンカチを渡しながらため息が出そうだった。
最近の定番デートは、俺の店から駅まで清人を送っていくコース。
短いんだよー。でも早く帰らなきゃご飯の時間もあるし一緒に食べなきゃ、うちの双子が拗ねるから時間は長くならない。
「いや、悩みか?」
優しい瞳で俺を見つめてきたけど、甘い瞳に照れてしまう。
「うーん、ただ思っただけ」
顔を近づけられただけでこの心臓の音。
俺、恋人になったはずなのに、こんなに近づかれても未だに慣れないなんて。
はやく慣れないだろうか。
そうしたらもっといっぱい抱き締められるのに。
背中とか触ってみたいのに。
あの綺麗な指だって、もっと触れるのに。
駅前で別れてからは寂しさに悩みもプラスされ最大のため息が零れた。
「母さん、格好いいお弁当箱無い!?」
「あらー? しのとりのしかお弁当作らないからねぇ」
台所を漁っても、ウサギやひよこのお弁当箱しかなかった。
俺の弁当はいつも使い捨てのランチボックスなんだけど、親にお弁当を作ってもらう習慣がないさやのための大きいのだし、可愛いのばっかなんだよな。
一番無難なのさえ清人には似合わないピンクのチェック柄。ぎゅうぎゅうにサンドイッチ詰めたら隠れてくれるかな。
「じゃあ、母さん、明日のオープンキャンパス用にお弁当作るから手伝ってよ」
「あらあら。お母さんが作ってあげるわよ?」
「あ、いや、その、俺が作るから、味とか見てくれるだけで良いんだ」
そう言うと母さんは首を傾げた。
「ふぅん? 誰かに食べさせるのねー。博人さん 憂斗に彼女みたいよー」
「違う違う」
言い訳すればするほど誤魔化せなくなるので、結局母を追い出して自分だけで作ることにした。
***
夜遅くまで頑張って作った甘くないお菓子とサンドイッチ。
眠いし全然可愛く作れなかったし、ボロボロだ。疲れて今すぐベッドにダイブしたい。
「憂斗」
いや。
疲れたと思ったけど、疲れなんてぶっ飛んだ。清人が、俺を見つけて微笑んでくれている。こっちに向かってきてくれるだけで癒される。
手を振る腕に、ゴツい腕時計があってなぜか胸が締め付けられた。腕時計とあの指が似合いすぎてて、すっげぇ格好いい。
いつもお見送りしかしなかった駅で待ち合わせってなんかいいな。俺も駆け寄って二人で電車に乗り込んだ。
「専門学校って、家から駅4つって事は家から通う予定?」
「そのつもりだよ」
朝一時間早く起きなければいけなくなるのと、妹二人の朝の支度を手伝えなくなるのだけが心配だけど、最近は我儘も言わず自分たちで支度できるから大丈夫かな。
「俺が一人暮らしする予定の駅の方が近いから、一緒に住もうか?」
「へ!?」
「って思っただけ。妹が一緒に住もうってうるさいから断る理由にもなるんだけどな」
電車に揺られながら、清人の言葉にも、心が揺れてしまう。
一緒に住めたら、それは嬉しいかもしれないけど、けど毎日意地悪されそうだしなぁ。
「真剣に悩む憂斗、可愛いな」
からかわれてムッとなる。
いつか、もっと大人になったら俺だって清人が困るような言葉でからかってやりたい。
「お、パンもあるじゃん」
「え?」
学校に着くと、すぐに入り口でパンフレットを渡された。
専門学校は体育館ぐらいのこじんまりした建物で、学校とは違って広い運動場や入り口はない。教員用の駐車場にテントを張ってオープンキャンパス参加者の受付をしているぐらいだ。
受付に置いてあったパンフレットを見た清人が甘くないパンを発見していた。
体育館ぐらいしかない小さな製菓専門学校だったから知らなかったけど、別館に調理科もあったらしい。
知らなかった。俺、どうしよ。
三階立ての、鉄筋コンクリートの殺風景な建物の一階。
一階は製菓科一年生のクッキーやら焼き菓子系と調理科一年生のパン屋が並んでいた。
「ふーん。たこ焼きパンだって、すげー」
清人が、普段見せない無邪気な姿を見せてくる。
けど、けど、俺、パン焼いて来たんだよ。サンドイッチ作ったんだよ。
もしこっちを食べられたら、俺の出せない。発酵が上手く行かなくてなんかちっちゃくなったしベーコンは焦がしたし。
こんなふっくら美味しそうなパン見た後には出せないじゃん。
忘れたって言おうかな。
「憂斗、どした?」
「あ、ううん」
「真っ青だけど? 向こうに休憩所あるから座る?」
「ああ! こっちのクッキー美味しそう」
心配されないよう、清人の腕を掴んでぐんぐん進んだ。
「このサンタのクッキーとか双子にどう?」
「本当だ。喜びそう」
本格的なアニメキャラから、絞ったクッキーや、売ってるクッキーを自分たちの手で味を再現させてたり、見てたら確かに面白いし美味しそう。
結局いっぱい買ってしまった。
「確か体験学習でクッキー焼けるらしいです」
「付き合うよ?」
「でもクッキーならいつも作ってるからなー」
一応、体験学習は授業で使ってる調理室でしているみたいだから、どんな調理室か興味があるけどなんか今日の俺、間が悪すぎる。
「じゃあ、お弁当食べようか」
「あ」
「あ?」
心なしか清人の目がきらきら輝いている気がする。
これは期待されてる?
「実は、俺……」
斜めにかけたバックを握り締めて、固まった時だった。
「早く食べたい」
「で、もちょっと膨れ方失敗した」
「良い良い」
「玉子だって殻が入ったかもしれないけど」
清人は足を組み変えると肘をついて笑う。
「憂斗が頑張って作ったって所が大事なんだよ。食いたい。てか食わせて欲しいんだけど?」
おねだりするように首をかしげられたら、昨日の寝不足が吹っ飛んだ。
今なら重箱でおせちが作れそうだ。
「どうぞ」
結局、うちの店のケーキの箱に入れられたのはサンドイッチ。
食パンとバターロール。
中にアボカドと海老、卵にハム。シンプルというか簡単な奴にした。
手作りハンバーグとか卵焼きとか、手が込んでて重いとか思われそうだったし。
清人は箱の中身をのぞき込むと、急いで自分のカバンから携帯を取り出した。
「清人?」
スマホで夢中になって写真を撮ってる。
「食べるの勿体ないな。やべー」
大事そうにサンドイッチを取り出して、甘く甘く微笑んだ。
「ありがとう。頂きます」
俺こそ今の笑顔、写メに撮りたい。撮りたいよー。
清人が笑顔で食べる中、俺はフワフワ緊張するだけで、サンドイッチの味なんて全くしなかった。あとサンドイッチにしたのには、ちょっとだけ考えがあったりする。
「ん?」
指についたアボカドをペロっと舐めとる清人。
それなんだ。その長い指先が動いたり、舐めたり、よく見えるのはやっぱサンドイッチだよね。
うん。鼻血出しそう。
「めちゃくちゃ美味しい」
またペロっと指を舐める清人に言われて慌てて現実に戻る。俺ってば何を考えてるんだよ。
でも美味しいって言われたら嬉しすぎて、なんて答えて良いか分からずにキスしたくなる。
慌てて邪念を払い除ける為に首をブンブン振ると、清人はケタケタと腹を抱えて笑っていた。
どうしたらこの人のこの余裕を壊せるんだろう。
俺も清人も、ケーキをそれぞれ選んでから専門学校を後にした。
始終甘い香りが漂うオープンキャンパスは、俺にとっては幸せだったけど、いつもより長く一緒にいるのに短く感じる。
後は、昨日徹夜で作ったこれを渡すだけなんだけど……。
「来週の金曜日、俺の家、来ないかな?」
暗くなった帰り道をゆったり歩きながら、清人は言った。
「聞いてみないと。でも多分大丈夫と思う」
「ちょうど塾が清掃入るのと妹が友達の家に泊まるらしくて一人なんだよな」
双子の妹か。あれ以来会っていないので気まずいからいない方が助かるけど、二人?
両親もいないってことかな。
「いや?」
「ううん。邪魔しようかな」
「じゃあ、来いよ」
トントン拍子でなんか凄い事が決まった気がするけど、違う違う。
俺は、今日1日、清人に会話もデートも全てリードして貰っただけ。
全然、甘えられてないんだから。もう1回信号を渡ったら駅前の道に出る。
そうしたら人や車が増えてしまう。
「清人! ままだ帰りたくない!」
俺は勇気を出して清人の服の裾を掴んだ。
清人は彫刻のように固まった。
「俺、俺、」
「あー……。くそっ」
苦しそうな泣きだしそうな声が色気あるなって思っていたら、清人の裾を握りしめた俺の手を、握り返した。
「帰したく、ねぇ」
そう言って、俺を引っ張って行く。
「わっ」
駅に続く線路沿いにある細い道。
清人は俺を抱き締めると、フェンスに俺を押し付けてきた。
清人の体とフェンスに挟まれて、痛い。
「清人?」
「ちょっと今、理性と戦ってる」
「りっ!?」
「このまま、部屋に連れ帰りたくなったのを耐えてんだよ」
うー……、と唸る清人。
必死な彼が可愛くて俺はおずおずと抱き締められた腕を、抱き返してみた。
「デートも好きでだけど、俺、もっとこう、い、イチャイチャしてみたい」
「イチャイチャって、お前なぁ」
「気持ち悪いよな。でも俺、なんかドキドキして幸せで」
――俺も、このまま連れて帰って欲しい。
そんな大胆な事は恥ずかしくて言えず、代わりにグリグリと頭を埋めてみた。
「なんか、まじ、愛しいな」
頭を撫でて貰うのが気持ち良い。
夢中になって抱きしめている手に力を入れていると、斜めがけのカバンが肩からするりと落ちて、音を立てて地面に叩きつけられた。
あっ
足元に視線を落とした。
カバンの中には渡していなかったクッキーが入っていたが、お亡くなりになった音がした気がする。
「どした?」
「何でもない!」
「……後ろに何を隠した?」
「隠してないよ。あ、もう帰らなきゃ」
「――憂斗?」
けど、これは見せられない。
落ちた時に踏んだ気もするし、割れてる。
「何でもない」
上手に笑えたつもりだったんだけど清人は誤魔化されてくれない。
「言うまで此処でキスされてぇの?」
「さ、……されたいかも」
清人は、少し照れたのか目が優しくなった。
それは本音だけど、うまくクッキーを隠せたならいいや。
清人が俺の背中をなでたと思うと、気づけば背中に回して隠していたカバンに手を入れられていた。
「お、なにこれ」
「あああっ」
清人が取り出したのは粉々のクッキー。やっぱ落としてきたときにカバンごと踏んでしまったか。
「……か、返して」
「これ、クッキーじゃん。俺に作ってくれたの?」
「でも間違えて踏んだから」
ぎゅっと目を閉じて首を振った。
「頂戴。なんかこれ、良い薫りがするし」
「駄目。作り直す」
清人は小さな声で『やっぱ俺のじゃん』と笑うと、クッキーを開けて食べ出した。
「うっま。ドライフルーツ入ってんの?」
「前に好きって言ってたから」
「あ、全部食べちゃった」
粉々になった部分まで袋から取り出して食べてくれた。
「ご馳走様 ありがとう。また食べたい」
本当にうれしそうに笑ってくれたから、照れてしまった。
清人の笑顔はどれほど砂糖を使ったスイーツであっても負けてしまいそう。
それほど俺を蕩けさせる甘さがある。
その後、何度も通りすぎる電車を見ながら、俺と清人は、終電までイチャイチャしてしまった。
クールに見えていた清人は同年代のただの意地悪で格好いい良いやつで、優しくてそしてただ単に俺に甘い。
甘いケーキより、俺はそんな清人が好きみたいだ。
家に帰ると、オープンキャンパスのお土産を楽しみにしていたりのとしのは眠っていたから少しだけ申し訳なくなった。
でもたまには自分優先で楽しい時間を過ごすことを許してほしい。
***
「加賀くん、放課後は進路指導室に」
オープンキャンパスも終わり、いよいよ面接練習が始まった。
面接練習は担任や暇な先生に時間を作ってもらって放課後にする。国立コースの担任や教科はなるべく下げ、一年や二年の学年主任とか5教科以外の先生に頼むことが多いんだけど、さやは檜山先生に頼んでいて自分ひとりじゃ恥ずかしいからと俺まで頼んでいた。
なので俺も今週から面接練習を始めることになった。
ただ俺、頭浮かれてて、何も返答とか考えてなかった。
「前島さんは問題ないけど、加賀くんは次の木曜も面接しましょうか」
「木曜?」
「なにかテストや面接より大事なことがありますか?」
ジロリと睨まれて、縮こまってしまった。
今日も木曜も、清人が来る大切な日なのにまあ指定校のテストの対策を全くしていなかった俺が悪い。
清人に曜日をずらして貰おうかな。塾は毎日来ているから会えるのは会えそうだし。
「良いですか? 試験日は二週間後ですよ? これから毎日放課後は試験対策してください」
「二週間もこれから?」
「学生が勉学に勤しめないなら、バイトも恋人に会うのも慎みなさい」
こっ。
俺ってやっぱ浮かれているというか顔に出やすいのかな。浮かれてふわふわしている自覚はちょっとだけあった。隠すのが下手なのも要因だろう。
「それが嫌なら、勉強も日頃の行いもしっかり文句を言われないように頑張りなさい」
「はい」
俺が全面的に悪いんだしな。
俺は清人みたいに普段からこつこつ周りを安心させるように動いていない。面接練習や自己紹介文なんて書いてないし練習もしていない。付け焼き刃でやるにしても練習期間が長くあれはあるほど自信につながる。
放課後は今後面接練習、自己紹介文の作成。自己紹介文をもとに面接をする場合もあるらしく、自己紹介文は檜山先生以外からもチェックが入る。なので担任、学年主任、檜山先生に休み時間や放課後に確認してもらわないといけない。
確かにバイトなんて行く暇ない。面接と自己紹介文の書き方を指導してもらうだけ気づけば部活終了時間まで学校に居残りしていた。
空はすっかり暗くなっていて、いつも清人が店に来るぐらいの空の色に染まりつつあった。
***
「清人!」
真っ暗な空を眺めて、スマホを取り出した時だった。塾の下のコンビニに清人を見つけた。
「今、メッセージしようとしてた。大変だな、受験生は」
同じ受験生のはずの清人が余裕ぶった笑顔でまぶしい。
これは現代のウサギと亀だ。俺は何もやっていない亀の方で清人は勤勉なウサギだけどさ。
二週間帰りが遅くなると連絡していたけど、塾が終わって今メッセージを確認したらしい。
「俺が悪いんだよ。何も対策考えていなかったし。でも、会える時間が減っちゃうし」
「んな顔するなよ。試験終わればちょっとは解放されるし」
「で、土曜はどうする? 家で大人しく勉強しとくか?」
「やだ! 遊びに行く」
土曜日まで試験対策してたらストレスで甘いもの爆食いしてしまいそうだ。
「じゃあ、土曜までは頑張って勉強するんだぞ」
「子ども扱いするなよ。当たり前だろ」
そう言い返したら、ククッと声を抑えて笑われた。
ビルの隙間から見える綺麗な月を見ながら、ため息が零れた。
そろそろ駅に向かわなければ、清人が帰るの遅くなってしまう。
今日、清人と会えたのはほんの数分だ。
「憂斗」
「ん?」
本当に刹那。一瞬清人が屈むとキスしてきた。
バッと口を隠して辺りを見回す。
誰にも見られてないよな?
「清人っ」
「誰も見やしないって。人は、案外他人を見てないよ」
そう清人は笑うけど、心臓がバクバクする。
俺のケーキ屋からも頑張って窓を覗き込めば見れる位置だし、塾帰りの生徒はコンビニの裏にある駐車場で待つ人らが大半らしいし、周囲に人がいなかったのは俺も確認してたけどさ。でも、そんな簡単な事じゃないと思うんだ。
もし、もしバレたら……。
「悪かった。気を付ける。お前が帰りたくなさそうな可愛い顔するからさ」
ポンポンと頭を叩かれたけど、不安は消えない。
誰に反対されても今さら清人の気持ちは止まらない。
けど、誰にも邪魔されたくないんだ。
誰にも知られず、悪いことでもないのに、俺はそんなにイケナイ恋をしてるのだろうか?
俺もキスは嬉しかったのにちょっとだけ気まずい雰囲気を作ったまま別れてしまった。
帰宅すると父さんは奥で道具を洗っている音がする。
「あら。遅かったのはデートじゃなくて追試だったの?」
母が双子の妹にオムライスを食べさせながら、首を傾げた。
「デッ!?」
「でーと?」
「でーと?」
「母さん! 二人の前で言うなよ。違うよ。試験日まで面接の練習とかすんの」
唐揚げがいっぱい入った皿から1個口に放り込むと、洗い物を終わらせ自分のオムライスを持ったままリビングへ入ってきた父さんも口を出した。
「さやちゃんも言ってたぞ。お前が最近彼女できたって」
「か!?」
「かのじょー?」
「かのじょー?」
「か、のじょは居ないよ」
母さんから渡されたオムライスにはケチャップで『祝』と書かれていて疲れが一気に襲ってくる。
ポテトサラダの中のウサギ型の人参を見ながら冷や汗が止まらない。
「話せない事なら無理に聞かないけど、受験前にハメをはずしちゃ駄目よ」
「そうだぞ。さやちゃんにも誤解を解いとけよ?」
「う、うん」
ヤバい。
家族に秘密なんてもった事なかったけど、どんどん秘密が増えていく。胸が苦しい。
うちの両親ならとくに反対も説教もないだろうけど、どうしても言えない。
土曜日。
なんと清人の誕生日らしい。
こっそり清人の生徒手帳を写真撮っていたのを眺めていたら発見した。
そういえばもうすぐとは言っていたけど、日にちは聞いていなかった。
本当ならば誕生日ケーキを作って持って行きたいけど、清人は甘いものが苦手。
金曜も自己紹介文の添削してもらった後に面接練習してから家に帰ってケーキはギリギリだ。土日はいつもよりケーキやシュークリーム多くつくるから調理室借りられないし作るなら家のキッチンだけど、妹二人が欲しがりそうだし。
甘くないケーキなんてケーキじゃない派の俺は何を作ればいいのかわからない。
チーズを何種類か混ぜてドライフルーツも混ぜてとなると調べて練習もしたいし時間が足りない。そもそもドライフルーツはクッキーで使ったしワンパターンかな。
いっそケーキみたいなちらし寿司みたいなご馳走の方がいいんじゃないかな。
でもお菓子作りは好きだけど料理はほぼ経験がない。双子の妹のお弁当を作ろうとしたら、あまりに小さなお弁当箱でおにぎりしか詰められなかった経験がある。
試験が終わってからあとで誕生日会をやってもらった方がまだ時間をかけられる。
一学期に指定校が決まり、二学期は免許取りに行ったりバイトしたりと時間取れるらしいし、今だけなんだ。今だけの辛抱だ。
十月からはクリスマスケーキの恐ろしい準備期間が始まる。
保存が効くクッキー系から大量に作っていき、十二月はスポンジスポンジスポンジのスポンジ地獄と生クリームホイップ地獄が待っている。だから今は俺の時間。
試験さえ終われば、しばらくはゆっくりできるはずなんだ。
今日は自己紹介文のチェックを学年主任に頼んでいたのに、主任が忙しかったからと教頭先生がチェックしていた。
職員室に取りに行ったら、教頭が不機嫌に待っていてこんな稚拙な文は駄目だと書き直しさせられそうになったが、古典のような古い言い回しの添削に真っ青になった。
俺は自分のことを『某は』とか『云ふ』とか書かない。教頭が根性を叩き直してやると地毛の茶色っぽい髪の毛まで文句言いだしてきたので、急いで逃げてさやと檜山先生の援護の元学校から脱出した。
流石に試験二週間前に古典まで習いたくない。
「ただいまー」
店から入ると、調理場の方で父さんがチョコに文字を書いていた。
ほっとする。やっと現代に戻ってこれたファンタジーの主人公の気分だ。
「おかえり、ハニーが帰ってくるまでちょっとだけ店みててくれ」
「ほーい」
レジ横に座り、パソコンが置かれた机の上のパンフレットを手に取る。
父さん達近くのパティシェ同士で、お互いのケーキを見せ合って高め合う、毎年恒例の勉強会の時のケーキ。
それをパンフレットにして毎年まとめるんだけど、清人にあげるケーキの参考になれば、と思いわくわくしながらページを開く。
俺、生クリームを絞って、白くまみたいにデコレーションケーキ作ったり、かまくらみたいに好きなだけ生クリーム塗るのが好きなんだけど、清人ならチーズケーキかビターなチョコケーキとかの方が良い気がする。
生チョコケーキのチョコをカカオ多めにしたらどうだろう。
「……る?」
甘いものが苦手なだけでプリンとか美味しいと言っていたもんね。
甘いものが食べれないわけではない。
「……聞いてる?」
少しずつ甘さを増やしていって舌を慣らしていくってのはできないんだろうか。
「あの、さっきからずっと呼んでるのに聞いてます!?」
ハッと夢の世界から現実に戻ると、セーラー服を着た美人な女の子がーー。
「あっ」
違う。清人の妹さんが仁王立ちしていた。
「あ、雨宮さん! すみません。いらっしゃいませ」
にへっと笑って誤魔化すが、妹さんはツンッと横を向くとチラシを差し出してきた。
よく考えればいきなり告白されてお断りしてからずっと会っていなかった。
少しだけ空気が重い気がする。必死で気にしていない雰囲気で接するけど、居たたまれない。
「ケーキの予約、よろしいかしら? これ」
「はい! ありがとうございます!」
父が去年パティシエ仲間と作ったチョコケーキだ。期間限定で販売するんだけど、ブログかSNSで見てきてくれたのかな。
チラシの予約の記入覧を、ウキウキと切り取り線になぞって切る。
「――貴方、最近私の兄と仲がいいみたいですね」
「あっごめんね、その」
振られた相手と兄が仲良くしてたら嫌だよね。
彼女の気持ちなんて全く考えていない行動は確かに申し訳ない。
綺麗で、女の子の中の女の子のように、小さくて細くて、白くて綺麗な女の子。
清人と似てはないけど、なんか存在感かある所はさすが兄妹だ。」
「ふん。急いで色々辻褄合わせたり嘘、言わなくてもわかるわよ」
予約が完了した領収書を渡すと、妹さんは領収書を引ったくった。
呆然と見ていると、彼女が俺のつま先からゆっくりと顔まで見てきて、そして冷たい瞳で睨んできた。
「人が見ているコンビニの前で、気持ち悪い。何を考えてるの?」
コンビニの前――。
それって昨日の不意打ちのキスの事?
眩暈でよろけそうになったが踏ん張ると、彼女は予約したチラシを見せびらかしながら俺をあざ笑った。
「誕生日は家族でこのケーキを食べるから。邪魔しないで」
そう言って、さっさと店から出て行った。
壁に背中を押し付けながら、ズルズルと床へと座り込む。
一番見られたらいけない人にみられてしまった。
こんな事態は予測してたしバレる事もあるだろうと思ってた。
でもそんなのは今はきっと問題ではない。
一番問題なのは、振られた彼女をさらに傷つたことだろうな。
『――気持ち悪い』けど、実際に言われたらそこまでダメージはない。
本当に俺が清人を好きになる事って、その思いが叶って恋人になることって、身内から見たら気持ちが悪いって事だろう。
仕方ないけど、現実は甘くない。
じゃあどうするか?妹
さんに迷惑をかけないようにするには彼女と接触しないようにしか考えられない。
でも雨宮さんを諦められるほど、まだ大人にはなれないし、そんなふうに物分かり良い人になりたくない。
「よし!」
勢いをつけて立ち上がると急いで店を出た。
「雨宮さん、待って!」
早足で歩く妹さんを呼び止めたが、止まる気配はない。
それどころか振り返りもせずに、早足で歩き出した。
「雨宮さん……。本当にごめんな。君を沢山傷つけるつもりはなかったんだ」
早足で歩く妹さんに追い付くと、横について歩き出す。
けど、俺の方を見てもくれない。謝り過ぎるのも無神経なのかな。
「俺、妹さんが俺みたいな平凡な奴を好きになるなんて釣り合わないって怖くて振ったけど、その、その、ガキだった。妹さんの気持ちとか恋心とか理解してなかったんだ」
清人の事も恋愛として好きと自覚もなかったし、一度でも誰かを好きになったり振られれたら、妹さんの気持ちも理解できたかもしれないのに、ガキすぎて申し訳ない。
「でも、気持ち悪いかもしれないけど簡単な気持ちで好きになったワケじゃない。
迷ったし悩んだし、けど止められなくて」
妹さんの足が止まり、下を向くと肩が震えていた。
「最低」
「え?」
「最低って言ったの。無神経。最低よ、貴方」
左頬に、痛みが走った。彼女の爪が頬に刺さる感触が残る。
「な、んで、なんで私にその話をするの……?」
「あ、……まみやさん」
白く綺麗な頬を、涙が伝っていた。彼女は俺の頬を見て視線を逸らしたが、肩はまだ怒りで震えていた。
「薫。私の名前は薫よ。なんで、なんで私は名前も覚えてないのに」
ぐずっと鼻をすする薫さんにポケットからハンカチを差し出すと、手で叩き落とされた。
「なんで、なんでお兄ちゃんなの?」
「――ごめん」
「女にとられたんならまだ納得できた。私、フラれてからも、貴方の笑う姿や、ケーキを幸せそうに見る姿が忘れられなくて。は、初めて、初めて好きになったのに、こんなの酷い。不毛すぎるわ」
ケーキの引換券を両手で、クシャクシャにしながら、薫さんは泣いた。
「目で追いかけてたから、貴方がお兄ちゃんを好きなのはすぐに分かった。でも、女のプライドはズタズタだし、お兄ちゃんは嫌いになれないし」
クシャクシャにした引換券を俺に投げつけながら、その瞳は酷く沈み、酷く悲しんでいた。
「――貴方を嫌いになるしかないの」
そう走り去る薫さんを今度は追いかける事はできなかった。
まだわかり合うには時間がかかるだろう。
でも叩かれた左頬は、ズキズキと痛み、腫れは引かなかった。
甘い恋の代償の、この痛みは。
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