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第3章 虚ろの淵より来たるもの

王の不在

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 黄の国にて帝国の襲撃があったのとほぼ同時刻、赤の国グランデルの王城でもまた、城内に警鐘が鳴り響いていた。帝国による強襲である。
「団長! 国中で魔物の発見報告が相次いでます! まず間違いなく魔導による使役魔かと!」
「確証はありませんが、これだけ広範囲に渡って襲撃があったとなると、十中八九空間魔導絡みなんじゃないかと宮廷魔法師たちは言っています!」
 軍議室にて部下たちから報告を受けたガルドゥニクスは、机に広げた国内の地図を睨みながら口を開いた。
「現地の状況は」
「国内全域にて、中央騎士団を除く四騎士団が対応中! 現在のところ国民に被害は出ておらず、騎士団員の負傷も軽度のものとのことです!」
「そりゃあ何よりだ。うちの騎士団がやられたとあっちゃ、他の国に顔向けできんからな。……しかし、東の団長は病み上がりだろう?」
 大丈夫なのかと問うガルドゥニクスに、部下が笑う。
「団長ならそう言うだろうから、そしたら余計なお世話だと伝えてくれって伝言が来てますよ」
「あの野郎……。北はまず大丈夫だろうが、西はどうだ。あそこは金の国の防衛にも一枚噛んでるだろう。人手は足りてるのか?」
「あ、西の団長から伝言受け取ってます! ガルドゥニクス団長とは頭の作りが違うから問題ないそうです!」
 挙手して発言した団員を見て、ガルドゥニクスはやや疲れた顔をして溜め息を吐いた。
「どいつもこいつも……。 じゃあ今一番仕事が多い南は、……いや、あそこには強力な助っ人がいたな。なら大丈夫か」
 そう呟いたガルドゥニクスは、手近にいた部下を見て口を開いた。
「取り敢えず、東と西に軽口を叩く余裕があることは判った。心配して損したって言っとけ」
「了解しました! 文官に頼んどきます!」
 そう言って退室した部下と入れ替わるようにして団長の傍に来た別の部下が、地図を見て首を捻る。
「しかし、国内に魔導陣がないことは薄紅とか紫のとこの王様が確認した筈ですよね? じゃあ魔物はどうやって気づかれずに国内に潜り込んだんだと思います?」
 問われたガルドゥニクスが低く唸った。
「お前、俺がそういう細かいことを考えるのが苦手だって判ってて訊いてるだろう?」
「あ、バレました?」
 あはは、と笑った部下の頭を、ガルドゥニクスの隣に控えていた副団長のミハルトが容赦なく殴る。
「いってぇ!」
「団長に無礼な真似をするな。殴るぞ」
「もう殴ってるじゃないですかぁ! ていうか副団長だっていっつも団長に失礼なこと言ってる癖に、自分のことは棚上げですか!」
「私は良いんだ」
「うわ、出た出た! そういうの差別って言うんですよ!」
 文句を言う部下を無視して、ミハルトはさっと周囲を見た。
「他に何か情報を持っている者はいないか? 不確定なものでも良い」
 ミハルトの言葉に、あっと一人の部下が声を上げる。
「ほんとに未確認の情報なんですけど、なんか、飛行型でもない魔物が空から降ってきたみたいな話は聞きましたよ。つっても現場は大混乱だろうから、見間違えかもしれないんですけど」
「空から?」
 なんだってまた空から降ってくるんだ、と首を捻ったガルドゥニクスの横で、顎に手を当てて思考していたミハルトは、僅かに目を見開いて地図を掴んだ。
「ミハルト?」
「……渡りだ」
「わたり? なんだって?」
 小さな呟きに首を傾げたガルドゥニクスを、ミハルトがばっと見上げる。
「渡り鳥です! 今はちょうど、東の大陸からここへと渡り鳥がやってくる時期なんですよ! その渡り鳥に魔導陣を仕込んでいたとしたらどうです? 擬似的に空に魔導陣を置くことができるとは思いませんか?」
 突飛といえば突飛な発想だ。ガルドゥニクスには、果たして生物に魔導陣を仕込むなどという芸当ができるのかどうかすらも判断できない。だが、現状において最もそれらしい説ではあった。
「なるほど。確かにそれなら説明がつくと言えばつく。だが……」
 難しい顔をしたガルドゥニクスに、ミハルトが頷く。
「はい。それでは数が少なすぎます」
 現れた敵の数と渡り鳥の数が合わないのではない。寧ろ、報告を聞く限り、毎年やってくる渡り鳥の数と敵の数とは釣り合っているようにさえ思えた。つまりミハルトは、グランデル王国を相手取るには渡り鳥の数が不足していると言っているのだ。
「もしこの方法で敵が送り込まれているとしたら、鳥たちが魔導陣の発動に耐えられるとは思えません。恐らく、発動と共に肉体が弾けるなりすると考えると、魔導陣の発動は一羽につき一度きり。確かにこの時期の渡り鳥は群れを成して訪れますが、それでもグランデル王国を相手取るには陣の数が不足していると言って良いでしょう。現に、我々中央騎士団は未だに首都に留まっているどころか、ほとんどが待機状態で済んでいる訳ですから。けれど、それくらい帝国側も判っているはず」
「……帝国の狙いは別にあり、これは陽動にすぎない、か?」
 そう言ったガルドゥニクスに、ミハルトが頷く。
「はい。そう考えるのが妥当かと。…………つまり、恐らくは宰相閣下の読み勝ちです」
 そう言って肩を竦めてみせたミハルトに、ガルドゥニクスもまた、城を留守にしているグランデル王国宰相のことを思い浮かべた。彼はガルドゥニクスよりも一回りほど若いが、常にその重責に見合った働きを見せていた。今回もまた、その例に漏れず役目を果たしてみせることだろう。ならば、王立中央騎士団の団長としてガルドゥニクスがすべきは、宰相に任された首都の防衛と、有事の際の柔軟な対応である。
「よし、中央騎士団は基本的に持ち場にて待機だ! これ以上の事態にならない限り、うちの団の戦力は温存する方向でいく!」




 一方その頃、南のラルデン騎士団の砦でも、魔物の襲来を知らせる団員たちの声が相次いでいた。騎士団長であるジルグ・アルマ・レーガンは、団長室にて矢継ぎ早にやってくる部下たちの報告を捌きながら、卓上の地図を見て目を細めた。
 ラルデン騎士団は今、レクシリア宰相からの命により、海域の警戒にかなりの人員を割いている。帝国が本格的に仕掛けてくる場合、帝国と円卓を隔てている海から来る可能性が最も高いだろうという見通しによる指示である。ジルグもその意見には同意し、だからこそ海沿いの駐屯所に多くの団員を配置していたのだが、今回魔物の襲撃が確認されたのはもっと内陸部である。それも、一か所に集中的に現れたのではなく、随分とまばらに出現しているらしい。だが、だからと言って敵の数が少ないかというとそうでもなく、一か所につきそれなりの数の魔物がいるとの報告もされている。
 魔物の出現場所は、どれもこれも砦からやや離れた都市近郊ばかりだ。すぐさま砦に残っている団員を派遣したが、やはり数が不足している。現在動かせる団員だけで処理しきれないことはないが、それでは国民や土地に一切の危害が及ばないという訳にはいかないだろう。
「団長! 新たに南南東のローグラム近郊にて魔物の出現が確認されました! ご指示を!」
「……少し待て」
 これはさすがに手が回り切らない。だが、かと言ってこの緊急時に判断を引き延ばすわけにもいかない。どうするべきかとジルグが地図を睨んだとき、団長室の扉が開いた。
「ジルグ団長、海浜の屯所に詰めている団員の半分を魔物への対処に当たらせてください。残り半分は、海浜付近の住民への避難勧告とその補助を」
 部屋に入ってきてそう言ったのは、レクシリア・グラ・ロンター宰相だった。
 常と変わらない落ち着いた声でそう言ったレクシリアに、ジルグが僅かに眉根を寄せる。
「しかし、それでは海側の守りがなくなります。最も警戒すべきは海だと仰ったのは宰相閣下でしょう」
「おや、その見通しに反した場所で多発的に魔物が湧いている現状において、まだ私のその考えを支持して頂けるのですか?」
 柔らかく微笑んで首を傾げたレクシリアに、ジルグが更に顔を顰める。
「馬鹿にしないで頂きたい。俺は貴方が優れた参謀であることを知っています。それに、確かに多発的で厄介な襲撃ではありますが、致命的な物量で押されている訳ではない。……これは明らかな陽動だ。それが判らないほど、俺は未熟ではありません」
 ラルデン騎士団の団長は、五人の騎士団長の中では最も若い。それを揶揄しているのならば心外だと言わんばかりの声に、レクシリアは素直に頭を下げた。
「いえ、そういうつもりではなかったのですが、不快な思いをさせてしまったのなら申し訳ない。ただ、貴方の信がどこにあるのかを知りたかっただけです」
「それこそ心外だ。……俺はこれでも、妻と国王陛下の次に義兄上あにうえのことを信頼しています」
 真顔でそう言ったジルグに、レクシリアが苦笑する。
「国王陛下は仕方ないですが、我が妹よりも立場が下とは」
「俺は誰よりも彼女を信じ、愛しておりますので」
 やはり真顔でのたまった若き騎士団長にもう一度苦笑してから、レクシリアは卓上の地図に指を滑らせた。
「空から魔物が降って来るとの報告から予想するに、恐らく帝国は渡り鳥を利用して空間魔導を使っているのでしょう。鳥たちの動向に注意を払いつつ、住民たちを内陸部へと誘導してください。必要に応じて、大型騎獣を使っても構いません。砦より南側の魔物については、基本的に海浜部の駐屯所からの人員だけで対処できるかと。報告を聞く限り、南に行くほど魔物の数が減るようですから」
 レクシリアの指示に、ジルグは眉を顰めた。魔物の数が少ない海浜部の国民を避難させるというのは、海の守りを諦め、万が一のときに国民に被害が及ばないようにするための措置だと思ったのだ。
「陽動だと判っていて、それでも海の守りを捨てると言うのですか? 俺には、帝国が敢えて魔物の比重を内陸側に偏らせ、我々を内陸に留めようとしているように思えます。だとしたら、宰相閣下が予想した通り、敵の本命は海にこそあると考えるのが自然だと思うのですが」
 ジルグの言葉に、レクシリアが頷いた。
「私も貴方と同じ考えですよ。しかし、こちらの数を考えるとこれが最良の策なのも事実でしょう。国民に被害を及ぼす訳にはいきません。……それに、私は海の守りを諦める気などありませんよ。海には私とグレイが行きますから。幸いなことに、この砦から海まではそこまで遠くない。ライガの脚ならばすぐに辿りつける距離です」
 これなら問題ないでしょう、と言ったレクシリアに、ジルグが再び顔を顰める。
「……お一人で対処できると?」
「グレイもいるので一人ではありませんよ」
「ご冗談を。魔術師兼秘書官では戦力になりません」
 食い下がるジルグに、レクシリアがにっこりと微笑む。
「ええ、確かにあれは戦力にはなりません。けれど、あれにはあれなりに、冠位錬金魔術師としてできることがある。ですからほら、早く団に指示を出してください。急がなくては、守れるものも守れなくなってしまいますよ」
 そう急かされ、ジルグが渋々ながらも団員たちにレクシリアの策を伝える。だが、頑固な騎士団長は未だにレクシリアとグレイの二人だけを海浜部へ送るのに納得していないようだった。勿論、優秀な騎士団長は自分が気に食わないからという理由でレクシリアの決定を邪魔するようなことはしないだろう。けれど、できることなら納得の上で送り出して貰いたいものである。
 そう思ったレクシリアが、さてどうするかと思案を始めたところで、再び部屋の扉が開いた。そして、レクシリアによく似た顔立ちの美しい女性が中に入って来る。
「聞きましたよ、お兄様! グレイと二人で良いところを持っていこうなんてズルいです! 私もご一緒致しますわ!」
「マルクーディオ!?」
 思わず彼女の名を叫んだのは、ジルグ団長である。突然団長室に入室してきたのは、団長の奥方にして宰相の妹であるマルクーディオ・グラ・レーガンだったのだ。
 騎士団の砦にはいささか相応しくない綺麗なドレスを身に纏った妹の登場に、レクシリアは額を押さえる。
「マリーお前、どっからそれ聞いた……」
「あら、グレイが丁寧に教えてくれましたよ?」
「……そう言えばお前ら、やたらと仲良かったな……」
 盛大な溜息を吐いたレクシリアの横で、ジルグがやや困った顔をしてマルクーディオの手を握る。
「馬鹿なことを言うなマルクーディオ。貴女を戦場に出す訳にはいかない。危険な場所なんだぞ?」
「それくらい判っています。けれど、人手が不足しているのでしょう? なら、使えるものはなんだってお使いなさい。私はこれでもロンター家で魔法や武術を磨いて来ましたし、嫁いでからもこっそり訓練していたんですから。そんじょそこらの騎士団員さんたちには負けません」
 こっそりそんなことをしていたなんて聞いていない、と思ったジルグだったが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「マルクーディオ、だが、」
「お兄様とグレイだけでは不安だというジルグの気持ちは判ります。お兄様は他の方への負担を減らそうと意地を張っていますけど、事実、二人だけでは何かあったときに対処しきれないでしょう。ですから、私が行くのです。私と、……そうね、ここの砦の団員さんを少しだけお借りできるかしら? さすがに私一人では荷が重いわ」
 夫の言葉を遮って話を進めるマルクーディオに、今度はレクシリアが慌てたように口を開く。
「おいちょっと待て馬鹿。人が少ないっつってんだろうが。これ以上砦から人を割いたら、内陸部の魔物に対応し切れなくなる可能性が、」
「お兄様こそ何を仰っているんです! 栄えあるラルデン騎士団を侮り過ぎなのでは? 数十人程度の穴、ジルグが一人で埋めてみせますわ! そうでしょう、ジルグ!」
 強気な青色の瞳に見つめられ、ジルグは一瞬驚いたように固まったあと、すぐさまこくこくと頷いた。それを見て満足そうに微笑んだマルクーディオが、レクシリアを見る。
「ほら! 判ったら準備なさって! 私はもういつでも出発できますわ! ジルグ、貴方も早く団員さんに用意して頂いて!」
 マルクーディオに急かされ、ジルグが慌てて団員の確保を始める。表情の変化が少なく無口な団長は、相手に威圧感を与えることが多いような男だったが、妻の前では形無しなようである。
 一方のレクシリアも妹に尻を叩かれ、出発の支度をしに自室へと急いだ。
(お転婆だお転婆だとは思ってたが、ここまでだとは思ってなかったぞあの馬鹿……!)
 心の中でそんな悪態を吐いたレクシリアだったが、実際マルクーディオの指摘は正しかった。ここの団に負担を掛け過ぎる訳にはいかないと考えて、グレイと二人で海に向かうことを提案したが、正直なところそれでは心許ない。勿論、それでもなんとかできる自信があるからこその采配だったのだが、あの妹には兄がかなりの無理をしようとしていることがバレてしまったようだ。
(いや、それとも、グレイの仕業か?)
 有り得ない話ではない、とレクシリアは思った。自分を心配したグレイが、わざとマルクーディオに情報を漏らし、彼女にこうして貰うように頼んだのではないだろうか。
 そんなことを考えながら部屋の扉を開けたレクシリアは、中の光景を見て呆れたような諦めたような表情を見せる。
「…………グレイ」
「おや、遅かったですね。けれど安心してください。出発の準備は概ね整っています」
 部屋の中には、遠征の支度を整えたグレイがいたのだ。グレイには別室が与えられている筈だが、どうやら勝手に入って勝手に色々と用意していたらしい。そのあまりの準備の良さに、レクシリアはじとりとグレイを見た。
「……やっぱお前がマリーを焚きつけたな?」
「さて、なんのことでしょう?」
 にこりと笑んだグレイに、レクシリアがもう一度溜息を吐く。
「それで、リーアさん。今日はどれを持っていくんです?」
 そう言ってグレイが視線をやった先には、綺麗に磨かれた白銀の武器が並べられていた。長剣に、短剣、双剣、弓、槍など、どれもかなり上質なものだ。これらは全て、レクシリア個人の所有物であった。
「弓と……短剣でも持って行っとくか」
「短剣ですか、珍しいですね」
 そう言いながら言われた武器を用意するグレイに、レクシリアが頷く。
「今回は魔法が主体の戦いになるだろうからな。弓が嵩張る分、できるだけ邪魔にならない武器が良い」
「なるほど。しかし、ラルデン騎士団の砦に滞在していて正解でしたね。アナタが首都にいたままだったなら、それこそ援軍の到着までは海の守りを捨てざるを得なかった。……ここまで想定済みだったんです?」
 グレイの問いに、レクシリアは肩を竦めた。
「うちは火の国だからな。特性上、水とは一番相性が悪い。となると、向こうが水系統の何かを海から出す可能性は高いだろ。勿論湖にも気を配ってるが、うちには規模のでかい湖がほとんどない。だから、帝国が本気で仕掛けて来るなら海からだと思った。しかも、最も戦力になる国王が今は不在だろ? もし帝国にその情報が漏れているとしたら、これ以上の好機はない。少なくとも俺が帝国側の人間だったら、この機会を逃さずに海から強力な魔物をけしかけるだろうな。……だからこそ、お前を連れて来た」
 レクシリアはとても過保護な性質で、必要がないならグレイを戦場に連れて行きたがらない。それが、今回はついて来いと言ったのだ。この時点で、グレイには自分の役割がきちんと判っていた。
「国王陛下のお考えなんです? それともアナタの?」
「今回の指示は全部俺の独断だ。っつーかあの馬鹿、一切指示出さずに出てったからなぁ」
 レクシリアの言葉に、グレイが意外そうな顔をする。
「珍しいですね。丸投げされたんです?」
「後のことは全て任せる。お前ならば一任しても問題ないだろう? だとさ」
 その言葉に、グレイは盛大に顔を顰めた。心底嫌な王だと思ったのだ。
 レクシリアは絶対的な信頼を以てあの王を尊敬している。そんな相手から全幅の信頼を寄せられたとなれば、この宰相が応えない訳がないのだ。
 あの王ならば未来を見据えて具体的な指示を出すこともできただろうに、王が選んだのは腹が立つくらいにレクシリアの能力を引き出す選択だ。いや、きっとレクシリアだけではない。敢えて何も指示しないことで、すべての部下の底力を引き出したそうとしたのだろう。それはあの王が、自分が見据えた先を元に柔軟性を奪いかねない指示を出すよりも、状況に応じて現場に対応させる方が確実であると判断したからだ。そしてその目論見は、きっとこれ以上ないまでに正しいのだろう。
 まさに、信頼の成せる業だ。臣下が王を信頼し、王が臣下を信頼したからこそ成り立つ策である。だが、それをやってのけたのがあの王だと思うと、どうにも不愉快というか気持ち悪い気がする、とグレイは思った。
「よし、それじゃあ急いで出るか。早くしねぇとまたマリーにどやされる」
「ここの団長と言いアナタと言い、マルクーディオ様には弱いですねぇ」
「うるせぇよ」
 そんな軽口を叩いてから騎獣の元へ向かえば、マルクーディオは既に騎獣に乗って待機していた。だが、その衣服がドレスのままなことに気づいたレクシリアが、咎めるような声を上げる。
「マリー! なんて格好してん、しているんですか! これから向かうのは戦場になるかもしれない場所ですよ! もう少しまともな衣装を着て来なさい!」
「急なお話だったから着替えを用意する暇がなかったんです! それに問題ないですわ! ドレスのままでも私、お兄様より騎乗の腕は優れていますから!」
「しかしマリー!」
「お兄様こそ、いい加減その似合わない敬語はお止めになってはいかが? どうせ皆さま、お兄様の素が粗雑で乱暴なことなんてご存知ですよ!」
 言われ、レクシリアが押し黙る。そんな様を見て、後ろにいたグレイは思わず噴き出した。
「……グレイ」
 咎めるような声に、グレイが笑いを噛み殺す。そんな彼をじとりと見てから、レクシリアは諦めたように騎獣のライデンに跨った。これ以上は時間の無駄だと思ったのだ。
 後ろにグレイが乗ったのを確認してから、ライデンの肩を叩いて空へと発つ。見る見るうちに小さくなる砦を背に翔けるライデンの上で、レクシリアの腹に手を回していたグレイは、ふと後ろを振り返ってやや驚いた表情を浮かべた。
「マルクーディオ様、すごいですね。他の団員はだいぶ引き離しましたが、まだ食らいついてますよ」
 さすがに徐々に距離が開いてはいるが、マルクーディオの乗った騎獣はまだ騎乗者の顔が認識できる程度の距離を保っている。ライデンと彼女の騎獣とでは地力が違うだろうに、素直にすごいとグレイは思った。
「妹君が騎獣乗りとして頭ひとつ抜けていることは知っていましたが、まさかこれほどとは」
「お転婆娘だからな。横乗りであれなんだから、我が妹ながらどうかしてる」
「横乗りなんですか!?」
 信じられないという顔をしたグレイの言葉に、レクシリアは前を向いたまま頷いた。
「あいつも一応淑女だからな。ドレスで跨る訳にはいかねぇだろ」
 そういう問題なのか、と思ったグレイだったが、それについては何も言わなかった。貴族の考えは理解し難いのだ。代わりに、呆れたような声で呟く。
「マルクーディオなんて男性名をつけるから、ああもお転婆なお方になるのでは?」
「ロンター家のしきたりなんだから仕方ねぇだろ」
「知っていますけど、それのせいで妹君がやんちゃになったのではと、……いえ、よく考えたら関係ありませんね。同じ理由でアナタは女性名なのに、全然しとやかじゃない」
「放っとけ!」
 そんなやり取りをしながら空を行く一行は、そう長い時間をかけることなく海が見えるところまでやってきた。目的地が近づいたため、高度を下げて翔けるライデンの背の上で、レクシリアは眼下に目を凝らした。
 グランデル王国は他と比べると著しく火山地帯が多い国だが、海が近いこの辺りでは土地が比較的平坦になり、国を覆っている火の加護がやや薄くなる。そのため、海岸に近い場所に構えられた居住区はほとんど存在しない。水の加護が強い青の国とは違い、赤の国では水に嫌われる人が多く、これといった漁業が発展していないのもその理由のひとつだろう。
 故に、海岸部の国民を避難させることはそこまで難しいことではない筈だ。暗くて見にくくはあるが、視認できる範囲に人や灯りが見当たらないことから察するに、少なくとも海沿いから離れた場所まで逃れることはできたのだろう。
「さすがはグランデルの騎士団といったところでしょうか。仕事が早いですね」
 そう言ったグレイが、ちらりと周囲の空を見る。
「道中で渡り鳥に遭遇しなかったのは、……ライガの仕業ですね?」
「ああ、ライデンは感知能力に長けた幻獣だからな。一番安全で、かつ最短になるルートを選んで貰った」
 そう言ってライデンの首を撫でたレクシリアに、グレイはなるほどと頷いた。
「しかし、後続はどうするんです? さすがの妹君も見えないところまで引き離されているようですし、残りの団員たちなどもっと後ろでしょう。途中で魔導陣付きの鳥に遭遇してもおかしくはないと思いますが」
「ああ、それも問題ない。ライガが通った後に微弱な雷信号を残して貰ってるんだ。人間には判らないだろうが、獣ならそれを辿って来られる筈だ。まあ、時間差がある分、確実に安全だとは言えねぇがな」
「……ライガに任せきりなあたり、徹底的に魔力を温存してますね、アナタ」
「なるべく温存しとかねぇと、死ぬかもしれねぇだろ」
 さらりと言われた言葉に、グレイがやや顔を顰める。だが彼が何かを言う前に、ライデンが一気に下降を始めた。そして、前を見つめるレクシリアが口を開く。
「着いたぞ」
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