【完結】かなしい蝶と煌炎の獅子 〜不幸体質少年が史上最高の王に守られる話〜

倉橋 玲

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第3章 虚ろの淵より来たるもの

王の不在 2

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 ライデンが降りたその場所は、海が広く見渡せる小丘だった。視野が広く取れ、かつ海までそれなりに近い好立地である。
 グレイはちらりと空を見上げたが、今のところ後続の騎獣がやってくる気配はなかった。
(まあ、ライガの脚を考えれば当然か。妹君たちが来るまでもう少しかかるだろうな)
 未明の仄暗い海を眺めれば、ただ穏やかな波が揺れているだけで、何も不自然なことはない。だが、海を見つめるレクシリアの表情は険しかった。
「リーアさん?」
 レクシリアの様子を訝しんだグレイが名を呼べば、彼は海に視線をやったまま小さく呟いた。
「……水位が高い」
「はい?」
 言われてグレイも海を見たが、彼にはレクシリアの言うような水位の違いは判らなかった。
「……そんなに高いですか?」
「僅かだが、普段よりも水位が上がってる。こりゃ何が起こるか判らねぇぞ。……グレイ、いつでも発動できるように準備しとけ」
「判りました」
 レクシリアの指示を受け、グレイが持っていた鞄から魔術具と大量の鉱石を取り出す。そのままレクシリアを中心とするようにそれらを設置していると、マルクーディオの乗った騎獣が空から降りて来た。
 騎獣が前脚を大地につけると同時に華麗に飛び降りた彼女が、二人の元へと走り寄って来る。
「状況はいかがですか?」
「海の水位が僅かに高い。何か出て来る前触れかもしれねぇ」
「それは、……津波でも起こされたら困りますわね。下手をすれば、大地が死んでしまいます」
 表情を硬くしたマルクーディオに、レクシリアが頷く。
「万が一そうなっても、なんとかそれだけは防いでみせる」
「そのためにグレイを連れてきたんですのね? ……あまり無茶をしては、グレイが心配しますよ。ねぇ、グレイ?」
 そう言ってグレイを見た彼女に、グレイは肩を竦めて返した。
「こういう場合、オレが何を言ったってこの人は無茶をするのを止めませんから」
「そうだったわね。全く、どうしようもない兄だわ」
 少しだけ頬を膨らませたマルクーディオが兄を見たが、レクシリアは苦笑して返すだけだった。
「まあ良いわ。他の団員さん方ももうすぐ到着すると思います。ジルグの配慮で、皆さま地霊魔法に高い適性がある方ばかりだそうですよ」
「そりゃありがてぇ。さすがお前の夫だ」
 地霊魔法は、水系統に強い属性の魔法である。状況的にこれ以上の配慮はないだろう。
 マルクーディオの言う通り、それから少しして団員たちも次々に降りて来た。これでようやく全ての人員が揃った訳だが、それでもここに居るのは、五十人ほどの騎士と、貴族の女に、宰相と秘書官である。字面だけ見れば、とてもではないが少数精鋭とは言えないような面子だ。
 そんな彼らを見回して、レクシリアは口を開いた。
「騎士団員は五人一組の小隊に分かれ、もっと海寄りに散ってください。もし海から帝国兵が上がってくるようなことがあれば、この丘のふもとを防衛ラインとし、なんとしてでもここを突破させないように。とにかく、絶対に私に攻撃が届くことがないようにだけ気を配って頂きたい。貴方たちの役目は、防衛ラインを死守し、私を守り抜くことです。ただし、私の次に自分の命を優先すること。土地や建物への被害は考慮しなくて構いません。良いですね」
 レクシリアの命に頷いた騎士たちが、再び騎獣に乗り込んで指定された場所に向かう。それを見送ってから、レクシリアはマルクーディオを見た。
「お前は全体の戦況把握に努めろ。俺の自由が利くうちは俺がやるが、最悪俺は使い物にならなくなる。あと、魔法で団員の補佐もしてやれ。今の俺は魔法に関しちゃ役立たずだからな」
 言われ、マルクーディオが頷く。
「判りました。任せてください」
 スカートを翻し、マルクーディオが眼下を見渡す。適度に分散した団員たちと海までの距離はまだ少しあるが、安心できるほど遠いという訳でもない。状況によっては、判断を誤れば騎士たちに甚大な被害が及ぶこともあるだろう。
 そう考えて海を中心に注意深く周囲に視線を巡らせていたレクシリアとマルクーディオは、ふと視界に入った光景に目を見開いた。
「マリー!」
「判っています! 風霊! 騎士団員たちに通達! 海水位が急激に上昇中! もし水が地表に到達したなら、すぐさま騎獣に乗って空へ避難をと!」
 マルクーディオの命を受け、風の乙女が駆ける。それと同時に、マルクーディオは続けて叫んだ。
「地霊! 万が一に備えてできるだけ広範囲に防波堤を作って!」
 その指示に従って地霊たちが一部の大地を持ち上げるようにして高さを稼いだが、温存のために魔力消費を抑えた彼女の魔法では、広範囲に渡って高く土地を押し上げることは難しい。範囲を優先した分、防波堤自体の高さがかなり控えめになってしまったのは明らかだった。だが、それでもないよりは良いだろう。
 緊張感が漂う中、一同が海を睨み据える。するとそのとき、唐突に海が大きく膨れ上がった。ぐっと半球状に盛り上がった海面が、大方の想像を超えるほどの高さまで持ち上がり、そして、その中からうねる巨体が姿を現した。煌々と光る目に、鋭く大きな牙、翼のようにも見えるヒレ。
 僅かな燐光を放つ鱗に覆われたその生き物は、巨大な蛇のような魔物だった。
 その場にいた誰もが唖然とする中、唯一鋭い声を上げたのは、レクシリアだった。
「あれはやばい! グレイ!」
「っ、はい!」
 レクシリアの声で我に返ったグレイが、先程設置した魔術具を、ほとんど反射的に発動させる。するとレクシリアの足元に、膨大な量の魔術式で構成された緻密な陣のようなものが展開された。そして、その上に置かれていた鉱石たちが一斉に輝きを放ち始める。
「お兄様! 海から別の魔物たちまで!」
 妹の声に海岸の方へと目をやれば、海の中から陸へと上がってきている魔物たちの姿が見えた。
「奴ら、あのでかい魔物に乗って海中を進んで来たんだ!」
 レクシリアの読み通り、やはり帝国の本命はこの部隊だ。恐らく海中にはまだ多くの魔物がおり、次々と上陸してくることだろう。加えて、あの巨大な魔物。あの魔物を目にしたときの感覚を、レクシリアは知っていた。これは、初めて王獣を目にしたときのそれに酷く似ている。こちらに畏怖を与えるような荘厳さは、いっそ神々しくすらあり、相手が尋常ならざる力の持ち主であることが窺えた。
(あれは十中八九、概念の神! 帝国の連中、厄介なもん喚び出しやがって!)
 恐らくは、異世界にて海を統べるものとして祀られる神か少なくともそれに連なる何かを、魔導召喚にて使役したのだろう。ならば、最早一刻の猶予もない。
「グレイ!」
「待ってください! あと少し……!」
 展開した魔術式に更に式を書き加えているグレイが叫ぶ。その間もグレイの手はよどみなく動いているが、式の完成にはまだ時間が必要なようだ。
 舌打ちをしたレクシリアが、背にあった弓を構えて矢をつがえる。それを見たマルクーディオが、すかさず風霊と火霊の名を呼んだ。
「お兄様の矢に宿って、制御と威力の増大を!」
 直後、レクシリアが矢を放つ。マルクーディオの魔法を受けた矢は空を裂き、上陸した魔物たちの元へと到達して爆発した。そのまま二射三射と矢を放って確実に魔物たちを狩っていくレクシリアだったが、やはりこの程度の攻撃では限界がある。じわじわとこちらへ向かってくる魔物の群れに、レクシリアは再び舌打ちをした。だが、そんな彼に向かってマルクーディオが叫ぶ。
「そのための騎士団ですわ! 不足分は彼らと私が補います! お兄様はご自分の役目に集中なさって!」
「ああ、判ってる!」
 マルクーディオの言う通り、レクシリアの矢が届かなかった魔物たちには、騎士団の各小隊が的確に対応を始めている。人数こそ少ないが、彼らとて軍事力に名高い赤の国の騎士団員だ。たとえ数で負けていても、そう簡単に魔物を防衛ラインに踏み込ませたりはしない。
 しかしそれでも、レクシリアは矢を射るのをやめなかった。敵の数を減らせば減らしただけ騎士団にかかる負担は軽くなり、防衛の成功率も上がるからである。
 だがそのとき、蛇のような魔物がその巨躯を大きく逸らせた。そしてそのまま、魔物ががぱりと口を開く。大きく開いた口先に水が集中したかと思うと、それは見る見るうちに巨大な球を象り、次の瞬間、凄まじい速度で前方へと放たれた。その軌道が描く先には、レクシリアたちが立つ小丘がある。
 守るべき宰相の元へと向かった水塊に、下で魔物を抑えていた騎士たちが目を瞠った。これほどの攻撃ならば、小さな丘程度簡単に抉り取ってしまいそうである。そんなものが直撃したら、レクシリアたちも無事では済まないだろう。だが、離れた場所にいる騎士たちではどうすることもできない。
 そんな中、レクシリアとグレイを守るように立ちはだかったのは、マルクーディオだった。レースのあしらわれたスカートを翻し、両手を前に突き出した彼女が、迫りくる水球を見据えて叫ぶ。
「“堅牢たる大地の守護壁ジウェ・ディーレン”!」
 響いたマルクーディオの声と魔力を受け、大地の一部が大きく盛り上がった。魔物が放った水塊に負けずとも劣らない高さにまで伸びたそれは、そのままぱきぱきと音を立てて硬質化する。地霊魔法による、防護壁である。
 行く手を阻むその壁に、巨大な水球が凄まじい勢いと質量を以てぶつかってくる。だが、マルクーディオの造り出した大地の盾は、僅かも崩れなかった。
 大地と水による数瞬のせめぎ合いののち、水塊が四方に弾け散る。地霊の盾に負けた水が、無力化されたのだ。
 その事実に何を思ったのか、海の魔物が大きく咆哮して、長い尾を水面に叩きつける。
 びりびりと空気を震わす叫びに、マルクーディオが表情を険しくした。先程の攻撃は防げたが、あれ以上の威力のものを出されたら、マルクーディオの地霊魔法では凌ぎきれないかもしれない。
 同じことを考えたのだろうレクシリアも、ほんの僅かだが案じるような視線を妹に向ける。だがそのとき、グレイが叫んだ。
「リーアさん! 準備完了です!」
「でかした!」
 グレイの声を受け、レクシリアがすぐさま弓を手放して海に向き直る。そして巨大な魔物に向かって片手を突き出した彼は、集中するように目を閉じて深く息を吐き出してから、ゆっくりと口を開いた。
「――――とうより深き石巌せきがんの覇者よ 全てを穿つ破壊の御手よ」
 レクシリアの身体中からぶわりと魔力が膨れ上がり、迸る。そしてそれに呼応するように、足元の魔術式に置かれた鉱石たちが輝きを増し、そこから光の筋のようなものが流れ出た。細く揺蕩う光が、緩やかにレクシリアの掌に集まり、吸い込まれていく。
 未明の空の下で揺れる無数の光は、まるで神秘的な儀式のような光景だった。間近でそれを目にしたマルクーディオが、小さく息を飲む。彼女が見た先は魔法詠唱を行うレクシリアではなく、その足元で式を描き続けているグレイだった。
(話には聞いていたけれど、ここまで繊細な魔術だったなんて……)
 レクシリアが発動させようとしているのは、彼には分不相応すぎる強大な魔法だ。レクシリアの魔力では、詠唱途中で魔力切れを起こして死にかねないほどのものである。だがそれを、グレイの魔術が無理矢理可能にしている。
 鉱石から細く流れ込む光は、長い月日を掛けて少しずつ鉱石に貯蔵されたレクシリアの魔力だ。それを抽出してレクシリアに直接流し込むことで不足している魔力を補い、通常では絶対に扱えない魔法の発動を実現している。
 これこそが、グレイを冠位錬金魔術師の座につかせた魔術である。レクシリアの支えになりたい一心で、血の滲むような努力の末に生み出した、魔法師専用の魔力増幅魔術。使用することで対象の魔法適性を超えた魔法を使えるようにする、正真正銘グレイオリジナルの魔術だ。
 だが、想像を絶する繊細さと緻密さを求められるこの魔術は、未だ完成形とは言い難いとグレイは思っている。現にグレイは今、引き出している現象の負荷で今にも崩壊しそうな式を繋ぎ止めるのに必死だった。壊れそうな式を見つければ、すぐさま代替式を用意して書き換え、レクシリアに渡す魔力量に僅かでもブレが生じれば、魔力量を調整している箇所の式を改変する。この作業を、レクシリアが魔法を発動し終わるまで繰り返し続けなければならないのだ。とてもではないが、実戦に使える代物ではない。
 何より、グレイが送り込む魔力の量を僅かでも間違えれば、レクシリアは死んでしまうのだ。少なすぎれば魔力が枯渇し、多すぎれば器が耐えられなくなって身体が弾けるだろう。だからグレイは、レクシリアの消耗具合を見ながら、常に適切な魔力量を見定めなければならなかった。
(落ち着け! 落ち着いて全部見ろ! リーアさんも! 式も! 全部!)
 汗の滲む指先を滑らせ、グレイは式の補修と調整をし続ける。魔術を行使する彼の必死さは明白で、誰の目から見ても危うさを感じさせるほどだったが、しかしレクシリアだけは、薙いだ水面のような気持ちで詠唱を続けていた。
 魔法を発動する側の心の揺れは、消耗する魔力量に多少なりともブレを生じさせる。そうなるとこの魔術の成功率は絶望的なまでに下がるだろう。だが、この二人は絶対にそうはならない。レクシリアが己の魔法に集中しているというのもあるが、それよりも何よりも、彼は心からグレイを信頼しているのだ。
 レクシリアは、己の命を預けることになる魔術に対し、一切の不安を抱いていなかった。そしてそれをグレイも知っているからこそ、彼は必ず完遂してみせるのだ。
「汝が子らの声を聴き 祈りの唄に答えるならば」
 レクシリアの声が辺りに朗々と響く。だがそのとき、海の魔物が動いた。
 先ほどよりも大きく身を反らせた魔物が、大きく息を吸い込む。そして次の瞬間、魔物は開いた口から轟音と共に水を吐き出した。だが、今回は先程のような水塊ではない。途絶えることのない水流だ。
 勢いよく噴射された水が、他の魔物や騎士団たちごと大地を打ち砕かんと襲いかかる。緊急を察した騎士たちが咄嗟に離脱を図ろうとしたが、僅かに遅い。だが、敵味方問わず薙ぎ払おうとする水の猛威を、マルクーディオの地霊魔法が再び防いだ。
 水を弾き返した大地の盾を見て、海の魔物が苛立ったように咆える。その怒りのまま、魔物は大地に向かって次々に水を吐き出した。四方八方に連続的に襲い来る水流に、マルクーディオが必死に食らいつく。だが、ひとつひとつの威力が重く、彼女の地霊魔法でいなし続けるのには限界があった。それを証拠に、回数を重ねるごとに盾の硬度が低下し、水流を受ける度にひびが入るようになってきている。それでもなんとか保たせようと魔力を注ぐが、その分消耗も激しく、マルクーディオは顔を歪めた。
 だが、ここで彼女が負ける訳にはいかない。レクシリアとグレイが魔法を完成させるまでの間、なんとしてでも彼女が二人を守らねばならない。
 歯を食いしばって何度目かの防護壁を展開するマルクーディオに対し、膠着状態に痺れを切らしたのか、巨大な魔物が一際大きく咆哮する。そして魔物は、海中に埋もれていた尾びれを高く跳ね上げた。次は何をする気だと構えるマルクーディオの視線の先で、魔物の背後の海が大きくせり上がる。まるで尾の動きに連動するかのように高度を増した水は、次の瞬間、前方へと打ち下ろされた尾にしたがうように、巨大な波となって大地に迫って来た。
 その光景を見たマルクーディオが、小さく悲鳴を上げる。
(あんな波が来たら、この一帯は呑み込まれてしまうわ……!)
 だが、マルクーディオではもうどうすることもできない。既に大半の魔力を使ってしまったし、喩え万全であったとしてもあの波は防げない。大きな街ひとつを容易に呑み込んでしまえそうなほどに巨大な波など、赤の王の極限魔法を以てしても打ち砕けないだろう。
 迫りくる大波に、マルクーディオが青褪める。だがそのとき、彼女はレクシリアが最後の詠唱を唱えるのを耳にした。魔法の完成を悟った彼女が、希望の宿った目をして兄を振り返る。妹の視線を受けたレクシリアは、巨大な波を背に佇む脅威を睨み据え、高らかに魔法の名を叫んだ。
「――――“森羅万象打ち砕く大地テニタ・アルス・エアルス”!」
 瞬間、鋭く変形した大地が無数の巨大な槍となって海中から突き上がった。広範囲に渡って展開したその槍は、巨大な魔物は勿論のこと、海に潜んでいた他の魔物たちまでをも跳ね上げ、貫いていく。そして驚くべきことに、大地の槍は流体である波をも穿ち、まるで水を蒸発させるかのように掻き消していった。
 これぞまさに、歴代の橙の王しか使えないとされる、大地の極限魔法の威力である。
 まともに魔法を食らった巨大な魔物が、耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げてのたうち回る。海を荒らして暴れる魔物は、しかし尚も止むことなく突き上がった槍に身体中を貫かれ、ついには動かなくなった。いかに概念の神に近い存在といえど、対水属性の魔法としては二番目の威力を誇るこの大魔法を前にしては、太刀打ちできなかったようだ。
 魔物の絶命を確認したレクシリアが、僅かに息を吐く。恐らく現状における一番の脅威は、これで排除できただろう。
(……グレンでも太刀打ちできない相手だった)
 大魔法を発動し終えて息をついたレクシリアが、胸中で零す。
 首都の守護に残してきた王獣のグレンは、飽くまでも炎の王獣だ。相手が概念の神に匹敵する敵な上に苦手な水属性となれば、グレンの炎では敵わない。
(ロストがいたとしても、神性魔法を使わざるを得なかった筈だ)
 恐らく炎の極限魔法では、もろとも水に呑まれていた。つまりはそれだけ手強い相手だったということである。あれが今回の襲撃の本命と見てまず間違いない。どうやら今回の帝国は、本気でこの国を潰しに来たようだった。四属性に高い適性を持つレクシリアがいなければ。グレイが増幅魔術を開発していなければ。グランデル王国は大きな損害を負っていたことだろう。
 だがその脅威を倒した以上、ひとまずは安心して良い筈だ。帝国が急速に力をつけたとは言え、概念の神に届き得る存在を何体も使役しているとは考え難い。
 海中に潜んでいた魔物も、先程の大魔法でほとんどを無力化することができた。あとは、残った魔物を倒すだけである。
 もう一度息を吐き出したレクシリアは、残る魔物の討伐に向かおうと一歩を踏み出した。だがそこで、彼の身体がぐらりと傾く。
「リーアさん!」
 叫んだグレイが、地面に倒れ込みそうになった身体を慌てて支える。そんな二人に、マルクーディオも駆け寄った。
「リーアさん! 大丈夫ですか!?」
 珍しく焦ったような声で名を呼ぶグレイに、レクシリアが疲労の色濃い顔で笑う。
「ああ……ちょっと、フラついた、だけだ……」
「ちょっとじゃないでしょう! 自分で立つこともできないじゃないですか!」
 そう言うグレイも全身に汗をかいており、疲労困憊といった様子だ。二人の力を合わせ、実力以上の力を無理矢理引き出したのだから無理もない。
「……前回よりも威力出そうと思って、魔力注ぎすぎたかも、しれねぇ……」
「知っていますよ! ものすごい勢いで鉱石の魔力が消えていくから、足りないかと思って気が気じゃありませんでしたから!」
 どこか怒ったようにそう言ったグレイに、レクシリアが苦笑する。そんな彼を見てなおも言い募ろうとグレイだったが、レクシリアに頭を撫でられ、押し黙った。
「私、グレイの魔術に関してはあまり詳しくないのだけれど、そんなに無茶なことをしたの……?」
 そう訊いてきたマルクーディオに、グレイがこくりと頷く。
「出血多量で死にかけている相手に、輸血をしながら無理矢理全力疾走させているようなものだ、と言えば想像がつきますか?」
 グレイの言葉に、マルクーディオが一層心配そうな表情を浮かべてレクシリアを見た。だが、そんな彼女にレクシリアが笑う。
「大丈夫だ。前に金の国でロストの極限魔法を抑え込んだときも、こんな感じだったからな」
 兄の言葉に、マルクーディオはそれでも不安そうな顔をしていたが、小さく頷いて返した。だが、そんなレクシリアをグレイがじとりと睨む。
「嘘をおっしゃい。前回はここまで酷くありませんでしたよ。鉱石の消耗具合から見るに、前回の二割増しくらいの魔力をつぎ込みましたね? オレ、前に言った筈ですよ。アナタが極限魔法を使うこと自体が無茶なんですから、注ぐのは発動に必要な最低量の魔力だけに留めておけって。そりゃあ注ぐ魔力を増やせば多少威力は増すんでしょうけど、消耗の割にその増加率は低いから割に合わないって教えてくれたのはアナタでしょう」
「お兄様! そんなに無茶をしたんですか!?」
 声を荒げた妹に叱られ、レクシリアは恨めしそうにグレイを見たが、グレイは素知らぬ顔をしている。自業自得だと言いたいのだろう。
「もう! そうとなったらお兄様とグレイは休んでいてください! 後は私と団員さんたちで引き受けます!」
「いや、引き受けるったってお前、」
「お黙りなさい!」
 ぴしゃりと言ったマルクーディオが、兄を睨む。
「そんなフラフラな状態で戦場に来られても迷惑です! グレイも大人しくしていなさいね。貴方も神経を使って疲れているでしょうから」
 そう言って、マルクーディオは自分の騎獣の元へと行き、鞍にしまっていたらしい細身の剣を手にした。それを見たレクシリアが、目を剥いて叫ぶ。
「ちょっと待てお前! マジで魔物斬りに行く気か!」
「斬らずにどうやって倒すと言うんですか! 私だって大分魔力を使ってしまったんです! 魔法だけではジリ貧になってしまいますわ!」
「ちょっと落ち着いてくださいマルクーディオ様。いくらアナタでも、まさかドレスのまま戦うなんて馬鹿なこと、」
「服を脱げって言うの? 私、これでも三児の母なのよ? そんなはしたないことはできないわ!」
 グレイの言葉を遮ってそう言ったマルクーディオが、騎獣に跳び乗る。
「待てマリー! さすがにお前の旦那に顔向けできねぇからやめろ!」
 悲鳴のような声で叫んだ兄に対し、しかし妹は、しとやかに微笑んで返した。
「それでは、行って参ります!」
 そのまま二人の制止を無視して戦場へと向かってしまった彼女の背を見ながら、グレイがぽつりと呟く。
「……妹君、今おいくつでしたっけ?」
「……二十四になったんじゃなかったか」
「…………何年経っても、淑女になりきれない方ですねぇ……」
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