胡蝶の夢に生け

乃南羽緒

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拾捌の抄 恋の行方

其の弐

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 新幹線が、新神戸をすぎたころ。
 ふいに武晴が京子のほうへ身を乗り出した。
「キョーコさんさ、告白せえへんの?」

 …………。
 松子と京子がフリーズする。
 ただひとり、八郎は目をまん丸く見開いてせわしなく三人に視線を配った。
 とたんに京子の顔がボッと燃えるように赤く染まっていく。
「えっ、え?」
「なになになに、なんの話?」
 八郎にとっては初耳である。
 高嶺の花といわれるほどに出来た女の子が好きになった男、気にならないわけはない。しかし武晴が答える前に、となりに座る松子は彼のわき腹に思いきり肘鉄を打った。
「ちょっと武晴あんた──なに言うてんの」
「だってこれまで、見てたらなんとなく分かってもうたで」
「なにー!?」
 分かっていないのが自分だけ、という事実にまた驚いてしまった八郎は、ぐいと京子に顔を寄せた。
「だれ、だれ?」
「ちょ、ちょっとまって──なんでいきなりそんな話に」
「だって修学旅行やで。告白には欠かせない一大イベントやん」
「だ、だからって!」
「そうよアンタ急に」
「なあなあ、だから誰って!」
「うるせえーなぁ」
 と。
 ぎゃあ、とわめくボックス席の通路を挟んだとなりに座る柊介が、苛立ちも隠さずにそういった。その声におどろいた春菜と明夫は閉口したが、恵子はひとり「お前のがうるさい」と柊介の脛を蹴る。
「いってえな!」
「ごめんごめん、足が長うて」
「おめえの足のどこが長ェんじゃボケ。図々しい女やな」
「あ?」
「おうやるか」
「あーーーーーッ」
 と、声を出したのは八郎である。
 忘れていた。
 悪たれ三人衆にプラスして、もうひとり悪たれがいたことを。
 ──松田恵子。
 食がかかわると業突く張りで手に負えず、獣のごとく暴れまわるおてんば娘。鬼の松田とはこの女生徒のことである。
 八郎はがっくりとうなだれた。
「しゅうと同じ席にしたのは間違いやった……」
 おいハチ、と武晴が八郎の首根っこをぐいと引っ張る。
「そっちはどうでもええからはよこっちの会話にもどれ!」
「あ、せやった。ええっと──…………」
 視線を京子にもどす。
(あっ)
「…………」
 柊介と恵子のやりとりを見る京子の顔が、みるみるうちに沈んでいく。
 その表情はまるで恋をわずらう乙女の──。
 八郎の目が泳ぐ。
「ええっと、えっと、それよりあれやな。太宰府天満宮って菅原道真が祀られてるねんって。知ってた?」
「おいハチなんで話そらすねんコラ──おまえも分かったやろキョーコさんの好きなヤツ。な、キョーコさん。いつまでもああいうの見るのもツラいやろうからさ、いっちょ真剣に考えてみいや」
「だ、だけど私はいまのままでええもん。脈ナシなのは一目瞭然、いまみたいに友だちとして話せているだけでも、これまでの私からしたら奇跡みたいなもので」
「あ、話つづけるんスね……」
「そういえば有沢って、好きな子いてるんかな。ねえふたりは知ってる?」
 声をひそめる松子がお菓子の箱を取り出す。
 それに手を伸ばした八郎がビクッと動きを止めた。
「エッ」
「いやあオレは知らんなァ。ハチのが濃厚に交流しとるやんか、聞いてへんの?」
「し、知らん。アイツの口からそういうの聞いたことないもん。せやろ、タケも男同士であんまりそういう話せえへんやろ」
「でも見てりゃわかるべ?」
「いやそれは……────わからん」
 と口ごもったとき、松子がにやりと口角をあげた。
「その反応は知ってるな?」
「いや、いやホンマに知らんねんて。アイツそういうの言わへんもん!」
「なるほどね。じゃあ刑部的に思うところがある人はいるってことか」
「だっ」
 だ、のあとにつづく言葉はない。
 じっとりと三人から視線を向けられた八郎はたまらずに「ノーコメントッ」と車窓に視線を向けた。案の定、それは逆効果だったようだ。
 馬鹿ね、と松子がわらう。
「こういうときのノーコメントってのは、たいてい肯定と相場が決まってんのよ」
 と松子が肩を揺らす。
 しかし京子からしたら笑いごとではない。八郎の服をぎゅっと掴んで「刑部くんッ」と身体を寄せた。
「しってるん? 有沢くんの──好きなヒト」
「し、知らん。知らーんッ」
「おやまあ、あわてちゃって」
 武晴は他人事である。
 うーん、と松子は眉を下げた。
「自分で言いだしといてなんやけどさ、やっぱり有沢にも、友情を守ろうとする刑部にもわるいし。そこはグレーのままにしとこうよ京子」
「……や、やっぱり恵子なのかな」
「えッ?」
「有沢くんの、好きな人……」
 神妙な面持ちでつぶやいた京子に、八郎ははじけたように腹を抱えてわらいだした。
「ちが、ブハハッ。それはちがう。断言できる。アイツのあれは動物園で熊とか虎を見たときとおなじテンションや! あははははッ」
「そ、そう──?」
「そうそう。すげえ、そないなこと微塵も思ったことなかった。滝沢さんてけっこう想像力豊かなんや」
 という八郎の脛を、対面に座った松子が蹴り上げる。
「イッテェ!」
「アホ、恋したらだれでもそうなるもんやろ! アンタこそ好きな人とかいてるんちゃうの? 一番そういう色恋沙汰と無縁っぽい顔しちゃってさ」
「お、おれ……それをいうなら四宮かてそうやん。中学のころから、いつも人の色恋に顔ツッコむくせに自分のことはなーんも話そうとせえへんし!」
「なんで私の話になんのよ。いまは関係ないやろ!」
「せやったらおれの話かて関係ないやん。なータケ」
 屁理屈いうなッ、と松子はふたたび八郎の足を蹴った。
 弁慶の泣きどころというだけあって、八郎はぎゃあ、と声をあげてうずくまる。しかしその痛みによって怒りが頂点を越えたようだ。めずらしく眉をつりあげて立ち上がった。
「いってえな、そうやってすぐに暴力でもの言わすんやめェや!」
「うるさいわねッ。なにピリピリしてんのよ、ガキ」
「ガッ──」
 顔を真っ赤に、拳をにぎる八郎。
 あーもう、とその腕を素早くおさえたのは武晴だった。
「やめやめ。なんで急に喧嘩になるんやお前ら!」
「チッ」
「先に喧嘩売ってきたんはコイツやで」
 と、八郎が肩をふるわせて松子を指さす。
 しかし松子はツンとそっぽを向いて、すっかり閉口してしまった。
 その様子に、京子はいまにも泣きそうに顔を歪めてしまう。

 ……たとえば。
 有沢柊介と松田恵子の口喧嘩ならば「いつものことか」と平常でいるクラスメイトたちも、まさかの人物たちがした喧嘩におどろきを隠せないらしい。
 みな息を詰めながらも各々の席から身を乗り出して、ふたりのようすをうかがっている。
 それは、通路を挟んで隣のボックス席に座る四人も同じことだった。
「おい明夫──喧嘩のきっかけになるまでの会話、聞いてたか?」
「いや……」
「びっくりしたァ。あのふたりが喧嘩するなんて初めて見たァ」
 と春菜は息を深く吐き出した。
 どうやら彼女も、緊張のために息を止めていたらしい。
 ただひとり。
(…………)
 恵子は通路側に身を乗り出し、松子の抱えるお菓子の箱からクッキーを一枚くすねようと試みる。すかさず対面の柊介がそれを抑えて「アホ」と毒づいた。
「火に油をそそぐなッ」
「じゃあアンタがお菓子くれんの」
「…………これ食ってええから」
 と、柊介が渋々ながら手渡したのは──明夫のかばんに入っていたポテトチップスの袋だった。
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