胡蝶の夢に生け

乃南羽緒

文字の大きさ
123 / 139
廿壱の抄 過去視

其の壱

しおりを挟む
 『お供え淵』のそば、ちいさな社のなかに立つ一体の白地蔵。
 犬の飾りを首から提げて、辺り一面の紅葉のなか静かに鎮座する。昼間でもすこし薄暗いこの森ではその姿が際立って、ひどく異質なものにも見えた。

「こっわ」
 柊介の第一声は、それだった。
 遠目から見ると闇のなかにぼうと浮かぶ白いかたまりなのだ。怖いものが苦手な柊介にとって、この森といい地蔵といい、背筋を凍らせるにはじゅうぶんすぎる環境である。
「こわすぎるやろ、これはいくらなんでも」
「しゅう、お前そんなんでこれから先かんちゃんと付き合うていけるんか。あの人日常いっつもこういうの見てんねんで」
「……べつに、視界交換するわけとちゃうし──ていうか付き合うとかそういう話してへんし」
「は? なんのためにおれが先生のとこで一時間半近くも立ちんぼでくっちゃべってたと思てんねん。馬鹿野郎やな」
「っせえな」
 という誹り合いを傍目に、高村は手鏡を持って淵のあたりをうろうろと動き回った。
 そのうしろをちょこちょことついてまわる小町が、「おもうさま」となにかに気づく。
「以前、業平さまはここで『獣くさい』と仰せでした。小町は単に野良の獣があらわれるものかと思うておりましたが──もしかするとそういう臭いではないのかもしれません」
「獣くさい、か」
「あまり良くない場所とも。うろうろと動くのはよいですけれどお気をつけ遊ばされませ、おもうさま」
「ああ」
 手鏡が淡く光る。
 ここお供え淵で、鬼一が訪れたであろうときの光景をさぐっている状態だ。いわば、ラジオの周波数を合わせるような感覚である。
「これか──」
 天に鏡をかかげた。
 太陽光が手鏡に反射し、あたりはキラリと光に包まれた。あまりのまぶしさにウワッと子どもたちが目をつむり顔をそむける。
 つぎに彼らが瞳をあけたとき。

「え……?」
 いつの間にか目の前に、見知らぬ男が淵を向いて立っていた。

 ※
 これはお供え淵の記憶だ、と高村はいった。
 いま八郎たちはその記憶の情景のなかに立っていて、まるで三百六十度のスクリーンで映画を見ているかのような状態なのだとも。
 目の前に立っている男に触れようと八郎が手を伸ばすも、掴もうとした肩が空気に変わる。なるほど、記憶の映像というのはこういうことかと納得する。
「つまり、おれたちは向こうから見えてへんっちゅうわけ」
「そうだ。これはいわゆるノンフィクション映画だと思えばよい」
「なるほどね……」
 柊介はつぶやいて、閉口した。
 昨夜、環奈の夢のなかでふつうならば考えられぬことを経験したのだ。いまさらなにが来てもそう驚くこともなくなった。──とはいえ、そういうものに対する恐怖心は健在なのだが。

『お供え淵──』
 見知らぬ男がつぶやく。
 大柄で、ボロボロの衣服を身にまとい、無造作に切られた髪の毛とすこしやつれた頬からはよほどの苦労を想起させる。が、切れ長というかほぼ糸目の瞳と眉がゆるやかに弧を描いているので、どこか剽軽な性格なのかとも思わせる。
 とかく、ふしぎな男であった。
 しばらく淵の周囲をうろついていたが、背の高い葦に隠れ埋もれていた社を発見するや、そこに膝をついておもむろに草々を抜きはじめた。
 あっ、と八郎が声をあげる。
 その社のなかに現代のような地蔵がない。
「地蔵は?」
「もっと後世になってつくられたんやろ。いまわれわれが見ているんは、寛喜の飢饉からほどないころのこと。まだ白い娘が死んでそう時も経っていないころの話やからな」
「そうかァ……」
「ほんならこの社はなんのために?」
「おそらくは、このお供え淵に住まうと信じられとったカミサマでも祀っとったんちゃうか」
「なーる」
 ふたりは納得する。
 しかし小町だけは、男の顔を凝視したまま動かない。なにか思うところがあるのかぶつぶつと口内でつぶやいている。
「どうした小町」
「あ、いえ──。この方だれかに似ているなあとおもって」
 といって小町がふたたび男の顔を覗こうとしたとき、男は『やれやれ』と立ち上がった。

『しっぽを掴んだと思うたが、おれの半身はまたどこへ行ったのか』

 ぐるりと淵を見回す。
 男は、やはり鬼一法眼その人のようだ。
 のそりと水面を覗き、どこかさびしそうな声色で、彼はいった。

『村人を喰い殺して──そしてお前はいまどこにいる』

 とつぶやいたとき。
 水面が光った。
 うわ、と鬼一が後ろ手をつくのと同じタイミングで、ぼうっと目の前に浮かび上がる白いもや。
 それはやがて形を成し、少女の姿へと変わっていく。
「あっ、コイツ!」
「六花」
 柊介と高村が身を乗り出して少女を見つめた。
 真白な少女。着物も髪も肌も唇すべてが真白な彼女が、ただ一か所、真っ赤な瞳をじっと伏せて鬼一を見つめている。

『おのれは』
『…………』
『真白な少女がここの贄になったと、上の寺にて聞き及んだが──おのれがそうなのかえ』

 鬼一が問う。
 少女はことばこそなにも言わぬままこっくりとうなずいた。

『ああやはり──ではおのれは、黒い獣を見たのだな』
『…………』
『黒い獣、おのれを助くるべくして村人を食ろうたヤツを』
『……ハル、カゲ』

 さま、といった少女の足もと、水面に波紋が広がる。
 ぽたりと雫が落ちたからだ。
 その源は少女の瞳に湧いたあふれんばかりの泉からだった。

『ハルカゲ──その獣はハルカゲというのか』
『……おまえとおなじ匂いがする』
『あれはおれの半身なのだ。人を喰い殺したと聞いては放っておくわけにもいくまいと、七十年の時を経て吉野の山から下り、こうして尋ね歩いている。たのむ、知っておるならば教えてくれ。その獣はいまいずこ』
『…………』

 少女の瞳がゆがんだ。
 それは憎悪からくるものでもあり、歓びからくるものでもあるように見えた。
 不気味な形相ではあったが鬼一は一歩も引かずに少女へ詰め寄る。

『いずこ』
『……おぐらやま』
『なに』
『おぐらやまにて聞いてみな』
『小倉山とは──都のはずれにある、あの山か。獣はそこに?』
『おぐらやまにて聞いてみな』
『…………』

 少女はやがてうっそりと微笑む。
 水面に浮いた足をゆっくりと淵の際へとおろし、一歩、また一歩と足をすすめて鬼一へ近づいた。

『六花もつれてけ』
『なんだと』
『小倉山へとつれていけ』

 鬼一ははたと気付く。
 なるほど、少女は想いの強さかその死にざまゆえか、この淵に縛られ離れられぬ存在となっている。鬼一ならば自分をここから解放することもたやすいこと、と見込んでの頼みのようだった。
 鬼一はしばらく渋っていたが、もはやこの少女はここから一ミリも引かぬと悟ったらしい。わかったよ、と深くため息をついた。

『なればおのれを、我が式とする。さすればこの淵からも解き放たれよう。よろしいか』
『かまわぬ』
『致し方なし』

 鬼一は天に向けて人差し指と中指の二本をピッと立てる。
 何事かを口内でつぶやき、それを思いきり少女の背後に振り下ろした。まるで、見えない糸を指刀で切り落とすかのように。
 そして懐から人型の紙を取り出し、少女の額にあてる。

『とりいそぎはこのヒトガタを依代としてもらおう。よいね』
『うん』
『おのれの名は?』
『……六花』
『六花。なるほど雪のように白いおまえに、似合いの名だ』

 鬼一は微笑み、ふたたびなにかを唱えだす。
 すると少女は白い光を放ってしずかに消えていく。その光は紙に吸い込まれたようにも見えたが、いったいどういう原理なのか予想もつかない。
 八郎と柊介は唖然として固まった。
 小町でさえ、初めて見る光景に興奮を隠しきれていない。
「おもうさま、これは」
「うん、鬼一はハルカゲと分かれたのちに吉野山にこもって仙人まがいのことをしていたという。そのときに身につけたのがこの陰陽術なのだろう」
「おんみょう、」
「すげえ、陰陽師って映画で見たヤツやん……」
「野村萬斎も真っ青や!」
「しかしなるほど──鬼一はハルカゲと再会する前に六花と出会い、じぶんの式にしていたのか」
 と、高村はつぶやく。

 映像はここまでで途切れた。
 つぎの瞬間には現代に戻ってきたらしく、社のなかには白地蔵が先と変わらず鎮座している。
「いかがするの、おもうさま」
「うん──」
 ゆっくりと淵に目を向ける。
 いまはすっかり水も枯れ、そこが淵であったという痕跡は一見するとわからない。しかしかつて、この淵に娘たちが投げ込まれてきたという歴史は消えることはない。
 ──少女六花を、救わねばならぬのかもしれない。
「小倉山」
 高村がこぶしをにぎる。

「いまだ白い娘は名を六花といった。木屑の式『胡蝶』についても知らねばなるまい」

 小倉山へゆこう。
 という高村の一声により、一行は山をおりた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な男子高校生、今日から結界を繕います~

御崎菟翔
キャラ文芸
​【平凡な高校生 × 妖従者たちが紡ぐ、絆と成長の主従現代和風ファンタジー!】 「選ぶのはお前だ」 ――そう言われても、もう引き返せない。 ​ごく普通の高校生・奏太(そうた)は、夏休みのある日、本家から奇妙な呼び出しを受ける。 そこで待っていたのは、人の言葉を話す蝶・汐(うしお)と、大鷲・亘(わたり)。 彼らに告げられたのは、人界と異界を隔てる結界を修復する「守り手」という、一族に伝わる秘密の役目だった。 ​「嫌なら断ってもいい」と言われたものの、放置すれば友人が、家族が、町が危険に晒される。 なし崩し的に役目を引き受けた奏太は、夜な夜な大鷲の背に乗り、廃校や心霊スポットへ「出勤」することに! ​小生意気な妖たちに絡まれ、毒を吐く蛙と戦い、ついには異世界「妖界」での政変にまで巻き込まれていく奏太。 その過程で彼は、一族が隠し続けてきた「残酷な真実」と、従姉・結(ゆい)の悲しい運命を知ることになる―― ​これは、後に「秩序の神」と呼ばれる青年が、まだ「ただの人間」だった頃の、始まりの物語。 ​★新作『蜻蛉商会のヒトガミ様』 この物語から300年後……神様になった奏太の物語も公開中! https://www.alphapolis.co.jp/novel/174241108/158016858

幽縁ノ季楼守

儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」 幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。 迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。 ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。 これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。 しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。 奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。 現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。 異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー 様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。 その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。 幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。 それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

祓い姫 ~祓い姫とさやけし君~

白亜凛
キャラ文芸
ときは平安。 ひっそりと佇む邸の奥深く、 祓い姫と呼ばれる不思議な力を持つ姫がいた。 ある雨の夜。 邸にひとりの公達が訪れた。 「折り入って頼みがある。このまま付いて来てほしい」 宮中では、ある事件が起きていた。

大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ

鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。 それが約50年前。 聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。 英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。 俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。 でも…英雄は5人もいらないな。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

白苑後宮の薬膳女官

絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。 ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。 薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。 静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。

火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。 五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。 都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。 見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――! 久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――? 謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。 ※カクヨムにも先行で投稿しています

処理中です...