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《87》だーいすき
しおりを挟む必死なあまり直接的な言葉になってしまった。
背に腹は変えられない。
「ふ·····?ええっと····」
ノワは困ったように頬を掻いた。
(うーん·····)
こちらへ許可を求めているはずの台詞だが、語尾にクエスチョンマークが見つからない。
「本当に、怪我なんてしてないのに」
「それは確かめてみれば分かります」
伸びてきた腕が、シャツの中に忍びこむ。
手のひらが脇腹を撫でた。
「あはは、くすぐったいよ、アレク···──ひゃんっ」
腹を撫でていた両手が、腰を掴む。
ノワは慌てて口を噤んだ。
「細いですね」
こちらを仰ぎ見る冷たい瞳に、妙な熱が込められている。
「えっ·····?だ、だからひょろひょろだって·····あっ·····」
指は、腹の筋をなぞりながら、腸骨へと伸びた。
「折れてしまいそう」
角張った手は、知らない男のもののようだ。
親指が骨のくぼみを圧迫する。ノワの体はびくりと仰け反った。
「ひっ·····」
「痛みましたか?」
「えっ·····う、ううん····」
痛みはない。寧ろ、大きな手が体を滑るのは、マッサージにも似た気持ちよさがある。
が、油断すれば腑抜けた声が漏れてしまいそうだ。
「痛まないなら、じっとしていてください」
ややこしいので、と、注意するアレクシス。
腰の辺りをさすっていた手の平は、時折肌を圧しながら上へとのぼる。
「アレク·····」
心細そうに名前を呼ばれるので、アレクシスは自身の衝動に耐えるべく、限界まで眉間に力を入れた。
表情は今までにないほど凶悪だ。
ノワは酷く困惑しながら、シャツを握りしめた。
すっと通った鼻筋に、引き締まった眉、一筆に描いたような切れ長の目。
我が弟ながら、イケメン過ぎやしないだろうか。
アレクシスの顔面を分析することで気を紛らわせようとする。
次の瞬間、助骨を通過した手の先が、胸の突起を掠め、ノワは今度こそ叫び声を上げた。
「ほ、ほら!怪我なんてなかった!」
誤魔化すようにわめき、服の中に伸びたアレクシスの腕を握りしめる。
「だからもう····」
「·····っ」
瞳の奥の緑が濃い。
アレクシスはごほんと咳払いを落とした。
本当は、無事でよかったと、ノワを抱きしめたかった。
けれど彼があんまりにも危機感なくヘラヘラしているから、何事も無かったことだけを素直に喜ぶことは出来なかった。
もっと自分の身を大切にして欲しい。会えば馬鹿みたいに距離が近いくせに、ふと、ずっと遠くにいるような気分にさせられる。
「危険なことはしないでください」
まるで自分を他人のように思っているのではないかと疑ってしまうほど、彼は危機感がないのだ。
「兄さんはそそっかしいんですから」
呟かれたのは、前にも聞いたことのある言葉だ。
「もしかして心配してくれてる?ごめんね」
気難しい弟だ。
ノワはほっとしながら苦笑いを作る。
「アレク、だーいすき」
効果は気薄だが、ついでに機嫌取りのセリフも吐いておく。
「な·····」
ボタンを閉めるために俯いたノワは、アレクシスの耳元が熱くなったことに気が付かない。
アレクシスは深いため息をついた。
弟であるはずの自分が、何故こんなにも兄を心配しなければいけないのだろうか。
「でも僕は大丈夫だからね!」
服を着直したノワがほほ笑みかける。
「····これだけ言っても分からないとは、頭がおかしいんですか?もしかして致命傷を負ったのは身体ではなく頭に?」
抑揚の少ない声から、恐ろしい怒気を感じた。
ノワは再び険悪になりかけた雰囲気をなだめる羽目になる。日が傾く頃、馬車は学園の前へと到着したのだった。
「本当にもう帰るの?」
「はい」
アレクシスは、早く帰って報告もしなければとつぶやく。
真面目な所は昔から変わらない。
ノワは、背を向けたアレクシスに、後ろから抱きついた。
「気をつけてね!」
「そっくりそのままお返しします」
正論すぎる返答だ。
「──ノワくん?」
不意に、廊下から聞きなれた声がノワを呼んだ。
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