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《86》触診

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一人言にしては嬉々とした声に、果たして返答はあった。


「ええ、可愛らしいお顔立ちなのに笑うと上品な色気があって素敵だったわ」

「あんなに繊細な雰囲気の男性が他にいるかしら?」

「儚いわ····」


曲がり角から、3人の若い女が顔を出す。
廊下で耳をそばだてていた侍女達だ。


「·····。」


盛り上がる彼女らを横目に、扉の前の見張りを命じられていた騎士は、そそくさとその場を後にしたのだった。



























門の前に懐かしい伯爵家の馬車を見つけたノワは、一度止めた足を再び走らせた。


馬車の前へ行くよりも先に扉が開く。中から一人の青年が姿を現した。


「アレク!」


前に見た時より、更に背が伸びたように感じる。

後ろへなで付けられた灰銀の髪が眩しい。初対面の人間が向けられれば萎縮してしまいそうなほど鋭い目元が、こちらを一瞥捉した。


「愛しの弟よ、わざわざ会いに来てくれるなんて!」


ノワは両手を広げアレクシスに駆け寄った。
殺されないどころか、彼は自分を案じて迎えに来てくれた。
頭の中では平和の鐘が鳴り響いていた。


「場所をわきまえてください」


相手はこちらの前頭へ手のひらを押し、抱擁を拒絶した。

人さらいに遭った兄にかけるにしては、あまりにも冷徹な態度だ。
負けじと前身しようとするが、アレクシスの腕はビクともしなかった。

仕方なく立ち止まり、ニコニコと彼をみあげる。


「アレク、元気だった?」


知的な色をした瞳が軽く見開かれる。
彼はノワの頭からつま先までをじろりと一瞥した。


「·····?僕ならもうすっかり元気だから───」


「そうみたいですね。元気そうで何よりです」


氷のような眼差しが細められる。台詞は、そのままの言葉の意味として受け取って良いものではなさそうだ。


(なんか、怒ってる?)


「アレク~、抱きしめさせてよ」


「·····よくもそんな態度で出てこられましたね」


「え?」


腕を掴まれる。

ノワは強制的に馬車の中へと押し入れられた。


「怪我を確認しましょう」


いうが早いが、アレクシスがノワの服へ手を伸ばす。

ネクタイを緩めた指が、続いてシャツのボタンに手をかける。ノワは慌てて自身の襟元を握りしめた。


「け、怪我なんてないよ!」

「手を退かしてください」


こちらの意見を汲もうという意思は片鱗ほども感じられない。
嫌だなんていえば力尽くで服を剥かれそうだ。兄としてそんな威厳のない事態は避けなければ。
ノワは諦めてボタンに手をかけた。


「でもアレク、一人で来たの?遠かったでしょ」


いくら弟といえど、目の前にいるのはこの国屈指の美男子。
貧相な体を見られるのは気恥ずかしくて、紛らわすように話題を振る。


「父様に頼まれたので」


こちらの気も知らず、彼は短い返答で会話を終わらせた。

全身に強い視線を感じる。
しばらくして、シャツのボタンを外していたノワの手が止まった。

これ以上は耐えられない。


「も、もういいよ」

「はい?」


聞き返してきた声は「良いわけないだろうが」とでも言いそうだ。


「ひょろひょろだから、見られるの嫌だ」


鍛えたって筋肉が付きにくい体なのだ。
決して鍛錬を怠っている訳では無いが、こればかりは仕方ない。肩からずり落ちたシャツを押さえつけ、ノワは不安げにアレクシスを見上げる。

目が合った彼は、こちらを穴が空くほど凝視していた。


「前までは構わず全裸になっていたのに?」


──平常を装った問いかけと裏腹に、アレクシスの内情はかなり複雑だった。

帝都へやってこられたのは、様子を見に行くという父に無理を言って役目を交代してもらったからだ。

密室に半裸のノワと二人きり。
それも、普段は自分勝手な兄が、何故か恥じらうように視線を揺らすのだ。

心臓がうるさい。

妄想の中では何度も暴いた肌は、現実とは比べものになら無いほど生々しく綺麗だ。
馬車は着々と学園へ向かっている。
こんな風にノワと会話をできるのも、触れることが出来るのも、次はいつになるだろうか。


「·····脱ぐのが嫌なら、触診はどうですか?」

「しょくしん?」

「触れてもいいですか」










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