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《85》お客
しおりを挟むノワがさらわれたと報告を受けた時、強い恐怖に襲われた。
今だって彼のことで頭がいっぱいだ。こんなことは今まで経験したことがなくて、自分自身どうすれば良いのか分からない。
一体自分は、どうしてしまったのだろう。
ここにノワがいたならば、これも全部彼の作戦のせいだと、笑い話にできるのに。
「いっそ、そうであれば····」
ボソリと呟いた言葉は、我ながら独りよがりな願いだった。
ぼんやりと目を開いた先に、見慣れない天蓋があった。
たしかここは、自分のために用意された賓客室だ。
金の刺繍があしらわれたそれを呆然と眺め、ノワは瞬きを繰り返した。
『イアード』
意識を無くす寸前、視界に飛び込んできた文字。
ネックレスの裏に刻まれていたそれは、なんだか聞き覚えがある気がした。
「イアード····」
思い出せそうで思い出せないもどかしさを感じる。
ノワは、意識を失う前の出来事を少しずつ呼び戻した。
(黒猫を追ってリダルを見つけて、そこで····)
『外れだ、阿呆』
ぽんと頭に浮かんだのは、美術品のように美しい男の顔。
「あああああ!!!!」
色気のある声が脳内を反芻する。
ノワはここが王宮だということも忘れ発狂した。
「い、如何致しましたか?!」
部屋の前で待機していたメイドと護衛が、扉を開け放ち突入してくる。
相当取り乱してしまった。
「あ·····な、なんでもないです」
まさか、キスシーンを思い出して叫んだなんて、言えるはずがない。
すみませんと謝ると、こちらへ向かって一礼した護衛は、再び扉の向こうへ消えていった。
「お疲れのようでしたから、どうぞそのままお眠り下さい」
メイドがにこやかに告げる。
ベッドの上のノワは首を傾げた。
「寝てた·····?」
「ええ、ノワ様はぐっすりと眠っておられました」
どうやら、庭で意識を飛ばし、ぐーすか眠っていたらしい。
「あの····ここへは、誰が?」
ふと浮かんだ疑問を投げかける。
先程まで笑みを崩さなかったメイドの顔に、影が落ちた。
彼女は戸惑うように視線を泳がせたあと、かろうじて穏やかな表情を作り直す。
「皇子殿下が·····」
「フィアン様が?!」
あっと口元を押さえるノワ。
まさか、リダルにからかわれ見捨てられた自分を、あの腕が抱きかかえ部屋まで送ってくれたなんて。
感動に打ちひしがれるノワだが、妄想は「いいえ」と否定された。
「ノワ様をお連れになったのは、第二皇子殿下にございます」
告げられた真実は予想の斜め上を行くものだった。
公の場には滅多に姿を現さない第二皇子。
死地での戦争を勝利に導いた、帝国の若き英雄だ。
貴族たちは第二皇子を褒め称える一方で、彼を酷く恐れていた。
血に飢えた皇子、戦闘狂───彼についての悪い噂話は後を絶たない。
一方で、第二皇子の評判は市民の間で高評価だった。
今まで行き届いていなかった治安部隊の活動や不当な労働の取り締まり、市民のための細かな決まり事。全てが彼の指揮の元改善されつつある。
(どんな人なんだろう····)
彼に抱きかかえられていた間、まさか自分は鼾をかいたりなんてしなかっただろうか。
途端に不安になる。
ベッドから立ち上がるのと同時に、扉が2度ノックされた。
「失礼致します」
廊下から、先程の侍女が顔を出す。
「ノワ様にお客様がお見えです」
「?」
一瞬ユージーンが思い浮かぶ。が、彼は玩具の見舞いに来るような人間ではない。
今回の件で、わざわざ王宮までやってくる客人とは、一体誰だろう。
「どなたですか?」
「それは──」
訪問者の名前を聞いたノワは、急いで着替えに取り掛かった。
部屋を出る前、一瞬頭を過ったのは、盗賊団から自分をすくってくれたリダル。
(変な奴·····)
早朝の庭でキスをした。
非現実的な出来事が立て続けに起きている間、ずっとそばにいた彼は、また幻のように姿を消してしまった。
(気にするもんか)
あいつは、庭園で気を失った自分を置き去りにしたのだ。
こっちだって勝手に帰らせてもらうことにする。
ノワは今度こそ部屋を後にした。
「·····お見送りもいらないって」
ノワが消えた部屋の前。
残された侍女がぽつりと呟、勢いよく後ろを振り返った。
「見た?あのお肌!」
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誤字脱字のご指摘ありがとうございます!大変有難いです🙏✨
応援ありがとうございます!
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