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《213》力になる
しおりを挟む彼の本当の名前。敬称をつける前に、冷たい唇は味気なく引き上がった。
「遅せぇよ」
上唇に感じたのは、冷気ではなかった。
「ヴァーヴ卿」
イアードがレイゲルに呼びかける。
ほかの人がいることをすっかり忘れていた。
恥ずかしくなって口元を拭っていると、扉の前に待機していた紫髪の男と目が合った。
「····?」
彼がにんまりと微笑をうかべる。
優し気だが少し意地悪そうにも見える笑みは、どこかイアードに似てる。
きっと彼は、イアードの側近だ。ノワは自然と分かり、予想が完全に外れてたことも理解した。
「お前はヴァーヴ卿に着いていけ」
こちらを振り返ったイアードが言う。
「行くぞ、レハルト」
「はっ」
彼はそれだけを告げ、扉の方へと踵を返した。
行ってしまう。
ノワはベットから飛び降り、広い背にしがみついた。
「行かないで」
離れ離れになるのはもう嫌だ。
もしも今度こそ何かあったらと、想像しただけで恐ろしいのだ。
「僕も一緒に行く。力になるから、お願い」
「··········」
イアードが目を見開く。
すぐに浅くため息が聞こえてきた。
「駄目だ」
「なんで?僕だって──」
精一杯力強く掴んでいたはずなのに、呆気なく手を振り払われてしまう。
「誰かが致命傷を負ったら、聖徒の力が必要になる。お前はその時に備えて無事でいろ」
そんなの、ただの託言だ。
彼はまた、自分だけ血を流そうとしている。
「いなくならないで」
もう傷ついて欲しくない。
「死なないで」
「俺は死なねえ」
ノワの心配を他所に彼は不敵に笑った。
目の前に短剣を差し出される。
そっと柄を抜くと、白銀の刃が、光を集めて輝いていた。
「これ·····」
「お前が持ってろ」
どんな障害をも切り裂く刃に、皇族の瞳と同じ真紅の石宝が埋め込まれた鍔。
時期皇帝候補だけが持つことを許される聖剣だ。
髪に触れたのを最後に、温もりが遠ざかってゆく。
「またな」
彼は呆気なく廊下の向こうに消えてしまった。
「ノワ」
レイゲルがノワを呼ぶ。
窓の向こうは黒煙が立ち込めていた。
大勢の雄叫びと共に、城中に地鳴りが響く。
「俺達も行こう」
レイゲルに頷き、ノワは部屋を後にした。
先程から、生ぬるい視線が鬱陶しい。
イアードは視線の端でレハルトを振り返った。
「殿下もすみに置けませんねぇ」
「は?」
「抱きしめたらいい匂いだったな~。狡いですよ、いつの間にあんなに健気で可愛い──ぐはっ」
歌うように話し続けていたレハルトは容赦ない肘鉄砲を食らう。メキ、と、鈍い音がした。
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