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《286》調子狂うやつ

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不当な要求の一つや二つ、受け入れる覚悟でいた。
ノワはもじもじしながらこちらを覗き込み、すぐにまた顔をそむける。
思ったよりも嫌われてはいなそうだった。


「そのかわり、敬語をやめてください」

「敬語を?」

「かえって馬鹿にされているみたいで、嫌なんです。それで」


それで、と、高めの声が、息継ぎをする間もなく続ける。


「ノワって呼んでください」


イアードは今度こそ顔をしかめた。


「それは、なぜ」


「なぜって」


ノワは再び口をもごつかせる。
彼は何度かこちらを見て、困り果てたような、不満気な顔をした。


「じゃあもう、いいです」


ちょっと待て。


「·····わかったよ」


イアードはノワの背中に呟いた。
細い背がくるりと振り返る。
期待の眼差しに圧がかかっている。


「ノワ、これで良いだろ?」

「·····!」


ノワは何度か頷いた。
こころなしか、機嫌が良くなったようにも見えた。


(調子狂うやつだな)


イアードは脳内で独りごちた。

それからというもの、二人はたびたび食事を共にするようになった。
イアードから見て、ノワはとても変な奴だった。

上辺だけでも親交を持てれば良い。それは自分も、相手もそうであるはずだが、ノワの笑顔は人懐こくて、まるで自分との時間を楽しんでいるように錯覚させられた。

思っていたほど、嫌な奴ではない。
むしろ、自分が歩み寄れば、彼とは本当に親しくなれるような気がしていた。

しかし、変な違和感が邪魔をする。












「また怪我したの?」


昼下がり、窓の外にノワを見かけた。
一緒にいるのは薄い髪色の近衛騎士だ。
ノワが何か耳打ちすると、相手はだらしなく笑い、かがみ込む。
ノワはごく自然に、彼の頬に口付けた。

バキッ。


「·····?」


手元を見下ろす。
握っていたペンが真っ二つに折れていた。
染み出したインクが、書類に黒い染みを広げてゆく。
イアードは使えなくなった棒切れを屑箱に投げ捨てた。























イアードの目には楽しげに映っていたノワだが、実際のところ彼の機嫌はこれ以上なく悪かった。


「今日で4日目です。知ってますか」


硬い声で告げる。
嫌味のつもりだった。


「もちろんですよ!お気になさらずと申しましたのに、ノワ様は私が怪我をする度にご慈悲を下さいました。本当に感激でございます」


憂悶の表情が胡散臭い。
しかも、
「私は頼んでないけどあなたが勝手にやった事ですよね?」と遠回しに伝えることで、こちらが彼を非難しにくくなるように仕向けている。











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