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《291》朧気な視線
しおりを挟むイアードに最も効果的な治癒方法は、慰みによる慈悲だ。
言ってしまえば性的興奮度によって効果が変わるというアレ。
しかし、眠っている人間を襲うわけにもいかない。
(何よりも·····)
イアードの言葉の数々を思い出す。
淫売、汚い、そう言っていた。
彼が嫌がっていたことだ。いくら治癒のためと言えど、避ける他ない。
窓から射す月光がイアードの横顔を優しく照らす。
人形にしたって、こんなに美しい顔はないだろう。
彼を治癒する時間はいつもあっという間にすぎてゆく。
小さく扉を叩く音が、終わりの合図だ。
それまで集中して聖力をそそぐが、不思議と全く苦ではなかった。
長いまつ毛の先が僅かに動くと、変な風に胸が高鳴る。
バレたら大変なことになるのに、赤い瞳が怖いはずなのに──近くで見たいと思ってしまう。
今日はなかなか集中できなかった。
昼間に、ロイドの手当を長く行いすぎたのかもしれない。
時計を見る。
暗闇の針は、丁度1時を回るところだった。
今夜はここまでにしよう。イアードから手を離したノワは、びくりと身体を強ばらせた。
切れ長の目元が、薄らと開かれている。
赤い瞳はノワを捉えていた。
(やばい)
逃げないと。
じりじりと背後へ後ずさるノワに、青白い手が伸びてくる。
少し驚いてしまうほど大きな手のひらが、顔の前で広げられる。
一瞬、片手でリンゴをにぎりつぶす芸人を思い浮かべた。
今の状況なら、リンゴは自分の頭だ。
しかし冷たい手はノワの後頭部へ回された。
ぐい、と、力がこもり、頭を引き寄せられる。
唇に、褪せた温度が押し付けられた。
そして直ぐに離れる。
口先にはピリピリした余熱が残った。
「··········え?」
ノワは次の瞬間、弾かれるようにして身を翻した。
ベットから飛び降りようとした足首は、硬い手に掴まれる。
「あっ」
前のめりに倒れた身体が、弾力のあるベットに沈む。
匍匐前進が叶わない。足首は掴まれたまま、ノワは背後へと引きずり込まれた。
(───怖い!)
ギュッと瞼を閉じる。
体が反転し、両手はベットに押し付けられる。
そして、再び静寂が訪れた。
捕らえた相手は、うんともすんとも言わない。
「··········?」
ノワは恐る恐る瞼を開けた。
毎夜見つめていた顔が、今はこちらを見つめている。
冷たい炎を閉じ込めたみたいな瞳だ。
ノワは呼吸も忘れ、彼を見つめ返していた。
「殿下·····」
イアードの焦点は朧気だった。
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