転生王妃はもう二度と愛さない ―処刑の夜に誓った復讐―

柴田はつみ

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第三章 差し出されなかった手、ほどけない視線

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 応接間の扉が静かに開かれた。

 濃紺の軍装に身を包んだ少年――王太子クリスが、凛とした足取りで部屋へ入ってくる。
 背筋はまっすぐで、年齢に似つかわしくない威厳を帯びていた。

 キャロルは、床に広がる長い絨毯の上で、深々と裾をつまみ、礼を取った。

「キャロル・エヴァンシア伯爵令嬢でございます。殿下のご来訪を、心より歓迎いたします」

 声は静かに、礼儀正しく――
 決して彼の心へ触れない距離を意識した声音。

(私は踏み込まない。
 今度は、近づきすぎない)

 胸の奥で、固く言い聞かせる。

 しかし、返ってきた反応は――

「……キャロル」

 名を呼ぶ声は、驚くほど柔らかかった。

 形式でも、外交のための声音でもない。
 まるで――懐かしい人に触れるような、微かな安堵を含んだ響き。

 キャロルの胸が、反射的に震える。

(どうして……そんな声で)

 顔を上げると、灰青の瞳がまっすぐに彼女を見ていた。

 冷たくて、鋭くて、誰よりも孤独だったはずの瞳。
 その奥に、わずかな揺らぎが灯っている。

 それは、戸惑い。
 それは、喪失の影。

 ――そして、言葉にできないほどの、切実な「願い」。

(違う……前世とは、違う)

 キャロルはとっさに視線を逸らした。

 これ以上見つめてはいけない。
 揺らいでしまう。
 また同じ結末へ、引きずり込まれてしまう。

「殿下。お疲れでしょう。父が応接の支度を――」

 逃げるように言葉を継いだ、その瞬間。

 クリスの靴音が、ひとつ近づいた。

 距離が詰まる。

 彼の影が、キャロルの足元に落ちる。

「顔を上げてくれ。……君と話がしたい」

 低い声。
 命令でも、王太子としての要求でもない。

 ただ一人の少女へ向けられた、たどたどしい願い。

(どうしてそこまで――)

 胸の奥に、恐ろしく温かい何かがにじみ始める。

 ――だめ。

 キャロルは静かに一歩、後ろへ下がった。

 絨毯の上にかすかな布擦れの音が落ちる。

「恐れながら、私のような者に、殿下のお時間を割く価値はございませんわ」

 それは、自分自身を切り離す言葉。

 近づかないための、冷たい鎧。

 クリスの瞳が、かすかに揺れた。

 痛みをこらえるような、困惑と――僅かな焦り。

 少年は、ためらうように、手を伸ばしかけて――

 途中で、その手を止めた。

 宙に浮いた指先が、震える。

(……触れてはいけない、と思ってる?)

 キャロルの胸を、鈍い痛みが掠める。

 前世で――
 その手は、最期まで「王として」の距離を保った。

 抱きしめる代わりに、冷たい宣告を与えた手。

 それなのに今は、ほんの指先にさえ触れることを、ためらっている。

「……すまない。無礼だった」

 クリスは、静かに手を引いた。

 俯きかけた睫毛の影が、長く床へ落ちる。

 冷たい少年王太子の仮面が、わずかに崩れていた。

(殿下……あなたは、何を恐れているの?)

 問いが喉までこみ上げる。

 けれど、言葉にはしない。

 してしまえば、踏み込んでしまう。

 この距離を、守れなくなる。

「これ以上は、伯爵と話そう」

 クリスは静かに背を向けた。

 だが――

 去り際、扉の前で、ふたたび振り返る。

 灰青の瞳が、もう一度だけキャロルを射抜いた。

 どこまでも、痛いほどに。

 まるで、

 「離れたくない」

 ――そう訴えているように。

(やめて……)

 キャロルは胸元で手を強く握り込む。

(そんな目を、しないで――)

 息が少しだけ、震えた。

 少年は何も言わず、ただ静かに去っていく。

 扉が閉じる音が響いたあとも、
 彼の視線の温度だけが、部屋の中に残り続けていた。

(なぜ……あなたは私を見る)

(なぜ、そんなに――私を手放したくないような顔をするの)

 鼓動が、痛い。

 それでも、キャロルはゆっくりと目を閉じた。

(私は、もう愛さない。
 どれほど揺らいでも――決して)

 けれどその誓いは、

 すでにわずかに、
 ひび割れを孕(はら)み始めていた。
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