転生王妃はもう二度と愛さない ―処刑の夜に誓った復讐―

柴田はつみ

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第十章 王太子の独占宣言と、揺らぐ距離

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 王宮の大広間は、夜会の灯りで白金色に輝いていた。
 天井から幾重にも垂れ下がるシャンデリアが、宝石の雫のような光を降らせる。
 音楽は甘く、香水と花の香りが混ざり、空気は熱を帯びていた。

 キャロルは、胸の奥で静かに呼吸を整える。

(夜会――ここで、私は前世でも「王妃候補」として見世物になった)

 視線が刺さる。
 値踏みの視線。
 羨望と嫉妬と、噂話を孕んだ視線。

 それでも、今の彼女は微笑みを崩さなかった。

 今夜のドレスは、淡い銀青。
 動くたびに布が波のように揺れ、胸元には小さな月光石が光を返す。

 鏡の前で選んだのは、“守られる人形”の装いではない。
 自分の意思を持った、静かな強さの色。

「キャロル様」

 背後から、教育係のミレイアが声をかけてきた。
 扇子を胸元に添えたまま、彼女は周囲を見渡す。

「今夜のあなたは、注目を集めます。……覚悟は?」

「ええ。覚悟なら」

 キャロルは微笑んで答える。

「ただ――必要以上に、心を売らないだけです」

 ミレイアの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

「よろしい。では、今夜の条件を告げますわ」

「条件……?」

「王妃候補として、あなたは“愛される”だけでは足りません。
 噂を制し、視線を制し、場を制する――それが王妃の条件」

 ミレイアは扇子の端で、遠くを示す。

「……殿下を見なさい」

 キャロルはゆっくり視線を上げた。

 広間の中央。
 人々に囲まれながらも、まるで孤峰のように立つ青年がいる。

 濃紺の正装。
 冷ややかな灰青の瞳。
 光さえ凍らせるような存在感。

 王太子クリス。

(……近づいてはいけない)

 胸が、痛いほどに波打つ。

 だが、その痛みを押し込めるように、キャロルは一歩を踏み出す。

 音楽が、変わる。
 舞踏の合図だ。

 貴族たちが次々とペアを組む中、キャロルの前にも男たちが集まり始めた。

「キャロル様。よろしければ一曲」

「いえ、ぜひ私と」

「王妃候補の舞を拝見したいのです」

 微笑みを浮かべながらも、瞳は強欲だ。
 彼らは舞を口実に、王妃候補へ“近づきたい”。

 キャロルは礼儀正しく一歩下がる。

「恐れ入ります。ですが今夜は――」

 断りかけた瞬間。

 空気が変わった。

 冷たい風が、広間を横切ったような感覚。
 ざわめきが、すっと引く。

 視線の先に、クリスがいた。

 静かに歩いてくる。
 誰も止められない足取りで。

 キャロルの呼吸が止まる。

(……来ないで)

 心が叫ぶ。
 けれど身体は動けない。

 クリスはキャロルの前に立ち、周囲の男たちを一瞥した。

「――下がれ」

 声は低く、短く、命令だった。

「で、ですが殿下……」

「下がれと言っている」

 氷のような瞳が向けられると、男たちは顔色を変え、蜘蛛の子を散らすように退いた。

 広間に、微かなざわめきが残る。

 キャロルは唇を噛む。

(公衆の前で……こんなことを)

 彼は、彼女に向き直った。

「……踊る」

 命令形に近い。
 けれどその声の奥は、切実に震えていた。

 キャロルは小さく息を吸い、微笑を作った。

「殿下。私は王妃候補であって、殿下の所有物ではありませんわ」

 言葉は穏やか。
 だが、刃のように正確だった。

 クリスの瞳が、微かに揺れる。

「……分かっている」

 そう言いながら、彼は手を差し出した。

 その手は、温度を隠している。
 けれど、指先がわずかに震えていた。

(触れたくない。
 でも――触れられない方が、怖い)

 キャロルはその間で揺れる。

 前世の記憶が、断頭台の冷たさを連れてくる。
 同時に、今の彼の瞳が、痛いほどの熱を映す。

 ――ゆっくりと、彼女は手を乗せた。

 触れた瞬間、クリスの指がきゅっと強く絡む。

「……強い」

 キャロルが小声で言うと、彼は短く答えた。

「離すと……戻らない気がする」

 その一言が、胸に落ちた。

(戻らない……? 何が)

 音楽が流れ、二人は輪の中へ入る。

 クリスの腕は確かで、支配するようで、しかしどこか守るようでもあった。

 キャロルは、視線を上げないようにする。

 だが。

「キャロル」

 囁く声が、近い。
 耳元に、呼吸の温度が触れる。

「君は――誰にも渡さない」

 その言葉に、キャロルの足が一瞬乱れた。

「……殿下」

「否定するなら、今ここで言え」

 低い声。
 追い詰める声ではない。

 どこか、怯えを隠している声。

(殿下は……怖いの?)

 キャロルはふっと息を吐き、柔らかく言った。

「否定したいのではありません。
 私は――自分の意思で立ちたいのです」

「それは許す」

 即答だった。

 その言い方に、キャロルは思わず苦笑する。

「許す、ですか」

「君の意思を、私は奪わない」

 クリスの瞳が鋭く光る。

「だが――君を奪う者は、許さない」

 踊りながら、周囲の視線がますます集まるのを感じる。

 噂が音もなく生まれる。
 今夜の出来事は、明日には宮廷中へ広がる。

(これが……“影”)

 キャロルは気づく。

 彼の独占宣言は、溺愛であると同時に、
 敵にとっては絶好の餌でもある。

 ――誰かが、これを利用する。

 そしてその「誰か」の顔が、自然と脳裏に浮かんだ。

 栗色の髪。
 翡翠の瞳。
 柔らかな微笑。

(リネア……)

 胸が冷える。

 踊り終え、二人は音楽の余韻の中で止まった。

 クリスは、周囲へ向けて低く告げる。

「――キャロル・エヴァンシアは、私の王妃となる」

 広間が息を呑む。

 拍手が起こる。
 祝福の声。
 羨望の視線。

 その中に混ざる、薄い毒。

 キャロルは微笑みながら、胸の奥で静かに確信した。

(始まるわ。
 また、同じ“噂”と“罠”が)

 しかし今度は、違う。

(私は、見逃さない。
 ――証拠を集めて、静かに終わらせる)

 その決意が、復讐の第一歩だった。

 隣で、クリスが小さく言う。

「……怖かった」

「何が、ですか?」

「君が――誰かに連れて行かれるのが」

 キャロルは一瞬、言葉を失った。

 そして、微かに目を伏せた。

「……私は、逃げません。
 ただ――私の歩幅で、進みたいだけ」

 クリスは、彼女の手をまだ離さない。

「なら、君の歩幅に合わせる」

 短い言葉。
 だが、その誓いは重かった。

 キャロルの胸の奥で、
 また小さなひびが――音もなく広がった。



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