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第2章 花探し

8・マッチョなワンコ系……いるかしら?

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 レヴィリウスと出会ってから、ルシェラの生活は少しずつ変わり始めていた。

 いにしえの戦いで聖女にダークベルへと封印された悪魔のレヴィリウスは、その聖女の末裔であるルシェラの「許可」を得てリトベルへ来ることができる。ただし訪問は夜に限られており、現れる時はルシェラがシャドウに襲われる前だと決まっていた。

 とは言えそう頻繁にシャドウと出くわすこともなく、レヴィリウスと顔を合わせた回数はひと月の間で二、三回ほどしかない。銀髪の悪魔はその少なさに毎回不満を口にするのだが、今までシャドウを見たこともなかったルシェラにとってはこれでも多い方だった。

「ルシェラ。いい加減、再契約を結びませんか?」

 リトベルのルシェラの部屋。棚に置かれたアイスブルーの箱『ルダの揺り籠』を覗き込みながら、レヴィリウスが今日で三回目の提案を口にした。

「いやよ。必要性を感じないわ」
「その必要性が私には大いにあるのですがね。シャドウから守るのは当然として、私はもう少し君に会いたいのですが」

 出会ってから二ヶ月。顔を合わせる度に口説かれているのに、ルシェラは未だその甘い囁きに慣れていない。今も声を詰まらせ、朱に染まる顔を見られまいと不自然に頭を俯かせている。

「せめてシャドウのいない夜にも、こちらへ来ることを許しては頂けませんか?」
「シャドウがいないなら来ても意味がないじゃない」
「おかしなことを言う。君との愛を深めるためですよ」
「あっ、愛って……そんなものないわよ!」
「だから深めるんですよ。どうにも君は私の気持ちを疑っているようなので」

 唇に人差し指を当て、覗き込むようにルシェラを見る。
 この目は駄目だ。艶めいた菫色の瞳には魅了の魔法がかけられているようで、見つめられるだけで胸の奥が甘く疼いてしまう。その鈍痛が舌先を麻痺させて自分でも思わぬ言葉を吐く前に、ルシェラがレヴィリウスの体をベッド脇のドレッサーの前に押しやった。

「そういうのはいいから! 今日はもう帰って」
「おやおや、君はこういう時だけは強引ですね」

 仕方ないと肩を竦めて、レヴィリウスがドレッサーの鏡へ手を伸ばした。
 鏡はダークベルのルシェラの部屋に繋がっている。ルシェラが初めてダークベルに落ちた時、そこから戻る手段としてレヴィリウスが繋げた道だ。
 レヴィリウスの指先が鏡面に触れると、淡い光と共に波紋が広がっていく。そのまま波打つ鏡へ身を投じれば向こう側へ渡れるのだが、レヴィリウスは指先だけを埋めたまま一向に動く気配がない。不審に思ったルシェラが肩越しに覗き込むと、ドレッサーの上に一枚の紙が置いてあるのが見えた。

「あっ!」

 慌てて紙を取っても、もう遅い。振り返ったレヴィリウスの瞳が探るように揺らめき、菫色の奥に少しだけ冷たい色が混じり込んだ。

「何ですか、その知性のかけらもない謳い文句は」

 ルシェラが握りしめている紙を指差して、レヴィリウスが不快に眉を寄せる。

「花の都リトベルで、恋の花を咲かせよう! リュナス祭りで見つける、君だけの花。運命の相手はここにいる! ……とは?」

 低い声が棒読みで紡いだ言葉は、ルシェラが握りしめた紙に書かれたキャッチコピーだ。それを一目見ただけで覚えてしまうレヴィリウスにも驚愕したが、その中身を知られたことの方がルシェラにとっては恥ずかしい。体温が一気に上昇した気がした。

「違うの! これはそのっ……エミリアが一人じゃ行きにくいって言うから……」
「君の本意ではないと?」
「それは……まぁ……」

 いい人がいればいい、くらいに考えていたルシェラだったが、さすがにレヴィリウスの前でそれを口にするようなことはしない。どうなるか、目に見えているからだ。
 けれど言葉にせずとも口ごもって俯けば何かしら伝わるものがあったのか、不意にレヴィリウスがルシェラの腰を攫って強引に引き寄せた。

「だから再契約が必要だと言ったのですよ」

 驚く間もなく、ルシェラの額に掠めるようなキスが落ちる。やわらかな唇の感触を認識した途端に拘束を解かれ、たったそれだけなのに力の抜けたルシェラがベッドに倒れ込むようにして腰を下ろした。
 反論しようと睨んだ先、飄々とした態度でドレッサーの前に立ったレヴィリウスが、鏡越しにルシェラを見て厭らしいほど清々しく笑った。

「パーティ、楽しんできて下さい」

 そう言って鏡へ腕を滑り込ませると、鏡面が細かな波紋を広げてダークベルへの道を開く。淡い光に包まれて形を解いていくレヴィリウスは、意味深にルシェラを見つめたままそれ以上何も言うことなくダークベルへと帰っていった。
 一人残されたルシェラは、レヴィリウスの残した不意打ちのキスに真意を掴めないまま、彼の消えた鏡を暫くの間惚けたように見つめていた。

「……何よ」

 短く吐いた息と共に、不満がこぼれ落ちる。
 鏡に映るルシェラの額には、胸にある痣のような類いは何もなかった。それはつまり、あのキスは契約ではないと言うことだ。

 ルシェラが恋人探しのパーティに行くことに対して難色を示したかと思えば、不意打ちのキスと笑顔で何事もなかったかのようにパーティに送り出す。
 ルシェラが欲しい。特別だと何度も囁いておきながら、レヴィリウスの心はまったくルシェラの方を向いてはいない。
 彼が欲しいのは「ルシェラ」ではなく、「聖女」の体だ。ルシェラに惹かれるのは、神の力を得た人間を手に入れたいという、悪魔ならではのさがでしかない。そしてそれを、ルシェラは嫌というほど理解していた。

「理解を深めなくちゃいけないのは、レヴィンの方じゃないの」

 ぽつりと呟いて鏡を睨むと、ルシェラは近くにあったタオルでその鏡面を乱暴に覆い隠した。


 ***


 リュナス祭りは近隣の街や村で一斉に行われる収穫祭のひとつだ。
 秋に行われるこの祭りには収穫への感謝を込めて、沢山の作物やそれらを使った食べ物などが所狭しと売りに出される。リトベルは売りに出す農作物がない代わりに街全体を収穫祭の会場として開き、秋に咲く桃色の花の名前を取って「リュナス祭り」と呼ぶようになった。

 中央区を中心に多くの露店が並び、三日間続く祭りには近隣からも多くの人がリトベルを訪れる。珍しい作物や人気の菓子などを目当てに来る者も多いが、中でもとりわけ若者に人気のイベントが「花探し」と言う名の、いわゆる恋人探しのためのパーティだ。
 歴史地区に残る、かつての有力者が住んでいたと言われる豪邸はこの日限定で開放され、その一階の大広間が花探しパーティの会場になっていた。

 古い城を思わせる内装は豪華絢爛で、ドレスこそ着てはいないが華やかに着飾った女性たちが集まれば、会場は一気に城の舞踏会を思わせる雰囲気に彩られていく。集まった男女は皆、自分が「花探し」に参加していることを示すため、体のどこかにリュナスの花を飾るのがルールになっている。
 エミリアと共にパーティに参加したルシェラも、アップに纏めた髪に飾りとしてピンク色のリュナスの花を挿していた。

「無理に誘っちゃってごめんね」
「ううん。私も誰かいい人がいればって思ってるから……ちょうど良かったの」

 会場内を見渡せば、かなりの数の男女が大広間に集まっている。端には休憩スペースも設置され、軽食も用意されているようだ。あと三十分ほどで「花探し」のパーティが始まるため、集まった男女は心なしか皆ソワソワしている。
 同じ目的で集まったはずなのに、ルシェラは何だか人ごとのように会場内の男女をぼんやりと眺めていた。

「今年こそ素敵な出会いがありますように!」
「エミリア好みの男性はなかなかいないんじゃない? 母性本能をくすぐるマッチョな年下に、お姫様抱っこされながら叱咤されたい……だっけ?」
「そう! でも人前では私の言う事を聞くワンコ系」
「マッチョなワンコ系……いるかしら?」
「とりあえず何人か目星付けた! ルシェラもいい人いたら私のこと気にしないでどんどん行ってね。そのための決め事なんだから」

 いいなと思った人がいれば、互いのことは気にせずに楽しむこと。それがこのパーティに来る前、二人で決めた約束事だった。

「ねぇ、ルシェラ。今夜のパーティ、セイルには言ってないの?」
「どうしてそこでセイルが出てくるの?」
「うーん……何となく? 普通はほら、イケメンの幼馴染みがいたら少しは気になるじゃない。なのにルシェラったらまったくその気がなさそうなんだもの」
「その気も何も……幼馴染みだからこそ、好きとかそういう感情が芽生えにくいと思うんだけど」

 それでも、この間の夜は少しだけセイルを意識した。予期せぬ言葉に驚いただけかも知れないが、あの一瞬ルシェラは確かにセイルを男として見たのだ。

「セイルクラスでときめかないなんて、ルシェラの理想はどんだけ高いのよ。ねぇ、あなた一体どう言う男が好みなの?」

 エミリアの問いかけに、なぜかレヴィリウスの顔が脳裏に浮かんだ。その瞬間を見計らったかのように合図の音が響き、リュナス祭りの「花探し」パーティが幕を開けた。



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