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天使は甘いキスが好き
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余りの丁寧な言葉に、沼田は驚く。身持ちのしっかりした人間だろう、玉木の人柄が園長先生には気に入られた様だ。見た目はまだ三十そこそこだろう玉木に、沼田はドキリとする。玉木はお辞儀をするタイミングで、英治の頭を掴んだまま英治にもお辞儀をさせた。
「沼田です。こちらこそ宜しくお願いします。まだ新人ですので、何かありましたら構いませんので、云って下さい」
「解りました」
玉木は微笑んで頷き、今度は伊吹の目線になる様に屈んだ。
「伊吹君も宜しくね」
伊吹はコクコクと頷くと、英治の手を掴んだ。お菓子の事はすっかり頭から抜けた様だ。
「ぼく、えいじくんのおともだちになる、えいじくんにぼくのかいたえをみせてあげる」
そう云うと、伊吹は英治の手を掴んだまま、園長室から出て行く。
「えいじくんはおえかきすき?」
英治は問われて考える。
「…えはかかない。パソコンならやる」
英治は掴まれた暖かい伊吹の手を見詰めた。母親でさえ英治を煙たがり、父親は医者のせいか、一緒に居る時間が極端に少ない。家政婦は家政婦で、雇用主の息子に腫れ物でも触れる様な態度で接してくる。だから英治に対して、自分に触れて来る人間が、今まで居なかったのだ。
新鮮な、それでいてくすぐったい想いと、早鐘を打つ胸の心臓に英治は困惑した。
ーーーなんだろう? 不思議な気持ちで、英治は伊吹を見詰める。今まで出逢った人間で、ドキドキしたのは初めてだ。
「パソコン、すごいね! ぼくなんかでんきやさんのパソコンしかさわったことないよ? あ、そうだ!」
突然振り返った伊吹に、手を掴まれたままの英治はピクンと肩を揺らす。
ーーーしんぞうへんだって…それよりこいつかわいいかも。
「こんどえいじくんのいえにあそびにいってもいい? パソコン、おしえてよ! ぼくおぼえたいんだ」
にっこりと微笑む伊吹に、英治は胸がドキンと高鳴った。肌寒い外廊下を、二人はトコトコと歩く。英治は頬を染めて、十一月の寒空を見上げた。白い息が唇から漏れる。丸い月が顔を出して、二人を包む様に輝いて見えた。英治は伊吹に顔を戻す。伊吹は小首を傾げて、英治の返事を待った。
ーーーかわいすぎるっ。 天使の矢が直撃だ! 返事をするべきか、しなきゃいけないよな?
とひとり悶々と悩んだ末、一言。
「…いいよ」
ぼそりと云う英治に、伊吹はやったーと心の中でガッツポーズをする。
ーーーぼくゲームやりたかったんだーっ。
ーーーおれ、はじめてOKした。こいつおれのいえにくるのか?
「じゃ、やくそくね!」
ーーーあぁ、やっぱり。
伊吹はルンルン気分で、【ばらぐみ】のプレートが付けられたガラス戸を開け、英治を教室の中へ促した。
中は暖房が効いていて暖かい。英治は教室内を見渡した。英治は離れて行く伊吹の手の温もりに、ホッとする反面残念な想いを感じた。伊吹は床の上に置いたままの絵を拾い上げ、クルリと振り返る。
「これ、ぼくのおかあさん。とってもきれいでやさしいの」
桜の木の下に、三人の笑顔。英治が求めて止まない過去の風景だ。伊吹は嬉しそうに自分で描いた絵を英治に向けた。英治は母親の顔を思い出して、眼を逸らす。
『英治、ひとりで留守番出来るでしょう? 家政婦さんが居るから平気よね?』
ブランド物のバッグ、胸や長い脚を露出した服。きつめの香水に紅い口紅。
『お母さん、明日から友達と旅行なの』
バッグに着替えとパスポート。英治を振り返りもせずに、云う母親。
『こんな事も出来ないなんて、私の子供として恥ずかしいじゃない!』
英治の顔にコップの中身の水をぶちまける。頭から濡れた英治を、冷めた眼で見詰める母親に、その後ろでうろたえる家政婦。例え英治が熱を出しても、家政婦に任せて自分は友人と映画に外食にと、遊び歩く。
「えいじくん?」
呼ばれて英治はハッとした。大きな瞳が、いつの間にか間近でどうしたの? と訊ねている。
ーーーおれ、なにドキドキしてるんだ?
「えいじくんのおかあさんって、どんなひと?」
英治は唇を噛んで、再び眼を逸らした。
「しらない」
ーーーきくなよ。
と、英治は思う。
「…知らないの?」
伊吹は不思議そうにし、そして祖母の云い付けを思い出した。
「沼田です。こちらこそ宜しくお願いします。まだ新人ですので、何かありましたら構いませんので、云って下さい」
「解りました」
玉木は微笑んで頷き、今度は伊吹の目線になる様に屈んだ。
「伊吹君も宜しくね」
伊吹はコクコクと頷くと、英治の手を掴んだ。お菓子の事はすっかり頭から抜けた様だ。
「ぼく、えいじくんのおともだちになる、えいじくんにぼくのかいたえをみせてあげる」
そう云うと、伊吹は英治の手を掴んだまま、園長室から出て行く。
「えいじくんはおえかきすき?」
英治は問われて考える。
「…えはかかない。パソコンならやる」
英治は掴まれた暖かい伊吹の手を見詰めた。母親でさえ英治を煙たがり、父親は医者のせいか、一緒に居る時間が極端に少ない。家政婦は家政婦で、雇用主の息子に腫れ物でも触れる様な態度で接してくる。だから英治に対して、自分に触れて来る人間が、今まで居なかったのだ。
新鮮な、それでいてくすぐったい想いと、早鐘を打つ胸の心臓に英治は困惑した。
ーーーなんだろう? 不思議な気持ちで、英治は伊吹を見詰める。今まで出逢った人間で、ドキドキしたのは初めてだ。
「パソコン、すごいね! ぼくなんかでんきやさんのパソコンしかさわったことないよ? あ、そうだ!」
突然振り返った伊吹に、手を掴まれたままの英治はピクンと肩を揺らす。
ーーーしんぞうへんだって…それよりこいつかわいいかも。
「こんどえいじくんのいえにあそびにいってもいい? パソコン、おしえてよ! ぼくおぼえたいんだ」
にっこりと微笑む伊吹に、英治は胸がドキンと高鳴った。肌寒い外廊下を、二人はトコトコと歩く。英治は頬を染めて、十一月の寒空を見上げた。白い息が唇から漏れる。丸い月が顔を出して、二人を包む様に輝いて見えた。英治は伊吹に顔を戻す。伊吹は小首を傾げて、英治の返事を待った。
ーーーかわいすぎるっ。 天使の矢が直撃だ! 返事をするべきか、しなきゃいけないよな?
とひとり悶々と悩んだ末、一言。
「…いいよ」
ぼそりと云う英治に、伊吹はやったーと心の中でガッツポーズをする。
ーーーぼくゲームやりたかったんだーっ。
ーーーおれ、はじめてOKした。こいつおれのいえにくるのか?
「じゃ、やくそくね!」
ーーーあぁ、やっぱり。
伊吹はルンルン気分で、【ばらぐみ】のプレートが付けられたガラス戸を開け、英治を教室の中へ促した。
中は暖房が効いていて暖かい。英治は教室内を見渡した。英治は離れて行く伊吹の手の温もりに、ホッとする反面残念な想いを感じた。伊吹は床の上に置いたままの絵を拾い上げ、クルリと振り返る。
「これ、ぼくのおかあさん。とってもきれいでやさしいの」
桜の木の下に、三人の笑顔。英治が求めて止まない過去の風景だ。伊吹は嬉しそうに自分で描いた絵を英治に向けた。英治は母親の顔を思い出して、眼を逸らす。
『英治、ひとりで留守番出来るでしょう? 家政婦さんが居るから平気よね?』
ブランド物のバッグ、胸や長い脚を露出した服。きつめの香水に紅い口紅。
『お母さん、明日から友達と旅行なの』
バッグに着替えとパスポート。英治を振り返りもせずに、云う母親。
『こんな事も出来ないなんて、私の子供として恥ずかしいじゃない!』
英治の顔にコップの中身の水をぶちまける。頭から濡れた英治を、冷めた眼で見詰める母親に、その後ろでうろたえる家政婦。例え英治が熱を出しても、家政婦に任せて自分は友人と映画に外食にと、遊び歩く。
「えいじくん?」
呼ばれて英治はハッとした。大きな瞳が、いつの間にか間近でどうしたの? と訊ねている。
ーーーおれ、なにドキドキしてるんだ?
「えいじくんのおかあさんって、どんなひと?」
英治は唇を噛んで、再び眼を逸らした。
「しらない」
ーーーきくなよ。
と、英治は思う。
「…知らないの?」
伊吹は不思議そうにし、そして祖母の云い付けを思い出した。
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