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○番外編・2○ 先生のお気に入り【八島莉緒エピソード】

家庭科教師だって恋をしたい①(八島莉央・談)

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 運のいい人、悪い人——私は明らかに後者側の人間だ。
 両親には早々に相次いで先立たれ、引き取ってくれる優しい親戚もおらず、そのまま施設育ち。『自分は誰からも必要とされていない』なんて拗ねに拗ねて悪い仲間と遊び歩き、そのまま転落人生まっしぐら。…… とは、幸いならなかった。私は途中で拾われたのだ、この学校の前理事長に。酔っ払った友人同士の喧嘩に巻き込まれ、近所の人の通報でやって来た警察から逃げている時、隠れた裏路地で突然知らない男に声をかけられた。

『あはは!君ってば、テンプレ的な拗ね方をしてるね、これはまた——実に面白い』

 んなセリフが背後から聞こえた瞬間はアイツを病院送りにするまで殴ってやろうかと思ったけれど、太った動物を抱きかかえた青い瞳のオジサマなんかとバッチリ目が合ってしまっては、現実味の無さに差し出された手を取る以外の選択肢を放棄する事しか私には出来なかった。
『面白いものを見せてくれたから、今度は私が君に別の人生をプレゼントしてあげよう。私は妻しか愛せないから、君に恩を売って愛人にしたいとかアホな理由じゃあ無い。だから安心してついて来ていいよ』

 私の人生を面白いとか…… 。

 巫山戯てる発言の筈なのに、不思議と同情や哀れみの目を向けられるよりも心地よかったのは、全てに現実味が無かったせいだろう。

 その後は、本当にちゃんと私を支援し続けてくれ、高校・大学をまともに卒業し、今では彼の息子が管理している清明学園という高校で家庭科教師として働くまでに到ったのだから…… 私は、実は運がいいのかもしれないと最近は思っている。


       ◇


 本日最後の授業が終わり、一旦学校で預かって管理する事となった教材の入る大きな箱を抱えて長い廊下をひたすら歩く。片付け先である実習棟はここから少し遠くって、荷物の重さのせいで腕が少し痛い。箱が大きくて足元もよく見えないし、生徒に手伝わせたらよかったなと少し後悔してきた。
 頼めばいくらでも優しいここの生徒達ならば持ってくれたろうに、なぜあの時の私は一人でも大丈夫だと思ったのだろうか。

 …… あの瞬間の己を恨みたい。

 階段前に差し掛かり、階下を見て溜息が出た。
「これ降りんのかよー」
 中に壊れ物は無いし、ダンボールを下の階に放り投げたい気持ちに駆られた。だが、教師としてソレは流石にねぇなと諦める。生徒の見本であれ!は教師の基本だからだ。

「よいしょっと」
 ほとんど見えない足元に不安を抱き、一段一段足先で探りながら降りていく。正直マジで怖いが、少しだけ箱を横抱き気味にしたおかげでちょっとだけ足元を確認出来た。
 焦らずゆっくり——そう心掛け、四段目くらいを降りた辺りで、運が良いのか悪いのか、私が片想いをし続けている事務局員の狸小路透たぬきこうじとおるさんが通りかかる姿がチラリと視線の先に見えた。
 そのせいで一気にテンションが上がり、パァと自分の顔が明るくなるのが自覚できた。

 私がここへ就職したての頃からずっと片想いを拗らせている狸小路さんは、ハッキリ言って誰がどう見てもデブだ。豊満なワガママボディという言葉を簡単に凌駕するスタイルを体現した様な方で、丸い顔は肉のせいで目などのパーツが小さく見えるレベルである。そのうえ二メートル近い身長があるため、存在感が半端無い。おかげで、彼が何処に居てもすぐに見付ける事が出来る。
『なんじゃありゃ!』が初見の感想だったが、気になって目で追ううちに、仕事が出来るうえに気遣い魔神であり、心優しい一面を多々見ちゃうなんてことを重ね、いつの間にか私は立派なデブ専と化していた。
『あの肉に飛び込んでみたいっ!お腹をたむたむって揺らしてみたいぃ!』
『沢山料理を作って、もっと彼を育成してあげたい!』
 ——何て、毎日考えてはニヤニヤしてしまう始末だ。

「狸小路さん!お疲れ様でーす」
 嬉しさからつい反射的に声をかけてしまった。愛想よく、己の見かけに相応しく可愛く微笑む。
「んー?あぁ、八島先生じゃないですか、お疲れさ——せ、先生⁈」
 ニコニコ顔だった狸小路さんの顔が、一気に顔面蒼白になり、焦りへと変わるのが見える。

 それと同時に感じる浮遊感。

 あ、これ階段から足踏み外したわ、と気が付いた時にはもう、私の視界には学校の天井が広がり、箱の中から散らばる教材が宙を舞うなんていう状況だった。
『ヤバイ』の一言が頭を占有する。怪我程度で済めば良いけどとか、痛いだろうなだとか、そんな長い言葉を考える余裕なんか当然無い。

「——大丈夫ですか?お怪我は無いですか⁉︎」

 だけど、あれ?何処も痛く、無い?
 強いて言えば耳が痛い。明らかに、大き過ぎる狸小路さんの声のせいだった。
「あれ?私…… 」と言いながら、知らぬ間に瞑っていたらしい瞼を開ける。すると、狸小路さんの大きな顔面が私の視界の全てを支配していた。
 が、眼福!と叫びそうになるのを必死に堪える。他の人だったらキモ!となるかもなくらい汗が垂れていて、流石にそれにはちょっと驚いた。
「足とか捻っていないですか?どこかぶつけたりは?」
 慌てる声で訊きながら、私の体に怪我が無いかと狸小路さんがチェックしてくれる。
 当の私はといえば、彼のやわやわな肉布団に覆いかぶさったまま顔を真っ赤にさせる事しか出来ない。どうやら狸小路さんは、階段の上から落ちてきた私を、全身で受け止めてくれたらしい。胸に抱き込み、そのまま廊下に寝転んでしまったっぽいので、私なんかよりも彼の体の方が心配になてきたが、声を聞く限りでは平気そうだ。
 彼のおかげでどこも痛くは無い。無いけど私は、もうちょっと狸小路さんに構って欲しくって、「足が、痛いです」と嘘をついてしまった。狸小路さんの大きな胸の谷間に顔を埋めたまま、「痛い、痛いなー」なんて力なく答える。
 ちょっと彼の胸が汗っぽい気がするが、私には良い香りに感じられてちょっと興奮する。相性のいい人の体臭って臭いとは感じないって、本当の事みたいだ。
「それは大変だ!」と叫び、狸小路さんが私を胸に抱いたまま、上半身を起こす。腹筋だけで起き上がった様を見て『この人って動けるデブか!』とか考てしまった。
「保健室に行きましょう。ここの片付けは他に頼んでおきますから」
 私の体をサッと縦抱きにして、狸小路さんが立ち上がる。
 憧れのお姫様抱っこでは無かったが、彼の胸や腕の肉布団に包まれたままだし、横抱きなんかの比じゃないくらいの密着度で、私の心と体は人生で最高潮の幸せに満たされたのだった。
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