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第四章

【第六話】夫婦の愛の形⑤

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 収穫したばかりの美味しそうなトマトが半分程入っている籠を腕に抱えたままであるエリザが腰を上げ、空を見上げてガーゴイルが近付いて来る様子を目で追っていると、家の中からルナールが出て来て彼女の隣に並んだ。
「何やら大きな物音がしたもので出て来てみたのですが、あの羽音はやはりガーゴイルでしたか。敵対的な魔物では無くてよかったですね。貴女の事を、ティオがとても心配していましたよ?」
 柊也っぽいからという理由で身長の低い者には比較的優しいルナールが、保護者に近い柔らかな表情をエリザへと向けた。
「この辺はワイバーンの生息地が近いおかげか、飛行型の魔物は殲滅されていてほぼ居ないってあの人も知っているはずなのに……もう、ティオったら心配性なんだから」
 ふぅとため息をこぼしつつも、そう言うエリザはちょっと嬉しそうだ。
「だからこそ、でしょうね。安全なはずの場所で突然あの様に五月蝿い羽音がすれば、何事かと心配にもなるでしょうから」
 他者から五月蝿いと言われてしまう程の羽音では無いのだが、体が岩で出来ている以上限界があるのか、どうしても翼を動かすたびにそれなりには音がする。耳のいいガーゴイルはルナールの発した『五月蝿い』の一言に軽く肩を落としながら、それでもめげずに飛び続け、ティオ・エリザ夫妻の家の庭まで辿り着き、彼らの前で恭しくこうべを垂れた。
 手に持っていた籠をルナールの前に置き、「お待たせしました」と、地を這う様な低い声でガーゴイルが言った。
「……このガーゴイルは、もしかして貴方の使い魔ですか?と言うことは……まさか、貴方様は王族の方ですか⁈」
 恭しく頭をさげたままでいるガーゴイルとルナールとの間を何度も何度も視線を彷徨わせ、エリザが驚きの声をあげる。ガーゴイルは王城を外敵から護る役割を担う存在なので、エリザのくだした答えは当然の流れだった。
「……コレはまぁ、貸し出してくれている者ですよ。直属の使い魔などではありません。王族の者ではありませんよ。なので、そう畏まらずに」
 余計な事は言うなよ、とガーゴイルに一瞬だけ目配せをし、ルナールがエリザを宥める。畏まった態度の者が増え、王族の者に違いないだなんだと大騒ぎされても色々と面倒だ。
「私は“純なる子”であるトウヤ様の従者、狩人のルナールでしかありません。なので、そうオロオロせずに」
 あれ程ティオに『妻には言わないで!』と懇願されていた事を、ルナールがサラッとあっさりエリザにバラした。そもそも秘密にする気など無かったのだが、それにしたって……だ。ここに柊也が居たならば、ルナールは正座を強要されたうえで説教モードに突入していただろう。それはそれでルナールはその状況を楽しんでしまいそうなので、柊也が居なくて本当に良かった。
 ガーゴイルに倣い、ルナールの前で頭を下げるべきか否か判断に困っていたエリザが、『そうなの?』と言いたげな顔になり、ピタリと動きを止める。
(……でも、“純なる子”って何だったかしら?絶対に聞き覚えはあるのだけれど)
 頭の片隅に基礎知識ではあっても、普段使わぬ単語な為か、エリザが言葉の意味を思い出せない。何だっけ?とキョトン顔になってしまったエリザを無視し、ガーゴイルが口を開いた。
「品物は確かにお届けしました。またのご依頼をお待ちしております」
 主人と使い魔といった関係に見えてしまわぬ様言葉を選び、ガーゴイルがあえて頭を上げる。彼はどうやら“空気が読める石像”の様だ。
「ありがとうございます。王城からの多大なる支援、心から感謝致しますとお伝え下さい」
 ルナールもガーゴイルに倣い、それっぽく聞こえる言葉選びをしながら礼を言う。
 ガーゴイルは一瞬居心地の悪そうな顔をしたが、石像の表情など見慣れてなどいないエリザはその事には気が付かず、二人のする言葉通りのやりとりを聞こえたままに受け止めた。
「ではこれで」
 短い言葉を残し、蝙蝠に似た翼を大きく広げ、ガーゴイルが空へと旅立つ。「あぁ、遠くまでありがとう」と返事をしたルナールの声は羽音にかき消されるほど小さかったが、ガーゴイルにはきちんと聞こえていたのか、軽く一礼してから、彼は王都のある方向へと消えて行った。
「……ガーゴイルなんて、私初めて見ました。王都ではよく飛んでいるのでしょうか」
 思いの外早い速度で遠ざかって行くガーゴイルの背を見送りながら、エリザが言った。
「王城周辺であれば多少は。郊外ではそうそう会えないので、エリザは運が良かったですね」
「そうなんですか?って、よくよく考えずともそうですよね!何たって彼等は王様達を護る守護像ですもんね」
 無邪気な笑みを返され、ルナールがほんわかとした気分になる。元は年上の女性であるとはやはり感じられない。ギャップ萌えによりエリザに惚れるのは当然だと言うティオの主張は理解出来ないが、小柄な者が愛らしいと感じる事だけは認めよう。でもまぁどう足掻いてもトウヤ様ほどでは無いがな!と、ルナールは思った。
 ガーゴイルの届けてくれた籠を持ち上げ、中に入る小瓶を一つ取り出すと、ルナールがエリザへと差し出す。
「突然の訪問者である私達にお茶を出して頂いたお礼に、こちらをどうぞ。ラモーナ王妃様が作った林檎のコンフィチュールです」
「…………お?おぉぉ、王妃様の手作り⁈そんな、いたたたたたっだけまへんんっ!」
 エリザが噛みまくりながらも、首を横に振りながら必死に断る。
「コン?えっと、コンフィなんたらが何に使用する物なのかも田舎者の私ではサッパリですし!お、お、おお、王妃様のお作りになった品って事は、アレですよね⁈すんごい魔法具とか、一瞬で癒える白魔術を施した傷薬だとか、そんな物ですよね?あくまでもソレは王族にサポートされているルナールさん達が使うべき物であって、お茶の礼程度で私達が受け取るには、あまりに分不相応過ぎてそんなぁぁ!」
 パニックになりながら抱えていた籠を地面にドサリと落としたエリザに対し、ルナールが苦笑いを浮かべる。王族への過剰反応を目の前で見たのは初めての事で、ちょっと面白いなとも思った。
「ジャムですよ、コレは。ただの林檎のジャムです。コンフィチュールは、ちょっとお洒落に言っただけの言葉で、魔法具や白魔術の薬では無いですよ。こんなもん肌に塗ったら、ベトベトして気持ち悪いだけです。それに、王妃様は私達だけでは食べきれない数を差し入れてくれたので、腐らせてしまうよりは食べて頂けませんか?」
「ジャ、ジャムですか!……すみません、何も知らず私ったら」
 顔を真っ赤に染め、エリザが頰を両手で隠す。見た目は少年でも、仕草は完全に女性だ。
「王妃の手作り品を受け取らなかった結果これらを腐らせた、なんて嫌じゃありませんか?それならば食べてしまった方が皆への自慢になりますよ?」
 悪戯っ子の様な笑みを口元に浮かべ、ルナールが言った。
「あ、そうか……。そ、それもそうですね!頂きます!あ、でも……一つだけで勘弁して下さいね?」
「そうなんですか?沢山あるから二個でも三個でも差し上げられるのですが。でもまぁいいですよ、それで勘弁してあげましょう」
 ルナールから改めて差し出されたコンフィチュールを両手で受け取り、エリザが感嘆の息をついた。『コレが王妃様の手作りジャム!』で頭がいっぱいで、“純なる子”の意味が思い出せないままでいる事はすっかり忘れている。エリザは年を重ねていても、重ねているからなのか、記憶力がちょっと残念だった。
「ありがとうございます!主人と一緒に、大事に頂きますね」
「一週間程度で食べなければ味が落ちるかと。なので、大事にせず、急いで食べて下さいね」
「あ!そ、そうですよね、そうでした」
 まだ動揺したままなのか、姉さん女房的要素が完全に消えている。普段は、やっと結婚出来た相手に逃げられてなるものかと背伸びしているだけで、本来はこっちが素なのかもしれない。
「そうそう。エリザ、二人きりになったついでに、ちょっとお訊きしてもいいですか?」
 林檎のコンフィチュールの入る小瓶を両腕いっぱいに伸ばしながら高く掲げ、自らの髪色に近い色を楽しむかの様に太陽の方へと向けていたエリザに、ルナールが声をかけた。
「ええ、何でしょうか?」
 答えたエリザの声は、踊り出しそうな程弾んでいる。
「その姿にご不満は?」
「……え」
 ど直球な質問に対し、エリザの動きが止まった。
「エリザは二重に呪われていますよね。その姿はイヤではないですか?大人だった者が、その様に突然小さくなってしまうのは不便でもあったでしょう?呪いの結果である以上、この先その体が成長する可能性も低い。性別の反転は簡単に理解出来ても、年齢までが変化した理由がどういった反転が起きたからなのかわからない以上、不安要素が常につきまといますしね」
「……ティオが、呪いの事を貴方達に話したのですか?」
 楽しそうだった表情が一気に凍りつき、天高く掲げていた腕をエリザがおろす。
「いいえ。彼は『妻にはトウヤ様が“純なる子”である事は貴女には黙っていて欲しい。解呪は嫌だ。放っておいてくれ』と懇願しています」
「……言っちゃって、ますよね?」
「言っちゃって、ますね」
 わざと似たような言い回しをし、ルナールが微笑んだ。
 自分が言った事でエリザがどう思おうが、ティオがどう考えようが、ルナールにはどうでもよかった。早く柊也と二人きりになりたい、その為にはとっととこの問題をどうにかしたい。ルナールにとって大事な事は、常にそれだけだ。今日初めて会った夫婦が自分の軽はずみな行為でどうなろうが本心としては知ったこっちゃない。小さくって可愛かろうが、エリザが柊也では無い以上ルナールにとって彼女は庇護対象でも無い。ただ、このまま放置して旅立っては柊也が気に病むだろうから、結果はどうであれ解決だけはしておきたかった。
「“純なる子”であるトウヤ様ならば、瞬く間に貴女の呪いを解いて下さいます。でも、貴女の夫であるティオは、それを望んではいません。その姿である貴女をどうやらとっても気に入っている様ですね。トウヤ様がいずれ“孕み子”を解放してしまうまでの短い間だけでも、少年となった妻との蜜月を楽しんでおきたいらしいですが——それを聞き、貴女はどう思いますか?」
 ルナールの言葉を聞き、エリザは『この人は私達の事をどこまで知っているのだろう?』と疑問に思った。それと同時に『何で忘れていた私!“純なる子”も“孕み子”も、歴史の時間に何度も習ったのにー!』と心の中で叫んでいた。
「……やはり、そう……ですよね」
 残念な記憶力への悲しみをエリザがひた隠し、思考を本題へと戻す。
 ティオの切望は、ちょっと考えただけで簡単に想像がついた。呪われてから今日までの日々を思い出しても、彼が今の姿を溺愛してくれているのは明らかだ。
 自分の夫が小児性愛者だったのはショックだけれど、他の子に目がいくよりはマシよね。と、ティオが知ったら大騒ぎしそうな勘違いをしたまま、エリザがふぅと長いため息をついた。
「夫がそう望んでいるのなら、私はそれに従います。確かに早く元の姿に戻れるならばそれに越した事はないですけど……もう慣れてもきましたしね、このサイズにも」
 ティオと同じく、解呪出来るなど思ってもいなかった為、とっくのとうにエリザは元の姿へ戻る事を諦めきっていた。そのせいか、ルナールの問いに対し長考せずに答えを出した。
「ならば……全てが終わった後でも、『一生その姿でいることも出来る』と言われた場合は、どうしますか?」
 暗い笑みを浮かべ、ルナールが問いかける。その声はまるで悪魔の囁きのように甘い色を帯びており、『出来もせぬ事を言うな』という考えを一蹴させる力を持っていた。
「…………え」
 エリザは再び声を詰まらせた。
 いずれは解ける前提であれば『今は解呪を望まない』という結果へ安易に辿り着けたが、一生このままでいるとなると、話は変わってきてしまう。あり得ない質問はしないで欲しいと思うも、もしルナールの問いが真実に基づいているものなのだとしたら、自分はどうするのだろうか?と、エリザはルナールの目を見ているうちに、真剣に考え始めた。
 親からもらった姿を捨ててもいいの?
 でも、この姿ならばティオが欲望のままに愛してくれるわ。
 だけど、どうして少年にまでなってしまったの?男性体に変化するだけではなく、どうして?何が原因だったのかしら——疑問や欲望が頭の中で入り混じり、葛藤する。先程の様には答えが簡単に出てこない。
「……答えはお早めにお願いしますね、私は早くトウヤ様の元へと戻りたいので」
 ルナールがキツネの尻尾をゆっくりと揺らし、エリザを急かす。
「え、あ……わ、私は、えっと——」
 慌てて出したエリザの答えは、二人の耳にしか届かなかった。
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