白銀の恋人

月咲やまな

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第1話

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 最近俺にとって、奇妙だと感じる事が多い。古くからの友人が次々に想いを叶え、結ばれていくのだ。
 女嫌いだった奴や、妹のような存在が好きだった奴。
 絶対に恋愛など出来ないだろうと思っていた、だらしのない奴までもが一人の女性を選んだ。
 内向的でおっとりした性格をした弟のじんまでもが彼女を連れてきたと思ったら、実家で同棲を始めた時には本当に驚いた。
 そこまでならまだいい。現実的に起こりえる範囲だと妥協しよう。
 俺が何よりも一番奇妙で、不可解で、理解できないのは弟の彼女自身。
 アイツはおかしい。
 絶対に何かが変だ。
 初めて見た時から感じる違和感。
 その理由がわからぬまま、その女が家にいる生活は初対面から既に半年が経過した今でも、全く解消出来ていない。それどこか、違和感は日々募る一方だった。

「おはようございます、こうさん」
 庭先の掃除をしながら俺に話し掛けてきた白尾葛葉はくおくずのはは半年前、突然誰にも言わずに北海道へと旅行に行った弟が、帰って来る時に連れて来た女だ。
 のんびりした弟に似て、おっとりした性格のこの女は、ほとんどの時間を俺の家の庭で過ごしている。庭と言っても、俺の実家は神社で、庭とはその境内の事だ。
 木が多く、周辺の騒がしさも聞こえない静かな場所。ここは少し坂の上にあるので、晴れた日なら遠くに海が見える事も珍しくない。そんなこの場所が、この女はとても気に入ってるそうだ。
『一緒に住んでいいかい?彼女、住む場所が無いんだよ』
 弟が帰宅してすぐ俺達に言った一言だ。
 ようは家出娘なんだろう?と思ったが黙っていた。どうせ両親が警察にでも連絡して、この女の親に迎えにこさせるだろうと踏んでいたからだ。
 だが、現実は違っていた。
 住む場所が無い事の理由も訊かず『……可哀想に』と、泣き出す両親。同棲はすぐに承諾され、部屋も余っていた為、葛葉には個室まで与えられた。
 着替えの服や化粧品類の荷物も何一つ持たないまま、ここにやって来た葛葉。だが、本人は全然困った様子もなく普通に暮らしている。寝る場所と食べる物。それ以外は全く要求しない葛葉に両親は感激し、色々買い与えてあげようとしていたが、全て断られたようだ。
『最低限の物さえあれば生きていけます、自分でどうにかします』
 にこやかに微笑んでそう言ったらしい。変な女だ、まったく。
「これからお仕事ですか?」
 箒を手に、葛葉が掃除しながら訊いてきた。
 俺はこの女が嫌いだ。理解できないから。大概の事は、先が見えるかのようにカンでわかる。それなのにコイツになるとそれがさっぱり働かないことがすごく気に入らない。酷く一方的で勝手な理由だと自覚してはいるが、嫌だと思うもんはもうどうしょうもうない。
 無視して通り過ぎようとした時「今日は雨が降りますから傘を持った方がいいですよ」と、目の前に傘を差し出された。
 いつの間に?さっきまで傘など持っていなかったと思うんだが……。
「予報では今日は晴天だと言ってたぞ?」
「いいえ。昴さんが帰宅する頃には、絶対に降りますよ」
 ゆっくりだが、ハッキリとした口調でそう言われた。
 断固として傘を俺の前に差し出したまま動こうとしない。それならばと俺が右に行けば葛葉も、左に行けばコイツも同時に同方向へ動いて傘を差し出してくる為、いくら避けても無駄だった。このままここで反復運動をしても無駄だ。なので俺は、渋々嫌々傘を受け取る事にした。
「これで降らなかったらどうする?俺は邪魔な傘を持ち、皆に笑われるんだ。何か詫びでもしてもらわないとな」
「では、降ったらどうしますか?」
「……そうだな」
 急に問われても、何も思いつかない。俺も今日は予報通り降らない気がするし。
 黙ったまま悩んでいると、葛葉が口を開いた。
「降ったら、お迎えに行きますから私と一緒に帰ってもらえませんか?」
「その場合、傘がもう俺の手元にあるんだ、迎えに来る必要はないだろうが」
「でも、お話はできます。私は嫌われているでしょう?少しは私を解ってもらえたら嬉しいので、迎えに行きます」
 やっぱり気が付いてたのか……。まぁ当然だな、全然コイツと話さないのは俺だけだ。“未来の兄”と仲良くしておきたいって腹なのか。
「わかった。じゃあ晴れたままだったら、俺に二度と話し掛けるな」
「いいですよ。いってらっしゃい、昴さん」
 ニコッと笑い、葛葉が俺を見送る。
 気象庁の予報は最近当たるからな。これでうざったい奴と話さなくてよくなるかもしれないと思うと、俺は少しだけスッキリした気分になった。

       ◇

 椿総合病院。俺はそこの内科で医師として勤務している。
 総合病院というだけあり、主だった科は一通り揃っており、この地域医療の中心を担っていると言っても過言では無い。最新設備や優秀な医師・看護師達を揃えているだけでなく、患者達がすごし易い様内装にも相当こだわった院内は評判が良く、良いのか悪いのか患者が後を絶たない。
「おはようございます、宮川先生」
「おはよう、容態に変化のあった患者はいたか?」
「いいえ、特にこれといって問題はなかったです」
「そうか、よかった」
 同じ院内には古くから付き合いのある友人もおり、この病院の医院長の息子のロイ・カミーリャは俺の親友だ。給料もいいし、医師の数も多いここは、働くにはとてもいい環境だと思う。総合病院という事もあって、患者数は多いし夜勤もあって仕事は忙しいが、まぁ妥協できる点だろう。もっと過酷な環境で戦う医師は数多くいる。ちょっと忙しいくらいで文句を言っては、彼等に失礼だ。
「おーい昴、ちょっといいか?」
 診察室で一人これからの準備をしていると、扉が開くと同時に声をかけられた。声の主は佐倉一哉さくらかずや。薬局に勤務する友人の一人だ。
「なんだ?何かあったか?」
「悪い、仕事の話じゃないんだ……」
「んじゃ後にしろよ、こっちは今忙しい」
「頼む、ちょっとで終わるから」
 珍しく必至に頼まれ、断りにくくなった。
「……なんだ、手短に言え」
 カルテを指でトントンと叩きながら言う。本当に時間があまりないんだ。
「お前、カミーリャからパーティーに呼ばれたか?」
「ご丁寧に、直接勝手に俺の勤務スケジュールまでいじって休暇を取ったうえで誘われたよ」
「それはもう誘ってるってレベルじゃないな」
「ここの息子だから出来る事だろうな。……あの行動力には呆れるよ、全く」
 ため息をつきながら、椅子をクルッと回し、パソコンに向う。
「まさか、それだけか?」
「あぁ」
「俺が行かないなら、行かないつもりだったのか?だから確認したかったのか」
「いや……そうじゃないんだが、欠席者が一人でもいたら断りやすいなと思ってな」
「気の小さい奴め。お前がその一人目になればいいだろうに」
「相手はあのカミーリャだぞ?んな事できるかっ!」
「じゃあ、諦めて行くんだな。話は終わりだ」
 呆れ顔を隠す事なく、俺は一哉に対しあっちにいけと手で合図した。
「わかったよ、んじゃ」
 まったく……アイツだって暇じゃないだろうに、変な事ばかり考えやがって。
 彼女ができたからクリスマスの夜に友人同士で集まる事に抵抗があるんだろうが、俺の仕事の邪魔はするな。

       ◇

「……嘘だろう?」
 午前から午後へと慌ただしく時間が流れていき、ふと外から変な音が聞こえた気がした俺は、慌てて窓を開けた。
 音の正体は、雨だった。
「あら、雨降ってきましたね。どうしましょう、傘なんてないですよ」
 側にいた看護師達も、困った顔をしている。
「予報外れちゃったわね」
 ……何でわかったんだろう?朝から空は晴れていたから、空を見ても予想できないだろうに。
 窓から見える人達も、突然の雨に走り出している。結構強めの雨なので、これだと明日は風邪で通院する人間が増えるかもしれない。これはもう面倒だしタクシーでも拾って帰るか。そんな事を考えていたら、「あら、傘の人」と看護師が声をあげた。
「午後の予報でも雨って言ってなかったのに……運がいいわね、あの人」
 気になって、俺も窓の外を覗き見る。すると、傘の持ち主が顔を上げてこちらを見てきた。
「……まさか、葛葉か?」
「あら、先生のお知り合いで?」
「知り合い?……ああ、まぁそんなところだ」
 あの野郎本当に来やがった……。しかも、俺の居場所までわかってるみたいにこっちに回るとは……ストーカーか?アイツは。
 俺と目が合うと、葛葉はニコッと嬉しそうに笑い、手を振ってきた。
「あら。ずいぶいん可愛いお嬢さんじゃないですか、先生」
「お付き合いしてるんですか?」
「まさか!アイツは弟の彼女だよ」
「そうなんですかー、可愛い子ですね。変わった髪の色ですね、外国の方ですか?」
「いや、たぶん違うと思うが」
「じゃあ美容師さんの腕がいいんですねー。すごく綺麗な色」
 確かに。葛葉の髪は、銀というか白というか、言い表し難い普通には無いような色をしている。色を抜いただけではならないような、サラッとした綺麗な長い髪とその色。肌は透けるように白く、ラインの整った細い体。弟が惚れるのも……正直なところ、わからなくもない程の美人だ。なので『あんなレベならそこいらにうじゃうじゃ居るだろ』とは口に出来なかった。
 それにしても、アイツはあそこであのまま待ち続ける気なんだろうか?
 俺の仕事はまだかかりそうだし、まいったなぁ。
 携帯でも持っていてくれたら違うのに、アイツは持っていない。
 ……くそっ。
「悪い、ちょっと抜ける。すぐに戻るから、誰か来たらトイレだとでも言っておいてくれ」
 そう言って俺は、『俺は忙しいんだから余計な手間を増やすな!』と心の中で悪態をつきながら診察室を小走りで出て行った。

       ◇

「おい。んなところにずっと居たら風邪ひくぞ、とっととこっちの玄関に入れ」
 側まで駆け寄ると、場所を変える様に言った。
「昴さん!私なら大丈夫ですよ。すみません、一緒に帰るのが楽しみ過ぎて来るのが早くなってしまいました。かえって迷惑をかけてしまいましたね」
「ああ、すごく迷惑だ。だから、これを持って先に帰ってくれないか?タクシー代は払う」
「……たくしー?」
 何だろうそれはとでも言いたげに首を傾げられ、俺の眉間にシワが寄った。
「お前の住んでた場所には、タクシーも無かったのか?」
 少し嫌味な声で言った。この現代で無い訳がない、十分わかってる。
「あるんだと思いますけど……」
「思うって、嘘だろ……知らないとか冗談言うなよ。そもそもお前はここまでどうやって来た?」
「歩いて来ましたよ、そう遠くないし」
「……とおくな……って、何時間かけてんだよ」
 交通機関を使わねば三時間かけようが到着すら出来ぬ道程だ。とてもじゃ無いが来たくなどない距離を歩いて来たと言われ、呆れてしまった。
 ダメだ、コイツとは話にならん。俺のペースも崩れるし、いい事が一つもない。早くどこかに行ってくれないだろうか。
「もういいから帰れ、まだ仕事があるんだ」
「でも、約束しましたよね?一緒に帰るって。だから待ちますよ、雨くらいでは死にませんし」
「死ぬ死なないの問題じゃない、風邪をひいたらどうするんだ!ったく……」
「かぜですか、それって痛い?」
「とぼけるなぁ!」
「わぁ、怒ってくれた」
 葛葉と言葉のやり取りをするだけで、腹が立ってきた。
 なんなんだコイツは本当にもう、さっきから!
「怒ってくれて嬉しいです。無視や拒否では無く、興味を持ってくれたみたいで」
「俺の興味など引く必要なんかないだろうが!仁と仲良くやっていれば、それでいいだろう⁉︎」
「……仁さんは、優しい人ですね」
「そうだな、困ったお前を旅費まで出して連れて来て、家に住まわせてしまうくらい優しい奴だ。だから裏切るな」
「大丈夫ですよ」
 スローテンポでそう言って、ニコッと葛葉が微笑む。その笑顔に毒気が抜かれ、怒る事自体が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
 ……はぁ……ホント、コイツ疲れる。
「……わかった、せめてあの玄関で待ってろ。まだ少しかかるから帰れないんだ」
「はい。嫌いな私の事まで心配してくれるなんて、昴さんはホントすごく優しいんですね」
 優しい?俺がか?バカ言うな、患者が増えて欲しくないだけだ。話が成立しないお前まで診てるほど余裕はないんだよ。

       ◇

「お疲れ様でした」
 なんとか今日の仕事も終わって、帰る準備をする。窓の外に目をやると、外の雨はもうあがっていた。
 どうやら一時的なものだったみたいだ。雨なら一緒に帰るって話だが、今はあがってる。それでもやっぱり、一緒に帰らないといけないのか?そう思うも、もうアイツは下で待ってるし……面倒だが仕方ないか。
 気乗りしないまま、職員用玄関へと向かう。階段を降り、職員用玄関が見えてきたぐらいで、後ろから声をかけられた。
「お疲れ様です!先生も今お帰りですか?」
 振り返ると、看護師の草壁くさかべが階段を降りながらこっちへ来るところだった。
「ああ、今さっき終わったんでな」
「急変するような患者さんもいませんでしたもんね。先生がこの時間に帰れるなんて珍しいんじゃないですか?」
「そうかもしれないな」
「……ご一緒してもいいです?駅まで」
 少し恥ずかしそうにそう言われ、面倒くさいなと思った。この雰囲気は、俺に少なからず好意がある。そういうのは、経験則からすぐにわかってしまうのが嫌だ。
 なんで俺なんだ……独身の医者なんて他にもいるだろうが。
「悪い、迎えがあるんだ。ほら」
 そう言って、玄関を指差しながらそっちを見る。すると葛葉が、玄関の外で傘をさしたままボーッと空を見ていた。
 あの野郎、中で待てって言ったのに!
「……女性の方、でしたか」
「ああ、親しい奴なんだ。さっきまで雨だったからな、俺を迎えに来てくれたんだよ」
 嘘ではない。“俺と”では無いが家族は親しいんだし。職場の誰かと付き合う気など無いので、ここは大いに利用させてもらおう。
「じゃ、お疲れ」
 素っ気なくそう言って、葛葉の方へ歩いて行く。背中に聞こえた「お疲れ様でした」と言う草壁の声が、少し寂しそうだ。しかし俺狙いって、どれだけ見る目がないんだよ草壁は。自己分析的にも、俺の院内での評価は最下位だと思う。ぶっきらぼうで、愛想も悪い。仕事は普通にこなすが、人付き合いも悪いし、言いたい事はハッキリ言う。女だろうが関係なく叱るから、泣き出す看護師も多い。さっきの草壁だって、何度も俺に叱られているっていのに……女はよくわからないな。

「おい」
 閉じたままの傘で、葛葉のさす傘を叩く。それにより傘の上にたまっていた雨粒がパンッと飛び、『子供の頃も雨上がりはこうやって傘を叩いて遊んだな』と、ちょっと懐かしい気分になった。
「あ、お疲れ様です」
 ニコニコと笑い、葛葉がこっちを向いた。
「俺は玄関の中で待ってろと言ったと思うんだが、聞いてなかったのか?」
「雨の間は待ってましたよ。とても優しい人が来て、ちょっとお話ししていたらつい一緒に外に出てしまって」
「優しい人?」
「はい。男性で、昴さんみたいに眼鏡の方でした」
 優くて眼鏡の男……。
「ああ、湯川か」
「さぁ?名前とかは興味ありませんし、お互いに」
 ちょっと話しただけで、よくそう思ったな。
「それで?そいつと一緒に出て、また中に戻ろうとは思わなかったのか」
「雨もあがってましたしね。浄化された外の方が、居心地がいいので」
 浄化されたって、随分変な言い回しをする奴だ。
「早く帰りませんか?ここは怖い」
 言葉通り葛葉の顔色が少し悪い。雨で体が冷えたせいもあるのかもしれないな。
「怖いなら来なければいいだろうが」
「……ここまで怖い場所だとは思わなかったんです」
「病院は、怖いか?」
「いっぱい人が死んでますからね」
「……まぁ、わかるよ。俺も怖いから」
 珍しく素直な言葉が自分から出てきた。一瞬、昔の事を思い出してしまったせいだろうか。
「それでも、助けたいからここに居る。昴さんは……本当に優しい人ですね」
 お前はどうしてそう思うんだ?俺はそんな事、一言も言っていないのに。そう思うも、言えなかった。葛葉の、全てを見透かしたような瞳に見詰められ、言葉が出なくなったんだ。
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