美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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第一章 いざ、新天地

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 聖音科の教室前で、おれはグランと別れた。

「いいか? 俺が来るまで、大人しく待ってるんだぞ」
 
 視線も寄越さないおれに、グランは口煩く言い残していった。

「……おれはガキかよ」

 ボソリと落として教室に入る。
 途端に視線が集まった。舌打ちしたいのをなんとか堪え、空いている椅子へ腰かける。

『聖音科のやつら、一人じゃ何もしてこないとは思うが…』

 グランの言っていた通り、話しかけてくる者すらいない。視線は感じるが、妙に静かだ。
 少しして、教師がやってきた。

「集まっていますか? 私は聖音科一年担当のダリヌです」

 ダリヌは神経質そうな人で、生徒の頭数を入念に数えている。おれの服装に目を留めて、ヒクリと頬を動かした。

「ここへ来た皆さんが最終的に目指すところはカムナギですね。いいですか、カムナギとは――」

 延々と語られるカムナギの素晴らしさ。重要性。神秘性。こちらへチラチラ向けられる視線から察するに、某生徒への説教を大いに含んでいるのだろう。おれはどこ吹く風で、あくびを噛み殺す。

「ッ自覚が足りませんよ!」

 ついにビシッと指揮棒で示され、ダリヌの熱量に着いて行けないおれはポカンとしてしまった。
 ダリヌは咳払いをし、なんとか冷静を装っている。

「さて、君たちの実力が気になっているのは私だけではないでしょう。明日、それぞれにウタを披露してもらいます」

 聖音科の実技試験は公開式で、学び舎フィーデルの人間なら誰でも来られる。

「いきなり試験か?」
「聞いてないよ…」

 ざわざわと落ち着かない周りの反応を見るに、これは恒例のことではないらしい。だとすると、思い当たる理由は一つだけ。おれは壇上の教師を睨み上げる。

「ウタの指定はありません。今持てる全ての力で紡ぐこと」

 まだ教科書も配られていないというのに。

「あいつ、なにも紡げないんじゃない?」
「ああ、明日が楽しみだよ」

 どこからか、クスクスと笑い声が漏れた。一般の家庭には聖典など無いからだ。この披露会の標的は、明らかにおれだった。


 ダリヌは忌まわしき銀髪に目を細める。
 リュエル・フラム。
 聖華アシャムス・ルーマの推薦状を持ってやって来た少年。どんな手を使ったのか知らないが、ダリヌには到底認められない。

(フラム…!)

 人一倍フラム家に執着し、最後までリュエルの入学に断固反対を示した彼は、いつか、フラム家と婚姻を結ぶはずだった家系の末裔である。あの一件のせいで、彼の家は大恥をかいた。周りはすっかり忘れてくれたが、その屈辱は代々語り継がれている。

「皆さんの健闘を祈ります」

 ダリヌは薄ら笑いを浮かべ、リュエルに目をやった。


 本日の日程はオリエンテーションのみ。すぐにお開きとなった。教科書は明日配るという。早く聖紋を見たかったので、実に残念だった。おれは周りの視線をまるっと無視して立ち上がる。寮に戻ってふて寝しよう。

「リュエル」

 そんなとき、声をかけてきた勇者がいた。振り返ってみれば、キラキラと海のように煌めく青い瞳。

「リュエル、大丈夫? ウタ、何か知ってる?」

 眩しすぎて明日が見えない。直視できないが、メルが眉尻を下げて本気で心配してくれているのはわかった。

「知ってる」

 メルはたくさんの生徒に囲まれていた人気者だ。おれは短く答え、すっと身を翻す。

「あっ、待って」
「、」

 上着の後ろをぐいと引っ張られ、危うく倒れそうになった。

「ご、ごめん!」
「いや…」

 こんなに人目のあるところで話さない方がいい。そんなおれの心中を知らないメルは、眉尻を下げたまま必死に小さな口を開く。

「あのね、あんまり一人にならない方がいいよ。リュエルは目立つから…。試験を前に、何かあったら大変だしっ」
「おれは簡単にやられたりしねぇよ」

 お坊ちゃんには信じられないだろうが、それなりに喧嘩の経験もある。ちょっと騒いで周りが大人しくなるなら、今のままより幾分マシだ。

「でもっ」

 おれは小さく息を吐き、踵を返す。どうせそんなやつらは、いつか必ず来るだろう。それなら、早く片付けてしまいたい。

「メル、あんなのに構うなよ」

 クラスメイトの言葉にメルはしょんぼりと肩を落とし、瞳を揺らしていた。


「あの自信満々なやつはいねぇみたいだな」
「可哀想に。一人にならねぇ方がいいって教えてくれるやつ、いなかったのか?」
「ま、おまえを思うような酔狂なやつなんて、いるわけないか」

 寮への道すがら、おれは早くも上級生に囲まれていた。皆、上着を脱いでおり、タイをつけていない。どこの科かわからないようにしているのだろう。しかし、こう体格がいいのが集まれば、察しはつくというものだ。

「聖武科もヒマだな」
「んだと!?」

 肩をすくめる。最後の一人の言葉に、イラッとしていた。

『いいか? 俺が来るまで大人しく待ってるんだぞ』
『一人にならない方がいいよ』

 お節介なやつら。頼んでもいないのに、他人の身を案じる。

「調子に乗ってんじゃねえぞコラァッ」

 こいつらはたぶん、一般の出だ。どこぞのお貴族さまにでも依頼されたか。
 飛んでくる拳をしゃがんでかわし、相手の足を掬う。

「ぅおッ」

 次の奴の足に蹴られる前に、横へ転がり回避。姿勢を低くし、こちらから相手の懐に入った。

「ぐはッ」
「せいっ!」

 鳩尾に一発入れて瞬時に下がると、最後の一人は当たれば痛そうな木の枝を持っていた。剣に見立てて攻撃してくる。武術を学んでいるだけあり、隙がない。焦りが足に出て、おれはとうとう石につまずいた。

「、ッ」

 とっさに横へ逃れ、振ってきた一撃の直撃を免れる。足を掬おうとするもかわされ、ピンチを脱出できず。

「まともに声が出せねぇようにしろって言われてんだよな」

 物騒なことを言いながら近づいてくる相手を睨みつけ、ゆっくりと後退する。いきなり俊敏に動かれ、反応が遅れた。

「ぅッ」

 後ろの木に背中を叩きつけられる。
 顔に手が伸ばされて、頬の傷を親指の腹で容赦なくなぞられた。ジリリとした痛みに顔をしかめる。

「背中じゃ意味がねぇんだよな、喉でなきゃ。おまえ…、綺麗な顔してんじゃねえか」
「いいかげん放せよ!」

 いつの間にか、両腕が頭上で押さえつけられている。背中が痛くて、うまく腕に力が入らない。そもそも体格が違う。足で蹴ってやろうとしたら、片手で止められた。つまり、おれの両手は片手で拘束されているわけだ。

「くっ…」

 奴はおれの顔を覗きこみ、獰猛な目で笑った。不快感から目をそらせば、さらに顔を寄せてくる。俯こうとすると、顎を掴まれ上向かされた。

「おまえは耐えられるかな?」

 言いながらズボンのポケットへ手を入れたかと思うと、赤い液体の入った小瓶を取り出す。予想外な展開に、喉がコクリと乾いた音を立てた。奴はそれに気を良くして小瓶を高く掲げる。

「たっぷり味わえ、ビリビリドカンだ!」

 親指で器用にコルクを外された小瓶が顔に近づく。どうやら彼は、ビリビリドカンとやらをおれに飲ませるつもりだ。とっさに息を吸い、「待て!」と叫ぼうとしたのだが。

「ッ、」

 息を吸っただけで表現しがたい痛みに喉が襲われ涙が溢れる。堪らず、近づく小瓶に頭突きした。
 割れた小瓶から飛び散る液体。
 とっさに腕で顔を覆った。そういえば、両腕が開放されている。
 次の瞬間、凄まじい叫び声がした。

「あああ目がぁ、目がぁッ!!!」

 何事。腕の下から相手の様子を窺う。視界が滲んで定かではないが、両手で目を抑えてフラフラと歩いているようだ。

「目がぁっ目がぁっ、水、誰か水ぅ!」

 おれも喉や目の痛みに加え、頭突きした頭部がピリピリしてきた。

「おい、さっきの、なんだ」

 なんとか言葉を紡いだはいいものの、自分の口から出たハスキーすぎるボイスに眉根を寄せる。

「ビリビリドカンだッ」
「だからっ、それは、なんだ」
「ビリビリドカンを知らないのか!」

 奴は驚いたように叫ぶ。

「世界一辛いといわれる調味料くらい知っておけ!」
「……」

 この痛いのが食べ物だとは、にわかに信じがたい。飲まされていたらと思うとゾッとする。しかし、妙な液体の正体が調味料でよかった。明日には喉も回復するだろう。そう思うと、少しホッとした。
 さっさと水で口を濯ごうと駆けだしたとき、背中に掛けられた声。

「待て、俺も連れてけ目がぁ! 」

 片手を突き出して前方を確認しながらよたよた歩く相手を思うと、少々心苦しいが。一刻も早く水場へ行きたいおれは、奴を捨て置くことにした。
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